共に歩む意思を
「エングフェルト上等兵、よくやった」
にぃやり、と悪辣な笑みを見せつけて来たのは、フォイエルバッハ大将だ。とても噂される人格者とは思えない悪役然とした笑みだった。
対して、呼び出されたローランドの顔色はすこぶる悪い。座らされた上等なソファのように、気分が沈んでいる。フォイエルバッハ大将とはこうして話すのが初めてだというのに、緊張しない程度には落ち込んでいた。
「……本当に自分でよかったのでしょうか」
ローランドは王配などという過分な立場を受け入れてはならなかった。場の空気に飲み込まれずにあの場できっちりと断りを入れるべきだったのだ。
というよりも、そのつもりだったのだ。あのパーティーに出席していながら、王配になる覚悟をあらかじめ問われていながら、卑怯にもローランドは辞退するつもりでいた。
何せエングフェルト家は先祖代々平民で、親兄弟は今も田舎で畑を耕している。ローランドは当然王配になれるような血筋でもなければ、知識も教養も何もかも有していない。釣り合いを見る状況にすら立てていないのだ。この国において平民と王位継承者という組み合わせは絶対にあり得なかった。
だというのに、ローランドはしでかした。相手が誘ってきたようなものだったとはいえ、断わろうとしたくせに雰囲気に飲まれ、勢いのままにアンジェリカを抱いてしまったのは完全に失態だ。言うまでもないことだが、アンジェリカは初めてだったわけで、表現は悪いが傷物にしてしまった以上、ローランドは責任を取り、王配になるしかなくなったのである。
国のためを思って行動できるような尊敬に値するアンジェリカの夫となれることは素直に嬉しい。だがローランドはあまりにも王配には相応しくなかった。日を追うごとに冷静になり、判然とした事実が頭を悩ませた。
「私の目を信じたまえよ。それに殿下から礼状もいただいている。とても素晴らしい方を選んでいただけた、とな」
にやにやしているところを見るに、この間の夜のことをからかわれているのかもしれない。
ローランドはわざと咳払いをして、改めて疑問を口にした。
「閣下は何故自分をお選びになったのでしょうか。あの場にはご子息もいらっしゃったと聞きました」
「息子を? 冗談はよしてくれ。うちの愚息などまったく殿下の好みには合わん。指名権を得たのであれば殿下に好かれる男を推すべきだろう」
フォイエルバッハ大将は傍系王族で、女王とは従兄妹の関係に当たる――らしい。詳しくはローランドの知るところではないが、アンジェリカとも親交があっても不思議ではないだろう。だがアンジェリカのこのみがこれといった特徴もないローランドだとは到底思えなかった。
「…………それが自分、ですか」
「そうだとも。殿下は母親である陛下をいたく敬愛していてな、あまり派手でない顔を好まれる」
「ああ、なるほど、それならたしかに」
女王とローランドは決して似ているわけではないが、二人とも地味という枠には入るだろう。
大将の息子は煌めくような貴公子だった。軍人というよりも騎士といった言葉が似合う、麗しい顔立ちの美青年なのである。ローランドの顔が好みだと言うのなら、彼は眼中にないのには納得できる。だからこそアンジェリカも初めからある程度の好意を向けてくれていたのだろうか。
そんなふうに呑気に考えかけて、ローランドは首を振った。今のはあくまでも対象の息子とローランドを比べた場合であって、他の選択肢がなかったわけではないはずだ。貴族だから全て煌びやかな顔立ちをしているわけではない。女王がそうであるように、地味な顔をした貴族というのはいくらでも存在する。
敢えてローランドを選んだ理由が、何かあるのだろう。からかうような、おちょくるような態度を見るに、ローランド本人には教える気はないのかもしれないが。漏れそうになるため息を流し込むように、出された紅茶を手に取った。
「それから殿下は筋肉フェチでな」
「ブッ!?」
