13.
はじめて魔法を上手く使えただけなのに、しかもあの魔法は風属性の中では初級らしいというのに、たったそれだけのことがあたしとしてこの世界にいることへの肯定のような気がして、大声で叫びだしたいほど心が震えた。
それぞれの家でなされた話し合いの内容を、互いに聞きながら取ったメモで確認し、恐らく今日の夕食後に行われるであろう両家の話し合いに備える。
タクバク家の話し合いはすぐに終わったようだったが、トウカン家の話しは随分長引いた。その主たる原因は言うまでもない。
そのため外は既に日没寸前。茜色の空は西の一部のみで、残りは全てを包み込む闇の支配下に置かれ、青白い月が東の空に顔を覗かせている。
この世界も地球と同様に空は東から昇り西に沈む。太陽は燦々と輝き、大地を照らし、生命を育む。夜には星が瞬き、月が柔らかな光で微笑めば、闇が生物に安息をもたらす。
そう、何も変わらない。
でも、こっちの生活で気づいたこともある。
自然の恵みは偉大すぎて、畏怖の対象でもあるという二面性を持つ。
太陽を遮り、闇を切り取った地球の生活は確かに便利で、あたしはあれを当然のものとして享受していた。
しかし、それは違うのだ。自然は斯くもあたしたちに慈悲深く、ときに厳しい。そんな当たり前のことに気づけたのも、今と前の両方を知っているからだろう。
だからこそ、より自然への思いは深くなっていく。それは、前との共通点を多く見出せるというのも理由かもしれない。
「じゃあ、夕食後にまたここな」
「わかった」
敷いていた布も膝にかけていた毛布ものもままで良いと言われ、紙とペンなどの道具も置いて、あたしたちは一先ずここを後にした。
鼻をくすぐる良い匂いに誘われ、階下の台所に行けば、そこでは炎の龍が舞っていた。
いや、比喩ではなく、本当に。
「ちょっ、ばばさま!落ち着いてっ」
「あたしは落ち着いているよ」
「そうねぇ、受け取った時点で燃やさないでわざわざ土間の台所まで持って来てるしぃ、ツェツェグの苦手な火でなんとかしようとしてるっていう判断を見る限りはぁ、十分冷静よねぇ」
確かに端から見ても慌てているのはルスティム唯一人。我が曾祖母は相変わらずのほほんとした態度を崩さず、龍の形を為した炎を従えるばばさまも、魔法以外は極めて普通である。
しかし、これで苦手だなんて。
実際のところ炎の龍はそれほど大きくはない。それでもばばさまの頭上辺りをフワフワと漂い、小柄なばばさまの身長と同じくらいの炎を自在に操る様子を見る限り、やはり只者ではないのだろう。
「ここ、他に火がもえうつらないように、ばばさまとくせいの空間が作られてるんだ」
何でもないような声で言うウルの説明で、ばばさまが落ち着き払っているのが事実であることがよくわかった。
むしろここまでしてまで燃やしたいものとは何なのだろう。ばばさまが消し炭にしたくなるほどの物が何なのか気になる。
かたんっと音のした方を見れば、外での作業から戻った様子の母とエステルが、台所の勝手口のような所から入ってくるところだった。
手に持つ籠を見る限り、じゃがいものような野菜を洗ってきた帰りのようだ。この状況を見ても顔色一つ変えないエステルを見れば、この光景がタクバク家にとって日常と言っても差し支えないのかもしれない。
あたしの母は呆然とした顔で戸のところで立ったままだ。トウカン家でまともに火が使えるのは、あたしの祖父のマチェイじいさまだけだし、それでも普段見慣れたものとは魔法の質も毛色も段違いである。
こんな混乱を治めてくれたのは、ウルの祖父であった。
「はいはい、それは俺が預かりますよ。どうせ封も開けてないんでしょう」
「…三日と空かずにこんなものを送り続ける気が知れない」
「極々稀に大事なことが書かれてるんですから、燃やすのは待って下さい。俺が一応目を通して、重要だと判断したら母上にお返しします。それでどうでしょう」
伺うような言葉ながら、ウルの祖父は全く引く気がないようだ。一瞬で炎を跡形もなく消したことから、ばばさまが折れたことがわかる。
「わかったよ。ナツァグもイラっときたらすぐ燃えカスにしていいからね、それ。あたしは機械の調子でも整えてくるわ」
「あ、ツェツェグ。うちのもみて欲しいぃ」
ばばさまとアニスばあさまが出て行くのを見送ると、ウルの祖父はばばさまが地面に置いていた白いものを拾う。
