剣と夢
国立女子高等騎士学校エイリス分舎。午後。極東武術道場。
木刀を手にした袴姿の候補生が試合稽古に励み、彼女たちの様子を観察しながら教官のユキノヲが適宜指導を入れる術式科教練。
「ひゃあ! こ、降参ですっ!」
藍染の袴に白の胴着姿のサヤは、へたり込むイトの眼前に木刀を突き付けていた。
「イトぉ……もうちょっと何とかならない?」
蒼い瞳を細めてへにゃりと笑いながら、気の抜けたようにサヤは肩を落とす。
サヤは他の幾人かの候補生とも試合稽古の相手となり、その全てに対して勝利であったが、イトは取り分け早く力尽きてしまった。
「無理だよ……私、剣術はダメだから……」
本人の言う通り、イトは剣術について全く才がない。
だが、彼女は薙刀の達人であった。
薙刀の教練が行われる際のイトは、普段の気弱な姿とは打って変わって力強い立ち居振る舞いを見せる。
サヤも多少は薙刀の心得はあるが、イトの腕前には遥か遠く及ばない。
もし互いに得意とする武器を、自分が剣を、イトが薙刀を用いて試合をした場合は――負けるつもりはないが、正直なところ余り勝ち筋が見えてこない。
「はぁ……薙刀だけの術式科目があればいいのに……」
溜息をつきながら、イトは独りごちる。
一口に極東武術と言えども、剣術や槍術、薙刀術、体術と種々様々である。
エイリス分舎に限らず、レゼ国の女子高等騎士学校の術式科教練ではそれら全てを「極東武術科」と一括りにして、広く浅く教練を施すという方針になっている。
本来であれば他の術式科と同様に特定分野を絞って専門的に学ぶことが有効であるはずだが、教練が「極東武術科」と統合されているのは、レゼ国自体が極東武術に対する理解や認識が低く、軽視していることに起因している。
エリート騎士の養成を行う王都の中央女子高等騎士学校では術式科で極東武術を専攻とする候補生は極稀であり、更に実戦重視の傾向が強い国土南方では、専門的な能力育成に向いていない極東武術の術式科目の開講すら行われていない分舎も多くあるという。
このような状況下で、薙刀や体術等の複数分野もある程度こなせるサヤはともかく、薙刀術以外の適性に乏しいイトは教育制度の犠牲者と言える。
ただ幸いなことに、極東武術科教官の主任であるユキノヲはイトの得手不得手を理解した上で、そのずば抜けて優れた薙刀術を高く評価しているため、イトは成績優秀者に収まっているのではあるが。
「よし。一通りの試合稽古が終わったな」
サヤとイトの試合稽古の決着を、ユキノヲが確認する。
普段は騎士制服姿であるが、極東武術教練時のユキノヲは濃紺の袴と胴着を纏っており、その色合いが真白の肌と銀髪の美麗さをより強めている。但し、その表情は険しく、美しさよりも峻厳さを他者に印象づけるものであるが。
「全員の試合稽古の終了を以て教練自体の終了にする予定ではあったのだが、想定よりも早く終わってしまい、時間が僅かに余っている」
「うっ……私のせい……?」
「あはは、ドンマイ、イト」
ユキノヲの言葉を受けて気恥ずかしげに俯くイトの肩に、サヤが慰め半分からかい半分に手を乗せる。
「そこでだ、余り時間を使って一名、私と手合わせを行うこととする。希望者がいるようであれば、挙手をしろ」
彼女の言葉により、候補生間にざわめきが起きる。
ユキノヲが教練で自身との手合わせを提案するのは初めてであったこと。そして、ユキノヲは極東部術科教官の中では最も優れた剣力を有しており、候補生ではまともな手合わせができるか否か甚だ疑問であったことによって。
「希望者がいないようであれば、早めに教練を切り上げるのだが……」
候補生の様子を見てユキノヲが言いかけた中で、すっと、一つの手が伸びた。
「お前は……」
ユキノヲの視線がその手を上げた少女――サヤへと向いた。
「サヤ・イフジです!」
快活な返事が発せられると同時に、他の候補生の視線もサヤへと向く。
