18.
今日からばばさまと本格的な魔法の練習が始まる。
筈だったが、あいにく天気は雪。
昨日の夜から雪がちらつき始め、その対応に我が家は大慌てだった。
この王都は王邸を中心に広がる都市で、当然のことながら、王家の住まう王邸とその周囲の国の中枢機関の集まる中央は、人員による警備と魔法による結界のようなもので厳重な守りを固めている。
そのおこぼれの様な形で、王都やさらにはその周囲の耕作地帯にも魔法の緩やかな守護がなされているらしい。
いくら大河の畔とはいえ、王都の立地は草原のど真ん中。北から吹き降りてくる冷たい風や、雪を遮るものは何もない。しかし、その王都を守る結界は、対人的なものだけでなく、対自然にも微弱ながら有効らしい。
そのお陰か、この様な立地にも関わらず、この王都は、この国の中でも比較的過ごしやすい気候だという。そのため、扉をも埋まるほどの降雪も多少和らぐらしい。
本来であれば、厳しい冬の寒さを凌ぐためには山の麓や都市の周辺の様に、冬営地として家があり一冬を越せる設備のあるところか、あるいは単順に南に下り国境を越えて他国にて過ごすのが普通である。
ここはあくまでもタクバクさんのお家。人の宿泊に関しては至れり尽くせりだが、遊牧民の財産とも言える家畜のための設備まで面倒を見てもらうわけにもいかないし、そもそも定住民にとっては十分な設備が、遊牧民に十分とは言えないのは至極当然である。
勿論我が家も、あたしが伏せっている間も冬篭りに備え準備は着々と進めていたようだが、夜の降雪の様子から、思ったよりも積雪が早く、大地はあっという間に薄っすらとした雪化粧を終えた。
チビ二人を除いた家族皆は、慌てて家畜を入れていた簡易テントに向かった。
冬に向け本来ならば、家畜の数は冬を越えられる数との兼ね合いで屠殺し、干し肉などの保存食を拵えておくのである。
しかし、この冬は端とはいえ王都にて過ごすのを踏まえ、それほど数を間引きしなかった。そのため、外気の寒さから家畜を守るためのテントを三つに分け、分散してしまい、家畜たちで固まって暖を取るにも、また私たちが対応するにも難しい状況となっていた。
「ちっ、俺の見通しが甘かった」
父が小さく悪態をついているのを聞いてしまったが、それでも父は動きを止めるなんてことはしなかった。
「ジル、うちの空き小屋使っていいってよ」
「恩に着る」
その場しのぎとして、まず家畜を一つに纏めようと大型の幕屋を組み立てようとしていたところで、家から走ってきたのだろうルスティムからありがたい申し出を受けた。
「こっちだよ。でも全部は入りきらないと思う」
「いや、十分だ」
父と曾祖父のみ後を追い、後の面々は家畜たちを宥めるために残った。
私たちの焦りを敏感に感じ取っているのか、目を覚ました家畜たちも落ち着きがない。ナンサとあたしはまだ小さい子供の家畜の近くで、彼らを只管撫でていた。
程なくして父たちが戻ってくると、まず数の多い羊を先に移動するようで、曾祖母、母、ナンサとあたしのいたテントの家畜を、父を先頭に小屋へと連れて行く。
曾祖父母が空いたテントを片し、あたしたちは家畜たちが群れから逸れない様に注意を払う。
家畜たちも空気を読んでくれたみたいで、何事もなく小屋に辿り着き、全てを小屋に引き入れ、数を確認すると、両親はすぐさま次のテントへと向かおうとする。
「お前たちはここでこいつらを見てるんだ、できるな」
「うん」
ナンサに習い、あたしも大きく頷いて、任せろと父を見上げた。
「よっし」
とあたしたちは頭をがしがし撫でられ、二人は外に出て行った。
「わたしは入り口にいる。アシュリーはこの子たちについててあげて」
「ん」
「みんな不安になってる。お歌でもうたってあげて」
そう言って、ナンサもあたしの頭を一撫でして、両引き戸の戸を片方だけ開けて、中の家畜が逃げない様に、また外から誰かが来たらすぐ分かる様に戸口に立った。
ようやく早鐘を打っていた心臓の音が落ち着き、辺りを見回す余裕が出てきた。
改めてきちんと小屋を見れば、前世で言うところのガレージの様な作りだった。空き小屋と言いつつ、中は綺麗で、多少の干し草が端に纏められているだけだった。天井がやや高めで、あまり圧迫感を感じないのが救いだった。
