閑話.ツェツェグの災難2
引き続き別視点で進みます。
後日スレンの班とともに呼び出され、意図せず危険区域へと足を踏み入れてしまった二班の行動などを詳しく聞かれたが、特に生徒の非も見つからず、さらには突然の魔物の存在についても詳しいことは分からないまま、この件はうやむやとなった。
まぁ、あの危機を乗り越えたこの二班の実習の成績が、大きく評価されていたのが幸いだったとしか言いようがない。
…そう、ここまでで済めばよかったのだ。
「おはようございます、ツェツェグさん!
今日の放課後空いてますか?一緒にまほうの訓練しませんか?」
「空いてない。しない」
「じゃあ、昼休みはどうですか?」
「むり。あたしはゆっくり昼食を食べるの」
「じゃあ、お昼一緒に食べていいですか?」
「だめ。アニスと一緒に食べるから」
あの実習以来こいつに妙になつかれるようになった。それはもう鬱陶しくて鬱陶しくて。朝から寮に帰るまでに何度こいつと遭遇して苛々を募らせたことか。
素気無く昼食の同席を断ったにも関わらず、伏兵はとんでも無いところに潜んでいるものである。
「私は別に一緒でもいいよぉ」
「はあ⁉︎」
「本当ですか!ありがとうございます!」
「よくない!」
「じゃあ、昼休みにツェツェグさんの教室に来ますね!」
すでに話はまとまってしまったようで、嵐のように去る後輩を呆然と眺めるしかできなかった。
「犬みたいだよねぇ、スレンくんって」
「ばかアニス!」
「えー、一回くらいいいんじゃない?だってぇ、もう一ヶ月だよぉ」
「あたしは食事をするときくらいは心おだやかでいたい。それに、面倒でしょ」
「でもぉ、周りはもう諦めてるんだよぉ。
もう脈なしって思ってるしぃ、何よりツェツェグにいやがらせが一切きいてないからねぇ」
一途だねぇ、なんてコロコロと笑うアニスに悪意はないのだ。本当に心から友人の状況を面白がっているだけなのだ。それがあまりにもタチが悪く、あたしを怒らせるだけだとしても。
「もういや……」
そんな呟きも虚しく、平穏無事な学校生活はもう戻ってこなかった。
こいつとの年の差が、一年あったことで高等教育の一年目だけ学校が別々になったものの、朝と放課後にはほぼ週一で顔を合わせ、付きまとわれた。
なんだかんだで優秀だったため、奴も高等教育に進学してきて、結局同じ学校で学ぶことになった。しかも進学者の人数が少ないため、同じ教室で授業を受けることも多々あり、鬱陶しさは年々増していった。
一年早く卒業し、逃げるように魔法省への入省を決めたものの、仕事の忙しさに忙殺され自分の時間を持つこともできず、選択を間違えたと本気で後悔した。
さらにあまり普通の市民と関わりの少ない城勤めをせっかく選んだのに、スレンが軍事省預かりの兵士、というこれまた城勤めを選んだため、それなりの頻度での遭遇も避けられず、正しく踏んだり蹴ったりだったが、高給取りには違いなかったので、仕事を辞めることはしなかった。
そのうち忙しさにも慣れ、休みの取り方も覚え、毎日魔法と向き合う日々がただ過ぎていった。
かつていたという奴隷並みに働く毎日を続けて数年。以前からきな臭い噂の絶えない西の国との戦争が決まった。
南の技術大国対西の軍事帝国という図式だったが、西の国とは国土を隣接しており、南の国とは同盟国であった我が国も参戦せざるを得ない状況であった。
あくまで徹底抗戦ではなく、迎撃態勢を崩さなかったため、国境警備の増強にとどまった。
それでも、軍事省に所属していたスレンも前線に送られることになったのは、当然のことだった。
「ツェツェグ」
「…夜這いは犯罪なんだけど」
出兵前日に我が家へと現れたスレン。
「うん、知ってる」
どこまでの覚悟を決めたかは分からないが、闇夜に浮かぶ月明かりに照らされたこいつの顔はあまりに穏やかだった。なのに不釣り合いなほど、澄んだ青空のような瞳には溢れんばかりの熱が篭っていた。
その日は久しぶりに家に帰った日だった。
三日徹夜で新しい魔法具の設計を作り上げ、もぎ取った三連休を寝て過ごそうと思い、体に鞭を打って帰宅したのだ。
そう、あたしは寝ぼけていた。
徹夜明けでまともな判断をできる状況になかった。
世情も世情だった。
