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騎士候補生少女譚  作者: 柳生 劣情(文章)&春畑 晴燕(設定)
第一章 ある日の彼女たち
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少女の寝覚め

 懐かしい匂いがする。

 床に張られた木板の匂い。少し古い土壁の匂い。格子窓から差すお日さまの匂い。

 わたしの実家にある道場の匂い。わたしの好きな匂い。

 そして、お姉ちゃんの匂い。

 わたしの、大好きな匂い。

「随分と強くなったわね、サヤ」

 明るく弾む声で、お姉ちゃんはわたしの名前を呼んだ。わたしの大好きな声。

 藍染の袴に白の胴着姿のお姉ちゃんは、へたり込むわたしの眼前に木刀を突き付けながら、蒼い瞳を細めて無邪気に笑っていた。

 アヤノお姉ちゃん。わたしのお姉ちゃん。

「あはは。でも、やっぱりお姉ちゃんには敵わない、かな」

 お姉ちゃんは、剣の天才だった。

 それはわたしの贔屓目ではなく、お姉ちゃんの剣の師匠であるお祖父ちゃんも認めるところで。

 王都で行われた剣術大会で優勝したという実績もあるところで。

 だから、お祖父ちゃんは家の剣術道場をお姉ちゃんに継がせることを決めていた。

 行く行くは王室に仕える武官となることを、お姉ちゃんに期待していた。

 わたしは、お姉ちゃんみたいに武術鍛錬などしなくてもいいと、自分の好きなことをやればいいと、お祖父ちゃんからは言われているけども。

 昨日も、今日も、毎日、お姉ちゃんに剣の稽古をつけてもらっている。

「サヤはさ?」

 お姉ちゃんは木刀を下ろし、床にへたり込むわたしの隣に座って尋ねた。

「剣術をしていて楽しい?」

「うん、好きだよ。剣を振ったり、お姉ちゃんと試合するの、好き」

「そっか! 流石、私の妹だー!」

 お姉ちゃんは嬉しそうに笑ってわたしの頭をくしゃくしゃに撫でてくれた。

「私もサヤと試合するの、好きよ。サヤがどんどん腕が上がっていくの、わかるもの」

 お姉ちゃんの笑顔は、とても眩しかった。

 こうしてお姉ちゃんに稽古をつけてもらえることが、楽しくて。

 こうしてお姉ちゃんに笑いかけてもらえることが、嬉しくて。

 こうしてお姉ちゃんのそばにずっといられることを、望んでいて。


    *


「むにゃ……お姉ちゃん……」

 ベッドの中で少女は、サヤは微睡む。

 幸せな表情でサヤは微睡む。

 その脇に、もうひとりの少女が立っていた。

 微睡むサヤとは対照的に、その少女の顔には苛つきが見える。そして。

「いーかげんに起きろ!」

「うひゃあ!」

 掛布を引っ剥がされたサヤは素っ頓狂な声を上げながら、半身を起こす。

「…………あれ?」

 僅かに開いた瞼から蒼い瞳を覗かせながら、サヤは呟いた。

 自分はさっきまで、実家の道場で姉といたはずだった。

 しかしここは別の場所。目の前には古い土壁ではなく白い壁。座っているのは道場の床板ではなく寝台。

 後ろで結んでいたはずの髪は背中まで放たれ、胴着だったはずの衣服が寝巻きにしている灰無地の浴衣。

 そして隣にいるのは姉のアヤノ……ではなく、青墨色の服を着た、薄茶のお下げ髪に翠眼の少女。

「んんん……?」

 目を閉じ、背を伸ばしながら息を漏らす。寝惚け状態から意識を取り戻しながら、状況を認識する。

 ここは、レゼ国立女子高等騎士学校エイリス分舎の学寮で。今は、朝で。

 自分がここにいるのは、騎士候補生だからで。目の前にいるのは、ルームメイトの。

「んー、おはよう、マリナ……」

「おはよう、じゃない! 朝ご飯に遅れちゃうでしょ!」

「あわ、ごめん、ごめんって」

 苦笑しながら、サヤは頭を掻く。

 朝からマリナに叱られたことと、姉の夢を見ていて惚けていたことへの恥ずかしさ。

「ふふっ、朝からふたりとも元気ね」

 マリナの後ろから、彼女と同じ衣装を纏った長身の少女が顔を出して悪戯っぽく笑う。

「フィーネ、おはよう」

「うん、おはよう♪」

 マリナと同じルームメイトのフィーネは、軽く笑いながらひらひらとサヤに手を振る。

 腰まで伸ばした白金色の髪に琥珀色の瞳をした切れ長の釣り目。どことなく優雅で、大人びていて、落ち着いた雰囲気は、時折自分と同年代とは思えなくなるものを感じてしまう。