この小屋の入り口から見て左奥の隅に羊たちは身を寄せ合って、固まっている。彼らは大体この小屋の半分を占めている。そのすぐそばであたしは座り込み子羊たちを撫でていた。
ふと入り口を見ればナンサと目が合い、笑顔で頷かれたので、あたしも頷き返す。
羊たちに向き直り、心配しないで、安心して、との思いを込めて、あたしは歌い始めた。
湊が好きな曲。
ある美しい少女への愛を連ねた歌詞。
日本語訳よりも、原語の響きの方が好きでがんばって覚えた、お気に入りの歌。
寒さの厳しいこんな天気にも、冬という季節にも、羊に囲まれたこの状況にも、なに一つ当てはまるところなどないけれど。
好きなように歌えば、羊たちは聴いてくれて、さらには鳴き声まで返してくれる。
ただの気のせいと言われればそれまでだけれど。
三番まで歌い終えると、すぐ近くにウルがいた。
驚きのあまり声も出ず、穴が空くのではないかというぐらいウルを見つめた。
「うん、おどろくのはわかる。
おれらも手伝いに来たんだ」
ウルの父と祖父母が手を貸してくれているらしい。ウルはルスティムに言われ、こちらの様子を見に来たらしい。
気を取り直して小屋を見渡せば、入り口にはナンサと話すアルスもいた。
「さっきの、えいご?」
「ん」
「すげーな、おぼえてるんだ」
「うん」
頑張ったから、とか、まだね、なんて言葉も浮かんだけれど、口にはしなかった。
ウルはそのまま腰を下ろし、近くにいる羊たちを大丈夫、大丈夫と安心させる様に撫で始めた。
「さっきの曲、おれ、はじめてきいた」
「そう」
「なぁ、もう一回、」
ウルが言いかけたところで、その言葉はアルスによって遮られた。
「次、来るぞー」
「アシュリー、ふまれないように、気をつけてね」
どうやら父たちの誰かが、別のテントに入れていた家畜を連れてきた様だ。
ナンサの言葉からすると、次は山羊かもしれない。彼らは羊よりも大きい。このアシュリルの子供の身体だから余計にそう感じるのかもしれないが、こちらの動物はどれも地球の時よりも大きいような気がする。
今すぐ近くにいる羊の中には、二本の角を携える種もいる。彼らがきちんとあたしの存在に気を使っているからこそ、あたしは踏まれたり、突進されずに済んでいるのだ。
今小屋に連れて来られている家畜たちは、相当なストレスに違いない。
迂闊なことはしてはいけない。そう思い、羊たちを驚かせない様、ゆっくりと立ち上がり、壁際に寄って待ち構える。
両引き戸が開かれ、その両側にナンサとアルスが立つ。
一番に姿を現したのは父、その後ろからは山羊の群れが小屋へと雪崩れ込む。やはり興奮しているようで、その足取りはやや荒い。
「限界か」
最後尾に入ってきた母を確認し、父は小屋を見渡してそう言った。
「子供たちはここで待機な。俺らは残りの羊のテントをなんとかしてくるから」
「山羊たちは少し興奮してるから、気をつけるのよ」
「パドラ、行くぞ」
再度両親は雪の中に戻っていった。
残された子どもは、互いに顔を見合わせ、そして動物たちのひしめく小屋を見渡して、ナンサとあたしは安堵の息を漏らし、逆にアルスとウルはこれほど多くの動物に囲まれたことがないのか、目に見えて分かるくらい同様の色が見て取れる。
「アルス、そっちしめて」
「あっ、うん」
しー、っと人差し指を立て口のあたりに持ってきて、ナンサは静かに戸を閉めるよう促す。
片方の戸が閉まり、中から見てナンサの立つ右側だけが開いた、先程と同じ状態となる。
一部始終を動物たちの様子を注視しながら見ていると、申し訳なさそうな顔をしたナンサと目が合う。声には出さず、所謂口パクで、“おねがい”とナンサは言う。了承の意を表すために、あたしは小さく頷き返す。
壁際からゆっくり動き、山羊たちの元に向かう。途中ウルにそこから動かないよう、立ち上がりかけていた動きを手で制して、先程の羊の時よりはやや距離をとって、いつでも逃げられるよう、立ったまま歌う。
これがどれほど効果のあることなのかは分からないが、彼らはよく耳を傾けてくれる。そして反応まで返してくれる。不安でストレスを感じているときでもそう都合よくいくのかは分からないが、今はやるしかない。