思ってもみなかったことを言われ、ローランドは思わず紅茶を噴き出しかけた。フォイエルバッハ大将はしてやったりといった顔で笑っている。どうやらわざと紅茶を飲むときを狙ったようだ。やはりからかわれているのだろう。
「細めの筋肉質など心が躍らず、かと言って筋肉が肥大していればいいというわけでもない。きちんと訓練や仕事によって培われた筋肉がお好みでな。よかったな上等兵、お前の筋肉には安心感があるらしいぞ?」
フォイエルバッハ大将は懐から礼状らしき紙を出し、ゆらゆらと振って見せた。その内容がにわかに末恐ろしくなった。一体、どんなことが書かれているのだろう。まさかあの夜の仔細が書かれているのではないかと疑心暗鬼に陥りそうになる。自分でも覚えてもいない夜の行為が他者に伝わっているなど恐ろしすぎる。もしかするとローランドは何か無体な真似を強いたのではないかと怯えたが、フォイエルバッハ大将からのお叱りは特になかった。
「それにだ。上等兵を推すにあたり、当然、素行や人格、人付き合いに家系、過去の女の経歴その他諸々はあらかじめ調査済みだ」
「はあ……」
「野心もなく、思いやりのある気のいい青年で、見た目も殿下の好みに合致している。それだけで充分だ。この平和なご時世、殿下が必要とする伴侶は私生活で支え癒してくれる相手であって、他国で振るえる権力を有する富豪でも政治に口を出す気のある頭でっかちでもない」
フォイエルバッハ大将から見れば、野心を抱く可能性のある貴族よりも、初めから知識のない平民の方がいい、ということらしい。
ローランドには貴族の利害など分からない。立場を考えればやはり王配に相応しくないと思う。だがローランドの何倍も優れたフォイエルバッハ大将は全てをひっくるめた上で、アンジェリカにはローランドがいいと判断したのだ。
――思い悩むのはこれで終わりにしよう。幸いにも選んでもらえたことに感謝し、できることから始めればいい。
「ありがとうございます。少し吹っ切れました」
「気にするな。悩める若人の尻を叩くのは老人の仕事だ。それに礼は王配になってからいくらでも返してくれたまえ。軍事費に融通を利かせてくれるように一言頼むぞ」
「……政治に口を出す頭でっかちはいらないと仰ってませんでした?」
「ははは、それとこれとは全く違う。恩人が困っていることを妻にポロリと零すだけだ。ポイントは上等兵がただ心配しているだけというところだな。判断するのは殿下の仕事になる」
物は言い様である。フォイエルバッハ大将の言葉は冗談めかした言い方ではあるものの、あながち嘘ということでもなさそうだった。まったくもって食えない人ではあるが、恩人であることには違いない。何かあったときには力になるつもりでローランドは笑った。
「それから、まだはっきりとはわからんが、場合によっては私の養子に入ることも有り得る。頭の片隅にでも入れておいてくれ」
「承知いたしました」
ローランドが頷くとタイミングよくノックの音が響き、入室の許可を出すフォイエルバッハ大将の声のあと、副官が入ってきた。次の仕事が迫っているのだろう。ローランドが立ち上がり、忙しい中で時間を割いてもらえたことに感謝の意を示すと、フォイエルバッハ大将は気にすることはないと軽く手を振っていた。
フォイエルバッハ大将、副官の両名にもう一度頭を下げてからローランドが執務室を出ようとすると、背中に声がかかった。
「ああ、そういえばとやかく言う者の撃退法を伝授するのを忘れていたな。何もわからぬ馬鹿に絡まれたときには私と殿下の名を出せ。私が選び、殿下の認めた男に何か問題があるのか、とな。実力もないくせに粋がっている連中が顔を真っ赤にして黙るしかなくなる様はなかなか痛快だぞ?」
振り返ってみれば、また悪辣な笑みを浮かべていた。ローランドが大将の息子に絡まれたことを知っていたのだろう。会話からわかっていたが、どうやら家族仲は悪いようだ。フォイエルバッハ大将を人格者と言い出した人物はこの笑顔を見たことがあるのだろうか。いや、息子を敵認定しているだけなのかもしれない。
