2.
お待たせいたしました。お楽しみいただければ幸いです。
遊牧民の出会いと別れのサイクルは非常に早い。
先日ナンサを送り届けた我が家は、再びハーフェンミーア大公国との国境付近まで戻ってきていた。
ナンサとの別れを惜しみ、ウルとの久々の再会を喜び、束の間のタクバク家との交流ののち、我が家は急かされるように皇都を後にした。
それには理由がある。
この度の皇都滞在中に、以前出会った狼の獣人の商人二人と再会したのだ。あたしにとって忘れられないこの世界ならではの出会いだったので当然あたしは覚えていたが、二人もこちらを覚えていてくれたのは意外だった。なんでも、変わった子どもを連れた家族として印象に残っていたようだ。どうやらその“変わった”と評されるのがあたしで、彼ら曰くあたしは「良い魔力」らしい。問い詰めたが意味のわからないことしか言われず、全然納得も理解もできなかった。
数ある出会い中で珍しくも互いに覚えていたため、知人と呼べる間柄とも言える我が家に対し、彼らはあたし達を結婚式に招待してくれた。聞けば二人は来年の年越しとともに晴れて挙式をあげるという。そのめでたい席に誘ってもらい、そしてついでとばかりに食材の買い付けも頼まれたのだ。
我が家が愛情込めて育てている家畜を買い取ることはもちろん、彼らとしては伝のない南のタルーマ王国産の質の良い野菜類も欲しいそうだ。
野菜なんてそもそも狼の獣人が食べるのかと思ったが、その考えこそが偏見なのだと逆に諭されてしまい羞恥に頬を染めたのは言うまでもない。さらに野菜類は長距離輸送には向かないのではとも問えば、今度は魔法具も知らないのかという目で見られた。
聞けばなんでも丁寧に答えてくれる彼らによれば、約100年ほど前から普及の始まった魔法具のお陰で、生鮮食品のそれなりの距離の輸送手段が確立され、人々の食生活に大きな変化をもたらした。
例えば、これまでは新鮮な野菜を食べたければ自分で作るか、農業大国タルーマへ実際に行く、というほぼ二択しかなかったが、魔法具の活躍により自国にいても美味しい野菜を食べることが出来るようになったというわけだ。イファーのように原産国であるタルーマと距離がある場合には金で解決するしかないところも多々あるが、裏を返せば金を積めば大抵のものが自国にいながらにして食せるようになったとも言える。
結果食生活の大幅な改善は、生命の寿命に直結し、近年目覚ましい勢いで寿命が延びているのだそうだ。
彼らはそれを活用して、我が家に野菜の調達任務を任せたいらしい。しかし我が家にそんな上等な魔法具などあるわけもなく、あるのは小型の一世帯の家族分を賄う分のものだけだ。さらに言えば、遊牧民にとって大きくかさばる荷物など論外である。
そう告げるが返ってきた反応は、まるで出来の悪い子を憐れむような目線だった。
『どうしてお前達に頼むのかわかるか』
『あんたがいるからなんだよ』
『あたし?』
『当たり前だ。お前ほどの魔力のあるやつが一人でもいれば、魔法具なんぞなくても生鮮食品の長距離輸送など問題ではない』
そんな爆弾発言を軽く落としてくれた狼獣人の旦那の方は、早々に我が家の父との交渉に向かった。残されたあたしの衝撃は止むことなく、降り続く雨のように少しずつ重みを増していく。
そんな動揺を知ってか知らずか、奥さんの方が補足を加えた。
『あんた、自分がどれほど凄いかわかってないの?
