第五話
ある日、庭で草むしりをしていると、空から白い狐が降ってきた。白尾さんだ。白尾さんはふわりと優雅に地面に降り立つと、自信満々といった風情でこちらへ歩いてきた。現実離れしたその光景に狐なのにキャットウォークなんだ〜と現実逃避した。
「やあ透。息災かね?」
「こんにちは白尾さん。今日はどうしたんですか?」
「ちょっと伝えたいことがあってな。あの黒いのはおらんのか?」
「黒又さんは部屋でインターネットしてますよ」
「あやつは神のくせに、まーたあの面妖な板で遊んでおるのか。おい! 黒いの! ちょっと顔を出さぬか!」
白尾さんが叫ぶと、家の居間から黒又さんがのそのそと縁側へとやってきた。
「なんじゃやかましいな。なんぞ用か?」
黒又さんは尻尾をブンブンと振っていて、なんだか不機嫌そうだ。
「お前には伝えた方が良いと思ってな。柴田の家の勝成が天寿を全うしたぞ」
「何? そうか……」
「柴田って……勝也兄ちゃんの家?」
そういえば、前に会った時におじいさんの調子が悪いと言っていたな。まさか亡くなってしまうなんて……。
「それじゃ伝えることも伝えたし、我はこれで失礼するぞ」
「あ、白尾さんありがとうございました!」
僕が挨拶をすると白尾さんは二回尻尾を振って、ぴょんと跳んで塀の向こうへと消えていった。
白尾さんが帰った後に納屋の中で御霊送りの準備をしていると、玄関の方から僕を呼ぶ声が聞こえた。
「透! 透いるか!」
この声は勝也兄ちゃんだろうか? 僕は納屋を出ると庭の横を通って玄関前へと向かった。
「やっぱり勝也兄ちゃんか。どうしたの? そんなに慌てて」
「透、翔太と勝二を見なかったか?」
「え? いや、あれから会ってないな。どうしたの?」
「それが、二人して朝からいなくなっちまって……探してるんだが見つからないんだ」
勝也兄ちゃんは心配そうな顔で足元を見つめた。
「いなくなった? なんでまた急に?」
「実は、昨日、親父が死んじまってよ。二人もすごく落ち込んでて……。それで気がついたらいなくなってたんだ」
白尾さんの情報は確かだったようだ。
「わかった。僕も探してみるよ」
「ああ、頼むよ」
「じゃあ僕は山の方を見てみるよ」
「そうか! ありがとう! 俺は町の方を見て回るから。何かあったら連絡をくれ」
「了解」
僕は勝也兄ちゃんと別れると、裏にある山へと向かうことにした。山では僕もよくおじいちゃんと一緒に虫を取ったり山菜を取ったりして遊んだものだ。なので、もしかしたら二人もおじいさんと山で遊んでいたんじゃないだろうか? 二人は思い出の場所にいる、僕はそんな気がしていた。
「山に行くのか? なら御霊送りの道具も持っていけ。多分役に立つ」
黒又さんがそう言うので、僕は御霊送りセットをスーパーの袋に入れ、それを持って山へと向かった。黒又さんはそんな僕の頭に飛び乗った。
山に入って二人を探してみたが、なかなか見つからなかった。途方に暮れていると、山の入り口近くに大きな山道の横に獣道のような小さな脇道を見つけた。
ここは……小さい頃の記憶がよみがえって来た。僕はこの先の広場でおじいちゃんと遊んでいた。もしかしたら二人もそこにいるのではないかと思い、僕は獣道に分け入った。まだ春になったばかりなので草はそんなに生い茂っておらず、苦労せずに先へと進むことができた。
今日は曇っているせいか、山の雰囲気が少し不気味だ。何もなければいいが……。
少し歩くと、目的の広場へと到着した。すると、大きな切り株の上に翔太と勝二が座っていた。
「翔太! 勝二!」
僕が呼びかけると、二人がこちらを向いた。その顔は先日会った時のような笑顔ではなく、まるで梅雨空のように暗く曇っていた。
「透おじさん……」
翔太が力のない声で僕を呼んだ。僕はそんな二人に駆け寄った。見た感じ、特に怪我もしていないようで僕は胸を撫で下ろした。
「二人とも無事か? こんなところでどうしたんだ?」
「おじいちゃんが、死んじゃったんだ」
翔太が地面を見つめて今にも泣き出しそうな声を出した。
「もう、一緒に遊べないんだ……」
「またおじいちゃんに会いたいよ……」
そう言うと勝二は泣き出してしまった。
僕は二人の様子に胸が痛くなった。なんとか元気づけてあげられないだろうか……。
「じゃあ、おじいちゃんに会ってみるか?」
「え?」
二人は僕の言葉に驚いたように顔を上げた。
「黒又さん、いいですか?」
「構わんぞ。でも、二人には魂が見えんかもしれんぞ」
「とりあえず、やるだけやってみます」
「そうか」
黒又さんが僕の頭から飛び降りると、二人が座っている切り株の上に乗った。
「じゃあちょっと待っててね」
そう言って僕は御霊送りをするために、マッチと薪で焚き火を作った。そして、護摩木に筆ペンで「柴田勝成」と書き、焚き火の中へそっと差し入れた。
「じゃあいくぞ」
黒又さんが目を閉じると、黒又さんの体が輝き出した。二人には光が見えていないようで、黒又さんを見てキョトンとしている。
しばらくすると、おじいちゃんの時と同じように煙のようなものが集まってきて、黒又さんの頭上で人の形をとり始めた。おじいさんの魂が形となって現れたのだ。
「翔太、勝二、見えるか?」
「…………?」
しかし、二人には見えていないようで目をぱちくりとさせている。ダメなのか……?
