ロステアール・クレウ・グランダ 2
そうして、ようやく少年の表情が少しだけ穏やかなものになる。そんな彼に優しい笑みを浮かべた王は、少年の黒髪を撫でながら、少しの間だけ何かを考えるように目を伏せた。
そして暫しの静寂の後、王が再び口を開く。
「お前が勇気を出して過去の話をしてくれたのだ。ならば、今度は私の番だな」
「貴方の……?」
王の過去、と言われても、そんなにわざわざ話すようなことはないだろうに。そう思った少年だったが、勿論王の言葉を遮るような真似はしない。それ以上言葉を続けることはせず、ただ黙って話の続きを待った。
「私はな、お前が思っているほど優れた人間ではないし、王として立つにふさわしい人生を送ってきた訳ではないのだ。そもそもがして、私は庶子だからな。本来であれば王位継承権は持たぬし、実際のところ私にその権利が与えられることはない予定だった」
「庶子……」
呟いた少年に、王がゆるりと笑む。
「ああ、私の母は身分のない女性だった。それどころか、名前や素性すら知れない人だったそうだ。臨月を迎えた頃に突然王宮を訪ねた母は、腹の子が王の子であると主張し、それを認めた前王によって保護された。王には既に正妃も側室もおり、それらの間に数人の子も設けた後だったから、素性の知れぬ女との子など、いなかったことにした方が都合は良かったはずだ。その方が後の禍根を生む恐れもなくなっただろうからな。だがそれでも、前王である父上は子の誕生を強く望んだそうだ。そうして、母は王宮にて私を産み落とし、それと同時に亡くなった」
王の言葉に、少年が息を呑む。
「……お母さん、いないんですか……?」
思わず零れ落ちたその言葉に、王はやはり優しい笑みのまま頷きを返した。
「ああ。母は王宮に訪れてすぐに私を産み、死んでしまったからな。困ったことに肖像画のひとつすら残っていないので、私は母の顔も声も、それに名前すら知らんのだ」
「名前も……?」
「母は王宮の人間に名を名乗ることはせず、唯一母の名を知っていたのだろう父上も、結局誰かにそれを明かすことはなかったからな」
王の告白に、少年は心の底から動揺していた。まさか、王にそんな過去があっただなんて、想像すらしていなかった。多くに望まれ、多くに祝福されている王だからこそ、その生涯は常に恵まれたもので、これまでもこの先も何ひとつ不幸に見舞われることなどないのだろうと、漠然とそう思っていた。
「私を産んだ後の母の胎は、内側から炎で焼かれたかのように爛れきっており、恐らくはそれが死因だったのだろうと言われている。だから私はいわば、母を殺して産まれてきた忌み子なのだ。今でこそそのようなことを言う者はいなくなったが、私が子供の頃は、よく陰口を聞いたものだ。……まあ、その言葉は概ね正しいのだろう。私はこれまでに三人の妻を娶り、王妃として迎えたが、三人が三人とも、子を身籠ってすぐに胎が焼け爛れる奇病に罹り、苦しんだ末に赤子ともども命を落としてしまったからな。こうなってはもう、認めるよりほかあるまい。母の胎を焼き、妻の胎を焼いたのは、恐らく私なのだ」
淡々と告げる王に、少年の鼓動がどくんどくんと早くなる。この美しい王が、母を殺して産まれ、失った母のことを何ひとつ知らないで生きてきたなど。
(……なんて、かわいそうな人なんだろう)
この至高の王に対して抱くには、あまりにも不釣り合いな感情だ。それでも、少年はそう思わずにはいられなかった。
そんなことを考えていたから、きっと少年は酷い顔をしていたのだろう。少しだけ笑った王が、まるであやすように少年の頭を優しく撫でた。
「これは困ったな。そんなに悲しそうな顔をしないでくれ」
「え、あ、……すみません……」
「こらこら、謝る必要はないというのに。……しかし、お前に話しておくべきことはまだまだあるのだが、どれもこれも愉快な話ではないからな。この辺でやめておくか?」
