第七話 取調べ
「録音させていただいてもよろしいですか?」
取調室に入るや、私はICレコーダーをバッグから取り出し、机の上に置いた。
「これは任意の取調べですよね。だったら、録音は許されるはずです」
目の前の二人の刑事は顔を見合わせて苦笑した。年配の方が脇坂、若い方は宮部と名乗った。
結局、逃避行は諦めた。犯行を否認し、無罪を勝ち取る道を選択したのだ。
「だいたい、私だけがこうして警察署に連行されること自体、納得していませんから」
「連行だなんて」
黒縁の眼鏡をかけた初老の脇坂が白髪まじりの頭を撫でながら言った。
「こちらの方が、落ち着いてじっくりお話が伺えると思ったものですからね」
口角を上げて白い歯を見せるが、眼鏡の奥の目は笑っていない。
「ふん」と私は鼻を鳴らした。「ものは言いようね」
今朝、遅れて劇団に到着すると、「ラ・ボエーム」の俳優陣は全員第一稽古場に集められ、一人ずつ別室で警察の事情聴取を受けていた。
私も十分ほど話を聞かれ、指紋を採取された。すべての聴取が終了したあと、私だけがもう一度呼び出され、「もう少し詳しく伺いたいので、署の方へお越し願えませんか」と丁重に言われたのだ。
「それは任意でということでしょうか?」
「もちろんです」
「でしたらお断りします。ラ・ボエームの稽古がありますので。本番まで一ヶ月しかないのです」
「劇団の了承は得ています」
「劇団が何と言おうと、私はお断りします」
「構いませんが、あなたの立場が悪くなるだけですよ」
「どういう意味です?」
「潔白ならば堂々と聴取に応じられるはずです。それを逃げたとなれば世間の人はどう思うでしょう。特にマスコミは、その手のことを面白おかしく書き立てるのが得意ですからね。少なくとも現時点であなたには合理的な疑いがかけられている。劇団だって、潔白が証明されない人を使うわけにはいかんでしょう」
脇坂は感情を押し殺した淡々とした口調で言った。
「どうしても拒絶するというなら、令状をとってあなたを逮捕するまでです。どうされますか?」
私は慇懃な脅しに腹が立ったが、滝沢や制作部からの勧告もあり、おとなしく従わざるをえなかった。
「もう一度、昨夜の行動を詳しく教えていただけますか」
脇坂はICレコーダーを取り上げ、懐から手帳を取り出すと、机の上に開いた。
「ミミ役の合格発表の直後からお願いします」
「ですから」
私はうんざりしたように口を開く。
「滝沢さんから不合格を告げられ、その後のミーティングでアンダースタディーに回るよう言われたんです。私はみんなが去った後も一人劇場の客席に座ってぼんやりしていました。するとあずささんが現れて、もうノーサイドにしましょうと握手を求められたんです」
「さぞ、屈辱的なお気持ちだったでしょうね」
「そんなことはありません」
「でも彼女さえいなければ、自分がミミ役になれたわけですから」
「アンダースタディーに入るわけですし、出演のチャンスはいずれ巡ってきます」
「でも、ファーストキャストとセカンドキャストでは雲泥の差があるそうじゃないですか。世間の注目度もまるで違う。私はミュージカルに詳しくないが、そのように聞いています」
「だからといって、その程度のことで人を殺すと思いますか?」
「まあ、普通は殺さんでしょう」
脇坂は薄く笑って、再び右手で白髪を撫でつけた。そのにやけた物言いに思わずカチンときた。
「私は普通じゃないから……と仰りたいんですね」
「そんなことは言っていません」
脇坂は慌ててかぶりを振った。
「そうではなく、昨夜自宅に帰らず実家に戻っておられる点を怪訝に思ったのです。携帯の電源も切って通信を一切遮断しておられた。それで、オーディションに落ちたことが相当なショックだったのだろうと推察したわけです」
「だからって人を殺したりはしません」
「もちろんです」
脇坂はこくりと頷くと、ひとつ咳払いをしてから、話を戻しましょう、と言った。
「客席であずささんと二人きりで話した後、あずささんは先に出ていかれたわけですね」
「そうです。私は帰ろうとして劇場の通用口まで行ったのですが、忘れ物に気付いて地下の自分の楽屋へ戻り、それから再び通用口へ向かいました。その際、舞台監督の貝原さんとお会いしています」
「あずささんの楽屋へは寄っていないんですか」
「ええ、終演後は寄っていません。開演前に挨拶に伺いましたけど」
「ほう。どのくらいいました?」
「さあ、五分くらいかしら。お互い頑張りましょうって励まし合って、それから飾ってある置物の話とかをして……」
「置物?」
その途端、脇坂の眼がぎらりと光った。
「ええ。象か何かの置物があって、可愛いわねってちょっと触ったんです。それからすぐに部屋を出ました。開演時間も迫っていましたし」
言い訳じみた供述になったが、置物に付着した指紋を正当化しなければという思いがまさっていた。
すると脇坂が納得いかない顔で首をかしげ、宮部と顔を見合わせた。
「それはおかしいですね」
「え?」
嘘を見透かされたかと、心臓がどくんと跳ねた。
「な、何がおかしいんです」
「あずささんの楽屋には、象の置物なんてありませんでしたよ」
脇坂はきょとんとした表情で言った。
――なんですって。
「どんな置物でした?」
「あ、いえ……よく覚えていませんけど……たしか鉄製だったような……」
どういうことなの?
