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謀婚  作者: 樫本 紗樹
四章 恋心と陰謀
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嫉妬

 夕食後、それが当たり前かのようにカイルとライラは執務室にいた。

「ねぇ、カイルは大浴場での入浴に抵抗はないの?」

「そのような事が気になりますか?」

 カイルは思わず笑ってしまった。そのような質問をされるとは思っていなかったのだ。しかしそんな彼の事など気にせずライラは続ける。

「赤鷲隊は半数貴族なのでしょう? 貴族用の浴室みたいなのがあるのかと思って」

「ここにも王宮の赤鷲隊兵舎にも大浴場しかありません。大勢で入浴が嫌なら軍人など勤まらないという事でしょう。集団生活が出来ないわけですから」

「でも最初は抵抗あったのではないの?」

「最初は基礎訓練だけで疲れてしまって、そのような所まで気が回りませんでした」

「カイルも訓練をするの? 見た感じ細く見えるのに」

 筋肉質なジョージの横にいるから細く見えるだけで、貴族としてはカイルも鍛えている方である。

「隊長がまだ隊員だった頃、私だけ参加しないわけにはいかないではありませんか。今は免除してもらっていますけど」

「ウルリヒは?」

「ウルリヒ殿下は朝練だけです。隊務も力仕事はありません」

「彼も軍隊にいるには細いものね。朝練は最低限という感じなのかしら」

「二年前はもっと線が細かったのですよ。そもそも王子に筋力は必須ではありませんので」

「ジョージも赤鷲隊に入る前は細かったの?」

「隊長は昔から剣の稽古だけは真面目にやっていましたから、細くはありませんでしたね。今の体型は隊長になってから鍛えた結果ですが」

「ジョージは少しやり過ぎな感じもするけれど」

 抱きつけば胸板の厚さはわかる。流れ矢の傷跡を見た時の腕も太かった。商人の服装がやたらゆったりしているとは思っていたが、今となっては筋肉質な体を隠す為に、わざと余裕のある服を着ていたとわかる。筋肉質な商人など胡散臭い。

「隊長は身体を動かすのが趣味みたいなものですから。体力がないとあちこち出かけられませんし。ライラ様こそよく隊長に付き合いましたね」

「自信があると言ってしまった以上、ついていくしかないでしょう? だけど気を遣ってくれていたと思うわよ」

「ケィティで一日休憩が入っていましたけど、それ以外は普段の隊長と変わらない日程の組み方でした。気遣いというなら馬の世話を任せられる宿屋を選んでいたくらいではないでしょうか。隊長は厩番の仕事をしませんから、普段通りではあるのですけれど」

「そうなるとここまでの宿屋代は結構かかっているわよね。色々と食事もしたし。支払いを全て任せてしまったけれどよかったのかしら? どこからお金は出ているの?」

 ライラの疑問にカイルが微笑んだ。

「高貴な女性がお金の心配なんてしなくても宜しいのですよ」

「そういう訳にはいかないわ。嫁いできた女が税金を使って遊んでいると思われたくないもの」

「税金は税金でも、赤鷲隊隊長としての給料から支払っているのですからお気になさらなくて結構です」

「そもそもジョージが銀貨を持っている事もおかしいのよ。普通王族は貨幣なんて持たないでしょう?」

 カイルは公爵令嬢も銀貨の存在など知らないはずだと思ったが、あえて口にしない事にした。

「軍人は全て給料制です。隊長も例外ではありません。隊長の場合、金銭感覚に関してはテオ様の影響だと思いますので、王子らしくないのは見逃してあげて下さい」

 ライラはもう少しテオと話したかったなと思った。ジョージの祖父だけでは片付けられない凄さがある気がしてきた。

「赤鷲隊隊長のお給料はどれくらいなの?」

「私は存じ上げません。隊長の給料を決めるのは国王陛下ですから。ただ王宮内の部屋代は差し引いていると言っていましたよ」

 ライラは不思議そうな顔をした。王族であるジョージが自分の部屋の代金を払っている。そんなおかしな話があるだろうか。しかし彼は食事も入浴も兵舎で済ましている。

「ジョージが料理長の食事を食べているのはそういう事なの? それだとジョージがいない間、私は食事をどうしたらいいの? 王宮の料理の代金をジョージが払うの?」

「いえ、本来でしたら王宮の食事を召し上がって頂くのが筋なのです。隊長が赤鷲隊兵舎で食事をした方が隊の結束に繋がるという建前で、口に合わない王宮の食事を断っているだけですから」

