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entrée~踊る者と踊らない者:8つの成長物語~  作者: nokal


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第4話 片瀬 夏夜

 04

 

 ――(ゆう)が、夏に帰ってくる?

 ――ええ。まあ、正確には夏じゃなくて初夏やけど。やから、あんた色々話聞いてやってや。

 ――なんで、あたしが。

 ――あんた、人生の先輩やろ。可愛ええ弟の悩みの一つや二つ、聞いてやってよ。

 ――それゆうなら母さんやろ。あたし、バレエとかようわからんし。男の子やし……。

 ――母さんは母さんで忙しいんです。じゃ、頼むから。

 

「ちょ、母さんっ……――って、切れとるし」

 ツーツーと途切れた通話音が耳に残った。

 母親――明子(あきこ)とそんなやりとりをしてから、早二ヶ月。

 遠い国立バレエ学校で学ぶ弟――夕が帰ってくる日は、あっという間に目前に迫っていた。

 

 国立バレエ学校の休暇期間は、大学の休みよりもずっと早い。

 そのため、今日も片瀬(かたせ) 夏夜(かよ)は二時間かけて火曜大学の講義に出ていた。

 

 幸い履修している講義は午前中のみだ。

 講義を終えたら、用を済ませ、急いで帰宅する予定になっている。

 かつて長く続けていたバスケットボールは、今はもうやっていない。

 数年前に、明子の知り合いの建築家のもとで、スタジオ改修を手伝ったことがきっかけとなり、夏夜はその建築という職業に強く惹かれた。文理でいうと理系だったこともあり、進路の変更は意外と容易だった。

 そして、志望の大学に合格し、今に至っている。

 

 ――弟かぁ。元気にしとるんかねぇ。

 

 そんなことをぼんやり考えながら過ごしていると、最後の講義はあっという間に終わりを迎えた。

 昼休みのチャイムと同時に、夏夜の腹の虫が「ぐぅ」と控えめに鳴る。

「夏夜。昼ご飯、どないする? うちら学食行くけど」

「えー、んー、パス。ちょい急がなあかんねん。教授のとこ行ってから帰るわ」

「そう。んじゃ、またー」

「はーい」

 友人たちを見送り、夏夜も荷物をまとめ始める。

 

「……んも、建築学生ってなんでこんな荷物多いんかな……」

 

 ノートパソコンにiPad、大量の教材をリュックに詰め込んだ。重たいリュックを背負い、肩には図面収納ケース――【通称バズーカ】。手には鞄に入りきらなかったペットボトルと携帯電話。まるで引越しのような大荷物を抱え、夏夜は教室を出た。


 

 広いキャンパスは移動するだけでも時間がかかる。昼食に向かう学生たちの人並みを縫うようにして、夏夜は建築学科棟にある教授の研究室へ急いだ。

「せんせー。おりますかー?」

 

 返事はない。

 恐る恐る電気のついていない研究室に足を踏み入れ、壁際のスイッチを押す。

 

「わぁっ!」

「え?……ぎゃぁ!」

 ゴン! ドン! ガラガラガッシャーン!

 足元に広げられていた模型と図面の山が雪崩のように崩れ落ち、夏夜はその波に飲み込まれて尻餅をついた。

 一方、崩れた山の陰から現れたのは、四〇代半ばほどの男性だった。黒縁メガネを直しながら、彼は小さく笑う。

 

「いやぁ、すまんすまん。資料を床に広げてたもんで。大丈夫か?」

「あ、はい……ってか先生、ここにおったんですね」

 

 男性は散らかった図面をまとめながら机に置く。胸元のネームプレートには『山本(やまもと) 浩太郎(こうたろう)』と記されていた。

「今日は、どないした? ――あ、図面の返却やったな。ちょっと待ちや」

 夏夜は近くの椅子に腰を下ろし、山本の背中を見つめた。

 山本がシェードを開けると、強すぎない初夏の光が研究室に差し込み、積み上がった模型やスケッチを淡く照らした。ほのかな木材の香りが混じった空気に包まれて、夏夜は自然と姿勢を正した。

 

「――せんせ」

 

 不意に夏夜は声をかけた。

「先生は、“青春”したことありますか?」

「へ?」

 

 意外な問いに山本は振り返る。夏夜は真剣な顔をしていた。

 揶揄われているのかと思った山本は、人差し指でメガネの縁を正した。

 

「急にどないした。悩みか? 一回、五百円やで」

「いや、金取らんでください。てか、絶妙に突っ込みずらい値段、やめてください」

「かんにんな。おじさん、恋人には困っとらんねん」

「いや、せやかて、勝手に誤解しないでください」

 

 夏夜は深くため息をついた。

 

「青春って、なんも、恋愛のことを言うてるわけじゃありません。青春は、好きなことに全力投球したことを言うんです。せんせは、そういう経験、ありますか?」

「え、なんや。そなの? 最近の若い子が使う言葉は難しいなぁ」

 山本は図面をまとめる手を止め、しばし考え込んだ。薄暗い研究室に差し込む初夏の光の中、彼はふと優しい笑みを浮かべる。

「全力投球なぁ。……まあ、おじさんこうみえて、中高と“かるた”やっとってんな。割と真面目に」

 

 ――かるた?