その素敵な魔力の制御を早く覚えた方が良いと思うよ』
なんでも人よりも身体能力等々に長けた獣人には、他者の魔力を感じ取れる者が多いらしく、特に彼ら狼獣人のような鼻の利く種族は魔力を香りとして認知できる。あたしを覚えていたのもそれのお陰らしい。
『どうしたら、いいんですか?』
『そうだねぇ、あんたの家族に教えてもらいなって言いたいとこだけど、あんただけだもんねぇ』
奥さんはどうやらそれほど魔法が得意ではないらしく、あたしのためにうんうんと悩んでくれていた。
『里に来てもらって、誰かしら得意な奴に指導させればいいんじゃないか』
『そうだね。アシュリル、あんたが里に来るまでに良い指導役を見つけておくから、ちゃんと来ておくれよ』
『叶うなら早めに来い』
『わかりました、ありがとうございます。結婚式楽しみしてます』
父との交渉を終えた旦那さんの一言でとりあえず現状の問題は先送りとなった。
その後は旦那さんにイドリースじいさまと一緒に魔法での保存方法を教えられた。どうやらあたしが空魔法を使えることもお見通しだったようで、空間を利用して水魔法などで冷やすというまるっきり冷蔵庫のような方法を学んだ。
そして現在、我が家はハーフェンミーアを経由してタルーマを目指しており、首尾よく野菜を仕入れられたなら、またハーフェンミーアを経由して海沿いを北上し、ファルクへと向かう予定だ。
今回の思わぬ再会で、あたしの不安は大いに煽られたが、これはこれで早めに問題を解決できる手が見つかったと喜ぶべきところだろう。
まさか獣人の彼らには魔力だけでなく適性まで読み取れてしまっていたとは。予想外というかなんというか。
人間誰しも魔力は微弱ながら体内から漏れ出ているものなのだが、あたしのように体内に収まりきらないほどの魔力保有者は、一般的な人よりも漏れ出る量が多いらしい。魔力量の多い人はそれがばれるのを防ぐ為、また魔力量の少ない人は余計な魔力を消費しない為、それぞれ制御を覚えるのだという。
本来であれば、魔力に関することは親族から教わるらしい。大抵の場合、魔力関連の能力というのは遺伝するもので、同じ症状を抱えた者が教えるのが普通だ。
しかしあたしの場合はそうもいかない。現在トウカン家にはあたしほど魔力量も多く、全要素適正有りという人はいないため、誰からも指導してもらえないのだ。そのために家族はわざわざばばさまに一度見てもらわねば、とあたしを心配していたらしい。
ファルクに行って魔力制御に関して教えてもらうまではまだまだ安心できない。しかし幸いなことにイファーほど獣人の多い国はそれこそファルクしかないため、今後の旅で露見する心配はまずないだろうと言われた。
人間の中にもそれなりに他人の魔力を察知できる人がいるらしいが、その場合には基本身体の接触が必要なケースが多いため、極めて難しいそうだ。
『不安なようなら、目立たぬ程度に魔法を使用して、体内の魔力を発散するのがよいだろう』
『そうだね、その小さい身体にたっぷりの魔力があるから漏れ出るんだろうからね。常に溢れない程度の量にしてれば気づかれにくくなるかもね』
そんなご指導をせっかく頂いたので、移動中もなるべく試している。
今あたしは馬に乗って家畜たちの殿を務めている。本来逃げないよう見張るだけだが、最近は風魔法を使って微弱な風を起こして家畜たちがあまり広がらないように誘導している。一度に多くの魔力を消費するものではないが、やはり体力と同じように、魔力も使いすぎれば身体が怠くなる。無理しすぎない程度に、じわじわと己の魔力を削る作業は、まるでマラソンのような長距離を走っているかのごとく少しずつ疲労が蓄積していく。
しかしそれもまたあたしを安心させる。適度な疲れは日々の成長と努力を実感するには最適だ。
さて、この問題はあたしだけのものではない。
幸いにして皇都にて再会を果たしたため、ウルも同じく話を聞くことができた。
『あらー、これまた素敵なお友達だこと』
『おまえはまだアシュリルよりはましだな』
『ほんと。アシュリルより体も大きいし、体に収まらない余剰魔力も少ないのかしら』
『いや、それだけじゃないだろう』
あまりに不安を煽られ、自分一人で抱えたくなくて、ウルを連れてきて共に話を聞くことにした。幸いなことに、ウルはあたしほど火急の問題ではないようで、安心したような羨ましいような複雑な思いである。
『おまえはアシュリルよりも年長で、こいつよりもずっと魔法に慣れている。自然と魔力の扱い方を身に付けたのだろう。まだ下手くそなようで、それなりに漏れてはいるがな』
それでもアシュリルよりはずっとましだ、と言われればもうあたしからは反論する余地もない。