「つまりジョージがいない時、私一人で食事ではなくて王家の皆様と食事なの?」

「それは自由です。王宮の食堂で食事をされるのは国王夫妻とフリードリヒ殿下だけと聞いています。その他の方々は御自分の部屋みたいですよ」

「一人の食事に戻るのは寂しいわ。ここは賑やかで好きよ。ジョージが王宮にいる時は私も赤鷲隊兵舎で食事をしてもいい?」

「それは隊長に聞いて下さい。本来でしたら兵舎は女人禁制です。今回は誘拐騒動があったから特例なのです。勿論隊員は本来の理由を知らずに勘違いをしたままですけれど」

「例の噂ね。でもよくその噂だけで、私がここにいる事を皆見逃しているわね」

「今は休戦中ですし、隊員に不都合があるわけでもありませんから。ただ、お二人を見かけたからか、休暇届を出す隊員が増えて少々困っていますけど」

 カイルの言葉にライラは首を傾げた。

「休暇届? 何の関係があるの?」

「妻に会いたくなったと何人か言って来たのです。お二人を見ていたら自分も妻の笑顔が見たくなったと。そのうち一人は妻に追い返されたと帰ってきましたけどね」

「追い返されてしまったの? 可哀想に」

「都合を聞いてから帰った方がいいですよと全員に伝えたのですけど、彼は大丈夫と言って出ていって二時間もせずに戻ってきました。家がハリスンですから往復時間を考えると滞在時間は数分だったでしょう」

「折角愛する夫が帰ってきたのに数分? 喧嘩でもしたの?」

「夫婦だからといって必ずしも愛し合っているとは限りませんから」

「寂しい事を言うわね」

「私は幸せな家庭で育っていませんから現実主義なのですよ。政略結婚で愛情が芽生える方が珍しいのですから」

 ライラは無言でカイルを見た後、視線を落とした。今日は頭の中を整理していて忘れていた。また夜が来たのにジョージとどう接したらいいのかの答えが出ていない。一人で考えて整理出来るだろうか。レースを編めば落ち着くだろうか。

「どうかされましたか?」

 カイルに聞かれ、ライラは慌てて別の理由を探す。

「気にしないで。私の両親はとても仲が良かったから違和感があって」

「ライラ様のご家庭はそもそも政略結婚ではないではありませんか。ライラ様だけが例外なのでしょう?」

「そうね。両親もよく私を二十二歳まで文句も言わず置いてくれていたと思うわよ。普通なら二十歳過ぎの娘が家にいたら周囲が煩いでしょうに」

「求婚されても全て断っていたのですか?」

 カイルの問いにライラは笑った。

「何を言っているのよ。私に結婚を申し込む男がいるわけがないでしょう?」

「舞踏会に参加されていなかったのですか?」

「数回は出たわよ。その後は適当に理由をつけて断っていたけれど」

 カイルは少し残念そうな顔をしてライラを見た。彼女は最初高嶺の花に見えた。綺麗で気品があり聡明な公爵令嬢。平凡な男が声をかけるのは簡単ではないだろう。しかも話した所で彼女の興味を引くのは至難の業。そう考えると彼女が恋愛と無縁で生きてきたのも仕方がないのかもしれない、と彼は思った。

