平和への第一歩
下準備を終えていたにもかかわらず、話し合いは予定より時間がかかった。それでも何とか話をまとめ上げ、レヴィ王国仲裁の元でシェッド帝国とローレンツ公国の百年近くに及ぶ争いは終結した。帝国は公国を独立国家として認める事、公国は帝国と貿易をする事、取引金額はレヴィと平等にする事、飢饉など例外を除いて輸出の出し惜しみをしない事などが取り決められた。条約にはルイとローレンツ公国の公弟、そしてジョージの署名が記された。赤鷲隊隊長は国王の代理を務める事が出来るのである。この時、ジョージの署名が綺麗な文字で、ライラはこれで正式書類扱いになるのか不安になったが、そもそもこの条約はレヴィに触れていないので、癖字を晒す必要もないのかもしれないと思い直した。
会談が終わり、其々の通訳が退出を促した。今までこの離宮に滞在を許可していたのはあくまでもジョージの好意であり、本来ならこの離宮はレヴィ王家の者以外が過ごしていい場所ではない。公国人は納得のいく条約内容に素直に従って退出したが、ルイは椅子に腰掛けたままジョージを睨んだ。
「さて、ライラ様を返して貰おう」
ライラはジョージの手を強く握った。言葉の通じないルイに自分が何を言っても伝わらない事は先程理解したので、彼女は彼に託した。彼は鋭い目つきでルイを見返している。
「返すも何も、ライラは物ではないのでそういう言い方はやめて欲しい。それに先程ライラの言葉を聞いたはずだ。彼女はレヴィで暮らすと決めたと」
「ライラ様が怯えている。貴様の事が余程怖いのだろう」
怯えているように見えるのならルイのせいだとライラは言いたかったが、声にならなかった。彼女はジョージの手を強く握ったまま、彼に寄り添うようにしてルイに顔を見られないよう背けた。
「ルイ皇太子殿下、立場をお忘れか? 貴方は捕虜になったのだ。私の好意で縄を解いただけで、このまま捕縛され王都へ連行後磔を望むか?」
ジョージの声色はとても冷たい。ルイ以外の帝国人はレヴィ語がわからない為、ウォーレンはわざわざ帝国語で通訳をした。それを聞いて帝国人達は必死でルイを説得し始めた。現皇帝の息子はルイ一人であり、またここで皇太子を磔にでもされたら帝国の威厳などなくなってしまう。この会談に帝国人を座らせたのも、ルイを捕虜にした事を外部に漏らさないという条件でだった。ちなみにルイを捕虜としたのはブラッドリーである。開戦後雲行きが怪しくなるや否や仲間に何も指示をせず撤退すると予測していたブラッドリーが先回りをし、予想通りの行動をしたルイを捕まえたのだ。
「貴方はレヴィの事など何も知らないでしょうから教えますが、彼は貴方の妹君が嫁いだエドワード殿下より地位が上です。また脅しではなく本気です。彼は平気で磔くらい出来ます。命が惜しければここは黙って帰った方が宜しいと思いますよ」
ウォーレンはルイだけでなく周囲の帝国人にもわかるように帝国語で言った。帝国人達はルイを必死に説得した。他に変わりがいればいいのだが、残念ながら帝国には帝位に就ける直系の男子が他にいないのである。最終的には北方語で囁かれた一言でルイは渋々納得した。
「今回は大人しく帰るとする。ライラ様、何かありましたらいつでもご連絡下さいね」
ライラは名前を呼ばれ仕方なくルイの方を見た。しかし連絡云々に対して答える気はなく、ジョージの手を握ったまま最低限の礼儀として頭を下げる。ウォーレンはカイルに視線をやり、仕方なくカイルは帝国人達を案内して出て行った。室内には三人だけが残された。
「最初は何てつまらない会談と思いましたけれど、最後に面白い物が見られたのでよしとしましょう」
「どこが面白かったのよ。全然面白くないでしょう?」
