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名前のない英雄譚【無能の白銀騎士】  作者: 木ノ添 空青
神殺しの少女編

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走れ。もっと遠くへ。

 ふわふわとした感覚から一転、どこか高い場所から飛び降りているような感覚に陥ると共に、目の前が真っ白に変わった。

 体が上下に引き伸ばされるような感覚と、速度を上げて落下している気分はお世辞にも心地良いものでは無い。


 次第に内臓が持ち上がる感覚へと変わり、とてつもない吐き気に襲われた。

 そんな感覚をしばらく堪えていると、だんだんと体が落ち着きを取り戻していくが、同時に強い上昇感が押し寄せ、吐き気が限界を超えそうだった。


「おぇっ……。気持ち悪っ」


 無意識に口から気持ちが漏れたが、発した声は情けなく震えていた。

 真っ白だった景色が彩りを取り戻すと、照明のあった室内だったとは思えないほど暗い景色が広がった。


 ここが屋外だと理解した頃には、転移は完全に終わっていたらしい。

 急に戻ってきた重力に負けて膝から崩れてしまった。


「お、おえぇ……。酔った。えぇ……、帰りはもっかいこれやるの? もうトラウマなんですけど」


 ヨボヨボとおぼつかない足が着いた場所は、どうやら森のど真ん中らしい。


 闇に眼が慣れてから見回すと、周りは少し開けていて、よく見ると足元に奇妙な模様の石が置いてあった。どうやらこれが転移地点なのだろう。ついでに目印も見つけておかないと。


「よ、よし、行こうか。……って、ここどこだ?」


 周りを見ても木、木、木。……そう、森だった。

 確か、助手さんの話では、“拉致られた”山村付近とか言っていたし、とりあえず歩いてみるか。


 王都に向かうんだよね。えっと……リフィールから見れば北東だったな。


 ――待て、北ってどっちだ?


 白虎隊時代の訓練を思い出し、空を見上げて星の位置を確認する。

 淡く輝く月光と透き通った星空……がない!?

 空にはどんよりとした雲が広がっている。

 

……大丈夫、大丈夫。

 あ、そうだ! 確か切り株の年輪を見れば方角が分かる。年輪が狭い方が北だとか聞いた気がするぞ。よし、それじゃあ……。


 ――ちょっと待て、どうやって切るんだ?

 ……まだだ、まだ大丈夫。忘れ物なんてなかった。方位計なんて知らないよ。


 ふふ。こうなったら仕方ない。本当は使いたくなかったけど……。


 最終手段『奥義・勘頼みッ!!』


 ……なんとなく風が暖かいから、この反対側が北!! だと思う。


「よ、よし。行ける。王都は北東、こっちを向いて、ちょっと右」


 まぁ、なんかの近くには出れるだろう。

 あとはひたすら走る。一度訪れた場所だし、走っていれば、見覚えのある景色にも出るだろう。


 ……どうやら今の僕は本当に無能だったらしい。

 この事実を自分で再認識する瞬間ほど辛いものはないな。


「いやいや、諦めるな。脱無能だ!」


 軽く飛び跳ねて体をほぐしながらゆっくりと歩き始め、少しずつ加速していく。

 ずっと引きこもり……じゃなくて、捉われていたし、やっぱり以前みたいには走れないな。

 それでも地面を蹴り上げ、一歩一歩前へと体を運んで行く。


 帰ってきたんだ。久しぶりの故郷に。

 かぐやが帰りたがっていた、特別な景色なんだ。

 この景色を見せてあげたい。絶対に助け出す。

 あんなに無機質で感情のない天井を、かぐやが最後に見る景色にしちゃダメなんだ。

 他のどこでもない、この空の下に帰してあげるんだ。


 喜んでくれるかな? 少し眩し過ぎるかな?

 もうすぐ助けてあげる。だから、もう少しだけ。


「頑張れっ……。僕も、頑張るからッ!!」


 背中を押してくれる夜風に言葉を託し、バラバラになりそうなほどひたすら地面を蹴り上げる。

 かぐやとの思い出を残して来た屋上まで届くように祈りを込めて。


 歩調を急かす懐かしい風の匂いに誘われ、白虎隊時代の記憶までもが蘇る。

 抗えない息苦しさに気が付いた時には、もう涙が止まらなくなっていた。


 ……くそっ。悔しい。

 どうしようもないほど悔しくて仕方が無い。

 まだ、……まだ届かなかった。

 あのたった数歩の距離と、あんなガラスの壁一枚に。


 変われッ、変われッッ!! 変わらなきゃ!!


 そういえば、あの日も僕は走っていた。

 忘れもしない、ベルと一緒に補給任務へと向かったあの日。


 疲れたからと立ち止まりながら、手の届かない空ばかりを見上げていた。目的地である前を向かずに。


 ――でも今は違う。

 もう立ち止まれない。空を見上げる余裕なんてなかった。

 霞む視界を拭くこともせず腕を振っていると、ゴドナーに焼き付けられた傷が泣き叫ぶ。


 獣も通らない道なき道を必死で駆け抜け、行く手を阻む枝葉に何度も顔を切りつけられた。

 塩辛い涙が枯れる頃、鬱蒼としていた視界がようやく開けた。


 僕の目の前に伸びていたのは、あの山村から王都へと続く、いつかの一本道だった。

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