ロステアール・クレウ・グランダ 3
「……僕……、」
こんなとき、どんな言葉を返すのが正解なのだろうか。嬉しいような、悲しいような、不思議な心地だ。
結局次に続けるべき言葉を見つけられないまま黙ってしまった少年に、王は少し首を傾げた後、悪戯っぽく笑って唇に人差し指を当てた。
「私の感情に関しては、レクシィしか知る者のいない最重要機密でな。他言無用だぞ?」
軽い調子で言われた割には重すぎる言葉に、少年は僅かに青褪めた。
「そ、そんな大事なこと、僕に話して良かったんですか……?」
「何を言う。お前だからこそ話したのだ。愛しているお前を偽ることなどできるはずがない。お前に対しては心の底から抱いた感情のままに接しているが、それ以外の場での私の表情は作り物だからな。作り物である以上、お前には正直にそう話しておくべきだろう?」
そんな理由で最重要機密を知らされてしまうのは困ってしまうが、きっとこれは王なりの誠意の示し方なのだろう。ならば少年がここで言うべきは、ひとつである。
「……そんな大切なことを僕に話してくれて、ありがとう、ございます」
「いいや、こちらこそ聞いてくれてありがとう。何よりも大切なお前に私のことを知って貰えること、心から嬉しいと思う」
そう言った王が、少年の頬に手を伸ばし、その肌にそっと掌を滑らせる。相変わらず接触が苦手な少年ではあったが、その掌を拒絶しようとは思わなかった。
「聞いてくれるついでに、もうひとつだけ話しても良いだろうか」
恐らくそれも、愉快な話ではないのだろう。だが、王がそれを望むのならば、少年は出来得る限り叶えてあげたいと思った。
小さく頷いて返せば、王の顔にまた笑みが浮かぶ。そして、ひとこと礼を述べて少年から視線を外した王は、何処か昔を懐かしむように話を始めた。
「これは、王位継承権を持たなかった私が王として即位することになった経緯に関係する話だ。……八年ほど前に、先王である父上が崩御した。当時の父上はまだ齢五十を過ぎたばかりでな。早すぎる崩御に国は一時騒然となり、王宮だけでなく国民までにも混乱が広まった。息子である私が言うのもおかしな話だが、父上は民に慕われる良き国王だった故、騒ぎが大きくなったのも仕方がないことだったのだろう。とは言え、崩御後すぐに、正妃との間に設けた長子に王位を譲る旨を記した書類が見つかったこともあり、王位継承に関する問題は全くなく、混乱はすぐに収まった。勿論、私も王位継承者に関する不満はなかったし、元より私には王位継承権がない。誰が王となろうと、ゆくゆくは中央騎士団の団長として国に仕える予定だった」
静かに話す王に、少年は何も言わない。ただ黙って、王の横顔を見つめていた。
「ただ、私にはどうしても気になることがあったのだ。当時、宮廷医師によって、父上の死因は突発的な心機能の低下であるとの診断が下されたのだが、私だけが庶子であることを理由にその診断の立ち合いを拒否されたのだ。庶子とはいえ王の子である以上、本来であれば私にも立ち合う権利はあった。だがまあ、私はレクシィのいるロンター家以外の王家の人間からは嫌われていたので、こういう事態も仕方がないことではあるし、日頃の連中の態度を見ていれば往々にして有り得ることだ。……と、そう納得しようとは思った」
「……納得、しなかったんですか?」
「ああ。納得しようとしたのだが、隠されるとどうにも気になってしまうのが人間というものでな。……いや、この言い方はおかしいか。私にそんな感情はない。だから、ただ確信しただけだ。私にだけ隠すということは、私に知られては困る何かが絶対にあるのだと」
淡々と話す王の顔には、一切の表情がない。もしかすると、これが本来の王の姿なのかもしれないと少年は思った。
「果たして、私の考えは正しかった。ロンター家に協力を仰いで秘密裏に調査した結果、父上はロンター家を除く王家に謀殺されたのだという事実が明らかになったのだ」
王の言葉に、少年が小さく息を呑む。
「原因は明らかだった。恐らく、父上は私の母を深く愛しすぎたのだ。私の母に向けられたそれは、王妃や側室に向けるものとは異なる本物の愛情だったのだろう。そして、その恩恵は息子である私にも与えられた。つまり、父上は自分の子の中で私を一番に愛していたのだ。私だからではない。私が、愛する女の子供だったからだ」
父親に愛されていたと言う王は、しかしやはり無表情のままで、与えられた愛情に対して何も感じていないように見えた。
「父上は、周りに気づかれぬように陰で私を優遇していたつもりのようだったが、妻や子というのは敏感なものでな。父上の愛情の全てが私の母に向いており、母の亡きあとはその矛先が私に向いたのを、きちんと感じ取っていた。だからこそ、私は義母や義兄弟たちから酷く嫌われていたのだ。彼らからすれば、私は自身の地位を揺るがしかねない存在だったのだろうから、無理もない。私とて、この件に関してのみ、父上のやり方は酷く稚拙だと感じたものだ。結局、息子が得るべき王位を私に奪われるのではないかと危惧した正妃は、王個人と親しかったロンター家以外の王家全体に働きかけて父上を殺し、自分の息子を王に立てるという偽の遺書を用意させた。……恐らく、身分も知れない女に心を奪われたままの父上に、いつか政をおろそかにし始めるのではと、王家全体が危惧し始めていたのだろう。勿論、父上はそんなことで国に不利益をもたらすような人ではなかった。だが、人というものは、少しの綻びを気にし、厭うものだ。そんな中、正妃である義母は、庶子である私が王になる可能性と、そうなった際に王家が被る損害がどれほどのものかを説き、王家全体を取り込んでいったのだ」
王が目を閉じて、深く息を吐く。
「義母が抱いた懸念は理解できる。私や父上を恨むのも当然のことだ。義母は、父上からの本当の愛情が得られないと知ってなお、正妃として誠心誠意努めていた。そんな自分が報われず、ぽっと出の女が産んだ子供が全てを攫って行くなど、耐えがたいことだったのだろう。……だが、それでも義母は、王家は、父上を殺すべきではなかった。既に私怨に囚われていた彼らにとっては愚かな王だったのかもしれないが、父上は間違いなく良き王だった。決して、己の恋情と王の役目を混同するようなことはしない人だったのだ。……そもそも父上は、私に王位を譲る気など欠片もなかったのだから」
そう言った王が、少年の手に触れる。優しく肌を撫でる大きな手は、どうしてだか縋っているようにも見えた。
「私が十五になり、成人したあの日、父上は私に向かって謝罪した。彼女の子であるお前は、きっと誰よりも王にふさわしい人間であるのに、その座を用意することができなくて本当に済まない、と。……だから、父上が私に王位を与えるなど有り得なかったのだ。父上は心から私に王位をと思っていたのだろうが、王の責務を果たすため、それを実行する気は全くなかったのだから」
そう言った王の表情は、どこか寂し気なようにも見えた。尤もそれは一瞬のことで、すぐに無表情に戻ってしまったから、目の錯覚だったのかもしれない。