先ほどの会話からもなんとなくわかったが、ばばさまが燃やそうとしていたのは手紙のようだ。
「すみませんでしたね、夕食作りの邪魔をしてしまって。何もお手伝いできなくてすみませんが、楽しみにしてますね」
では、失礼します、と小さく頭を下げて、少し嫌そうにでもどこか大事そうに先ほどの手紙を懐にしまい、颯爽と台所を後にしたウルの祖父。
あたしにはまるで嵐が過ぎ去ったかのようにも感じられたが、タクバク家の面々にとってはやはり対したことではないらしい。ウルの祖父が場を収めれば、すぐさま夕飯作りが始まった。
まだぼんやりしているうちの母が心配だ。
子供は邪魔だと追い出されたので、大人しく食堂で食事の支度が整うのを待つことになった。
ほどなくして匂いを嗅ぎつけた面々が集まり、食卓には様々な料理が大皿に盛られ並べられる。最後に入ってきたばばさまとアニスばあさまが席につけば、あっという間に賑やかな食事が始まった。
美味しい食事に舌鼓を打ちながら、今まで考えもしなかった違和感を覚える。
「そういえば、あたしこっちの食事おいしいってかんじてる…」
「そりゃあ、使ってる食材、ほとんどかわんねぇもん」
心で考えていたことに返事が返ってくるという驚きのままウルを見れば、声出てた、と言われ納得する。
顔が熱い気がするのは、きっと目の前に並ぶ熱々の料理のせいに違いない。今日の夕飯は昼の狩の成果の兎肉のスープ、ジャガイモ(に似た芋)と保存用に塩漬けされた豚肉(のようなもの)を炒めたもの、(ほぼ)カボチャサラダ、そしてこの家の小麦で作られたのであろうパン。
うん、おいしい。
騒がしい夕食も終わり、ぼちぼち片付け始めれば、子どもは部屋で遊んでなさい、とのお言葉をウルの祖父母からいただく。
子どもに聞かせるつもりはないらしい、ってことは分かっていたので、ここは大人しく従うことにする。
「ナーシャ、みんなをよろしくね」
「うん。ナンサわたしの部屋に行こ」
「ちょっとまって」
そう言ってあたしの元へやって来たナンサは、
「アシュリーはどうする?」
とわざわざ聞きに来てくれた。
あたしは首を振ってそれに応える。
「ううん。あたし、ウルとさっきまでしてたあそびの、つづきするってやくそくしたの」
「わかった。ウルにあんまりわがまま言っちゃダメだからね」
チャナーとチャウラのことも聞いてくるね、と言ってあたしの頭を軽く撫でた後、今度は両親の元へと向かって行った。
まだ起きている妹たちはナンサに預けられ、お姉さんの二人に連れられ食堂を後にした。
子守を押し付けたようで、ナンサたちには申し訳ない。あたしは見た目は否定しようもなく幼い子どもだが、精神年齢から見れば既に成人しているのだ。
「よし、おれらも行くか」
「ん」
食事の間にすっかり日は沈み、梯子を登った先は真っ暗で淡い月明かりのお蔭でかろうじて手元は見えるというような状況であった。
先に着いていたウルがどこから出したのか、キャンプなどでよく見かけたランタンのようなものに火を入れ、暖かな橙色がこの小さな空間を染め上げた。
明るくなった足元に安堵の息を漏らしつつ、夕食前と同じように外への扉を前に二人並んで座る。
「さて、どこで両家かいだんが行われるのかな」
呑気に呟きつつも、ウルの体の周りには緩やかな風が旋回し始めている。
さっきそれほど感じなかった風の冷たさが、日没とともにやってきた急激な冷え込みのせいかやけに鋭く感じる。
「ばばさまのひみつのへやじゃないの?」
「おれもそう思ったんだけど、だれもいないんだよなぁ」
どうやらタクバク家が先ほど家族会議を行っていた場所ではないらしい。
やはり曾祖母同士が仲が良いとはいっても所詮は他人。この家の大事な部屋へは入れたくないのかもしれない。あるいは、あたしの父が原因な気もしないでもないが。
「あ」
どうやら見つかったようだ。
「みんな、しょくどうにいる」
「へぇ」
やはり父さんのせいかも…、なんて考えていたら、突然訪れる抑えきれない衝動。
「へっくち」
子ども故かあまり勢いの足りないくしゃみとなってしまった。幸い鼻水は出ていない。子どもの体には少しの寒さもすぐ影響を及ぼすらしい。
毛布をズルズルと持ち上げ、首の辺りまで被る。ああ寒い寒い。
そんな本人の冷静さを余所に、なぜか慌て出したウル。
「えっ、さむい?