なにより、これまでのこいつと、こうまでしてここにやってきたこいつに、絆されてしまったのだと思う。
翌日目を覚ませばスレンの姿はすでになく、柄にもなく自然の神々にあいつの体の無事を祈るなんて真似をした。この時ほど、他人を思って泣いたことはないだろう。
それからの日々は戦時中とは思えないほど単調に過ぎた。広大な国土を誇る我が国において、国境付近の情報は到達が遅く、都に流れる空気もそれほど物々しいものではなかった。
そんな中、体調の優れない日々がやってきた。目眩や吐き気に襲われ、体のだるさが一向に抜けなかった。
よくならない体に異変を感じたときから、嫌な予感はしていた。
案の定、病院に行けば、嫌な予感は的中。
すぐさま体調不良を理由に魔法省を辞め、恥を忍んで実家に帰った。
そう言ったら両親には怒られ、よく帰ってきた、と涙ながらに抱きしめられたときは、あたしも様々な思いが混じり合った涙を流した。
数年後、終戦の知らせが皇都を駆け巡った。皇都の端っこの我が家まで知らせが届き、国民皆一様に安堵の息を漏らし、歓喜し、嗚咽を零した。
澄んだ空を見上げて、………逃げようと心に決めた。
この時の身支度は細心の注意を払い、最速で仕上げた。
翌日には既に出立可能だったので、その日の昼には家を出るつもりだった。…だったのだ。
出立日の朝、家族揃って朝食を食べていた。そんな時、珍しくも来客のようで戸を叩く音が家に響いた。
呑気な私は朝食を食べ続け、一足先に食べ終えた父が席を立った。
昼には出立するため、あたしは家での食事を楽しんでいた。しかし、そんなあたしの穏やかな心をぶち壊す存在がやってきたのだ。
「ツェツェグ!」
その不吉な声を聞いて、正しく全身から血の気が引いた。一瞬頭の中が真っ白になって、徐々に覚醒する頭では警鐘がガンガンと鳴り響いていた。
逃げようと立ち上がったところで、その姿を見てしまった。記憶より伸びた柔らかな金髪と昨日見上げた空のような瞳。その顔には満面の笑みとも言えるような表情を浮かべ、いつか見た時のような熱の篭った目があたしを捉えた。
このとき、実家に戻って軟弱になっていたあたしの精神は、許容を超えた衝撃を受けたあまり意識を失ってしまった。
目覚めれば、スレンとあたしの結婚が決まり、更にはこのタクバク家への婿入りまでもが決定していたと知り、再度気絶したかったが、それも叶わず、そんな絶望的な現実を受け入れ、…今に至る。
子供たちも大きくなり、嫁や婿となって旅立っていった。長子のナツァグには家督を譲り、この辺りの農家の取りまとめ役として緩やかに過ぎる日々を過ごした。
気がつけば孫が生まれ、成長し、巣立ちを見守り、家督は初孫のルスティムに移っていた。
さらには曾孫にも恵まれ、穏やかすぎる日々が当然のように続くことに、いつしか幸せを感じるようになっていた。
――――――――
トウカン家の面々が旅立ち、アルスも寮へ戻り、タクバク家はどこか物寂しい雰囲気に沈んでいた。
そんな侘しい日々も淡々と過ぎる。
最近ふとしたときに、空を見上げている自分がいる。それに気づいた時、自嘲がこみ上げてきた。
今日の空は特に澄み渡り、遥か先まで見渡せる大地に、日課となりつつある祈りを捧げる。どうか息災でありますように、と。
祈るために合わせた手が皺くちゃで、長く生きたと実感する。刻まれた皺は深い。残された時間が短く、過ぎた時間の長さがうかがえる。
今思い返せば、あたしの身に起きた厄介ごとの数々が、あいつを原因とするものが多いこと多いこと。
嘆かわしすぎて、いっそ怒りさえこみ上げてくる。
出会い頭の魔物との遭遇。
騒がしく落ち着きのない学生生活。
馬車馬に例えるのが失礼なほどに働かされた職場。
思わぬ妊娠と出産。
子供たちの嫁入り・婿入り先にも苦労した。国の英雄の一人として名前をあげたスレンのせいで、その名にあやかろうとするクズが後を絶たなかった。これは孫たちの時もそうで、お陰で人を見る目が養われた。
ルスティムの嫁エステルのごたごたも、半分はこいつのせいと言えなくもない。
そして曾孫たち。これは今まで以上の問題を孕んでいた。
子も孫も、武術や魔法に関してはそれなりだった。当然あたしやスレンの血を引いているからか、ある程度の実力ではあったが、軍事省や魔法省に入省できるほど突出した力ではなかった。