本当はナンサ以外の前で歌うのは恥ずかしい。でももう既に聴かれているのだ、と自分を励ます。
歌うのは、先と同じ愛する者への歌。
美しい調べはあたしのアカペラでは表現しきれないが、安心して、と労りの心は籠められる。この小屋一杯にこの思いが満ちればいいのに。
三番まで歌い終えば、動物たちの瞳に落ち着きが戻ったのが分かる。子山羊が足元にすり寄ってきたので、その場にしゃがみこみ、子山羊たちを撫でながら、同じ歌を今度は日本語で歌い始める。
二番まで歌い終えたところで、この小屋の空気が変わった。
まるで暖かな人肌に包まれるような、安らかさを感じさせる空間がこの小屋全体を包み込むような、そんな感じ。
所謂囲いができたことで、あたしの紡ぐ歌もこの空間に留まり、この場を占める清適な空気と合間って、本当にこの空間にあたしの思いが満ちていくような気がした。
歌を終えるのがこんなに惜しいと感じるのは恐らく後にも先にも今だけだろう。そんなことを考えたところで、三番も歌い終える。
声や物音も聞こえず、微かに耳に届くのは外で振り続ける雪が時折風に巻き上げられる音。
この小さな空間だけが雪によって世界から切り取られてしまったのではないかと、そう思うくらいに周りの音はあたしに届かない。
入口に背を向けていたあたしは、そちらに体の向きを直したものの、そこには変わらずナンサとアルスしかいなかった。
「ばばさまは?」
尋ねたあたしの声はそれほど大きくないはずなのに、驚くほどこの空間によく響いた。
「いるよ」
姿を現したばばさまにナンサは随分驚いていた。
アルス達とは違い、まだ魔力や魔法の発動を感じ取れないからだろう。
「みんなお疲れ。ここはあたしに任せて、もう家にお戻りなさい」
二人で一枚ずつの毛布を手渡され、あたしたちはばばさまに言われるまま小屋を後にする。家畜たちももう大丈夫だろう。一度振り返ってみれば、寒さに耐えるために彼らは固まっていた。既に生きるために動き出していたのだ。
タクバク家に戻れば外気との差に頬が熱くなる。
玄関から入った土間のところで雪を払い、エステルに促されて外套を脱ぐ。彼女がそれぞれの外套をハンガーのようなものに掛けて、あたしたちをばばさまの部屋まで連れて行く。
ばばさまの部屋は一段と温かく、体が温まるのに比例してどんどん眠気が強くなっていくのを必死にこらえた。
それぞれに用意された寝巻に着替え、エステルには一人ひとりがふかふかのタオルと、ドライヤーのような温かい魔法の風で、雪で濡れた髪を乾かしてもらう。
恐らくあたしが一番小さいからだろう、真っ先にやってもらって、くっつけられたベッドで寝るよう言われた。
そんな甘い言葉に逆らえるわけもなく、我先にと布団にもぐりこむ。
昨日の記憶はそこまでで、目が覚めたあたしはもそもそと布団から起き上がる。
一番窓際で寝ていたらしいあたしは、右隣にいたナンサを起こさないようゆっくりベッドから降りた。
窓から外を見れば、辺り一面に銀世界が広がり、未だ振り続ける雪が世界をさらに白く染め上げようとしていた。
寝ている彼らを起こさないよう静かに退室し、既に勝手知ったるこの家で、迷うことなくリビングに向かった。そこなら誰かはいるだろう。
思った通り、リビングにはばばさまと、アニスばあさま、そしてウルたちの祖父母がいた。
「あらぁ、早いのねぇ」
「おはよう、ございます」
起き抜けだからか、かすれた声が口から零れる。まるで自分の声でないように感じて、言いようのない不安が胸をよぎる。
朝の挨拶を皆から返してもらったことで、その不安はたちまち霧散する。
こっちこっち、と手招きするアニスばあさまとばばさまの間に座らされ、ほどなくして温かいお茶の入った湯呑を目の前の座卓に置かれる。ウルの祖母が用意してくれたようで、慌ててお礼を述べれば、いいえ、とにこやかに返された。笑顔の可愛らしい人である。
湯呑に手を伸ばしたところで、隣のばばさまも同じく湯呑を手にしながら、「今日の魔法の練習はお休みだね」と言って、ずずっと音を立ててお茶をすする。
「はい」
あたしは小さく返事をしてから、湯呑に口をつける。
恐る恐る湯呑を傾けたが、思った通りお茶は熱く、あたしはそっと湯呑を元に戻した。




