10 狂犬リサ
赤い人は体を起こすことなく、地面に仰向けになったまま腹をぐーと鳴らしている。
よく見れば、背丈も小さい。
年にすれば10を超えるかこえないか、その程度だろう。
けれど、今も感じる少女からのプレッシャーは桁違いだ。
剣を手に持った父よりも、山で見かけた手負いの獣よりも。
これが世にいう殺気というやつなのだろうか。
「君は、ダレ?」
赤い人は、こちらに顔だけを向けた。
怖い。
綺麗な顔だった。
勿論年齢なりの幼さは残っているが、それでも美しいと思わせた。
それが例え顔が泥にまみれ、頭からは雑草をかぶり、腹を未だにぐーぐーと鳴らしていたとしても。
「アレックスです」
「あっそう」
ぐーと再び腹の音が響く。
「もしかして、お腹が減っているのですか?」
「見てわからない?お腹が減りすぎて一歩も動けないわ」
赤い人はゆっくりと空を見上げた。
「こんなところで最期を迎えることになろうとは…思っていなかったわ」
「…これ、食べますか?」
トマトを差し出す。
しかし、赤い人は顔をこちらに向けるだけで動かない。
赤い人は目をこれでもかというほど大きく広げて
「…あなたが神か?」
「いえ、アレックスです」
どこか漫才じみたやりとりだった。
「アレックス様…そのトマトを…恵んでくださるのですか?」
「どうぞ」
先程までの殺気が嘘のように引いていく。
しかし、赤い人は動かずにじーと待っている。
「もしかして、動けないほどお腹が減っているんですか?」
「うむ。ついでにいうと、喋るのも億劫なくらいだ」
仕方がないので、トマトをゆっくりと赤い人の口に近づける。
赤い人の口から拳二つ分程度の距離だろうか。
そこまでトマトが近づいた瞬間、トマトが消えた。
「なっ!」
「………美味」
早すぎて見えなかった。
父の動きさえ、見失うことはあっても、目で追えなかったことはなかったのに。
赤い人は再び口を大きく開けて
「おかわり」
などと図々しくのたまうのだ。
が、このアレックス。
流石に腹を空かせた少女を放置できるほど、人が出来ていない。
甘いと言われるかもしれないが、もう一つ、二つとトマトを与える。
やはり、目で追えない。
集中していても気づけばトマトは赤い人の口の中だ。
「…なかなか美味かった」
赤い人はゆっくりと立ち上がった。
体はボロボロで、トマトを食べた程度ですぐに動き出せるようには思えなかったが、それでも赤い人は立ち上がった。
「なんで、そんな風になってたんですか?」
「さっきまで知り合いと戦闘訓練を行っていた。奴は私よりは弱いはずなのだが、私より戦い方が巧い。私は戦いが始まると手が抜けないので限界まで戦い…動けなくなった」
あぁ、この人、馬鹿なんだ。
「それで動けなくなって殺気立っている所に君が来た」
赤い人はふらふらで真っ直ぐ立つことも出来ていない。
泥にまみれて良くわからなかったが、強く打ち付けられたのだろう、肌のそこかしこに青くなった場所がいくつもあった。
本当は秘密なのだけど、仕方がない。
赤い人に近づき肌に触れる。
「む?」
「動かないでください。……【ヒール】」
ヒールの回復量は高々知れている。けれど、三度も唱えれば、ちょっとした傷くらい治すことが出来る。
「君、治癒術が使えるのか」
「あんまり効果はないですけど」
「いや、治癒術の使い手は希少だ。…それに体が楽になった。これだけ回復すれば十分に動ける」
赤い人は、こちらに頭を下げてきた。
「礼を言う。非常に助かった。一つ、借りが出来た」
「いえ、気にしないでください」
「気にする。私はこう見えて義理堅い…。借りた物は絶対に返す。恩だろうと仇だろうとな…」
赤い人から殺気が放たれた。
赤い人は俺の影に手を伸ばした。
そこから、なんと、ロネが出てきた。
「私が出来るのは戦うことだけだ。恩返しに、こいつを倒してやろう」
首根っこを掴まれたロネが威嚇する。
「やめ…」
「おーい、リサー!!起きたかー!?」
後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。
「【疾風】…お前か。今頃のこのこ現れて、私に殺されたいのか?」
「いやいや、さっきまでのは訓練で、お前がどうしてもやりたいって言うから相手をしただけじゃないか」
「うるさい。私は負けるということがこの世の中で一番目に嫌いなんだ」
「カカカ、なら後5年は我慢するんだな。お前じゃあ当面俺には勝てねーよ」
【疾風】と呼ばれた男は見慣れた笑顔で
「おう、息子とは仲良くなれたみたいだな、リサ」
「む、君はこいつの息子だったのか?」
「あ、はい」
「こいつはアレックス、俺に似て…俺以上に出来の良い息子だ。で、こっちが史上最年少Cランク冒険者で【狂犬】なんておっとろしいあだ名を持つリサだ。おまえら仲良くしろよ?」
締まらない空気の中、ロネのシャー!と威嚇している声だけが響いていた。




