14.
「…アルス、おまえ今いくつだ?」
「10歳です」
直球なアルスの要求に、父の声は地の底を這うかの如く低く重々しく響く。
「俺は反対だ!」
興奮して声を荒げた父。そしてそんな父を宥めすかすのはいつも母の仕事だ。
「まぁまぁ、落ち着いて。せっかく話し合った内容と全然違うじゃない」
「でもっ」
「それに対してぇ、トウカン家からの条件があります」
父の言葉に被せ気味に発言した曾祖母の条件について、気を取り直したのか一つ咳払いをしてやや落ち着いた声で再び父が述べる。
「…一つ、実力を身につけること。
二つ、初等教育終了までに一個でもよいので各省庁からの推薦を受けるぐらいの成績を修めること。
三つ、両家でこのように取り決めが行われていることをナンサに知らせないこと。
最後に、これらの条件を満たしていたとしても、最終的に決めるのはナンサだ。あの子がうんと言わなければ、それで終わり。」
これやっぱり中々厳しい条件だよな、と後ろのウルが小さく呟いた声が聞こえた。あたしも家族会議を聞いていてそう思ったが、ナンサのことを思えばこれくらいやってのけて欲しいと思う自分もいた。
父が最後までごねたせいで、普通の子供では簡単には達成できないような条件を突きつけることとなってしまった。
一つ目は単純である。弱いやつに娘はやらない。ただ、それだけ。
二つ目は確かな職も持たない奴のところに娘を嫁になんて出せるか、ということだろう。優秀なばばさまの血を引いているということの期待からか、これは随分ハードルが高いように感じる。恐らくだがそれくらい頑張れ、才能に胡坐をかくな、というアルスに対する戒めでもあるのだろう。
三つ目はナンサの性格を考慮してのことだろう。
「期限はナンサが初等教育を修了する15歳まで。ナンサの卒業までに何ともできないようならあきらめろ。そのかわりこの期間は、ナンサの相手を探したりはしないし薦めない」
「我が家の家族のことだからねぇ。ナンサには幸せになってほしいのよぉ。」
「条件だけ見て考えれば、アルスは素晴らしいんですよ。才能豊かで学業も優秀、将来も有望そうで、長男ということで食いっぱぐれる心配も少ないですし、何よりナンサを大切に思ってくれている」
今はという条件付きですがね、と付け足した曾祖父の声はどこか困ったような響きを含んでいた。
「おまえはまだ子供で、二人とも先はまだまだ長い。人の気持ちってのは移ろいやすいものだし、人生の決断をそんなに早く決めることはない」
「お互い学校できちんと勉強して、学友との交流から多くを学んでください。それから決めても、遅くはないはずです」
父や曾祖父がそうは言いつつも、実はこの国の女性の結婚適齢期といえば、大体15歳から20歳前後。今のナンサ程の年齢で婚約者が決まっていることはあまり珍しいことではないのだ。
それもこれも、栄養の偏りがちな遊牧民が短命であったころの名残である。
平均寿命が30~40歳ほどであった人々は、当然早くから子孫を残そうとし、若くて元気なうちに嫁を貰うということは極当たり前に行われてきた。
しかし近年の魔法具なるものの発明・発展に伴い、草原を駆ける遊牧民の野菜摂取量がそれ以前と比べ大幅に増加したことで長生きしやすい土壌が固められた。これは本当にここ100年から200年の話で、結婚は十代で行う、というのがまだまだ一般的である。
「うちからの条件は以上だ」
一応これで事前の家族会議で決められたトウカン家からの要求はすべて話したことになる。
それに対して、後はタクバク家からの反応待ちだ。
「此方としても、それで問題はないね。ただ何故ナンサに言わないの?」
すぐさま反応を返したのはばばさまだったが、予想していたよりも口調に鋭さは感じられない。純粋に疑問に持ったためであろう。
「もしアルスが婚約者になったらぁ、あの子はね、知らない人ではないから良いかな、って考えちゃう子なのよぉ。それで本人が納得しているならいいんだけどぉ、でもまだ8歳でしょう。その先ずぅっと一緒にいる人を、こんな若いうちからそんな風に決めてしまっていいのかなぁ、って私たちは思うの」
「そうだね。あんたに似てるわ」
そうかなぁ、ととぼけたように返す曾祖母だがばばさまはそれにいちいち取り合ったりはしない。