 

 夏夜は聞きなれない答えに、思わず目を瞬いた。意外すぎて、言葉が出ない。

 ただの建築オタクだと思っていた。(もちろん、褒め言葉である)

 

「かるた部に所属して、地域のクラブにもはいとった。かるたってな、段位もあってな、一番上のA級とったわ。あの頃は、学校の勉強終わったら、すぐに部室行って、先輩たちが来る前に準備して、試合して。帰り道は真っ暗やけど、空の明るさで季節を感じ取ったわ」

 山本が淡々と語る声には、過ぎ去った季節の熱が宿っていた。夏夜はゴクリと唾を飲み込み、彼の話に思わず耳を傾ける。

 

 ――中学は地元の学校やったし、クラブの方が中心的やったから、友達とわいわいって感じやなかったんけど、高校でかるたの強い高校選んで、同期がいっぱい増えて。毎日、ああでもないこうでもないって言って帰り道歩いとった。


 山本は遠い目をして、話を続けた。

 

 ――帰りが明るい時は夏の季節。だんだん暗くなる時は秋の季節。すっかり暗くなってもうてる時は、冬。春になると合宿で朝から晩までみんなと一緒におった。かるたばっかりやってられんへったから、時間見つけては勉強して、宿題終わらないーとか言って、寝不足になったり。

 

 彼の言葉一つ一つが、当時の熱量を蘇らせていく。

 

 ――大会が近づくと授業中もかるたの歌が頭の中に流れてて。ああ、科学の授業全部寝とる日もあった。運悪くそん時一番前の席で、何も聞いとらんかったから、流石に怒られたわ。

 

「……素敵な、青春ですね……」

「そうやな。今思い返すと、ごっつええ体験やった」

 山本は懐かしむように微笑んだ。そして、くるりと夏夜の方を向く。

「――なんでぇ。夏夜ちゃんも全力投球しとったことならあるやろ。ほら、なんだっけ。バレーだっけ?」

「違います。バレエは弟やし、なんならスペルも違いますし。……私はバスケです」

「あーせやせや。よう明子さんに写真見せてもらったわ」

 いや、それで間違えるか、普通?

 心の中でツッコミを入れながらも、夏夜は大きな溜息をついてから、少し笑った。

 

「私もバスケに全力投球しましたよ。でも、結果ダメやったんです。だから今はこうして切り替えて、勉強頑張ろうってなっとるんですけど………なんか、夢追いかけて家出て行った弟見てると、ええなぁって思うんです。若いなぁって」

 

 自分の好きなことに真っ直ぐで、全てをかけて走っていく弟。その背中は、今の夏夜には少し眩しく思えた。

 彼がバレエにかけている時間と、自分がバスケにかけた時間を比べると、当然弟の方がキャリアとしてはまだまだ浅い。だが、それはたまたま自分が弟より少し早く生まれだだけの話。

 夏夜は椅子の背にもたれ、ぽつりとつぶやいた。

 

「頑張ってほしいなぁって……。私の分まで。夢、追い続けてほしいなぁって………」

 

 誰しも、必ず“青春”が永遠に続くわけではない。

 ましてや、“青春”が成功に結びつくとは限らない。

 だからこそ、人はその一瞬を懐かしみ、愛おしく思うのだろう。

 夏夜にとって弟の――夕の青春は誰よりも眩しく、そして心の底から応援したいものだった。

 自分が報われなかったからこそ、その美しい思い出を、弟には成功という美しい形にしてほしい。

 

 ふと顔を上げると、山本がぽかんとこちらをみていた。夏夜は慌てて椅子から立ち上がる。

「って、私何の話してるんでしょうね。すんません。すぐ図面受け取って帰ります」

 ドタバタと立ち上がった拍子に、足元のダンボール箱の角に小指をぶつけてしまった。声も出せず、激しい痛みに顔を顰めて座り込む夏夜に、山本が慌ててしゃがみ込んだ。

「大丈夫かい? そりゃ痛いやろ」

 優しい声色に、夏夜は痛みに耐えながら顔を上げる。近い距離で山本の黒縁メガネが光った。

 

「君は、家族が大好きなんだね」

 

 唐突で、あまりにも核心をつく言葉に、夏夜は思わず目を見開いた。心を見透かされたようで、頬がカーッと熱くなる。

「そういうところ、僕は嫌いじゃないよ」

 山本は床に散らばった資料を拾い集めながら、穏やかに言った。

 

「スタジオの改修も、君が僕にお願いしなければ実現しなかったし。弟くんの夢を誰よりも支える姉って、かっこいいと思うよ」

「……失礼します」

 

 夏夜は顔を真っ赤にしたまま立ち上がり、服の皺を整える。山本が差し出した図面を受け取り、深く一礼して研究室を出た。

 だが、廊下に出てから、ふと足を止める。

「あ、そういえば……東京弁……」

 大阪弁の夏夜とは違う、穏やかなアクセント。

 言いかけた夏夜より先に、山本はにこりと笑って手を振った。

「僕の母親が東京出身なんだ。影響されとるんやろな」

「……さいならっ!」

 夏夜は顔の熱がひかないまま、勢いよくドアを閉めた。

 廊下に乾いた音が響いた。逃げるように大学を後にする夏夜を、午後の柔らかな光が淡く照らしていた。



 ***【Kayo Katase ~fin~】

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