「ほら、顔洗って着替えてきなさい」

「はいはーい」

 マリナに促されて、ベッドから降りる。備え付けられた洗面所で顔を洗い、居室へ戻る。

 帯を解いて浴衣を脱ぎ、制服へと着替える。

 青墨色をした立折襟の上着に薄紫のリボン。同じ青墨色をした膝丈までのスカート。黒のタイツと半長靴(ショートブーツ)

 レゼ国の女性騎士制服。

 正式任官前の騎士候補生を示す桜の花弁を象った銀の記章が襟に付けられていること以外は、卒業後も同じデザインのものを纏うことになる。

「終わったよー」

「じゃあ、髪やったげるから座って」

 鏡台の椅子にサヤが腰掛け、その後ろにマリナがつく。

 寝癖のついたサヤの黒髪をマリナは手慣れた動きで梳り、後頭部で束ね総髪(そうがみ)に仕上げる。

「ありがと、マリナ!」

「ん、どうも」

 鏡の中のマリナに笑顔を向けると、いつものように彼女は少し誇らしげで嬉しそうに表情を崩す。

「できたみたいね。そろそろ食堂行く?」

 サヤの髪が仕上がったところでフィーネが、ふたりに声を掛ける。

「ええ、大丈夫よね、サヤ?」

「うん、じゃあ行こっか!」

 こうして三人は自室を出て、食堂へと向かう。

 今日も、いつもと同じ一日が始まる。


    *


 王制国家レゼ。

 大陸中西部に位置し、北方は長年の友邦である侯国ティルベリア領と、南方は遊牧民国家ムルガル領と隣接、西方は海に面する。東方には荒野や砂漠が広がり、その先には工業都市クロンが位置する。

 領地東部の不毛地帯を除いて国土は比較的気候が穏やかであり、農産物が育ちやすい肥沃の地であった。

 特に北方のエイリス地区は取り分け緑豊かな地。その分、人口が少なく、市街も小さく、端的に言うと辺境・田舎の類。

 エイリス地区の木々の豊かさは、例えば、この国立女子高等騎士学校エイリス分舎においても、寮舎から食堂や学舎へ向かう渡り廊下において桜が植樹されていることにも見て取れる。

 開花季節には騎士候補生や教官の眼を楽しませる、エイリス分舎の小さな名所。

 その桜並木の渡り廊下を通過し食堂に入った三人は、係員より朝食のプレートを受け取り堂内東端のテーブルへと着く。

 食堂には座席の指定はないが、大体候補生間での定位置が決まっている。

 それ故に今朝もいつもと同じ顔が、いつもと同じ場所に座っていた。

 サヤが壁側の席に、その左隣にマリナ、フィーネと続いて座る。

「イト、カティ、おはよー」

 先に隣り合って座っていたふたりの少女に、サヤは声を掛ける。

「あっ、おはよう、みんな」

 サヤの声を受けて、向かって右側に座るイトが応える。

 少々気弱そうな顔立ちの、黒い瞳に黒髪のおかっぱ頭(ボブカット)

