4.
大変お待たせいたしました。
お楽しみいただければ幸いです。
「おや、疲れたのかい」
「はい、あの…一つ聞いても、いいですか」
「なんだい」
寝転がったまま尋ねるのは失礼だろうと、お腹に力を入れ、先ほどと同じように正面に向き直る。
「なんでこんなに、親切にしてくれるんですか?」
ただただ不思議だった。
言ってしまえば、あたしは赤の他人。ここまでしてもらう理由に見当もつかないのだ。
「うーん、獣の群れの中で一番強い個体が群れをまとめるだろう? 強い者が群れの上に立つことが決まっているように、群れの一部として存在している一個体も群れを守るよう決められているんだ。
あたしら獣人もその特性を持っているみたいでね、本能的に他者の強い弱いを感じ取れる。狼獣人は文字通り嗅ぎ分けられるのさ」
わかったようなわからないような、そんな説明につい首を傾げてしまう。
「俺ら狼獣人にとって最も重要な点は“強さ”だ。それは、魔力、体力、肉体、武具の扱いなどなんでも含まれる。総合的に優れた奴もいれば、いずれかが突出して優秀な者もいる。
そこのおばばも強き者だ。この村一魔力の扱いに長け、魔法の腕で叶う者はこの村にはいない」
瞑想していた旦那さんもこの話題に乗ってきてくれた。わざわざ私の近くまで来てくれたということは、あたしやウルからすれば単なる疑問程度だったのだが、彼ら狼獣人から見れば重要な事柄なのかもしれない。
「そう。強くあることが求められ、強き者は群れを守るのが使命。ただし、我々獣人は野生の獣のように群れに一つの先導者だけでは足りない。なにせ、私たちはヒトと同じく知恵を蓄え、皆で考えることができるのだから、強き者は一人とはいかない。
この男も今や村一番の剣の使い手だし、こいつの嫁も薬の調合の技術や知識に関して、既に亡き師匠を越えている。二人ともこの村を守る強き者の一人なんだよ」
「強き者が群れを守るのが使命のように、群れをなす一個体は強き者を守ろうとする。強き者を守ることが、群れを守ることに繋がると本能的に知っているんだ。だから、」
そう説明の途中で言葉を切られてしまってはかえって気になる。
「だから?」
「だから、あたしたちはお前さんにお節介を焼きたくなるんだよ」
隣に引き継がれた話がさっぱり読めない。
あたしは群れの一部でもないし、そもそも彼らとは種族の異なる存在であるというのに。そんなあたしの疑問にこそ、彼らは違和感を覚えるという。
「群れを守るということは、強き者を守るということ。あんたの魔力は今の状態でも十分、あたしら獣人にとっても強き者と言える。
強き者にむやみやたらに喧嘩を吹っかける者などいない。対立したところで利はないからね。あんたはあたしらから強き者として認められているからこそ、あたしたちはあんたの抱える危険を取り除きたいと思うんだ」
「強き者に対する認識に種族や群れの違いなど些細なものだ。同じ群れに属するならば、ともに支え合い、他の群れや種に属するならば協力関係を築けばいいだけのこと」
そうそれだけ、といって二人は何でもないことのように種族の違いを語る。
彼らにとっての価値基準は、群れを表に立って守る“強い”者か、群れを形成し内から群れを守る者かの違いでしかないのかもしれない。
たったそれだけのことだが、この事実は非常に大きいだろう。
なにせ彼らの価値基準にのっとれば、種族差など生じるわけもないのだから。やはり己が力で独立を勝ち取った国の民はいうことが違う、とどこか惚けながらも感心していた。
「まぁ、そういうことだから、強き者との縁ができることはいいことだし、何よりあんたには未来がある。ヒトの生は我々からすれば短いが、それでもお前はまだ幼い。今後ともうちの里と縁が続くようなら、いまあんたが抱える問題はほっとくには大きすぎるからね」
はぁと溜息つきながら深刻そうな顔をしてそう言われ、思っていたよりも彼らはあたしのことを大事に捉えていたのだとわかる。
「えっと、ありがとうございました」
…わかったようなわからないような。自分から聞いたこととはいえ、始終そんな風に感じたのは、己の理解力が乏しいのか、そもそも相容れない性質によるものだからなのか。
魔力の制御について教えてくれるだけでなく、こんな子供に丁寧に説明をしてくれた彼らにお礼を言わないのは失礼だろう。姿勢を正し、正座となって膝の前に両手をつき上半身を倒し頭を下げる。
「早く顔をお上げ」
精一杯の謝意を伝えたくて、つい深々とお辞儀をしてしまった。