「仕方ないな。特別サービスだぞ」
黒又さんがそう言って、右の前足をおじいさんの魂に向けて振り上げた。すると、おじいさんが煙に戻り、小さく一つにまとまって何かの形をとり始めた。
「これは……トンボ?」
おじいさんの魂が、季節外れの赤トンボに変わった。これならば二人にも見えるのではないだろうか?
赤トンボが勢いよく飛んで、二人の周りをぐるぐると回り始めた。
「わあ、なんだ? トンボ?」
二人は突然現れた赤トンボを見て驚いていた。
すると、赤トンボが翔太の前にゆっくりと飛んできて停止した。翔太が不思議そうな顔で手を前に差し出すと、その手に赤トンボが止まった。手に止まった赤トンボは何かリズムを刻むように羽をバタつかせていた。
「これ……おじいちゃんが歌ってくれた歌と同じ……」
「おじいちゃん?」
二人が赤トンボに向かって呼びかけた。すると、赤トンボはそうだよとでも言うようにもう一度飛び立ち、二人の周りを一周飛んで翔太の頭の上に止まった。
しばらく止まっていると、また赤トンボは飛び立ち、次に勝二の頭の上に止まった。まるで二人の頭を撫でているかのようだった。
「わあ!」
「きっと、二人に元気を出せと言っているんだよ」
赤トンボが勝二の頭から飛び立ち、また二人の周りをぐるぐると回り始めた。
「おじいちゃん……!」
「おじいちゃん!」
二人の顔に少し笑顔が戻ってきていた。その笑顔を見た赤トンボは、二人の前で一度静止した後、小さくくるりと旋回した。バイバイと言っているのかもしれない。
「お別れの言葉はちゃんと言ったほうが良いよ」
そう言って僕は二人の頭を撫でた。二人は頷いて赤とんぼに向かって叫んだ。
「おじいちゃん、今までありがとう!」
二人が赤トンボに向かって手を伸ばすと、赤トンボは満足した様に焚き火の煙が立ち上る空へと昇り始めた。
「……バイバイ、おじいちゃん」
そう言って翔太は涙で濡れた目を擦った。
気がつくと空から雲がなくなり、夕日で赤く染まり出していた。そんな茜色に焼けた空に向かって、赤く輝くトンボがゆっくりと空高くへと舞い上がっていった。それはとても綺麗で、なんだか切なかった。
二人はその光景をずっと見上げていた。
「お別れ、できたかな?」
僕は二人に優しく話しかけた。
「うん、透おじさん、ありがとう!」
「最後におじいちゃんに会えて嬉しかったよ!」
二人の笑顔が茜色に染まった。これでおじいさんも心置きなく昇れただろうか? 僕はもう一度、赤から紺色へと変わっていく空を見上げた。
その後、僕は二人を家へと送り届けた。その帰り道、二人からおじいさんとの思い出をたくさん話してもらった。楽しそうに話す二人の顔を見て、僕は御霊送りをやって良かったとホッとした。
二人の家に着くと、勝也兄ちゃんが泣きそうな顔で二人を出迎えた。事前に連絡はしてあったけれど、実際に顔を見るまでは心配だったのだろう。
「あの、あまり怒らないであげて。二人はおじいさんとの思い出の場所で最後のお別れをしていたんだ」
僕はそう言って二人を勝也兄ちゃんへと渡した。
二人は「ごめんなさい」と一言謝って、勝也兄ちゃんの胸へと飛び込んでいった。僕はその光景に目を細めると、みんなに別れを告げて柴田家を後にした。
帰り道、小さな電灯がポツポツと立っている暗い道を歩いていると黒又さんが話しかけてきた。
「なんだか疲れたな」
「ありがとうございます、黒又さん。おかげで二人が元気になりました」
「ま、生者に死を受け入れさせるのもお役目の仕事だ。透はよくやったよ」
「そうですかね?」
僕はすっかり陽が落ちて煌々と輝いているお月様を見ながら、今日の御霊送りを思い返していた。
「おじいちゃんもこういうことやってたんですか?」
「まあそうだな」
「それなら大変だけど、頑張らないとな」
僕は空から前へと視線を向けた。
なんとなく、お役目とはなんなのかが分かってきた気がする。僕はお役目の仕事に光のようなものを見出していた。僕の心の闇を照らしてくれる光を。
「それにしても腹減ったぞ。今日のメシはなんだ?」
「今日は頑張ったのでハンバーグにしましょうか」
「よっしゃ! 玉ねぎは抜いてくれよ?」
「はいはい」
僕は笑いながら、ゆっくりと我が家へと歩いていった。
こうして僕の猫神様と過ごすお役目生活が始まったのだった。