そんなことを考えながら、ローランドは敬礼をして立ち去った。フォイエルバッハ大将と息子の確執については忘れることにした。面倒なことに巻き込まれる予感がしていたが、これ以上頭を悩ませるものを増やしたくなかったのだ。
フォイエルバッハ大将の執務室から出て自分の持ち場に戻ろうとするローランドに刺さるのは、好奇の目であったり、敵意の目であったり、嫉妬の目であったり様々だ。さすがにフォイエルバッハ大将のお膝元で絡まれることはないにせよ、一夜にして婚約者の座を手に入れたローランドに突っかかって来る者は一定数以上存在している。現在は夜襲などの危険を排除するため、王宮の一室を間借りしていることも彼らにとっては気に入らない要因になっているようだった。
自分より下だと思っていた者に首を垂れる苦痛を、平民出身のローランドには上手く理解できない。平民が高い矜持を持つ意味などないのだ。踏み潰されるだけの無駄なものにしかならない。だが貴族社会に入ることになる以上、いずれ理解しなければならないのだろう。
軍本部から出て、日光を浴びると少しだけ気が紛れた。懐中時計を取り出して時間を確認すると、もう昼休みが始まっていた。食事を取ってから戻るべきだろう。
とはいえ、ローランドが向かうのは所属である王都巡回警備の詰め所にある食堂だ。突然ローランドが選ばれたことでよそよそしい態度に変わってしまった者も、今まで関わりがなかったのに突然媚びを売るような素振りを見せ始めた者もいるが、変わらず仲良くしてくれる者もいる。細々とした面倒事はあるが、針の筵のような本部の食堂で食べるのとは比べ物にならない。
「ローランド様!」
「…………で、殿下!? 何故こちらに?」
ローランドが詰め所に向かって歩き出すと、王宮の方からアンジェリカが供を連れ立って現れた。驚かせたことが嬉しかったのか、アンジェリカは楽しそうな笑みを作っている。
「フォイエルバッハ大将がローランド様との話が終わる時間を教えてくれたのです。昼食に誘ってみてはどうかと」
「そうでしたか。ありがとうございます」
「いえ、いいのです。ローランド様、お時間があるようでしたら昼食を一緒に取りませんか?」
「勿論です」
昼休みはそう長くないがアンジェリカもそれは知っているのか、侍女たちがバスケットを持っている。すぐに食べられるようにと気を遣ってくれたようだった。こうした気遣いがとても嬉しく、ローランドはもう一度礼を言った。それだけのことで、アンジェリカは花のように微笑んでくれる。その笑顔がローランドの胸をじんわりと温める。
出自という明確な欠点がある以上、ローランドがアンジェリカの隣に立つに相応しい男になることは、おそらく一生かかっても無理だろう。それでも機会を得たのだ。自分にできることを、懸命にやっていけばいい。
「ローランド様、参りましょう」
「はい。只今」
「せっかくですからテーブルマナーのおさらいもしましょうか」
「……はい」
まだスタートラインにすら立てていなくとも、口を引きつらせた姿を見てアンジェリカが笑ってくれるだけで、ローランドは頑張ろうと思えた。
この人を支えたい。この人を守りたい。そして何より、アンジェリカを幸せにしたい。
平民のやる気の発端など、そんなもので十分だ。
「殿下、いえ、……アンジェリカ様」
ローランドが名前を呼ぶと、アンジェリカは目を瞬かせて、上擦った声を出した。頬にはほんのりと朱が差しており、突然のことに照れているように見えた。
「は、はい? どうしました?」
「その、……エスコートの練習も、いいでしょうか?」
「……はい。よろしくお願いいたします」
手を差し出せば、たおやかな手がゆっくりと重ねられた。そうして二人は照れたように笑い合い、ぎこちなく歩き出した。
2018.06.01/誤字訂正(ご指摘ありがとうございました)