そういえば、これはこちら誰かがやっているのを見たことがない。ひょっとしたら失礼に当たってしまったのかと、顔を上げてから気づき血の気が引く。
湊が高校の部活でやっていたので、何の違和感もなく体が動いた。アシュリルでは確かに初めてやったことだった。
緊張しながら、目の前の彼らの言葉を待つ。早く、何か言って欲しい。
「それがヒトにとって、どれほどの礼を尽くすことなのかはあたしにはわからないが、獣人の前では止めた方がいい。
頭を下げれば下げるほど無抵抗を意味するんだ。そんなに頭を垂れれば、命を投げ出しているのと同じだ」
「知らなかったとはいえ、気を付けろ」
「は、はい、何度もすみません」
二人は再度溜息をついた。こちらを困った子を見るような目をした彼らに、いたたまれなくてつい目線をそらして俯く。
「まあ、今日のところはこれくらいでいいだろう。結婚式まではいるんだろうから、ちょくちょく様子を見に行くようにするから、ちゃんと毎日練習するんだよ」
「は、はい、ありがとうございます」
彼女に習ってあたしも立ち上がり、家族の元へ戻ろうとすると、一人立ち上がらずにいた旦那さんが怒られていた。
渋々立ち上がった旦那さんを引き連れて、あたしたちはほんの少し離れていた村へと戻った。
家族の元に帰れば、呆れた目を両親にされた。送ってくれた二人に礼を言った後、二人には子供が一人でフラフラしていた旨を伝えられてしまったが、いつものことですから、とまるで悟りを開いたかのような表情で事実を受け止めていた。
そのせいで両親からではなくて二人から怒られた。理不尽だ。
「いい? あんたは大抵のことはできるけどまだ子供なの。私たち家族にならいいけど、今日みたいに他の人に迷惑はかけないように。わかった?」
「はーい」
「本当にお前は気をつけろよ、シュリー。
さて、我が家における本題はこっち」
両親から注意を受けるあたしを見て、曾祖父母と祖父母は笑っていた。父母の小言からあたしを助けるでも追加で注意をするでもなく、面白そうなものを見る目でただ眺めていた。
別に助けて欲しかったわけではないので、まぁ笑われるのも仕様がないと諦める。
そんなことより気になるのは、父の言う本題とやらである。
朝食の席でわざわざ話すみたいなので、家族全員に関わることなのだろう。
「そろそろ学校も終わりの時期なんだが……、ナンサは今回は帰ってきません。本人からの手紙には、タクバク家でお世話になりたいとある」
父は苦虫を噛み潰したような顔で、そのナンサからの手紙を見せながら言った。
「あらぁ、そうなのぉ。じゃあ、ツェツェグにおねがいしなきゃねぇ」
「ナンサは同い年のナーシャと仲が良いみたいだから、何か二人でやりたいことでもあったのかもね」
当然この件に関して反対を唱えるのは父のみなので、そこに多数決の利など存在しない。そもそも我が家の決定権者が是と唱えれば、最高権力者が是とするのだ。例えどんなに父が声を荒げようが、今回の件はナンサの意思が最大限尊重される。
何はともあれ、来年はあたしの入学の準備もあり、ナンサのことも心配なので、春は早めに移動を開始することが決まりその場はまとまった。
その後の年明けまでの日々はとても慌ただしく過ぎていった。
この村では年明けとともに、結婚式のようなめでたいことも一緒に祝うそうなので、村の人々はあたしたちがこの村に到着するよりも前から忙しくしていたらしい。
万国異世界ともに共通して新たな年を迎える、というのは特別なことらしい。そのためか、この村では何かしらめでたいことは新年のお祝いと一緒に村総出で歓迎されるようだ。
聞けば結婚式だからと特別なことをするのではない。村がバタバタとしているのも、新年のお祝いに向けた料理の準備のためで、それは毎年見られる光景のようだ。それに結婚式用の特別な料理が少し増えるくらい、普段と大差ないらしい。
それを聞いた我が家の女性陣は料理の手伝いに乗り出した。流石遊牧民の女性は物怖じなんてせず、気が付けば狼獣人たちの輪の中に入って仲良く談笑しながら作業を進めていた。男性陣も村の人での必要な仕事を買って出て家の修理やお祝い用の広場の設営など要所で活躍していた。
それだけなら子供のあたしも対して駆り出されることなく、興味の赴くままに村を散策する時間があったのだが、母は井戸端会議で自ら忙しくする種を拾ってきた。
「結婚式でお嫁さんが全く着飾らないらしいんです!」