「舞踏会では凛としている事でも強要されていたのですか?」

「されてはいないわよ。だけど興味のない人に愛想笑いするのは好きではなかったの。外交官になった後はそれも必要だとはわかったけど、その頃には既に私は残念な女扱いよ」

「この結婚話がなかったら外交官として一生独身で暮らすおつもりだったのですか?」

「同僚の男達の視線は冷たかったし、父の側には家を継ぐ弟がいる方が自然だから潮時だったのよ。だから結婚話がなかったら、家庭教師にでも転職していたかもね」

 ライラが笑いながらそう言った時ノックする音が響いた。カイルは立ち上がると扉を開ける。ジョージは手桶を持って部屋の中に入ってきた。カイルはゆっくり扉を閉める。

「隊長、兄から返事が届きました」

 カイルは胸のポケットから手紙を取り出した。ジョージは手桶を床に置き、手紙を受け取った。封筒の表には赤鷲隊隊長ジョージ殿と書かれている。

「俺の代筆で手紙を送ったのか?」

「いえ、私名義で書いたのですがこうなりました」

「ウォーレンとカイルの仲はいいのか悪いのかわからないな」

 ジョージは椅子に腰掛けると、机の上に置いてあるペーパーナイフを手に取り、封を切って手紙を読んだ。

「カイル、余計な事は書いてないよな?」

「余計が何を指しているかわかりませんが、私は次兄に情報を漏らす気はありません」

 ジョージは無言で手紙をカイルに渡す。カイルは手紙を受け取り、目を通す。手紙を読み進めていくうちにカイルの表情が険しくなった。

「何? どうしたの?」

 ライラは不思議そうに尋ねた。そもそも彼女はウォーレンに何をお願いしたのかもわかっていないので、返事がどのようなものかも見当がつかない。

「それ、ライラにも回して」

 カイルは手紙をライラに差し出す。彼女はそれを受け取り読み始めた。

――敬愛なるジョージ殿 ご無沙汰しております。先日ハリスンへいらしたのに、こちらへは何の挨拶もございませんでしたので、もう忘れられているのかと思っておりました。手紙の件は承知致しました。明日十時に軍団基地まで馬車を迎えに出しますので、どうぞお二人でいらして下さい。私も某要人に求婚されたという姫を拝見しとうございます。それでは、明日会えるのを楽しみにしております。 ハリスン領主代理ウォーレン――

「何故求婚の事を知っているのよ?」

「ウォーレンの情報網はこちらより優れてるという事だろう。しかも知っていたのに黙っていた。相変わらずだよ」

「聞いたら教えてくれるの?」

「どうだろうな。明日行ってみないとわからない」

「申し訳ありません。兄の不遜な態度、代わりに謝ります」

 カイルは頭を下げた。

「気にするな。時間は指定されているが、こちらの希望通り馬車を出してくれてる。十分だ」

「何故わざわざ馬車なの?」

「領主の家に王子と姫で行くから。だから態度は相応に」

 ジョージの言葉にライラは怪訝そうな顔をした。そもそも手紙の件としか書かれておらず、結局ジョージが何をお願いしたのかわからないままなのだ。

「馬車が来ることは門衛に私が伝えておきます。それでは、おやすみなさいませ」

「あぁ、宜しく。おやすみ」

 カイルは一礼すると執務室を出て行った。ジョージは手桶を持ち上げ寝室へと運んだ。ライラも立ち上がり寝室へと向かう。

「何をお願いしたの?」

「うちの姫が入浴したいと言っているので、浴室を貸して欲しいと」

 ジョージの言葉にライラは眉根を寄せた。あの会話からその内容をどうやって二人の中で成立出来たのか彼女にはわからなかった。

「建前だ。俺がウォーレンに会いに行くのは自然じゃない。だけど本当に用意してくれると思うから、ゆっくり入るといいよ。その時間を使って話をするから」

「それだと私は話を聞けないのね?」

「どうせカイルに話さなければならない。ライラに秘密にはしないから」

「わかったわ。建前だとしても気を遣ってくれてありがとう」

 ジョージは微笑むと寝室の扉を閉めた。ライラは明日ゆっくり入浴出来るならと、今夜は身体を拭くのを簡単に済ませる事にした。

 ライラは寝衣に着替えると寝室の扉を開けた。ジョージは机に向かって書類に目を通している。査定書類はまだ残っていそうだった。

「ジョージ、邪魔になるだろうから私はこっちでレースを編んでいるわね」

「あぁ」

 ジョージは書類から目を離さずに答えた。ライラは静かに扉を閉めると、鞄からレース編みの道具を取り出してベッドの中に入る。枕をヘッドボードに立てかけ、そこに背中を預けるとレースを編み始めた。