ライラはまだジョージの手を強く握ったままウォーレンを睨んだ。
「私は以前からジョージ様のあの鋭い眼光が好きでして。今日はそれだけで満足ですよ。あとルイ皇太子殿下の噂は間違っていたというのも収穫でしょうか」
ルイは有能だと噂されていた。それはきっと大陸で一番だろうと。しかしジョージから見てもウォーレンから見ても、とても有能とは思えなかった。
「どうやったらそんな噂になったんだろうな。捕虜になった時点で有能という部分は疑っていたが、途中の話し合いもかみ合ってなかっただろう?」
「えぇ。政治的感性は凡人未満です。視野が狭すぎます。周囲の帝国人が憐れでした。帝国は長く持たないかもしれません」
「あぁ。万が一の事も視野に入れて今後の対策をしないとな。公国からの亡命者は戻す約束をしたからいいけど、国が崩壊するとなると動きが変わる。今の皇帝はどうなんだ。ウォーレンは知っているのだろう?」
「前皇帝陛下に比べると劣りそうです。詳細はナタリー様に伺われたらいかがですか? ナタリー様の実父なのですから」
「俺が義姉上を苦手だと思ってるのを知ってて、わざとそういう事を言うな」
「苦手なの? ナタリー様はいい人よ?」
ライラの言葉にジョージは意外そうな表情を浮かべた。
「だけど帝国の事はよく思っていない感じだった。もし必要なら王宮でお茶会をする時に探ってみるけど、エミリーが聞かない方がいいと言っていたから難しいかもしれない」
「聞かない方がいい?」
「ナタリー様、帝国でいい思い出がなさそうなの。だから家族とも仲がよくないかも知れなくて。話したがらない雰囲気だったの」
「それなら無理に聞く事はないよ。どうせウォーレンが情報は持ってる」
ジョージは冷たい視線をウォーレンに送った。ウォーレンはそれを微笑んで受け止める。
「ハリスン領主代理でしかない私が、他国の情報など持っているはずがないではありませんか」
「つまりまだ大丈夫という事か。俺の力が必要なら勝手に言うだろう?」
ジョージの問いにウォーレンは答えず、微笑を浮かべただけだった。
「それでは私も帰らせて頂きます。これでも領主代理は忙しいのですからね」
「あぁ、無理を言って悪かったな。だがたまには間者の報告ではなく、自分の耳で聞くのもいいかと思って」
「確かにいい機会でした。それでは失礼致します」
「あぁ、気を付けて」
ウォーレンは一礼すると部屋を去っていった。それを確認し、ジョージはライラに優しく微笑む。
「それでいつまで手を握ってるの? そんなに嫌だった?」
「だって怖くて。無理やり連れて行かれたら困るし」
「連れて行かせたりしないよ。帝国人一行が帰った後は国境付近を暫く見張っておけと指示してある」
「そうね。そうして。さっきルイ皇太子殿下が最後に納得した言葉が本当に嫌だったの」
「ん? なんか変な事を言ってたのか?」
「北方言語で誘拐の機会は今後いくらでもありますから、今回は一旦帰りましょうと」
ジョージは呆れた顔をした。これだけ見せつけたのに、まだ納得しないその根性と執着心は確かに大陸一だなと感心しながらも、それに巻き込まれたくはなかった。
「国境の警備は厳重にするようすぐ議会へ申請しよう。それとライラは一人では絶対出歩かない事」
「わかっているわ。出かける時はジョージと一緒に行動する」
ライラの言葉にジョージは嬉しそうに微笑んで頷いた。
「じゃあ部屋に戻ろう。料理長がお菓子を用意してくれているはずだから」
「ここは窯があるの?」
「あるよ。離宮だから一式揃ってる。パンを焼く量を減らす為に、隊員はさっさと元の持ち場に返したからな」
