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この男は……

 謎の少女が残していった血痕の片付けを終えて部屋に戻ったのだが、さっきの少女が脳裏から立ち去ることはなかった。


 だいぶ痩せ細った身体。

 僕を押し退けた力の軽さ。

 血まみれで今にも壊れてしまいそうな表情。


 その姿は、夕食が運ばれてくるまでひと眠りしようとする、僕の精神を揺さ振り起こした。


「あの子も、実験の協力者なのかな? それにしてはあまりにも……」


 なんとか手掛かりを掴もうと、ここ一ヶ月の記憶や会話を辿ってみたが、今までこの施設で同じ様な人を見かけることなんてなかった。


「僕みたいに拉致されて来た人かなぁ?」


 どこかで見覚えがあるような気がしていたのだが、それはアストピアにいた時の記憶も同じ。

 あの少女に似た同期はいない。やっぱり、こっち側の人なのか……?


 なんだろう、あの子の姿に心のなにかが引っかかる。

 記憶がかき回されるような、胸が締め付けられるような。

 いや、あんな姿を見せられては致し方ないのか。


「……あの子、どっかで見たことあったかな。やっぱり騎士学校の人か?」


 何度辿ってもあの顔に一致する人物は記憶にない。

 でもそんな記憶とは裏腹に、素性の知れない謎の少女に、僕の思考が支配されていった。


「あの子、いま何してるんだろ……」


 僕はここに来てから、ああだこうだと言われながらも、部屋も寝床も用意してもらい、食事も三食出て、欲しいものがあればある程度なら対応してもらえる。

 "拉致された"という強引な手段に目を瞑れば、文句も付け難いような、至れり尽くせりな環境だ。これでもそれなりに気を使ってもらっているのだろう。


 実験だって苦痛も無く(騒がしい金髪メガネの小言は例外だが)、恐怖がどうとか煽る割には、トイレを我慢していればそんな時間も終わってしまう。

 あの大げさな天井吊りさえなければ、何かの機材を身体に埋め込まれることも、謎の管を刺される事も無い。

 でもそれは、“僕の場合は”、だが。


「アストピアの人が宿す精霊の力を利用する実験施設とか言ってたっけ。なら、僕以外のアストピア人がいたってあまり不思議じゃないよなぁ」


 考えられる可能性は一つ。

 僕が知ってる実験とは違う何かが、この場所で進められているかもしれないという事。


「ここの人たちは何をしてるんだろ。そもそも何が目的でこんな場所を……」


 忘れかけていた誤魔化せない疑心に、少しづつ心が飲み込まれていく。


「……ダメだぁ、分かんないや。まぁ、僕に理解できるはずもないか」


 堂々巡りに嫌気が差してソファに体を投げ出した時、部屋の扉が小さくノックされた。


「はい、どうぞ」

「食事だぞ。食い終わったら、いつもの場所に出しとけよ」


 無愛想ながらも僕の目を見て声を掛けてきたその人は、扉が開いた目の前に備え付けられた棚の上に、銀色のトレーを置いて出て行った。

 待ちに待った夕飯の時間になっていた。空腹を刺激するいい匂いの晩御飯だ。


「は、はい。ありがとうございます。……って、なんでこんなに馴染んでるんだろ」


 出された食事を疑う事も無くいつものテーブルに持ってくる。

 知らず知らずのうちに、この生活への違和感も忘れてしまいつつあった。


「もしかしたら同郷かもしれない女の子のあんな姿を見ちゃった後に、呑気にご飯なんか食べてる場合じゃないんだけどなぁ」


 でも、自分に何が出来るかなんて、それこそたかが知れている。

 なんの情報も無く首を突っ込んでも、とっ捕まってこの唐揚げのように……。


「ちくしょう、めちゃめちゃ美味しい」


 なんとか自分の中で折り合いをつけて食事を取っていると、再び部屋の扉が開いた。


「邪魔するぞ少年」


 これはまた珍しい。至福なひと時にこの顔を拝むことになるとは思わなかった。