気遣う言葉に、少年は少しだけ迷うように瞳を揺らした。けれど、少しの逡巡の後、ゆっくりと首を横に振る。王のつらい話を聞くのは怖かったが、なけなしの勇気が残っている限りは頑張ろうと思ったのだ。
そんな少年の覚悟が伝わったのか、そうかと頷いた王が、再び話を始める。
「母の命を奪ってまで生まれてきた私だったが、これがまた大きな欠陥を抱えていてな。困ったことに、感情の一切を持たずに生を受けてしまったのだ」
「……どういうこと、ですか……?」
「言葉通りの意味だ。私は生まれたときからずっと、感情というものを知らずに生きてきた。喜怒哀楽の全てを持たずに生まれたせいで、他者から見た幼い頃の私は、まるで人形のようだったそうだ。確かに、その所見は間違いではなかったのだろう。人形と違うところといえば、呼吸をして自発的に動けるところくらいだったからな」
感情がないということがどういうものなのかは判らなかったが、ただ漠然と、それは時に幸福なことで、時に不幸なことなのかもしれないと少年は思った。
「だが、幸いなことに友に恵まれた。レクシィが、ろくな反応も返せぬ私に根気よく感情のなんたるかを教えてくれたのだ。お陰様で、今ではそこまで意識をせずとも表情を用意することができるようになった」
なんでもないことのように言って笑った王だったが、少年は困惑の表情を隠せないでいた。
「表情を、用意……?」
戸惑うような声に、王が頷く。
「そうだ。基本的な法則を記憶しさえすれば、その声音や瞬きの速さ、言葉数などの様々な情報から他者の感情を読み取ることは容易だった。後は、私自身もそれらと同様の所作を心がければ良いのだ。一般的に人が楽しいと感じるときに笑い、悲しいと感じるときに泣く。それを実行するだけで、周囲の私を見る目は如実に変化した。まあ、生き物が環境に適応していくようなものだったのだろう。こんなことを続けるうちに、すっかり慣れてしまってな。今はもう、呼吸をするのと同じくらい自然に表情が用意されるようになった。ここに至るまでにかなりの労を要しはしたが、努力の甲斐はあったようだ」
そう言って微笑んでみせた王に、少年はどんな言葉を返せば良いのか判らなかった。だが、王に感情がないと言うのならば、少年に寄せているという好意すらも嘘だということになりはしないのだろうか。
そんな考えが一瞬頭をよぎった少年だったが、すぐにそれを否定する。あのとき、他の何者でもなく少年にその誕生を祝われたいのだと言った王の言葉に、嘘偽りなどなかったはずだ。そしてそれは、王が口にする好意の言葉たちだって同じである。明確な根拠を示すことなどできないくせに、何故か少年は強くそう思った。
そんな少年の心の内が判ったのだろうか。少年の手を握った王は、炎を孕んだ瞳で彼を見つめた。
「私はお前に出逢って、初めて感情を知ったのだ。お前と言葉を交わせることに喜びを感じ、お前と共に過ごせることを楽しいと思う。そして、もしもお前に拒絶されることがあったなら、そのときは深い絶望と悲嘆に暮れるのだろう。こういった感情の数々を、他でもないお前が私に与えてくれた。私は、お前と接しているときだけは、己の感情を知ることができるのだ。きっと、これまでも、これから先もずっと、お前だけが私の特別なのだ」
それは熱烈な告白だった。この世でたったひとり、少年だけが王にとって特別な存在なのだと、王はそう言っているのだ。
この煌炎の瞳に嘘はない。だって、こんなにも真っ直ぐで、こんなにも美しいのだ。だから、少年は正しく、王にとっての唯一なのだろう。それがどうして少年だったのかは判らない。もしかすると少年でなければ駄目な理由があったのかもしれないし、元より理由など存在しなかったのかもしれない。それでも、王にとって少年は代わりの利かない唯一無二なのだということだけは、覆りようのない事実としてそこに在った。