「サヤちゃん、本気なの……?」
隣のイトが驚き戸惑うが、サヤは明るく、そして期待するかのように笑んでいた。
ユキノヲの提案はサヤにとっては願ってもないものである。
イトは論外として、幼少の頃より姉と剣の鍛錬に励んだ身としては他の候補生の相手には物足りなさを感じていた。
そのような中で強者であるユキノヲが相手をしてくれるという好機は、少々の恐ろしさはあるが、それを遥かに上回る待望感があった。
「わかった。イフジ、相手になろう」
「はい! よろしくお願いします、教官!」
帯に挿していた木刀をユキノヲが手に持つ。
彼女は常に険しい顔をしているが、その時のユキノヲは、サヤにはどことなく笑っているように見えた。
*
試合形式は一本勝負。勝敗はいずれかが膝をつく、降参の申し出がある、または審判の判断による。
武器は木刀。防具は現在着用している魔術強化布で作られた胴着、袴。
審判はイト。
ユキノヲと候補生の、しかも懇意にしているサヤとの手合わせという今までにない状況なだけに、審判のイトもやや緊張した面持ちである。
他の候補生が見守る中、サヤは正眼に、ユキノヲは上段に木刀を構えている。
「で、では、始めです!」
イトの号令が掛かる。
両者とも動かず、道場内は静まりかえる。
(…………わたしからは踏み込めない、かな)
極東部術科主任教官ユキノヲ・オキ。
彼女の剣を、サヤは以前に幾度か見たことがある。
術式科教練後や教練がない休日に行われていた教官同士の訓練を兼ねた手合わせの見学。
その時のユキノヲは今と同じように上段構えであり、相手の多くはユキノヲの剣を二、三回受けたところで木刀を手放した。
上段から放たれる切り下げの一撃。
その剣速は当然ながら敏捷。だが、受けた相手の木刀が手を離れ床を転がされる理由は速度以上に、驚異的な力によるものだった。
時には剣を取り落とさせるどころか叩き割ることもある剛の剣。
それが初撃を躱す乃至は受けたとしても、二撃目、三撃目が即座に放たれる高速剛剣がユキノヲの剣の特質だとサヤは認識していた。
自分が先に攻めたところで、彼女の高速剛剣で返り討ちに遭うことは見えている。
故に、ユキノヲに先に攻めさせ、彼女の剣を躱す、或いは受ける中で生じる隙を見出して打つ。
躱せるか。受けられるか。機を見出せるか――自身の剣力に依るところではあるが、それがサヤのユキノヲに対する戦術であった。
「ふっ!」
先に動いたのは、ユキノヲ。
風切り音を発しながら、上段からの剛剣が放たれる。
(思った以上に、速い!)
だが、対応はできる。
サヤは後ろへと跳び、すんでのところを躱す。
「ハッ!」
ユキノヲは振り下ろした後に即座に切り上げに移った。
今度は躱せない。受ける。
「あうぅ……!」
木刀同士がぶつかり合う高い衝撃音が鳴る。同時にサヤは声を呻くように漏らした。
腕に痺れを覚える。だが、防げた。そして、まだ耐えられそうだ。
「む……」
ユキノヲは身体を引き、再度上段に構える。
彼女の表情は、試合前よりも一層険しいものとなっていた。
「ふぅ……」
サヤも息を取り直し、正眼に構えた。
攻め入る隙は見出せないが、十分に防げる速度と、力。
(次の攻撃で、反撃の機を見つけられるかな?)
「はあっ!」
ユキノヲが踏み込み、真正面から木刀が振り下ろされる。
切り下げ。受ける。腕の痛みが強まる。
袈裟切り。後ろへ躱す。
右薙ぎ。再度、後ろに躱す。
切り上げ。間一髪で、身体を逸らす。
即座に上段構えに移り、切り下げ。受ける。
そして、弾く。
「くっ」
弾かれた反動でユキノヲの両腕が上げられる。
故に胴に隙有りて、そこを打つ。
「せいやぁ!!」
サヤは大声を発し、渾身の斜め右薙ぎを放った。
「ふんっ!」
「なっ……!」
木刀と木刀がぶつかり合う音が響く。
その音と身体が感じる衝撃でサヤは理解した。
(防がれた!?)