「アルス、ナンサっていう人様の娘さんを嫁に欲しいんだから、精一杯頑張りなさい」
「はいっ!」
ひとまずこれで話はまとまったようだ。
ばばさまの真摯な言葉はきっとアルスの心にも届いただろう。あのきらきらとした目ではっきりとした返事を返したに違いない。
「あー、やめたくなったらいつでも言え。取り消しは可能だ」
なんて意地悪な言葉だ。
それと同時に、父がもう半ばアルスを認めていることにも気づく。
「……」
「アルス」
「…分かりました」
ルスティムに促され、返事だけを返すアルス。
ここで言葉を重ねないアルスにあたしは胸を撫で下ろす。
心変わりすることは決して稀なことではない。
取り消したりなんてしません、とか、そんなことあり得ません。なんて言葉にするのは簡単で、そしてアルスの今の年齢から考えればその言葉の儚さは火を見るより明らかである。
今そんな言葉を口にすれば、将来自らのその言葉に雁字搦めになるときが来るかもしれない、という大人の心配は当然だろう。そして、その大人の意図を汲み取れるアルスという人間の周囲を把握する能力の高さに改めて賞賛を送りたいと思った。
また、この大人の心配はナンサにも向けられている。
内面的なところから見ても、アルスは特に問題があるようには感じられない。むしろ責任感も強そうで、己のすべきことに聡い子だろう。そんな子が、もしナンサの他に好いた相手ができたとき、自ら進めたこの婚約に待ったをかけられるとは思えない。その責任感のままにナンサと結婚なんてことになったら、ナンサは許しても我が家は断固として認めない。
我がトウカン家の一番の懸念材料は恐らくこの点。
「さあ、これで話は終わり。トウカン家の方々、我が家のためにわざわざ集まっていただき感謝します。どうぞこの子の成長を温かく見守ってやってください」
終わったかな、と魔法を解こうと思ったところで再び父の声が聞こえた。
「弱い奴にうちの子はやらん。俺やナンサより使えない奴なんて以ての外だ」
「はい」
声音からもアルスが真剣であることは十分感じられるのだ。その場で顔も態度も姿勢も見えている父たちは、より彼の真剣さを感じ取っているのだろう。
きっとあの薄緑色の宝石のような瞳は、純粋さと一途さを湛えた輝きを放っているに違いない。
やがて、寄せては返す波の音のように皆の声が遠ざかっていくのをあたしはぼんやり聞いていた。
「終わったな」
「そうだね」
ウルの声に何処か遠い世界から自分がここに舞い戻ったような気がした。
会議の盗聴という目的が果たされたので、あとは撤収作業を進めるだけ。
あたしが握っていた毛布の端を放せば、ウルの手も放れ、二人して立ち上がる。
二人で被っていた毛布と敷いていた布を畳み終えたところで、ウルはランタンの火の始末をする。一瞬闇がこの空間を支配したが、すぐさまウルの出した小さな魔法で、再び暖色系の明かりが辺りを包み込む。
「よし、おりるぞ」
先に行け、との指示を素直にきき、あたしは梯子に足をかけ下へと降りる。
あたしが下に着いたのを確認してから、ウルは上から畳んだ毛布類を下して、自らも降りてきた。
ウルの部屋に荷物を置いてから、あたしたちは先程まで両家会談が行われていた食堂に戻ってきた。
そこには、ばばさま、ルスティム、エステル、アルスと、イドリースじいさま、アニスばあさま、そして父さんが居た。
何やら言い合いをしているらしい。
「だから、実力を身につけろというからには、この子にもあんたのその有り余った実力を見せてやってとお願いしているんだ。このあたしが」
「いや、でも、そんな。俺が指導してしまったら、アルスならあっという間に俺なんて超えてしまうんですけど…」
間違えた。ばばさまの独壇場のようだ。
「いいじゃないのぉ。ついでに子どもたちみんなのこと看てあげなさいよぉ。
その代わりぃ、ツェツェグも魔法の指導してくれるならぁ、おあいこでしょう?」
さすがアニスばあさま。譲歩しているようで、こちらの利益ももぎ取っている。
ばばさまはそんなうちの曾祖母に慣れているのか、諦めたように一つ溜息をついた。
「わかった。魔法の方はあたしが責任持って子どもたちを看るよ。子どもたちの身体のこともあるから、アシュリルまでだね。それ以下の子たちはまだ駄目だ」