「それに、あずささんの楽屋からあなたの指紋は一切検出されていないんです。奇妙ですね」
今度は私がきょとんとする番だった。
「本当に楽屋に入られましたか?」
意味が分からなくなってきた。
「入ったかと聞かれれば、確かに入ったような気はするけれど……」
「なぜ指紋が出ないのでしょう」
「手袋をしていたのかもしれないわ」
とっさに言った。とにかく話の辻褄を合わせるしかない。
「手袋?」
「え、ええ。よく覚えていないけれど」
「なぜ、手袋などして入ったんです?」
「なぜって……それは……つまり……」
混乱し、しどろもどろになった。話せば話すほど、自分の首を絞めているような気がする。
ひょっとすると脇坂はカマをかけてこちらの反応をうかがっているのだろうか。これは、いったい何のトラップなのだ。
「実は、あずささんの頭部に外傷が見られたのですが、床に打ちつけた際に出来たものではないんです。鈍器で殴られたと思われますが、室内からはそれらしい凶器は発見されていません。ひょっとすると、ご覧になったという象の置物がそうかもしれない。詳しく思い出していただけますか」
「は、はい。あ、でも……今考えてみると、そんなものはなかったような気も……」
「さきほど、楽屋であずささんと置物の話をしたと仰ったじゃないですか。象の形状で鉄製だったということまで記憶しておられた」
「そうですけど……。でも、あったとしても小さな置物です。とても人殺しの凶器になるようなものではないわ」
「もちろんです。それが致命傷を与えたとは言っていません」
「え?」
「犯人は鈍器であずささんの頭部を殴りつけたのち、倒れたところをナイフで突き刺したんです」
「なんですって!」
自分でも驚くほどの素っ頓狂な声を発していた。
「ナイフで殺した!?」
脇坂と宮部は顔を見合わせ、怪訝そうにこちらを見た。
「何を驚いているんです。ニュースでも報道されていたでしょう」
「え、ええ。そうですけど」
凶器は象の置物だとばかり信じ込んでいたので、ナイフのことは情報として耳に入ってこなかった。というより、昨日から今日にかけて通信を遮断していたため、事件のニュースを目にすることがなかったのだ。
しかし、もし凶器が象の置物ではなくナイフであるならば、私は無実ということになりはしまいか。
急に目の前の視界が開けたような気持ちになった。
そうだ。無実なのだ。
いや待てよ。と、もう一人の自分が疑義を投げかける。
あの時、混乱し動転していた私は、無意識のうちにあずさを刺してとどめを刺したのかもしれない。頭が真っ白になっていたし、記憶が欠落しているだけではないのか。
昨夜の状況を再現しようと、脳裏に克明に思い浮かべてみる。
象の置物であずさの頭を殴りつけ、倒れ込んだまま動かない彼女に呼びかけて、身体を揺すり、頬を叩いて……。
大丈夫――。
私は自分に言い聞かせた。
ナイフなど手にしていない。絶対に、あり得ない。
「徳大寺さん、どうされました?」
「え?」
脇坂の声に、ふいに現実に引き戻された。




