3.
お待たせいたしました。
お楽しみいただければ幸いです。
「おばば、頼まれてくれるか」
「そうだね、これを見ればやらないわけにいかないからね。任されてやろう」
「恩にきる。
というわけだ。おまえに色々と教えてくれるのはこの人だ」
旦那さんの隣に並ぶ彼女に向けて慌てて礼を取る。
「よ、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。
だが、今日は旅の疲れもあるだろうから明日からにしよう。二人の結婚式も近いから、なるべく早く仕上げようね」
「は、はい、がんばります」
滞在中は空き家の使用を勧められたので、我が家はそれに厄介になることになる。今回の旅は強行軍も良いところで、随分ハイペースな遊牧という名の旅だったため、皆それなりに疲労が溜まっていた。特に最高齢でもある曾祖父は魔法も定期的に使わなければならないこともあり、なかなか本調子となるまで休息できず、後半はやや無理を重ねていたところであった。
空き家の裏手には十分なスペースがあり、家畜等の寝床も確保できた。父を中心に場所を整え、我が家の人の荷物も整理し終える頃には、真上にあった太陽もすでに傾き、茜色が名残惜しく西の空に残っているだけになっていた。
父と祖父は商談を詰めに行き、残りの面々は簡易な食事を済ませるとすぐに横になった。あたしも久しぶりのベッドに身を埋めると、抵抗する間も無く眠りの世界へと旅立った。
日々の習慣というものは恐ろしく、どんなに疲労が蓄積していたとしても、日の出とともに目が覚めていた。
辺りはまだ暗く、起き上がって家から出ても、周囲の高い木々のせいか朝日は薄っすらとしか感じられなかった。一度家に戻り、毎朝の日課であるばばさまとの通信箱を確認すれば、毎度の新聞と今日は手紙が二通入っていた。一枚はナンサからだったが、これは親に宛てたものらしいので新聞とともに居間として使用する部屋に置いておく。もう一通はウルからあたし宛ての手紙だったので、それを懐に入れて、あたしは再度外に出た。
冬の朝特有のぴんと張り詰めた冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んだところで、思いっきり吐き出せば、目の前を染める白い自分の息。すぐさまそれも立ち消えて、目の前はクリアな世界が広がる。針葉樹の緑が異様に映える様は、普段生活する草原とは違ってどこか日本の冬を思わせる。まあ、日本はこれほど寒くなかったと思うが。
普段の遊牧生活中、日課ながら早朝は家畜たちの寝床辺りに屯して、あまり遠くへ行かないようきつく言われているのだが、それは広大な草原で迷われては困るからだ。しかし、ここは小規模な里の中。おいそれと迷子になるわけがない。何より、己の好奇心が見て回りたいと告げているのだ。自らの欲望には素直に従った方がストレスは少ない。
そんな言い訳を心の中でしながら、あたしは裏手の空き地ではなく、興味の惹かれるままに歩き出した。
里ではかなり疎らに民家が建っていた。
我が家が使わせてもらっている空き家は里の中心からは多少離れたところにあるためそれはわかるが、それでも一軒一軒の間隔がかなり広い。野生の縄張りのようなものなのかと推察するが、答えは聞かねばわからないだろう。
家は木造で造りも大きい。狼獣人の体格に合わせると自然とそうなるのだろう。
そんな風に家々をただ眺めながら歩いていると、少しずつ日が射してきて、朝が近づいていた。
里の中心にある大樹に着いた。
昨日は空き家に案内される時に通り過ぎただけだったが、以前来た時も、この木の下に座って自然の雄大さを実感した。大樹の根元に寝転がれば、葉の間から漏れる微かな光に思わず目を細める。
自然の中で暮らす獣人たちは、当たり前のように自然の気の濃い場所を求める。つまり魔力が普通よりも濃い場所ということらしい。
日本でも神社仏閣の管理する場所はどこか異なる空気を感じるのと同じように、ここは異質な空間でありとても心地よい。
そんな落ち着いた心持ちで、一応自分に結界を張り、懐にしまった手紙を取り出し、横になったまま読み始めた。
-アッシュへ
先日皇都で初雪が降りました。俺らがいるところでの初雪だったので、皇都全体ではどうかはわかりませんが、日々寒さも厳しくなり、ベッドから起き上がるのも苦労しています。
それでも毎日の素振りを欠かすことはしません。何より、早起きに慣れた体は勝手に目が覚めてしまうので、何もしないととても暇なのです。この世界にいるととても健康になれると思います。