しかも、腕一本で。
切り下げを弾かれたユキノヲは、木刀を右手のみで持って逆手にし、サヤの剣を受けていた。
後退し、ユキノヲから距離を取る。
(こんなに、差があるなんて……)
息を切らす。腕に痛みを覚える。好機を逃した。
渾身の一撃を腕一本で受けられたことに焦燥感を誤魔化すことはできない。
再度、高速剛剣の連撃が来たら耐えきれるかはわからない。
そもそも、最初から勝てるとは思っていない。十中八九、自分は負ける。
そのことに悔しさは、無いとは言えない。
力量差が想像以上に大きいことへの悔しさは、無いとは言えない。
だが――それ以上に、面白い。
放たれる剣圧、振るわれる剣風。相手の動きの機微を読み、自身の振るべき太刀筋を見出す。
その空気、その熱気、その剣気、その瞬間のその全てに、悦楽と興奮を覚える。
普段の候補生同士の手合わせでは決して味わえなかった張り詰めた緊張感。
それは、とても、楽しくて、愉しくて、悦しくて、たまらない。
最後まで、この勝負を味わいたい。
サヤは正眼に構えたまま、ユキノヲを真正面から見据える。
ユキノヲもまたサヤを見据え、上段に構えた腕を右側へとゆっくり下ろし始めた。それに伴い右足を引いていく。
(構えが、変わる……? 八相……いや、違う……?)
更に右脚を引き、剣先を後ろに向かせて床に付く寸前にまで下げる。
(脇構え……?)
ユキノヲがそのような構えを取るのか、サヤにはわからなかった。
先に切り結んだユキノヲの高速剛剣に似つかわしくない構え。
何のためか。わからない。何故なのか。思考を巡らせる。
そして、それが仇となった。
一寸だけユキノヲの身体を読む機微を逸し――勝敗が決することとなった。
「え……!?」
床を蹴るような軽い音。それを認識した時点で、ユキノヲはサヤの視界から消えていた。
「……! ああっ……くぅ!!」
背後に剣気が在ることに、ユキノヲが既に自分の後ろにいるということに、気付く。
それと同時に左脇腹から右胸に掛けて徐々に、鋭く重い痛みが染み出してきた。
(これ……ヤバ、い……)
膝を落とす。立てそうにない。
汗が溢れるように湧き出す。
声を漏らすだけで激痛が走ると本能が認識し、無意識に歯を食いしばる。
倒れそうになる身体を支えるために床に木刀を突き立てるが、それを持つ腕がガタガタと震え出す。
もう、耐えきれそうになかった。
「か、ぐ……ぬぐ……ぅ」
「サ、サヤちゃん!?」
イトの悲鳴じみた声が聞こえると同時に、サヤは意識を手放した。
*
懐かしい匂いがする。
床に張られた木板の匂い。少し古い土壁の匂い。格子窓から差すお日さまの匂い。
わたしの実家にある道場の匂い。わたしの好きな匂い。
そして、アヤノお姉ちゃんの匂い。
わたしの、大好きな匂い。
「おいしい、サヤ?」
「うん!」
道場の隅の壁に寄りかかって並んで座りながら、わたしはお姉ちゃんの作ったおむすびを食べていた。
午前の稽古が終わった後の休憩時間。お姉ちゃんは既に食べ終えていて、隣に座りながらわたしがおむすびを食べるのを嬉しそうな顔で見ていた。
ちょっと、恥ずかしい。
「ねえ、お姉ちゃん」
「んー、どしたの、サヤ?」
何となく、食べているところを見られているのが気恥ずかしくて。
わたしはお姉ちゃんの気を逸らすために質問をしてみた。
「もし、お姉ちゃんが、自分より強い相手と戦うことになったらどうするの?」
「うーん、そういう場合かー」
尋ねた後、自分がバカバカしいことを言ったことに気付く。
そもそも、お姉ちゃんは最強の剣士なんだ。
お姉ちゃんは、剣の師匠であるお祖父ちゃんを既に超えていることをお祖父ちゃん自身も認めている。
偉い騎士の人も参加するという王都の剣術大会でも、お姉ちゃんは優勝している。
