追憶 2
結局、手に入れられたのは自閉症の症状の一部だけで、ネットで調べた方が早かった。
陽太は冷凍のオムライスを買って、三時頃に家に着いた。
「ただいま~」とリビングに向かって声を掛ける。
返事がないのはいつものことだった。
しかし部屋に入っても美月の姿はなかった。
リビング、キッチン、和室、トイレ、美月の居そうな場所を探す陽太。それでも美月は見つからず、自室の扉を開ける。
机の引き出しが開いていた。
「まさか……」陽太は慌てて引き返す。
バスルームの扉が十センチほど開いていた。
「美月! 」扉を全開にする陽太。
美月は浴室の壁に寄りかかって座っていた。右手には工作用のカッターが握られている。そして左手首からはうっすら血が流れ出ていた。
「美月-!」陽太は顔面蒼白になりながら近くにあったタオルを取り、その手首に巻き付けた。
「あ、陽太くん、おかえり……私、寝ちゃった……」と目をうつろにする美月。
「病院行くぞ! 救急車のほうがいいかな」
「陽太くん、どこか痛いの? 」
「違うだろ! この傷、血を止めて貰わないと! 」大声を張り上げる陽太。浴室なのでビンビンと響いた。
「ああ、これなら大丈夫」
「どこが大丈夫なんだよ! 出血多量で死ぬぞ! 」
「本当に大丈夫なの。いつもやってることだし、これくらいじゃ死ねないの」
陽太は言葉を失った。文末の言葉がおかしいことにも気付かなかった。
「いつもって……いつも? 」
「ごめんね、カッター勝手に使って」
タオルから血がにじみ出てくることはなかった。
陽太は崩れ落ちるように浴室の床に座り込んだ。そして、その目から涙がこぼれる。
「陽太くん……」
「オレが留守の時、それやってたの……? 」陽太は涙を拭いながら問いかける。
「……たまに」
「痛くないの? 」
「痛いんじゃなくて……怖いの」
美月は手首の傷を見つめながら呟いた。
「怖い? 何が? 」
陽太は美月の腕をとり、傷口にタオルを押し当て止血をする。
「時々、自分が誰だか解らなくなる。周りが見えなくなって、気付いたらこういうことしてて」
「記憶がなくなるってことか? 」
「全くなくなる訳じゃなくてボーっと、意識が遠ざかってるの」
ただ何もない空くうを見て話す美月。
「それって、いつから? 深青園にいたときは違ったよな」
陽太も下を向き、美月の顔を見ることなく話し続ける。
「父と母と三人で暮らしてたときは何ともなかったの。父が亡くなったことはショックだったけど、そのときは母を支えようって思ってて、でも……」
「でも? 」
「学校でカエルの解剖をしたとき過去の記憶が……」
「その記憶ってどんな記憶なんだ? 」
陽太は勢いよく顔をあげた。そして少し苛立ちながら尋ねた。
「覚えてないの」
「え? 」
「その瞬間、確かに過去の嫌な記憶が蘇ったのに、それから何度も思い出そうとしても思い出せないの。ただ恐怖だけが残って……自分は普通じゃないって感じるようになった」
その話を聞いて、陽太はやはり自分の手には負えないと再確認した。しかし、それとは別にある仮説が彼の中で目覚める。
「美月、深青園の場所ってわかるか? 」
急に話の流れが変わったことに美月は少し驚いた。
「わからない」
「きっと深青園の記憶なんだよ。思い出せない記憶って」
そう言って陽太は立ち上がり浴室を出ていった。美月はそんなを追いかけるようにリビングに戻る。
リビングで陽太は救急箱を探し、見つけると美月を手招きした。
床に座る二人。タオルを外し傷口に消毒をする。
「なんで、深青園の頃の記憶って思ったの? 」珍しく美月から質問する。
「単純なことだよ」
包帯を巻いてもらいながら首を傾げる美月。
「解剖があったのは中学のときなんだろ? 」
「一年生のとき」
「それまで美月は幸せだったんだろ」
「うん」
「父親と母親がいて、幸せだった。なら、もっと前の記憶ってことだよ。家族と出会う前の記憶」
美月は陽太の説明に納得のいかないような顔をした。
「そんなに単純? 」
「オレはそう思う」陽太は何故か自信に満ちあふれた目をみせた。
「でも、深青園にいたときも私は楽しかったよ。陽太くんが一緒にいてくれて、貧しかったけど楽しかった」
「楽しかったと幸せだったは別だよ」
救急箱の中身を整理しながら陽太が言う。
「幸せだったよ、深青園も」と美月は付け足した。
陽太は美月の頭をポンポンと叩き笑顔をみせる。
「オレも深青園にいて、美月といて、園長とかといて幸せだったよ。でも正直ハッキリした記憶がないんだ。六歳までの記憶だから当たり前なんだけど、すごく断片的で、色々あやふやなんだよ。美月もそうじゃないか? 」
「……」
「でも、家族が出来てからのことは良く覚えてる。オレにも辛いことはあったけど、それでも幸せで。その幸せは深青園の頃の幸せの何倍も大きかった」
笑顔でそう語る陽太は本当に幸せそうな表情をしていた。そんな顔を見せられ、美月も自分が一番
幸せだった頃を思い出していた。
「お父さん、若くてかっこよかった。戸籍がないことを知ったときは驚いたけど、お父さんが私をずっと守るって言ってくれたの」
「いいお父さんだったんだな」
陽太の優しい声に美月の目から熱いものが頬をつたった。
「オレ、深青園のこと調べてみようと思う」
美月の涙を手で拭いながら陽太は言った。
「私のため? 」
「それもあるけど、自分のためでもあるかな」
「陽太くんのため? 」
「オレの中で施設出身ってのは終わったことだと思ってた。でも美月と再会して、まだ続いてたことに気付いたんだ」
立ち上がって救急箱を片付けに行く陽太。
「私と会わなきゃ良かった? 」
「会えて良かったよ。おかげで、これまでの人生の整理ができそうだ」
「そのために深青園調べるの? 」
陽太は何も言わず、ただ大きく頷いた。美月の目には彼のあふれる闘志が映った。
美月を恐怖から解放させて、自分も今の状況から解放される。そのためにも深青園のことを知りたい陽太。二人の出会った養護施設はきっと何かを教えてくれる。陽太はそう思っていた。
そしてその日から深青園を探す旅が始まった。