 自分の気持ちを整理しようとライラは思った。調印式の時のジョージを恰好良いと思った。そもそも男性を格好良いと思った事が初めてだった。多分ここから浮かれていたはずだ。彼に似合うのはどんな指輪だろうと考え作成を依頼して、結婚式用のヴェールも自分でレースを編んだのだ。エミリーが恋愛話をと言っていたのは心を見透かしていて、自覚して欲しかったのかもしれない。だけど王宮にいたら自覚出来ただろうか。二人で旅行したからこそ、距離が縮まり自覚出来たような気がする。旅行初日はそんな事は考えられなかった。でもハリスンの時には抱いて欲しいと思った。むしろ抱いてくれると思ったのに、それが叶わなかった。彼と同じ気持ち、結局ここでわからなくなる。何が違うのだろう? 彼は自分の事で頭がいっぱいになればいいと言っていたが既にそうなっている。それを伝えればいいのだろうか。しかしどうやって? 言葉で説明して納得してくれるのだろうか。口付けをしている時のあの幸せを彼は感じていないのだろうか。だけどきっとこのまま流されていては駄目だ。従順な女は好きではないと言っていた。考えなければいけない。彼が望んでいるのは何? 抱く気もないのに胸を触る心理を理解なんて出来るだろうか。

 ライラはレースを編む手を止めた。このまま編んでいても集中出来ず、目が不揃いになりそうだった。彼女は道具を袖机に置くと枕を直してベッドに寝転がり壁の方を向いた。掛布の端を片手で握り胸の前で固定する。今夜は流されない、そう決意して。暫くしてノックする音がしたが彼女は返事をしなかった。目を閉じて寝ている振りをした。寝室に入ってきたジョージは、そんな彼女に声をかける事もなくベッドへと潜り込んだ。掛布の中で手を伸ばし彼女の空いている方の手を探り当てると指を絡め、彼女の首筋に口付けをする。しかし彼女はそれに反応しなかった。

「おやすみの口付けはしないの?」

 ジョージはそう言いながらライラの首筋に再び口付けをする。しかし彼女は目を閉じたまま動かなかった。

「もしかして怒ってる?」

 ジョージの言葉にライラは首を小さく横に振った。

「でもその手、掛布の端を握りしめてるのは抗議じゃないの?」

 ライラは首を縦に振った。

「それならもう触らないからこっちを向いて。口付けをしよう」

 ジョージの声色が昨日と違う。昨日は明らかにからかっていたのに、今日はどこか不安気である。ライラは声の変化に気付いたものの、理由がわからなかった。

「何かあったの?」

「別に。何で?」

「普段のジョージなら私に怒っているかなんて聞かないと思って」

 ライラはあえて振り向かなかった。ジョージは絡ませている指に力を入れる。彼女は困ったように微笑んだ。

「流石に痛いわよ。指が折れたらどうするの?」

「ごめん」 

 ジョージは指から力を抜いた。ライラは離れていく彼の手を優しく掴んだ。そして掛布の端を手放すと彼の手首に添えた。

「ジョージは何で口付けをしたいの?」

「うん」

 ジョージの答えにライラが笑う。

「何、それ」

「うん」

 ライラはジョージの態度の意味がわからない。

「うん、ではわからないわ。私が鈍いとわかっているでしょう?」

 ジョージは腕に力を入れてライラを抱き寄せた。しかし何も言わない。彼女は両手を彼から離して寝返りを打とうと思ったのだが、思ったより彼の腕の力が強くて身体が動かなかった。

「レースを編むと言ったのに先に寝ようとしていたのが気に障った?」

 ジョージは答えようとしなかった。ライラは苦笑を零す。

「今まではレースを編んでいると無心になれたの。でもジョージの事を考えていると無心になれなくて、レースも綺麗に編めなくなってしまったの。これ以上私を混乱させるような事は出来たらやめて欲しいのだけど」