 イトはサヤ達とは異なり、騎士制服でなく薄青の胴着に濃紺の袴姿。記章は共襟に付けている。

 “極東”と呼ばれる大陸最東地域の装束であり、極東由来の武術を専攻する騎士候補生は騎士制服ではなく袴姿で過ごすこともエイリス分舎では可とされている。

 朝食メニューは小さな焼きパン2つ、芋と燻製肉のスープ、少々の生野菜というものであるが、それらをイトは箸と呼ばれる極東由来の棒状食器で器用に食していた。

「……おは、よ……」

 次いでイトの右隣に座るカティが、眠たげな声で応える。

 肩まで伸ばした、灰色に近いくすんだ銀髪は所々跳ねており、スープ皿の上で空となったスプーンを握りながら首をこくりこくりと前後させている。

「もう、カティちゃん、食べながらうとうとしないでよぉ……」

「んー……?」

 困惑するイトを余所に、相変わらずカティは船をこぎ続ける。

「ほら、カティちゃん、顔についてるよ?」

「う、ん……ごめ、ん……」

 カティの口元の食べ残しをイトは懐紙で拭き取る。

 イトとカティは寮では同室であり、イトがカティの世話をする姿を常日頃見せている。

 そのふたりの姿に、マリナは眉間に皺を寄せながら言った。

「イト、本当に朝から大変よね……わかるわ、私」

「うう、わかってくれるの、マリナちゃんだけだよ……」

 イトはカティの口元を拭いながら、嘆くように声を漏らす。

「わたしもわかるよ。カティの面倒見るの大変だって想像つくから」

 イトの意を汲んでサヤもにへらと笑いながら同意する、のではあるが。

「……私が大変なのは主にサヤのせいなんだけど?」

 マリナの冷ややかな声。

「えっ?」

「えっ……」

 サヤは意外そうで、そのサヤの反応にマリナは半分真顔半分引きつり笑みの何とも言えない表情となる。

「あはは……ありがとう、サヤちゃん」

 イトは苦笑いをし、完落ちしたカティは頭をイトの肩に乗せて眠り、フィーネは口を挟まないがクスクスと笑っている。

 普段と変わらない、食堂の朝の光景である。


    *


 エイリス分舎における騎士候補生の平時は以下のようなものである。

 起床。共同食堂での朝食。朝食後は各組毎の教室へ移動し、朝礼。

 朝礼を終えると午前は座学科の講義を受け、昼食。

 昼食後は術式科、即ち軍事教練が行われ、終了後は夕食まで休憩時間が設けられ、入浴、自習時間、就寝となる。

 座学科の内容は文学、史学、数学、倫理、音楽といった教養講座は基より、戦術論や魔術理論などの軍事講座が行われている。

 本日行われている講義の一つが“大陸史”であった。

 レゼ国の所在する大陸には大小百二十八の国家及び独立都市があり――その全てが大陸最北を直轄領とする帝国“グ”の支配下にあった。

 大陸史とは即ち百二十七の国家及び都市が“グ”の傘下である“領邦”となり、大陸統一がなされるまでの歴史に等しい。

 その大陸史を学ぶ中で、様々な英雄達の名前が挙げられる。

 “鉄騎士”ジェルジンスキー。“軍略のミラーリアン”。“異獣使い”ギョウサイ等々、歴史を彩る英雄たちの輝かしい戦果により、五十三年前に大陸全土を統一。“グ”帝国及び百二十七の領邦から成る大“グ”領邦連合帝国が成立し、現在に至る。

 “グ”は度量衡や貨幣の統一、そして朝貢義務を領邦に課したが、領邦内の既存権力の維持や自治を容認する政策をとっていた。

 大陸統一戦役において“グ”の圧倒的な軍事力及び領邦に対する寛容策から、戦役後期には自発的に帰順し領邦となる国家も現れた。レゼやティルベリアがそれであり、戦わずして王家・侯爵家の存続を安堵される道を選んだ。

「では、前の講義で説明した極東戦線におけるツカサタカの戦いにて、サン城を陥落させた将軍の名前を答えてください。思い出せますか?」

 史学教官のコーデリア・フーヴァーの質問に、フィーネが回答する。

「ゲオルク・ベッカリーアです」

「はい、その通りです。今では“ゲオルク・ベッカリーア無領公”という呼び方が有名ですね」

 ゲオルク・ベッカリーア無領公。

 大陸統一戦役で最大の戦果を挙げた将軍であり、九十歳を越えてもなお大陸最高の剣士と讃えられる生きた伝説。

 “宿老”。“軍神”。“城喰い”。“屍山のベッカリーア”……多くの二つ名の中で統一後の在り方を象徴する呼称が“無領公”である。

 ベッカリーアは大陸統一後、“グ”皇帝より臣下の最上位の“四公”の一角に任じられた上で極東地方の広大な領地を賜わせた。

 しかし、ベッカリーアは四公位は受けたが、領地については固辞。皇帝へ領地を返上する見返りにある願いを叶えてもらった。

「大“グ”領邦連合帝国が成立したことにより一応の戦乱は終わりました。ですが、大陸で完全な平和が達成された訳ではありません」

 講義を行うコーデリアの声には僅かばかり悲しげなものがあった。

 彼女の言う通り、大陸統一によって完全なる平和が達成された訳ではない。

 領邦間の紛争や領邦内での内戦・革命により今でも大陸では血が流されている。現にこのレゼにおいても、十五年前まで南方のムルガル国と“三年戦争”と呼ばれる戦争を行っていた。

 レゼ=ムルガル間戦争のような領邦間での戦闘行為について、帝国は二つの例外を除いて干渉を行わない。

 例外の一つは、帝国支配に害を為す場合。この場合は帝国より“牙兵(がへい)”という部隊が派遣されて即座に抵抗勢力は討ち滅ぼされる。

 直近のものであれば五年前、革命により帝国支配からの脱却を掲げたダリ共和国は、独立宣言から三日も経たずに“青の勇者”シルヴィア・ボアソナード率いる牙兵達により革命派が殲滅された。