もちろんそれでよかった。子や孫が何と言おうと、あたしはその事実に心から喜んでいた。何度安堵の息を漏らしたかしれない。
しかし、今の曾孫たちは頭抜けて優秀だ。
特にエステルの影響を色濃く受け継いだアルスランとウルファスの二人は、突出した魔法の才能を持っている。未だ幼いながらに頭角を現す彼らの将来に、不安を感じずにはいられない。
そんな話をトウカン家の滞在最終日の夜に親友のアニスとしていた。
「確かにぃ、曾孫たちは心配なのよぅ」
「今回はうちのアルスランが悪かったね」
「あれはいいのよぉ。条件だけ見れば問題なんてないしぃ、今後の努力次第だしぃ、何より本人次第だものぉ」
問題は…、と明るい口調から一転して、我が友人は言い淀む。
「アシュリー、だね」
「そうなのよぅ…」
そうあの子はトウカン家にとっては、思いもよらぬ問題を抱えているのだ。
トウカン家にはあまり魔法の得意な人間はおらず、曾祖父のイドリースや祖父のマチェイでもあくまで一般的な能力からは脱し得ない。
しかし、アシュリーはそんなものではないほどの才能を秘めている。
魔法の技術はまだ学び始めでぎごちない点も多々見受けられたが、それも今後の練習次第では改善されるだろう。それなりに器用なようなので、それほど時間をかけることなく、ウルたちくらいなら追い抜けるだろう。
また、生まれ持った魔力量や魔法の要素なども一般とは一線を画す才能を所持している。
問題はそれほどの才能には、それなりの指導者が居るべきなのだが、それがいないという点である。
大抵魔法の能力に関する才能は親から受け継ぐ事が多いので、親戚の誰かしらがその子に魔法を教えるのだが、アシュリーのように突発的に魔法の才能に恵まれた子が生まれると、指導者の不在という問題が表出するのだ。
「幼いうちにここに来られてよかったわぁ。もう私たちじゃどうしようもなくてぇ」
幼い双子の冬越えと共に、曾孫たちの様子が心配だったのだろう。本当にたすかったわぁ、と言うアニスの顔は憑き物が落ちたようにすっきりとしていた。
「マチェイかパドラの親戚に似たのかもしれないね」
「多分ねぇ。アシュリーに関してはまさかそれほど凄いとは思っていなかったんだけれどぉ、本人はしっかりしているしぃ、同じようなお友達もできたみたいでぇ、本当に一安心だわぁ」
「そうだね、ウルとは随分仲良くなったみたいだし、能力の高い者同士は互いの境遇も理解しやすいしね」
曾孫たちの将来はとても心配なのだが、妙にしっかりした子ばかりで逆に先のことよりも今に不安を覚える。それでも今回の滞在で、子ども同士で仲良くやっていたようなので、大丈夫なのではないかとも思う。我が家のような皇都の端っこの田舎では同じ年頃の子も少ない。遊牧をしていれば接点は冬を凌ぐ間の最寄でしか持てないのだから、この機会は子どもたちに良い影響を与えられたのだろう。
「まあ、曾孫ちゃんたちの問題は、大分ツェツェグとスレンからは離れるからいいとしてねぇ」
「ん?」
「ねぇツェツェグ、見方を変えてみたらぁ?」
「ん?」
突然話題を変えたアニスだが、あたしには何を言いたいのかさっぱりわからない。せいぜい眉間にしわを寄せ、友人が話し出すのを待つしかない。
「魔物に関してはぁ、遭遇してしまってからのこもを考えると、スレンがいなかったらどうにもならなかったでしょう?」
「……」
「学校生活にしたってぇ、当時既に軍事省だけでなく魔法省からも目をつけられていたスレンが、しつこーくツェツェグにつきまとったお陰でぇ、ツェツェグの才能にも気付かれたわけでしょう?」
「……」
「まぁ、あの時はツェツェグに対するやっかみが特にひどかった時期でもあったしぃ、早々に実力も証明できて、なおかつ嫉妬の対象になったことで周囲の目も敏感になってぇ、一石二鳥だったじゃないのぉ」
「無駄に絡む人が減った分、それ以上に鬱陶しい奴が一人いたけどね」
「だからぁ、スレンのせい、じゃなくて、お陰、でしょう?」
「……」
どうやらあたしが話したスレンに関してらしい。
確かに先ほどあたしがした話は、あくまであたし主観での話である。しかし、アニスの言う解釈は随分と都合が良すぎる。
「それで、そのお陰で、魔法省に入省できたわけでしょう?