だから、お姉ちゃんより強い人がいるなんて思えないのだけど。
「それはね……」
お姉ちゃんは真剣な顔をしていた。
「それは……?」
釣られてわたしも、真剣になって、ゴクリと息を飲んでしまう。
「逃げるわ」
「えー!?」
意外すぎる答えに、わたしは思わず大きな声を出してしまう。
けれどもお姉ちゃんの顔は真剣なままだった。
「敵わないと思ったら、逃げるかな、私なら。卑怯って思うかもしれないけど、死んでしまった元も子もないからね。逃げた後に、今度は勝てるように修行する。それが剣士である私の考え方、かな」
そして、お姉ちゃんはへにゃりとした笑顔となる。
「だから、サヤがもし勝てないと思ったら、全力で逃げるのよ」
「うー、そうなんだ……」
「納得できない?」
納得できない、というよりもお姉ちゃんが逃げる姿が想像できない。
「ただ、それはあくまでも剣士としての意見ね。騎士としては違う言葉になるわ」
「違う言葉……?」
わたしの家は、騎士の家系だ。
お姉ちゃんは来年から騎士学校に行くことになるのだけど、それより前からお祖父ちゃんから色んなことを教わっている。
お姉ちゃんは剣士であり、死んだお父さんの跡を継いで騎士になる人だ。
「騎士はね、人や国を守るための仕事です。それは自分の命を賭けてでも行うべき大切な仕事。なので、敵わない相手から逃げることを許されないことがあるかもしれません。例え自分より強い相手でも、人を守るためであれば立ち向かう。それが騎士の在り方です」
お姉ちゃんは、わたしに何かを教える時に先生みたいな言葉遣いになる。
「サヤもこれから騎士学校に行くことになるだろうけど、私と違って正式な騎士になるかは自由です。サヤが剣士として生きるか、騎士として生きるか、それはサヤの決めることなのです」
お姉ちゃんは、さっきの質問よりも真剣な顔をして続ける。
「なので、逃げるという選択が納得いかないとしたら、それはサヤが剣士より騎士に向いているということかもしれません。ただ、それは私の考えなのでサヤに合った生き方を見定める一つの参考にしてください」
「う、うん!」
わたしが返事をすると、そしてまた、お姉ちゃんは青い瞳を細めてへにゃりと笑った。
「なーんて、偉そうなことを言ったけど、本音ではサヤに騎士になってほしくないのよねー」
「そうなの、お姉ちゃん?」
「そう。もっと自由に生きてほしいの」
「自由に……?」
「自由に。例えば……そうね、諸国漫遊の武者修行の旅に出たりとか。色んな国を巡って、色んな強い人と戦って、剣の腕を磨く旅に出てみるの」
「楽しそう!」
わたしは目を輝かせる。
エイリス地区からも碌に出たことのないわたしにとって、外国なんて本でしか知らない未知の領域だ。
「本当に、楽しそうよねー、武者修行の旅。考えるだけでワクワクしてくる」
お姉ちゃんは笑顔のままだったけど、言ったこととは裏腹に、どこか寂しそうだった。
「だったら、わたし、お姉ちゃんと一緒に修行の旅に出たい! お姉ちゃんと一緒に色んな国に行って、もっと強くなりたい」
本心である。だけど、どこか寂しそうなお姉ちゃんをわたしなりに慰めようとして出た言葉でもあった。
「うん、そっか。サヤはそう思ってくれるんだ」
わたしの言葉を聞いたお姉ちゃんの顔は、とても優しそうで。
「さっすが、私の妹だー!」
今度はとても嬉しそうに笑って、わたしの頭をくしゃくしゃに撫でた。
ちょっと荒っぽいけど、確かな愛情を感じるお姉ちゃんの手。
大好きなお姉ちゃんの、手。
*
「ん……お姉、ちゃん……?」
頭を撫でられる感覚に、サヤは眠りから意識を取り戻す。
自分がベッドの上で仰向けになっているようだが、枕の感覚がいつもとは違った柔らかさで心地よい温かさを持っている。そして、誰かに頭を撫でられていた。
姉の手つきとは違う、繊細で穏やかな手。