母のその一言は我が家の女性陣を震撼させた。
「そんなぁ! 女の子が一番着飾れる絶好の機会なのにぃ」
「母さん、私たちで何か作ってあげられないかしら」
「そうよねぇ。トゥリン、パドマちゃん、詳しくお話を聞きに行きましょう」
そう鼻息荒く狼獣人の結婚式の詳細を事細かに聞きに行った彼女らは、新郎新婦が多少身綺麗な格好をするのみで、特に服装や装飾に力を入れないと知るや否や目の色を変えて、事情を話してくれた狼獣人の女性たちに詰め寄ったそうだ。
私たちに奥さんの服を作らせてちょうだい! と。
そこからはあたしまでもが駆り出され、新年まで大忙しだった。
あたしたち遊牧民、というかウルの家もそうだったのでイファー皇国のお国柄なのか、それぞれの家に家紋のような模様がある。それを服の襟と袖口の部分に刺繍するのが一般的だ。
そのような各家の模様はないということなので、母たちは新たな模様をこのためだけに考え、採寸した奥さんの服を手早く作り上げると、すぐさま刺繍に取り掛かった。
彼らの着る普段着もあたしたちの服と同じように前合わせのものだが、我々遊牧民のように馬に乗った生活文化がないせいか、裾も袖も長くゆったりとしていて、日本の浴衣のような見た目だ。その下に二股に分かれたぴたっとしたズボンを履いて、胸元は彼ら特有のふさふさとした毛が盛り上がっているので開き気味に着ている。
身体も我々人よりも大きな彼らに合わせた服は随分な布地を必要とし、慣れない作業だったにもかかわらず、母たちはそれを三日とかけずに仕立て上げた。
その後はひたすら刺繍し続ける作業のみ。
まだ針の持てない一番下の弟のカミル以外の家族が総出で奥さんのお披露目衣装に心を込めて模様を描いた。
針仕事は基本女性の仕事とされるが、刺繍に関しては男女関係なく自分の家の紋様を覚え、刺せるのが当たり前なのだ。
だから、我が家の模様を本来この家の血筋であるイドリースじいさま、トゥリンばあさま、父ジルバやその子供であるあたしたちができるのはもちろん、トウカン家に嫁入りしたアニスばあさまや、母パドマも各自の家の紋様を刺繍でき、さらに我がトウカン家のも覚えているのだ。
つまり刺繍の腕だけは皆が持っている。まぁ、父のように不器用な人間は下手くそなまま成長しないなんて例もあるが。
あたしだって、4、5歳位からすでに針を持たされていた気がする。それがあたしにとっての当たり前だった。
そんな家族一丸となって、奥さんの衣装への刺繍は襟と袖口と裾部分のみに施す作業は、実はそれほど時間はかからなかった。
しかし奥さんだけに作って旦那さんにないのは…と話しが飛んだところでもう後は言わずもがな。急いで旦那さんのサイズを測りに行ったがあまりの体格の良さに布地が足りなかった。そこで、旦那さんが一応晴れ着として持っていたそれなりに綺麗な服の中から奥さんのと似たような色のものを拝借し、今度はそちらの刺繍に取り掛かることになった。
布地面積の大きい分刺繍部分も多かったが、すでに慣れた模様の刺繍はさほど時間もかからず、結婚式まであと十日の余裕を残して二人の服が完成した。
試着してもらい簡単な手直しを加え、あたしはようやく解放されると安堵の息を漏らした。
しかし、我が家の女性陣の暴走はそこで止まらなかった。
「うーん、やっぱりぃ、頭に被る薄布も欲しいのよねぇ」
そんなアニスばあさまの不用意な一言が、トゥリンばあさまと母を滾らせ、更なる作業が舞い込むこととなった。
あたしだって、ふざけんなよっ、とこれよりはもう少し和らげた表現で母たちに文句を言ったのだが、聞き入れられることはなかった。
「丁度いいわ、ナンサの練習だと思って頑張りなさい」
開いた口がふさがらないとはこのことだろう。
イファーでは新婦は結婚を皆に祝われる間はヴェールを被るらしい。どうやらそれも用意したいようだが、そもそもの布がない。そこで諦めたりしないのは我が家の女性陣の良いところ…と言えるかもしれない。
本来ならヴェールに使用するのは薄手の透けるものだが、ないなら仕方がないと婚礼儀と色を合わせた薄手の布をどこからか手に入れてきて、その布の四辺に婚礼儀と同様の刺繍をし、ようやく完成にこぎつけたのは結婚式の二日前だった。
予定を大幅にこえてしまいすみませんでした。今後はきちんと更新したいと思います。
お読みくださりありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。