ライラは笑った。本来は持ち場に隊員を戻す事は防衛上必要な事だったのだろう。それをあたかも自分の勝手の為と言ったのがおかしかった。
「久しぶりだから楽しみだわ」
二人は離宮の調理室に立ち寄った。そこで料理長が紅茶とマドレーヌを用意したトレーをカートの上に乗せてくれた。そのカートを料理人見習いの隊員が押し、ジョージに案内されるがままライラは離宮内を移動した。
その部屋は昨夜ライラが宿泊した部屋と似たような作りをしていた。料理人見習いの隊員はテーブル脇にカートを置くとマドレーヌの入った皿をテーブルに置き、紅茶を手際よく淹れてティーカップをテーブルに二脚向かい合うように置くと一礼して部屋を出ていった。
「向かい合わせで座るのはおかしいだろ。気が利かないな、あいつ」
そう言いながらジョージはソファーに腰掛けて、ティーカップを一脚自分の横へと動かした。ライラは大人しく彼の横に腰掛ける。
「これでゆっくり出来るの?」
「あぁ。今頃王宮内では揉めているはずだけど、エド兄上が上手くやってると思うよ。俺達が帰った時には片付いてると思う」
「そんなに早く?」
「多分。エド兄上は決めた事は必ずやるから」
ジョージはそう言いながらマドレーヌを口に運んだ。ライラもマドレーヌを手に取ると頬張る。久し振りの料理長のお菓子はとても美味しくて、彼女は思わず顔をほころばせた。
「ジョージ、これからは何をするの?」
「俺はもう隊員を失いたくない。二度と戦争が起こらないように立ち回る」
ジョージはそう言いながら、壁際の机に置いてある黒い箱に目をやる。ライラはそれが何かわからなかった。
「あの箱に何が入っているの?」
「今回戦死した隊員のうち、王都に家がある者の骨壺。ハリスンとか地方に家がある者の分はその方面に向かう隊員に託した」
ライラは悲痛に顔を歪めた。今回の戦争は帝国のせいで起こった戦争ではあるが、レヴィ側にも望んでいた人間がいるのである。王宮などで頭や口だけを動かしている者には、この命の尊さはわからない。高貴な生まれだからと言って平民の命を無下にしていいわけではないのだ。ましてや赤鷲隊は貴族と騎士階級からなる隊なので、生まれは高貴なのである。
「もしご家族に届けるのなら私も一緒に行ってもいい?」
「構わないけど、精神的に辛い仕事だよ」
「私も今回の戦争で失ったものを強く心に刻みたい。ジョージの背負っている辛さを少しでも分かち合いたい。そして一緒に平和の為に生きていきたい」
ライラの瞳には強さが宿っていた。ジョージは優しく微笑む。
「あぁ。彼らの為にも平和な国を作っていこう。今生きている国民はほぼ戦争のない時代を知らないが、戦争をしていた事実を忘れている国民も多い。俺達がこれから平和な国を作る為にも戦争をしなくてもいい道を切り開いていこう」
「えぇ。一緒に頑張りましょう」
ライラは微笑んだ。ジョージも微笑むと彼女の肩に腕を回して抱き寄せ、肩に額を乗せた。彼は泣いているのかもしれないと思い、彼女はそのまま動けなかった。
一方、王宮ではスティーヴンによる告発が行われていた。レスター卿が帝国と手を組み、レヴィ王位を簒奪しようとしていた罪についてである。実の息子に裏切られたレスター卿に逃げ道はなく、またそれに連なって関係者達も一斉に捕まった。罪の重さは其々だが死刑の者はおらず、家門取り潰し後流刑や刑務所送りなどになった。これによりレスター公爵家は長い歴史に幕を下ろした。スティーヴンの処置に関してはエドワードに一任された。
会談から三日後、ジョージとライラは王都に戻っていた。遺族達には先に連絡が入っており、王都内のとある屋敷に皆が集まっていた。彼は遺族一人一人に骨壺を手渡し、その際遺族達にその者の隊内の仕事ぶりや戦場での活躍などを説明した。赤鷲隊隊員の全てを覚えている彼だから出来る仕事であり、遺族達はその話を涙ながらに聞き、皆感謝をして骨壺を受け取った。