 そしてもう一つが、領邦が帝国に対して牙兵の派遣を依頼した場合。

 二つのケースで共通して名前が挙げられる牙兵。それは“グ”帝国の保有する最大の軍事力。その力は一騎当千、正に牙兵一人が千の兵に値する戦力として評価されている。

 牙兵が派遣された場合、相手側は余程のことがない限り敗北が決定するのではあるが、帝国は領邦間を平等に扱った。

 要請があれば帝国は戦争当事者の領邦双方に、革命勢力と現政権の双方に牙兵を派遣する。

 結果、紛争当事者は必ず両者とも牙兵派遣を依頼し、領邦内の戦争では常に牙兵同士の殺し合いが行われている。先に挙げたレゼ=ムルガル間の“三年戦争”においても例に漏れない。

 その牙兵の首領が、ゲオルク・ベッカリーア無領公。

 ベッカリーアが広大な極東領を返納する代わりに、皇帝に叶えさせた願い――それは、帝国の正規軍とは別の“牙軍(がぐん)”の設立だった。

 “グ”帝国の統一事業で功績を残したのは高潔な軍人のみではない。帝国の戦力の大きな部分は、殺人狂やウォーモンガーら恐れを知らず、殺しや破壊に悦びを見出す毀れ者達だった。

 戦時中、その毀れ者達がベッカリーアの圧倒的な力の前に従わされており、彼の指揮下で多くの戦果を挙げてきた。

 統一後、戦場でしか生きられず、泰平の地に居場所のない部下たちのためにベッカリーアは牙軍を設立し、帝国内での戦闘行為に荷担させている。

 戦争に生きた者達が戦いに飢え、帝国に仇を為させぬための策として、彼らをベッカリーア直属の兵団である牙軍として組織し、帝国内紛争に派遣して戦いを求める牙兵達の戦争欲を満たす権限を、ベッカリーアは皇帝より与えられていた。

「ゲオルク・ベッカリーア無領公が、帝国正規軍とは異なる軍事組織を持つことが許されたのは、彼の多大な功績は勿論、牙兵達を率いる力量があったこと、そして、統一前より“グ”帝国で名高い忠義の士であったからとされています」

 教官の説明が続く。

 コーデリアは柔和な可愛らしい顔立ちで、要点を押さえながらも候補生の気を引く語りを行う優秀な教官であり、彼女の史学講座は候補生の人気は高い。

 サヤも好きな講座であった。しかし、今の彼女はどこか醒めたものを感じていた。

「牙兵……か」

 誰にも聞こえない声で、サヤは小さく呟く。

 牙兵。

 それは、サヤの両親を殺した存在である。

 サヤの父は、ムルガルとの三年戦争に従軍しており、その最中でムルガル側の牙兵により殺された。たった一人の牙兵により、サヤの父の所属部隊は壊滅させられた。

 それは、サヤの生まれた年のこと。

 故に、父の顔をサヤは知らない。

 そして、父の死が契機で母も精神を病み、一年もせずに亡くなった。

 故に、母の顔もサヤは知らない。

 牙兵は、サヤの父と母を奪った存在と言える。

 だがサヤは、牙兵を恨んではいない。憎んではいない。

 サヤには祖父がいた。そして、姉のアヤノがいた。ふたりが、サヤの家族だった。

 祖父やアヤノに愛されていることを知っていた。自分も祖父と姉を愛していた。

 だから、両親がいないことに寂しさを感じることはなかった。

 祖父にとっては息子夫婦であり、姉にとっては家族として過ごした時間がある相手であることは理解している。

 姉が牙兵に忌避感を抱いていた素振りを見たことはないが、少なくとも祖父が牙兵という存在を憎んでいたことを知っている。

 しかしサヤには顔の知らない父母が殺されたことへの実感がなく、祖父と同じ気持ちを抱くことはなかった。

 それが、人間として正しい感情かどうか、サヤにはわからない。

 それが、人間として間違っているかもしれないと、サヤは思うことがあった。

 だから、牙兵の話になると、どこか心に曇るものを覚える。

 自分が正しい人間なのかと、内から問われるような不安を持ってしまうから――


    *


 午前の座学科が終了すると食堂で昼食を摂り、その後に術式科の教練となる。

 術式科は、実戦技術の習得であり、時折候補生同士や教官との手合わせが行われる。

 組の全員が同じ教室で同一の講義を受ける座学科と異なり、術式科は剣術、槍術、弓術、魔術、体術、極東武術等々から出身家の生業とする技能、或いは個人の適性にあったものや希望するものをそれぞれ個別に受講する形となっている。