「おっううあいいえうああいお!!(ノックくらいしてくださいよ!!)」

「飲み込んでから喋れ。咀嚼中の牛か貴様」

「んぐっ。ノックくらいしてくださいってば」

「居候の分際で意見する権利があると思わないことだな、この穀潰しが。牛の方がまだ可愛気があるではないか」


 こちらの怪訝な顔とは対照的に、にこやかな顔を浮かべられた。

 表情と言葉があってない。

 そもそもあんたのせいで居候してるんですが。


「んで、何か用事ですか」

「実はな、どこかの無能な実験材料の為に、わざわざ実験装置をグレードアップしてやることになってなぁ。誰とは言わんが迷惑な奴だと思わんかね」

「本当に迷惑な穀潰しがいたもんですねぇ。早くアストピアに帰したらどうですか? そんな奴」


 いちいち癇に触るなぁ。さぞかしご友人が少ないんでしょうね。研究が友達とか言ってる寂しい人なんでしょうね。

 そんな文句が口から出てしまいそうになりかけ、サラダの上に添えられた小さなトマトを二ついっぺんに頬張った。


「まぁ、そんなクソガキの話はどうでもいい。明日の実験は無いからな。実に異常極まりない貴様の為に、素晴らしい装置を開発したのだ。明日はその組み込みを行う。楽しみにしておけ」

「えぇ~めちゃめちゃ光栄です~。あざ~す。……んで? 明日は何させるんですか」

「んなこと知らん。私は貴様の母親か? 貴様が勝手に考えろ」


 僕の扱いが本当に雑だなこの人。


「知らない国の名も知らない場所で予定が空いたとか言われても、ひたすら時間を持て余すだけなんですよ!」

「ええい喧しい奴だ。この研究棟内であれば出歩いてもらって構わん。ふむ、そうだな。貴様らの国との文明の差を思い知る散歩でもするがいい」


 今日も実にお高いところから言葉が降ってくる。


「……そ、そうですか、それじゃあ勉強させていただきますよ」

「まぁ、勉強になるかは保証しかねるがな。なにせ人智の及ばぬ代物ばかりだからな」

「あ、そすか……」


 どっかの装置、ネジの一本でも外してやろうか。そのクソガキとやらの旺盛な好奇心をなめてもらっては困る。

 そんな僕の企みなど意にも介さず、博士は僕の晩御飯を覗き込んで手を伸ばした。


「しかし実に贅沢な食事だな。貰うぞ」

「あぁっ!! それ最後の楽しみにとっておいたのに!!」


 お馴染みの高笑いを決め込み、僕の食器から大きめの肉団子を摘まみ、躊躇なく口へ放り込んだ。


 あぁ、その手を――って壁で拭いた!?


「……この金髪に呪いあれ」

「何か言ったか?」

「いいえ~、なんにも」


 当の本人は得意気に右手でメガネを押し上げている。今日はストレスで寝苦しくなりそうだ。

 博士に心からの軽蔑を申し上げ溜め息を吐くと、忘れていたモヤモヤが蘇った。


「あの、聞いてもいいですか?」

「ん?」


 白衣のポケットに手を突っ込み、なんだと言わんばかりにこちらを向いた。


「その、今日の実験後に、顔中血塗れの女の子に会ったんですけど、あの子は?」

「……そうか、見てしまったか」


 そう呟くと博士は片手を顎に当て、何やら考え始めた。

 直後、どこからか取り出したファイルをパラパラとめくると、あるページを確認してこちらに顔を向けた。


「ふむ。生憎だが機密事項のようだ。私も雇われでなぁ、一応規律というものは守らねばならん」

「じゃ、じゃあ、もう一個。僕以外にもアストピアの人はいるんですか?」


 同様にすぐ断れるかと思ったが、意外にも悩んでいる。

 やがて、まぁいいかと呟いて博士は続けた。

 ありがたくはあるが、ご覧の通り勤務態度は不真面目らしい。


 そして博士は不気味に間を置き、静かにこう告げた。


「お前、ここが何か知っているか?」

「……へっ?」

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