『先ほどアシュリルには言ったが、体外に漏れる余剰魔力は己身体の内に留めて置けないから溢れてしまうのだ。普段から微弱な魔法を使い続けていれば、漏れ出る魔力の心配も減り、細やかな魔法の調整の練習にもなるだろう。だが、くれぐれも他者に悟られぬようにな』
『『はい』』
二人で神妙に頷いたところでこの手の話は終わった。ウルはあたしが直接ファルクで習ってきたことを、次回再開した時に共有するということで納得し、あとは互いに頑張ろうといつも通り代わり映えのない会話で締めた。
しかし、今更ながら思うことがある。
何故彼らはこんなにも親身になってくれたのだろうか。言ってしまえばあたしたちとの関係など他人に等しい。いくら知人といえど、親族並みにあたしたちの将来起こりうる憂慮事項について、あれほど心配してくれるのは違和感を覚える。
ウルとも手紙で話したが、その理由については皆目見当もつかなかった。再会を果たした時に素直に聞くしかない、というところで落ち着いた。
あたしも来年の春には学校に通うことになる。ウルを反面教師に、あたしは多くのことを抑える必要があるだろう。
今回の魔力制御しかり、適正魔法要素しかり、武術関連は…それぐらいは好きにやりたいが周りを見て加減する必要がありそうだ。
最近では弓や刀剣以外に、体術、棒、連接棍、小刀や針といった暗器の類まで父から扱いを学ぶようになった。後半の役に立つのかわからないような武器類は全て父の趣味だろうが、この世界であってもこれだけの武器を使える10歳の少女は異常だろう。幸いなことに先例があるので、ナンサがどうやって乗り切ったのかを見習おうと思う。
主に狩りで役立つ弓、刀剣、棒は父が納得するまで仕込まれた。それは遊牧する上では必要不可欠な技能である。上手い下手はあれ、狩りのできない狩猟採集遊牧を仕事とする遊牧民など生きていけない。
特に馬上にて重宝する弓と棒はひたすら練習させられた。姉の姿を見ていたので、次はあたしの番だと覚悟していたが、辛いものは辛かった。特に棒が大変で、本来は槍なのだが幼い女子ということでまだ穂先はつけず、長い獲物の扱いを学ぶに留まった。しかし己よりも長い武器は扱いが難しく、刀剣に引き続きあたしの苦手分野であった。
父からは身体的な技術を学び、祖父とともに魔法の練習にも取り組む。遊牧と移動の日々を有意義に過ごせば、気がつくとタルーマに到着し野菜を仕入れ終えていた。それを終えればハーフェンミーアで十分に家畜を太らせ、すぐさま北上してファルクを目指す。
一旦ファルクに入ってしまえば、後はひたすら狼獣人の里を目指して西進あるのみ。
単調ながらも充実した日々はあっと言う間に過ぎていき、すでに季節は冬を迎えていた。
針葉樹に囲まれた狼獣人の里に着けば、そこは寒さを感じさせないほど浮かれた雰囲気に包まれていた。雪と木々に囲まれた里は、結婚する彼らの祝いのために誰もかれもが大慌てで準備に奔走していた。
「よく来てくれたね」
「ご招待ありがとうございます。まずはご依頼の品を受け取っていただきたいのですが」
「ああ、こっちだよ。着いてきて」
里の入り口にて待っていた我が家に、ほぼ一年ぶりの再会となる奥さんがやってきた。
「良いものばかりだね」
仕入れてきた野菜類も我が家の家畜も褒められ満更でもない。緩む顔を必死で抑えようとしながら、父と奥さんの間で進む商談を眺めていた。
「おまえ、顔がすごいことになっているぞ」
「おやおや、本当に良い匂いだこと」
久しぶりの旦那さんとの再会も、自分のだらしない顔が見られていたかと思うと折角の精悍な狼さんの顔を直視できない。
羞恥に顔を俯けていれば、聞き覚えのない声が近くで響く。
「確かに獣人には分かっちゃうねぇ。これだけ漏れてると」
「それでも一年前よりはましになっている」
「それは問題だねぇ」
好奇心には勝てず顔をあげればすぐ目の前に見たことのない狼獣人の顔があった。すぐさまその理知的で落ち着いた雰囲気の瞳に吸い込まれる。その態度等からもそれなりに年を召した方なのは見て取れるが、獣人の見た目は人と異なるためか外見から推察するのは難しい。
しかし、彼女の瞳は雄弁に語っていた。その瞳孔が縦に走る黄金の美しい瞳は、何年もこの世を見てきた、まるで大地に根ずく大木を思わせるほど落ち着きと静けさを湛えていた。
「初めまして。お嬢ちゃんの名前を教えてくれるかい」
「あ、アシュリル・トウカンです」
その美しい瞳を細め、頭を撫でられたあたしは、彼女を呆然と目で追うことしかできなかった。
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