 ライラはジョージの腕を軽く叩いた。彼の腕の力が緩む。その隙に彼女は寝返りを打って彼の顔を見る。彼は少し自信なさげな表情をしていた。それを見て彼女は首を傾げる。

「やっぱり何かあったの?」

「いや、本当に何もないよ」

 ライラはじっとジョージを見つめた。彼はすぐに視線を外した。やはりおかしい。

「そう。でもその顔はらしくないわよ」

 ライラは両手でジョージの唇の横をつまむと両方の口角を上げるように引っ張った。

「ジョージの笑顔が好きだから笑ってよ。私が何かしたのなら言って。本当にわからないから」

 ジョージは首を横に振りながら微笑んだ。ライラは手を離す。

「本当にライラは何もしてないよ。俺の問題だから気にしないで」

 ライラはジョージの言葉に嘘はなさそうだと思ったが、彼の笑顔がどことなくぎこちない原因がどうしてもわからなかった。

「私に遠慮はしなくていいから。その、私に触れる事でジョージの悩みの解決の助けになるなら、好きにしていいわ」

 ライラは恥ずかしそうにそう言うと、ジョージの手を掴んで自分の頬に当て、彼の瞳を見つめた。彼は困った様な表情をしている。

「気持ちだけ貰っておくよ」

 ジョージはライラの頬から手を離した。彼女は表情を歪めながら身体を起こした。

「何よそれ。ジョージは私と口付けをしたくないの? 私の事を本当は好きではないという事?」

「いや、そんな事は言ってない」

「それなら何故しないの? さっきしようと言った時にすぐ振り返らなかったから? それはいつもと雰囲気が違うから嫌だったの。ジョージが何を考えているか知りたかったの。考えてから言葉にしようと思ったの。でも私には難しすぎる。こんな雰囲気なら、いつもみたいにからかってくれた方がいいわ。何故喧嘩したみたいになっているの。こんなの嫌。まるで私が片思いしているみたいで苦しくて堪らないわ」

 ライラは一気にまくしたてた。やはり自分には何か考えてから口にするのは向いていないと思った。考える方が上手くいかない気がしたのだ。そんな彼女の言葉を聞いたジョージは、少し苛立ったような表情をしながら起き上がる。

「片思いってこっちの台詞だと思うんだけど。俺は本気でライラの事を愛しいと思っているし、ライラも同じように思って欲しくて、色々と俺なりに試行錯誤をしてきたんだよ。やっとその希望が見えてきたのに、何で俺以外にも心を開くの?」

 ジョージの言葉にライラはきょとんとした。彼の言葉の意味が彼女にはわからなかったのだ。

「何の話?」

「……少し頭を冷やしてくる」

 ジョージは立ち上がろうとした。それをライラは彼の腕を掴んで引き止める。

「待って。話が見えない。心を開くとは誰に? まさかカイルの事を言っているの?」

 ジョージは辛そうな顔をしながらライラを見つめた。

「ジョージがエミリーを信用してくれたように、私もカイルを信用しているのだけれどいけなかったの? カイルは実はジョージの右腕ではないの?」

「カイルは俺にとって唯一無二の存在だよ。カイルがいなければ隊長職はままならないと思ってる」

「それなら何故? カイルとは長い付き合いになるだろうから面倒な事はしたくなかっただけ。というか今はカイルの話なんて要らないでしょう? 二人きりの時に余計な人を出してこないで」

 ライラの言葉に今度はジョージがきょとんとした。

「余計って」

「他の人はどうでもいいの。私はジョージの事で今いっぱいだから、ジョージも私の事だけを考えていてよ」

 ライラはジョージに抱きついた。悔しくて涙が出そうで、それを見られたくなかった。

「本当に変わってるね。俺なんかのどこがいいの」

「俺なんかなんて言わないで。私の好きな人を侮辱するのはたとえ本人でも許さないわ」

 ライラの言葉にジョージが力なく笑う。

「俺はそんなにいい人じゃないよ。勘違いしているんじゃない?」

「騙されているならそれでもいいわ。でももうジョージは私にとってかけがえのない人なの。もし休戦協定が破棄されてガレスに帰れと言われても、私はジョージの側を離れないから覚悟をしておいて」