大体家に帰る気もなくてぇ、尚且つ皇都で生きていくためにはお金が必要だったんだから、あの就職は当時最善だったじゃないのぉ」
「……」
「確かにあの働かされ方は異常だったしぃ、辞めるに辞めれないっていう状況も信じられないけどぉ。その辞める理由ができたのも、意固地になって久しく帰ってなくて絶縁状態に近かった家に戻るきっかけも、スレンのお陰と言えなくもないでしょう?」
「あれはっ………」
反論しようと口を開いたが、まっすぐこちらを見つめるアニスの目があまりに真剣だったので、何も言えずに口をつぐんだ。そもそもあたしの友人であるアニスが、ここまでスレンの肩を持つのかがわからない。
「今、ツェツェグ幸せでしょう。
子も孫にも恵まれて、今は曾孫に囲まれて生活して、仲のいい家族の一員で、幸せなんでしょう。
スレンを否定すればぁ、今も否定することになるのよぉ」
「………」
「実際にねぇ、“スレンバートル”の名前は未だに影響力を持つけれどもぉ、それもこれもツェツェグのための武勲でしょう?
それを忌避してはダメよぉ。それを利用するくらいの図太さを持たないとツェツェグらしくないわぁ」
「失礼な」
「そもそもツェツェグの名前だってぇ、その筋の間ではそれなりに有名なんだからぁ、スレンだけのせいじゃないでしょう?」
「………」
図星をつかれては何も言えない。
魔法省の方でどうあたしの名が伝わっているのかは知らないが、未だに時々だがこの家まで辿り着く研究バカがいるのだから、アニスの言うことは間違っていない。
「ツェツェグにとってぇ、スレンバートルって人間は災厄を運ぶ存在ではないはずよぉ。
むしろ、ツェツェグにとってより良い選択肢を運んできてくれてるんじゃない?」
まぁ、認める気なんてないんでしょうけどねぇ、と呆れたものを見る目を向けられ、あたしは思わず目を逸らした。
「どんなにツェツェグがスレンを災厄にしたくてもぉ、世間一般から見ればぁ、超優良物件を捕まえたのはツェツェグだしぃ、スレンは悪女に捕まえられた、って図々しく考えている人も少なくはないんだからねぇ」
トウカン家の滞在最終日ということもあり、もう会えないかもしれない、という思いもチラついていたのかもしれない。
夕食も食べ終わって、酒も入って気持ち良くなった頃合いに、あたしの存外軽くなった口からは、これまでのあたしの人生における災難がとめどなく零れ落ちた。
それに対し、親友のアニスから返ってきたのは、あたしがこれまで考えもしなかったようなことだった。…あるいは、認めようとしなかったこと、かもしれない。
「ツェツェグ、好きなように生きなよぉ。私たちおばあさんなんだからぁ。残り少ない人生を大切な人のためだけに使うんじゃなくてぇ、自分とスレンのために使ってあげなよぉ。あなたたちはもう十分頑張ったんだからぁ」
それに…、と言葉を続けながら、アニスはあたしの両手を取って軽く握ってきた。
その手はあたしよりも小さくて、同じように皺くちゃの手だったが、包み込まれるとその手の温かさがまるで心まで届くようにあたしを安心させた。
「私も含めて、みんな年をとって親になって、もう守られる側じゃないのぉ。私たちだって、子や孫を守る存在なのよぉ。あなたたちに頼り切って生きていこうと思うほど、図々しくはないのよぉ」
「うん、そうだね」
「あら」
あたしが素直に認めるとは思っていなかったのか、学生時代とは違って皺に埋もれた目を見開いて、あたしをいぶかしげに見つめてきた。
その顔がおかしくて、思わず笑ってしまったが、アニスは腹を立てることなく、息をついて困ったような表情を見せた。
「私が言わなくてもわかっていたのかしらぁ。まあ、それならそれでいいんだけどぉ」
曾孫たちに諭されたと素直に言おうかとも思ったが、笑ってアニスの手を握り返すだけにとどめた。
あれは、あたしとあの子たちだけの秘密だ。何よりそんな事実を知られたら、あたしはアニスに笑われるだろう。
あんなに小さな子でもわかるほどツェツェグはわかりやすすぎるのだ、と。
こんなことを思い出して心を慰めるほどに、彼らの去った後の日々は味気がなく静かだった。
玄関のベンチに体を預け、物思いに耽っていても、聞こえてくるのは風が草を揺らす音と、それに乗ってやってくる子どもたちの声。
空を見上げれば太陽はすでに真上まで昇り、豊かな日の光を大地に惜しげもなく注いでいた。そんな太陽の輝きを見渡す限りの青空がまるで引立てているかのように見えて、澄み渡る空が一層恋しくなった。
そろそろ中に戻ろうと腰を上げた。
明日も晴れれば、青空を目に焼き付けるため、同じようにここにいるだろう。
アニスに言われたとおり、残りの短い時間くらい優しくしてやってもいいかな、と思い始めたからだ。
まず手はじめに、「おかえり」と笑顔で言おうと思う。
閑話ということで、予定よりも早く更新いたしました。
次回は前回の後書きでお知らせしていた通り、29日に更新する予定です。
いつもお読みくださりありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。