瞼をゆっくりと開く。
薄ぼんやりとした視界の中で、自分の顔を覗き込む誰かの輪郭が見えた。
「あ、起きた」
上から、涼やかな声が聞こえた。姉とは違う声。
「うぅん……?」
「おはよう、サヤ♪」
視界に映る顔は、白金色の髪をした、琥珀色の瞳の切れ長釣り目の整った顔立ちの少女。
「……フィーネ?」
「うん♪」
いつものように微笑みながら、ひらひらと手を振る。
そしてどうにも、自分は彼女に膝枕をされていることにサヤは気付く。
自分はベッドの上で仰向けになっていて、フィーネはベッドの上に正座となり、その上にサヤの頭を乗せている。
「えと、フィーネ、どうして?」
「サヤが教練中に気絶して、イト達が部屋まで運んでくれたんだよ。それで、マリナはまだ戻っていないし、私がサヤが起きるまで面倒見ようかなって」
ユキノヲの剣を受けて気絶した自分が自室にいるのは、合点がいった。
フィーネの言葉を聞いて、左脇腹から右胸にかけてかなりの痛みがあることを再認識する。
だが、サヤが気になるのはそこではなく。
「いや、そうじゃなくて、なんでわたしに膝枕してるの?」
「うーん? そこにサヤがいたから?」
「答えになってなくない?」
サヤは思わず苦笑してしまう。
一年以上同室で暮らしているが、フィーネは常に飄々とした笑顔でつかみ所が無く、彼女の行動や発言は未だに読めない部分が多い。
「嫌なの?」
「嫌じゃないけど……」
「なら、このまま膝枕してあげる♪」
フィーネはにっこりと笑い、サヤの頭を撫でる。
意識せずに、サヤの頬に熱が帯びる。
「え、うん、ありがとう。けど、膝枕は……ちょっと、恥ずかしいというか……」
「サヤはいつも頑張っているんだから、こういう時くらいは誰かに甘えてもいいんじゃない?」
フィーネは変わらずにこにことしているが、その微笑みには有無を言わせぬような圧があった。
「ね?」
「ハイ、オコトバニ、アマエサセテ、イタダキマス」
彼女の圧に怖じ気づいてしまい、サヤはそのまま膝枕を続けてもらう。
フィーネの圧は、もしかしたらユキノヲの剣圧よりも強いかもしれない。
「じゃあ、もうちょっとだけ寝かせて頂きますか……」
「うん、おやすみ♪」
目を閉じる。
ユキノヲとの手合わせは実際問題かなり身体に負担が掛かっているため、休息が必要である。
加えて意外と、フィーネの太ももの柔らかさと温かさが気持ちいい。
本当に、彼女の言う通り少しは甘えてもよさそうな気持ちになってくる。
このままフィーネの膝でうたた寝するのも悪くない選択肢のように思えてくる。
「ねえ、サヤ?」
「どした?」
フィーネが声をかけ、目を閉じたままサヤは答える。
「さっき、お姉さんの夢を見ていたの?」
「あはは、まあね」
「サヤ、お姉さんのこと大好きだよね。アヤノ・イフジさん。天才剣士の有名人」
フィーネの言う通り、サヤの姉であるアヤノは天才剣士として、レゼ国で名が通っていた。
姉の剣の師であった祖父は“グ”帝国による大陸統一戦役で名を挙げた武人であり、老齢による引退前は王室極東武術指南役として招聘された経験もある名士であった。
その祖父から、アヤノは幼少の頃より自身を超える剣士になると目され、期待されていた。
実際、アヤノは齢十四にて王都で開かれた現役騎士も参加する剣術大会にて優勝をしている。
高等騎士学校に通う前の少女が、現役の騎士をも下して優勝を得るというのは前代未聞の出来事であり、姉の名は国中に知られるようになった。
サヤの自慢であり、目標であり、最愛である姉。
その姉が突如姿を消したのは五年前。サヤが十二でアヤノが十七の頃であった。
ただ「旅に出ます」と「ごめんなさい」の二語だけ書かれた手紙を残して家を飛び出したアヤノ。
姉がいなくなった日、サヤは一日中泣いていた。