 ライラはジョージを抱きしめる力を強めた。

「休戦協定が破棄される事態になったら、そんなレヴィに俺はもう愛想を尽かして隊長職を放り投げてケィティに逃げ込んでるかもしれないよ」

「それなら追いかけていくまでよ。語学の家庭教師でもしてジョージを養ってあげるわ」

「俺は無職扱いか。情けないな」

「ジョージが語学を覚えるのを手伝うわ。語学さえ堪能になればきっと商人として成功する。商売が軌道に乗るまで支えるという意味」

「そんな未来は望んでいないけれど、それはそれで楽しそうだ」

 ジョージの声色が普段に戻ってきているのをライラは感じていた。

「ジョージと一緒なら私はどこででも楽しいと思えるわ。ジョージもそう思ってはくれない? 私ではまだまだ力不足かしら?」

「いや。ライラは悪くない。俺の問題だから。でももういい」

 ジョージはライラを抱きしめ返すと、ゆっくりと彼女と共に身体をベッドに横たえた。

「ライラ、ウルリヒに俺が妾を何人持ってもいいと言ったのは本気?」

「何故その話まで聞いているのよ」

「ウルリヒが勝手に喋ったんだよ。口止めされていなければ、何を話してもいいと思ってるから」

 ライラは小さくため息を吐いた。

「ジョージが幸せになるのに私ではない女性が必要ならば、それを受け入れるという意味で言ったの。そういう器の大きい女性を演じただけ」

「実際は嫌?」

 嫌かと聞かれてもライラにはわからなかった。彼女はやっと恋愛感情を認識したばかりで、嫉妬という感情は認識していない。彼女は美人であり聡明であるので、他人に嫉妬するという事をせずに生きてきたのである。

「ジョージが望むなら受け入れるわよ。私より魅力的な女性が星の数ほどいるなんて事くらいはわかるし、そういう女性が勝手に寄ってくるでしょうし」

 ライラの言葉にジョージは笑う。

「寄ってこないよ。俺はもてないってわかるだろう?」

「それはジョージが面倒で適当にあしらっていただけではないの?」

「赤鷲隊隊長という肩書に惹かれてる女性は確かにあしらったけど、俺個人を好む女性なんていないよ」

「それはジョージが人と話す事を面倒だと思っていたからではないの? 話せばきっと皆心惹かれるわ」

「俺は信頼出来る人とそうでない人には対応が違う。女性は信頼し難いと思ってる。正直ライラ以外の女性に心を奪われる気がしない。ライラは俺の中で特別なんだ」

 ライラは頬が紅潮するのを感じた。彼女は恥ずかしそうに彼の肩に顔を埋めた。ジョージはそんな彼女の髪を撫でる。彼女が他の男に心を奪われるなんて、何故思ったのだろうか。彼女が他の女性と違うのは最初からわかっていたはずだ。自分さえしっかりしていればそんな事ありえないではないか、と彼は気付いた。

「嫌な態度を取って悪かった。俺の愛情が足りなかった」

「足りなくないわ、むしろ多いくらいよ」

「いや、全然足りてない」

 ジョージはライラの頬に手を添えると、自分の方に彼女の顔を向けさせた。彼女はまだ少し頬を紅潮させていて恥ずかしそうにしている。こんな表情、他の誰にも見せていないはずだ。彼女の心の一番奥はきっと他の誰も見られない。

「質問を無視してごめん。ライラと口付けをすると幸せな気分になるからしたいんだ」

「本当? 私の反応をからかっているだけじゃない?」

「違うよ」

 ライラは嬉しそうに微笑む。

「私も幸せな気分になるの。一緒なら嬉しい」

 はにかみながらライラはジョージを見つめた。彼も優しく微笑む。彼女が瞳を閉じると、彼は優しく唇を重ねた。二人はお互い幸せを噛みしめるように何度も口付けを交わしあった。

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