 例えば、魔術師の家系のマリナは魔術、極東武術を修める家系のサヤとイトは極東武術を専攻している。

 また、カティやフィーネは複数分野の適性を示しているため、数種の術式科目の教練を受けている。

 教練については教官毎の個性が強く、緩やかな教練が行われるものもあれば、異様に厳しい教練が行われるものもある。

 それ故、昼食については後に続く教練を待ち侘びる者もいれば厭う者もいて、朝食とは異なる雰囲気が食堂内を包む。

 そんな昼食時間。朝食時と同じテーブルに座り、候補生達は食事を摂る。

「サヤ?」

「うん?」

 東端のテーブル。

 壁側に座るサヤに、隣のマリナが声を掛ける。

 彼女の表情は、どことなく心配の色があった。

「今日さ、何かあった?」

「特に何もないけど、どしたの?」

「そう。ならいいわ」

 サヤはにへらと笑い返すが、マリナはどこか違和感を覚えているように見えた。

 ふたりの遣り取りにイトとカティは不思議そうな顔をし、フィーネは口を挟まずにこにこと笑っている。

 マリナの指摘は、間違ってはいないだろう。

 原因は、先に受けた大陸史の講義だ。

 考えないようにしていたのではあるが、マリナは察しがいい。わたし以上に、わたしのことを理解しているのかもしれない。

 とりあえず笑って誤魔化そうか、別の話題に逸らそうか。

「あっ、いたいた! サヤ、イト!」

 背後から快活な声がかかり、サヤの思考が中断する。

 振り向くと、赤髪で長身の少女が手を振りながら歩いてきた。

 ダイアナ。同じ組に属する学友である。

「ねえ、今日の極東武術の担当って誰?」

「えと……ユキノヲ教官だったはず」

 ダイアナの問いに、イトが答える。

「うわー! うわうわー! マジか。羨ましいぞ、コノヤロー!」

「わっ、ちょ! なぜわたしに!?」

 ダイアナは左手でサヤの首をロックし右手を後頭部にぐりぐりと押し付けてじゃれつく。

 割と痛い。

「ほら、イトはこういうノリはついていけないし。それに……」

「それに?」

 ダイアナの視線が一瞬だけ無言でパンを食べているカティに向き、すぐサヤに戻る。

「サヤの方が反応面白いし」

「なにそれ!?」

 右手の攻撃はストップしたが左手をサヤの首に回したまま、ダイアナは子供っぽい笑顔を見せる。

「あー、わかる」

「マリナも何言っているの!?」

 更にマリナが意地悪そうな笑みを重ねる。

「ダイアナは本当にユキノヲ教官が好きだね」

 フィーネはからかうように、楽しそうに言った。

「そう! マジラブだから! 本当に、あたし後悔したわー。ユキノヲ教官知っていたら極東武術を専攻していたのに! ちくしょー、羨ましいぞ、サヤめ!」

「イタタ! だからってわたしに八つ当たりするのやめろー!」

 フィーネの言葉を受けて、ダイアナの攻撃が再開する。

 ユキノヲは、極東武術教官の一人であり、候補生の評定を行う主任教官。

 真白の肌に、赤の瞳。美しい銀髪を結って垂らした女性騎士。

 厳格な武人肌でエイリス分舎一の堅物などと呼ばれているが、その凛々しさ、麗しさ、優秀さにはダイアナのように憧れる候補生も多数いるという。

 候補生間の人気は、知的で優しい史学教官のコーデリアとツートップとも称されている。

 最も、そんな候補生間の浮ついた話題に興味のないサヤにとってのユキノヲは、一流の剣客という印象が強い。

「サヤちゃん、そろそろ……」

「あっ、ヤバい。行かないと」

「おっ、そっか!」

 イトの言葉を受けて、ダイアナがサヤの拘束を解く。

 ユキノヲは時間に厳しいため、他の教練よりも早めに道場へ向かうことが候補生間の了解となっている。

「じゃあ、いってきまーす」

「いってらっしゃい」

 サヤが席を立ち、マリナが見送る。

 フィーネは昼食についている果物を口にしながら左手を小さく振った。

「カティちゃん、また後でね」

「うん」

 次いでイトも席を立ち、サヤと連れ立ってテーブルを後にする。

「終わったら今日のユキノヲ教官の様子教えてねー! 約束だからねー!」

 ダイアナの明るい声を背に、サヤとイトは教練場所である極東武術道場へ向かった。


(続)

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