「ありがとぉ。じゃあ、ジルバもそれでお願いねぇ」
「…はい」
丸く収まったようだ。しかし父は納得いかないようでまだ何かぶつぶつ言っている。
天才に指導なんて…、…は俺よりずっと強いのに…、あいつの方が将来強くなるし…。
というような愚痴もばばさまの一睨みと、アニスばあさまの「ちょっとは動かないと太るわよぉ」とのお言葉で父は口を噤んだ。
退出しようとしていたばばさまはあたしたちを見つけると、こちらに向かってきた。
「まあまあだったね。
繋げるときに魔力を流しすぎて、ばればれだった。でも繋げた後はよかったよ。微弱な魔力は先を辿るのが難しいからね」
やはりばれていたようだ。上手く出来たつもりでいたが、ばばさまから見ればまだまだなのだろう。褒められた行いではないため、目を合わせることがやや憚られ、あたしは俯いていた。
「明日から特訓が始まるんだから、あとは早く寝なさい」
「「はい」」
二人の返事が被り、そのことが可笑しいのかばばさまは愉快そうに口の両端を上げて、「魔法か武術かはまだ決まってないけれどね」と言った。
するとあたしたちの頭を一撫でして、おやすみと言ってその場を去っていった。
「「おやすみなさーい」」
ばばさまの後ろ姿に掛けた就寝のあいさつがまたもや二人で揃ったところで、今度はアルスから声を掛けられた。
「二人とも、指導してくれるって話、聞いていたんだろう?
一緒にがんばろうな」
混じりけのない笑顔であたしたちにも気遣いを見せるアルスにあたしは感心してしまう。なんてできた子なのだろう、と。
「でもおれ、お前の父さんより絶対強くなるから」
次いで告げられた決意から彼の真剣さを目の当たりにする。こんな風に意地になるところは子どもだ。こんな素敵な子どもを応援してあげたい気持ちから、すこし意地悪なようだが忠告めいた言葉を贈る。
「うちの父さん、色々できるから。がんばって」
おう、とこれまたにこやかな顔を返されてしまい、あたしのおせっかいは通じたのかどうか分からない。
そのままあたしたちの横を通り過ぎて行ったアルスは、恐らくナンサのいるナーシャの部屋へ向かったのだろう。頬をやや上気させて嬉しそうな表情を浮かべていたのだから。
「びみょうな助言だな」
「そう?」
「おまえの父さんができるってことは、ナンサもだろ」
「そう、めざすのはうちの父だけじゃ足りないよって」
あー、あたしってば超優しい。
「アルス、分かったかな」
「おしえたら?」
「しないよ。これはアルスががんばるやつだから」
ウルの表情や声音は兄に対してのものとはやや違って、まるでウルの方が兄のような、どこか包み込むような温かさを感じさせるものだった。当然と言えば当然だが。
「ということは、おまえもか」
「くらべる相手がナンサしかいなかったから、いっぱんてきに見てどの位なのかは分からないけど…」
一応前置きをしたうえで、あたしは親切にもウルの質問に答えてやる。
「日本人てきにはありえないね」
恐らくドヤ顔で言い切ったであろうあたしに、苦笑いを浮かべたウルは絞り出すように言葉を発する。
「…さんこうにならねぇ」
「なるわけないじゃん。今あたしたちのもつ力は、生きることに直結しているんだから」
元々の土台が違うのだ。比べられるわけがない。
「でもナンサは、なんでもうまいよ」
「…なんでも?」
「そう、なんでも」
父は様々な武器を扱うのが非常に上手い。
弓、刀剣、槍、小刀・短剣、棍棒等々。主に馬上での狩りを想定とした武器を扱えるのと同時に、陸上ではこれらに加え、体術の方も得意としているのだ。
はたしてここまでできる人間を器用貧乏と呼んでよいものか迷うが、あまりに多種多才過ぎて、“なんでも”という安直な表現になってしまうのだ。
恐らく、魔法がほとんど使えないからこそ武術に特化して経験を重ねたというのもあるだろうが。
このことをウルに説明してやれば、ついに頭を抱えてしまった。
「……アルス、ぜんとたなんすぎるだろ」
確かに前途多難だが、あの意志の籠った薄緑色の瞳が輝き続けるなら、アルスはきっとナンサを手に入れられるだろう。まあ、簡単ではないと思うけどね。