さて、先日一年最後の班別対抗戦がありました。結局第一学年の時から同じメンバーで挑み、優勝してしまいました。もちろん嬉しいですが、やはり衆目にさらされている以上なんとかしたい、というのが本音です。
しかしオルとフィルの二人が結構強く、そもそも勝っている強い班からわざわざ抜けるのもおかしく、何よりこの二人とはとても馬が合うので一緒の班だととても楽なのです。
体術に優れた接近戦に強いオルマン、魔法が得意で遠距離から攻められるフィルヴェルケリ。この二人が優秀なおかげで、俺はそれなりに埋もれています。
全体の成績は学校の修了日に渡されるのでまだわかりませんが、座学に関しては中間を取れている自信があります。
なにより、俺は初等教育を卒業したら旅に出たいと周りに吹聴しているので、半端な成績ぐらいが丁度良いのです。
兄達には本気を出していないことがバレていたので、とりあえずは黙っててもらっています。見ればわかると言われてしまいましたが、それも幼い頃から一緒にいたせいだと思いたいです。
ナンサについてですが、兄のアルスは結構この一年頑張っていました。隣接する高等教育学校へ通っていたので、図書資料室や運動場など一部は共有の場所にこれ幸いと出かけてきて、ナンサになんとかして接触していました。
すでにそんな兄の行動も見慣れたもので、ほぼ全校生徒の間で、当たり前に見られる光景と認識されています。一時期はナンサに対するいじめもあったようですが、アルスやナーシャら同級生女子の尽力のおかげかすでに収束しており、周囲は完全にアルスを応援しています。
俺としては、ここまできてもあと一年でナンサを落とせない可能性が残っていることが最大の問題だと思います。
あっという間にまた一年が過ぎて、来年にはアッシュも来るかと思うと楽しみです。もっと早く一年が過ぎていきそうで少し怖いです。こっちに来る時は、早めに連絡ください。兄姉たちと一緒に買い物に行きましょう。うちの兄が必死なので、よろしくお願いします。
長くなりましたが、今年も大変お世話になりました。少し早いですが、来年もよろしく。
新年の挨拶にはまた手紙を書きます。
年の瀬も迫り浮かれる学校寮にて、ウルファス・タクバクより-
長い手紙を読み終え、ふぅー、と長く息を吐き出す。つらつらとまるで一年のまとめのような手紙に思わず目元を揉む。
ウルは相変わらずのようで、一年次に引き続き、今年も実技面では随分注目を浴びたようだがあまり本人はそれに危機感を感じていないらしい。あたしも実際にその様子を見たわけではないので不明な点も多々あるが、優秀なルームメイトをうまく隠れ蓑にできているなら幸いだろう。事実は知らないが。
ナンサに関しては、本当に残り一年となった。ナンサがどこか自分の容姿に自信がないのはなんとなくわかっていたので、本人にアルスから好かれているという自覚を求めるのも些か無謀かもしれない。
それもこれもアルスがはっきりと告げれば解決する気もするが、そうもいかないのだろう。程度はわからないが実際にいじめのようなものがあったというし、ナンサの心を閉ざしてしまうには十分な理由だろう。そもそもあのナンサがアルスの告白を素直に受け止められるとも思えない。
問題は未だ山積しているが、アルスが相手ということに関して、我が家で反対の者はすでに父だけだ。
もう後は当人の問題なのだ。外野があれこれ言ってもどうにもなるまい。
手紙を封筒にしまい、再度懐に収め、返事を書かなければとやや憂鬱になる。この長い手紙は、返事を書け、という無言の圧力だ。
とにかく、年始の挨拶をする前には一言でも手紙を出さなくてはと思い立ったが吉日。
結界を解き、のそのそと立ち上がる。地面に横になっていたため、背とお尻から土埃を叩き落とし、うーんと伸びていたところに声を掛けられた。
「おはよう」
不意打ちのような挨拶に身体が大きく反応する。
「おはよう、ございます」
それでもなんとか声を絞り出して朝の挨拶を返しながら、声の主の方へと振り返る。
「ふむ、あんたは魔力の制御ができないんじゃなくて、やり方を知らないだけだね」
ついておいで、と踵を返した狼獣人はこちらを振り返ることなく歩き出した。
「早いな」
「おや、おはよう」
「おはようございます」
森に向かって歩いていれば、こんな朝早くから旦那さんと遭遇した。
「身体を動かさないとなまるんだ。最近は式の準備が忙しくて、満足に時間も取れない」
「何を言っているんだい。式の準備なんてほとんどやっていないくせに」
「…少しは、やってますよ」
「まぁいい、あんたもついておいで」