骨壺を受け取った遺族達は順次帰っていき、その屋敷には二人だけが残った。
「王都以外の人達にはどうしたの?」
「手紙を同封した。本来なら全て俺が回るべきだろうが、王宮内の事も気になるしすぐに動けるとは思えなかったから」
「そう」
ジョージの語る隊員達の仕事ぶりは皆生き生きしているように聞こえた。黒鷲軍団基地で復興作業をしていた隊員達かもしれないと思うと、ライラは胸が締め付けられるようだった。彼らの為にも手に入れた平和を未来へ繋げる努力をしなければと彼女は強く決意した。
「ところで、ここどこなの?」
「ライラが気にしてた場所だよ」
ライラは訝しげな表情をした。屋敷の造りは大きく貴族の物だろう。しかし使われている形跡がないし、古い建物である。そこで彼女は一つの可能性に気付いた。
「まさかウォーグレイヴ公爵家?」
「当たり。カイルが調べたら、宰相の私的所有物だったんだって。カイルのじいさんとライラのじいさんは繋がってたみたいだよ」
ライラはやっぱりと言わんばかりに頷いた。大河を挟んでの睨み合いは、両国の宰相同士が手を組んでわざと演出していたのだ。
「本当はガレスとレヴィの戦争を七十年もする気はなくて、元凶であるひいじいさんが死んだらやめるつもりだったらしいんだけど、まぁ戦争は一度始めると簡単に終わらなかったという事らしい。帝国も絡んでいたしね」
「そうなの。それで何故ここにしたの?」
「王都内に俺が使える施設がないからカイルにお願いしただけ。この屋敷が欲しい? 買い取る?」
買い取るか聞きたくてここに連れてきたのだろうとライラは思った。彼女は首を横に振る。
「別にいいわ。私は王宮でジョージと暮らすもの。ジョージは赤鷲隊兵舎の近くにいるのが一番だと思うから」
「確かに。それなら帰るか、あの城壁の向こうへ」
「その前に王都を見物してもいい? かつらも持っているし」
ライラは目を輝かせてそう言った。ジョージは呆れた顔で頷く。
「いいよ。帰る時間は明確に言ってないから」
ライラは嬉しそうに微笑むと荷物からかつらを取り出した。それをジョージは奪うと彼女に優しく被せる。彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「まだ恥ずかしいの? もう慣れなよ」
「まだとはどういう事? 最初の時も気付いていたの?」
「気付いてたから鏡を買ったんだよ。毎日被せても楽しいかと思ったんだけど、攻め過ぎはよくないかなと思って」
ジョージは意地悪そうに微笑んだ。ライラは彼に一生勝てない気がして悔しそうな表情を彼に向ける。そんな彼女の事など気にせず、彼は彼女の荷物を肩にかけると手を握った。
この後、レヴィ王国は平和を享受しエドワードの治世で過去最高の繁栄を極める事となる。その平和のきっかけの為に様々な人達が己の謀を抱いて仕組まれた政略結婚、それらに翻弄される事なくお互いの意見を受け入れ、愛し合いながらレヴィ王国に平和をもたらしたこの夫婦の名前は歴史に残っていない。王宮内にある墓石にその名前が刻まれているだけである。
最後まで読んで下さり本当にありがとうございました。
評価して頂けると今後の励みになりますので宜しければお願いします。
本編はこれで完結ですが【謀婚 番外編】でもう暫く話を続けます。
またナタリーが主人公の【知らないふりをさせて下さい】では、謀婚で書ききれなかった話も書いていますので、併せて読んで頂けると嬉しいです。