祖父は泣きじゃくるサヤに対して何も言わず、泣かせるがままにしていた。翌日も、その翌日も塞ぎ込んでいたサヤを、一切咎めなかった。それが祖父の、愛情だった。
そして、祖父はアヤノについてもその日以降一切口にすることもなく、彼女を探すようなこともしなかった。
姉を失った痛み、哀しみ、寂しさは、今でもサヤの内に燻っている。
だから自分は、姉の夢を頻繁に見るのだろうとサヤは自身を分析していた。
「うん、だってお姉ちゃんはわたしの目標で――」
姉の話題となってサヤは目を開く。
すると――フィーネの大きめな双丘がサヤの視界に入った。
「……デカい」
「え?」
姉のことを考えて気が緩んだせいか、素直な感想を思わず口にしてしまい、焦る。
下からフィーネの胸を見上げるなど初の機会であり、ある種の迫力を有する光景故に。
「あっ、いや、ゴメン、なんでもないっ!」
「……あー、わかった。そういうことね」
サヤの態度と視線から、フィーネは事情を察しったようで。
艶のある笑みを浮かべながら、小さく、しかしサヤに確実に聞こえるくらいの声で囁いた。
「サヤの、えっち」
「ひぅ!?」
不覚にも、フィーネの囁きにゾクリとしたものをサヤは感じてしまった。
更に、サヤにとって間の悪いことに――
「サヤ、大丈夫!」
「うひゃあ!」
ノックもなく部屋のドアがいきなり開かれたことで、サヤは驚き素っ頓狂な声を上げてしまった。
マリナが、戻ってきた。
息を切らす彼女の姿から、サヤが倒れたことを聞きつけて心配し、走って自室にまで戻ってきたようであるが――肝心のサヤは、ベッドの上でフィーネに膝枕をされている最中であった。
「…………は?」
マリナの表情が、不安から怪訝へと変わる。
視線が、サヤに向く。
「あ……お、おかえり、マリナ……」
フィーネに向く。
「やっほー、マリナ」
もう一度サヤを見て、再度フィーネを見る。
その間に途轍もなく気まずい雰囲気を、サヤは感じ取っていた。フィーネは変わらずにこにこしている。
「……何やってるのよ?」
マリナの表情が、怪訝から苛立ちへと変化した。
「何って、膝枕?」
「見ればわかる!」
声を荒げるマリナとは対照的に、フィーネは一切の動揺を見せずに微笑みのまま対応をしていた。
「ねえサヤ、何でフィーネに膝枕されてるの?」
「ひえっ!? いや、あの、なんて言うか、その、成り行きと言いますか……」
迫力に圧されてしまっているのもあるが、なぜマリナが怒っているかサヤには思い当たる節もなく、言葉に詰まりかけてしまう。
ただ何となく、フィーネに膝枕されたままなのは不味いと察し、上体を起こそうとする。だが。
「私に甘えたかったんだよねー?」
「ひゃう!」
フィーネに後ろから抱きつかれる。上体を起こしている最中であったため、ちょうど後頭部が彼女の豊かな胸に埋まる形となった。
とても、柔らかい。
「それにサヤ、大きい方が好きみたいだし?」
フィーネはからかうような口調で言いながら、サヤの頭に胸を押し付ける。
「いや、そ、そんなことは……ない、訳でもないというか、あるかも、だけど……あ、あはは?」
フィーネにからかわれたり、マリナに怒られたり、頭を胸で挟まれたりする混沌とした状況に依り、もはやサヤは自分でも何を言っているのかよくわかっていなかった。
つと、マリナの方に視線を遣ると、何故か彼女は胸に両手を当てながら俯いている。
表情は窺えないが……あ、余り意識してなかったけど、マリナって小さいなあ。
などとサヤが思っていると、マリナがきっとサヤを睨んだ。
「人を心配させておいて……なに鼻の下伸ばしてるのよ、このエロ女ァ!」
「ふぎゃあああ!」
床を蹴るような軽い音。それを認識した時点で、パチンと肉が打たれる音が響きサヤの頬に痛みが走った。
(続)