結局三人が辿り着いたのは、森の中に少し入っていくとある開けた空間で、特に何もない空き地のようだった。そこはそれほど狭くないはずなのに、高くそびえる木々が上から圧迫してくるかのようで、全然広さを感じない。
「さて、アシュリル。このワタシを信用してくれるかい」
「え?」
言われている意味がわからず、見上げつつ首を傾げる。
「魔法や魔力に関することは、本来極力他人に知られるべきではない。だが、お前にこれから色々と教えるおばばが知らなくては、教えられるものも教えられん」
「そう。だから、このおばばを信用して、お前の今の魔力や魔法の得手不得手などを教えてくれるかい」
そう説明されれば、断る理由などない。何より教えを請いたいのはこちらだし、彼女の目は信用に足るし、そもそも私が信用している旦那さんたちが彼女に任せると決めた時点で、それは疑う余地もない。
「はい」
「ありがとう。じゃあ、実際に一通りやってもらおうかね」
言われた通り、風、水、土、火、空の簡単な魔法を使って見せれば、狼獣人の二人は小さく唸り声を上げる。喉の奥で反響するグルルルルという声は、本能的な生命の危機感を駆り立てるには十分で、私に向けられた悪意など一切ないにも関わらず、背筋がすっと冷えるのを感じた。
「お前たち以外にこの子のことを知っている奴はどのくらいいる?」
「ヒトは鈍い奴も多く、こいつは遊牧生活をしているから、ヒトには殆ど気付かれていないだろうが、これまでアシュリルと出会った獣人には殆どばれていると考えてもおかしくないだろう」
「そうかい…」
深刻そうなトーンで話されており、どうも私の方から口を挟めるような雰囲気ではない。
「さて、アシュリル。お前は魔力も随分多いみたいだし、魔法も上手いね。それは生きるための手段の一つだからとても良いことだ。
しかしね、我ら獣人にはいないだろうが、ヒトにその能力が露見したら、お前のその努力が踏みにじられることになるかもしれない」
「……」
「その可能性を減らすためにも、おばばからきちんと魔力の制御を学べ。成長するとともに漏れ出る魔力も減るだろうが、今の内から力を制御できれば、お前の下手くそな魔法はもっと上達する」
「はい」
こんなにも親身になってくれる彼らの目を見て返事を返す。
「まぁ、そんなに固くなる必要はないよ。それだけ魔法が使えるんだから、魔力の制御はすぐできるようになるさ。あとは只管練習するだけだよ」
さあおいで、と両手を取られ互いに向き合って地面に腰を下ろす。
話がひと段落したところで、旦那さんはあたしたちとは少し離れた場所に座って、座禅を組んで瞑想するみたいに瞳を閉じていた。
「魔法が使えるということは、魔力の流し方も知っているんだろう。意志を持って魔力を体外に放出することで魔法が具現化するんだからね。
お前は自分の魔力を他人に流したことはあるかい?」
「あります」
相手と互いに両手を取り合ってそこに向けて魔力を流した、と方法を説明する。そういえば、今の状況はばばさまに魔力量などを確認してもらった時と似ている。
「そう、ならもう簡単だね。
そもそも魔力の制御っていうのは、余計な魔力を体外に出さないように止めておくこと、あるいは魔法を使う際に体外に放出する魔力を適量放出することを指す。
アシュリル、お前がまず覚えなきゃならないのは体内に止めておく方だ。でも、これができるようになれば、魔力の無駄遣いも抑えられるようになる。あんたは特に魔力量が多いせいか無駄が随分多いみたいだからね」
なるほどと素直に頷く。
獣人と聞いて、勝手に粗野なイメージが先行していたが、この丁寧な説明からもわかるよう、細かく理論的で説明もわかりやすい。
「お前は賢いね、アシュリル。
そこまでわかっているならあとは簡単だ。その魔力を外に流すのではなく、己の中で循環させてごらん。身体中を常に流し、巡らせるんだ。
さあ、まずは自分魔力を感じ取って…」
言われるまま瞼を閉じて自分の体内の魔力に集中する。
「そう、それを今度は外に出すのではなく、自分の体の中で回してごらん。
…うん、ゆっくり、腕、手先、胸、腹、足、足先…」
ただ魔力を入れておくタンクのような入れ物として存在してきたあたしが、魔力を持った人間として再び生まれ変わるかのように、血液の流れをイメージして身体中を流れる魔力を意識する。
熱も香りもない魔力が、まるで意志を持つようにあたしの中を流れ、巡り、戻る。
「もう大丈夫だ」
その穏やかな声に安心したのか、それとも感じていないだけで疲れが溜まっているのかはわからないが、握っていた手をはなすと、あたしは後ろにゆっくりと倒れた。
お読みくださりありがとうございました。