ご、ごめんな。おれ、ばばさまみたいに、空間を作ってその中をあたたかくしたり、すずしくしたりとか、うまくできないんだ…。
えっと、さむいよな。あー、それに、毛布もこれしかもってきてないんだよ。ごめん…」
なぜウルがこうまで気落ちし、あたしに対して謝り倒してくるのかが全くわからない。そう不思議に思う間も、本当にごめん、これじゃあ全然学習してないよな…、なんて一人反省会を繰り広げている。
「なんでそんなにあやまるの?」
え、だって…。もごもごと話しながら、口を尖らすウル。相変わらずどんな表情も仕草も似合う顔だ。
「この前おれがむりさせて、おまえねつでて、ずっとねこんでたから。
…ばばさまと母さんには、めっちゃおこられたし」
あんたの本音は後半だろう。確かに、あの二人のお叱りは精神的にきそうだ。
さて、何かよい方法はないものか。
「あ」
「なに」
「あたたまるのに、よい方法を思いついた」
「なになに」
「…」
言おうか言うまいか。
対したことではない筈だ。しかし、口にするのは些か憚られる。これも、あたしが既に大人であるが故の逡巡である。
「言ってみろって」
促されたなら仕方が無い、と思おう。
「あったけぇ」
「ん」
なかなか温い。
あたしはウルに背中から寄りかかり、毛布の端を左右の手で持ち、そのまま膝を抱えた体育座りの姿勢である。
ウルはあたしの後ろで背もたれと背中の貼るホッカイロ的な役割を果たし、肩にかけた毛布はちゃんと二人の全身を温めてくれている。
「はずかしがるひつよう、なかったね」
「だろ」
この温さを知ってしまったらもう手放せない。
冬にぬるいお風呂に入ってしまったら、もう追い焚きするまで出られない。そんな状況に近いかもしれない。余計寒さを感じるのだ。
この案を提案するのに躊躇ったものの、いざ言ってしまえば、返ってきた答えは非常に単純であった。
「え、おまえ、小学生はたいしょうがいだろ。おれは6さい、おまえは4さい」
「そうだね」
「せいしんてきに大人な分、おれはアッシュもアルスですら子どもにしか見えない」
「たしかに」
だろ?
首を傾げ同士を求めるウルの言葉は至極最もで。ついさっきまで何を恥ずかしがっていたのだろう。何度ウルを見ても、様々な仕草からも、非常に可愛らしい子どもという印象以外抱かなかった。それが答えだろう。
そんなこんなで、あたしがウルの間にすっぽり収まるという図が完成するのである。
「手のおきばにこまる」
先ほど自分で言ったことを忘れたのか。
「あたしのおなかに回せば、あったかいんじゃないかな」
「なに言ってるんだ」
「だって、ありえないでしょう」
「まぁな」
腹に手を回されたことで、あたしは傍から見ればやや抱っこされているような形だろうが、温いので文句はない。
「あ、はじまる」
ウルの知らせにあたしも慌てて風にお願いして、届く筈のない声に耳を傾ける。微かな音がはっきり聞こえ出したところで、先ほど同様糸を張り此方と彼方の紙コップを意識する。父やルスティム明瞭な声が聞こえて来たことで、この魔法の成功を実感した。
「さて、みんな揃ったね。
まぁ、話の内容はここにいる皆が分かっていることだとは思うが、まずは本人の口から皆に伝えなさい」
ばばさまの凛とした声から始まる両家会談。“本人”とばばさまから発言を促されたアルスが、これまた少しも狼狽えた色など露ほど感じさせることなく堂々と述べた。
「おれ、ナンサとけっこんしたいです。ナンサをおよめに下さい」




