草原と森
目を覚ますと、そこは見知らぬ草原だった。
横たわったまま目の前で揺れる草葉を見つめていたその少年は、うすらぼんやりとする頭をもたげ、ゆっくり上体を起こした。そして、あたりをキョロキョロと見回して、ホウッ…、と一息ついた。
がさっ、と草間から出したその顔は、まだあどけなさが残る年端も行かない子供に見えた。
周りには、高々と生える草原が青々と広がり、ゆうゆうと風に揺れて波打っている。そして、その向こうには薄暗い森がぐるりと草原のまわりを取り囲んでいた。
少年がゆっくりと立ち上がり、きょとんとしてあたりの景色を見ていると、
ふっふーふっふっ…
と、後ろから首筋に、生暖かい、荒い息が吹きかけられた。
突然のことに驚き、少年が動けずにいると、大きな影が背中からもったりとおおいかぶさってきた。ジメッとして、湿ったような大きい息使いを肩越しに感じながら、恐る恐る少年は振り返った。
そこには、影と同じようにどす黒い、巨大な塊がたたずんでいた。
ざわざわとまとわり付くような黒い粒子が、その体を隙間無く埋めて渦を巻いて蠢いている。少年の頭上、さらに上には、ぎらぎらとした目のような光が二つ、少年を見下ろすように瞬いていた。その異様を目の前にして、少年の体は硬直した。
「おおおおおおおーーーーん」
その影はおもむろに天を仰ぐと、大きくいななくような鳴き声を周囲に響かせた。周りの空気を震わせて響き渡るその声に、少年の全身は総毛立った。
巨大な影は鳴き止むと、再びじっと、眼のような光で少年を見つめた。
風に揺らぐ草葉のかすれ音が少年の足にまとわりつく。そして、その音に混じって、大きな影の裏側の森から、何者かが走ってくるような音が聞こえてきた。
一体ではない、複数の何かが、森の中を駆け抜けてくる。
少年は後ずさると、その音に背を向けて全力で駆け出した。そして、森の木々の隙間に、ぽっかりと口のあけた空間を見つけると、転がり込むように、その暗がりに逃げ込んでいった。
少年が森の木蔭の中に消えて行く。
その様子を見つめる大きな影の周囲に、ザアアァー!と一陣の風が吹くと、その影の脇を、小さな影が、一体、また一体と次々駆け抜けていった。その小さな影たちは、逃げた少年を追いかけるように、少年が消えて行った森の中へ次々と割って入って消えて行った。
「はあはあはあはあ…」
森の中を懸命に走る少年。その後ろから、木々の葉が揺れてかすれる音が追いかけてくる。
「るるるるるーーーー」
お互いに合図しあうかのように聞こえてくる呼び声が、木々の間を木霊する。
ぎょっとした少年は、その声から逃れるように必死に走るが、張り出した木の根に足を取られると、大きく前方に投げ出され、転んでしまった。
地面に倒れた少年が、苦痛に顔をゆがませる。その瞬間、後ろの茂みが、ザザアッ!と、大きく揺れた。
「はっ!」
振り返ると、そこには、草原にいた巨大な黒い塊を小さくしたような影が、木の上から少年の様子を伺うようにじいっ…と、見つめていた。
子供のような背格好をしたその黒い影は、細長い、角の生えた仮面をかぶり、手には長い槍のようなものを持っていた。
少年が動けず、その影を見つめていると、さらに一体、また一体と、木々根や幹、草や藪の間から顔を出して増えていった。
少年が後ずさっていくと、そのうちの一体が、少年の正面に降り立った。
仮面をかぶった影が、肩をすくめて、ゆらりゆらりと近付いて来る。恐ろしい形相の仮面には、目のような金色の光が四つ、少年を見つめるようにギラギラと瞬いていた。その体には、ちりちりと黒い渦が蠢いているのが見えた。
恐怖に顔を強張らせた少年に、近づいて来た影が、顔をかしげて、少年にゆるりと手を伸ばす。
一瞬体を震わせて、おびえるように硬く目を閉じる少年。
その刹那、大きな咆哮が森の中に響き渡たった。
「ガアアアアアアア!」
すると、目の前の影がドッ!と、横殴りに吹き飛ばされた。
顔を腕で覆い、身を守るように、体を丸めた少年がしばらくうずくまっていると、低い唸り声が前方から聞こえてきた。
ぐるるるるるる…。
恐怖におびえた少年は、ギュッと体を縮めて固まっていいる。
しかし、何も起きない。
恐る恐る目を開けて前方を見ると、そこには、先ほどの黒い仮面の影と入れ替わるように、巨大な、白い獣のような影が、少年の前に立ち塞がっていた。
その体は白い毛のようにフサフサとなびく粒子にまとわれ、少年の目の前では、しなやかな体躯に続く長い尻尾が翻っている。目深に構えたその口からは、鋭い牙のような歯が覗いていた。白い影は、黒い影たちを睨み付け、威嚇するような唸りを上げて、影たちをにらみつけていた。
その様子を、ほかの影たちは距離をとって、じっと見つめている。
「ピイイイイイイ!」
黒い影の一体が、高く口笛を鳴らすと、持っている槍を一斉に構えて、白い獣に襲いかかっていった。
白い獣も、身をひるがえすと、恐るべき獰猛さで、黒い影たちに向かって行った。
一体の黒い影が空中に舞い上がり、持っていた槍を構え直して獣に突き刺した。苦悶の表情を見せる白い獣。しかし、獣の動きは止むことなく、突き刺さった槍もそのままに、お返しとばかりにその鋭い歯を黒い影達の体に食い込ませていく。
獣の動きは速く、影たちを次々と蹴散らして行く。白い獣にかまれた影たちは、体がはじけるように吹き飛ばされ、黒く細かい粒子となって、その場でばらばらに広がって消えていった。
少年は、その様子を声もなく、がたがた震えて見つめることしか出来なかった。
やがて、最後の一匹が噛み千切られ、ちりぢりになって消えていくと、白い獣は、天高く声を震わせて鳴いた。
「ウオオオオオオーーーン」
獣の遠吠えが静かに消えていき、天に突き上げた首を下げていく。そして、ゆっくり向き直り、その顔を少年のほうに向けた。
少年の顔をじっと見つめる白い獣。
恐怖で歯の根も合わない少年は、がたがた震えて目をそらすことが出来なかった。 すると、白い獣が少年に近づいて来た。
獣の顔が少年の眼前に迫ったとき、フッと少年の意識は遠のき、目の前は闇に包まれて行った。




