番外編 そんなつもりじゃなかった(カレン)
カレンが北の修道院、フローリス修道院に来て半年がたった。
最初に驚いたのはここには男性が一人もいない事だった。
カレンは修道院で暮らす事になったがまだ希望を抱いていた。
修道院にはきっと司祭や修道士がいるはずだ。そいつらを誘惑して逃げる算段をつければいい。
この国でなくても隣国にでも渡って適当な男を見繕って生きて行けばいいんだからと思っていた。
だが、フローリス修道院には男性が一人もいなかった。
「嘘よ。そんな事あり得ない」
修道院長のマリア様からそう聞いてカレンはそう言った。
「いえ、事実です。ここでは畑仕事も水くみも蒔き割りも何でも女がやります。いいですかカレン。みんな食べるためには仕事をしなければなりません。ここでは仕事をしないものは食べ物は与えられません」
「でも、病気になったらどうするんです?怪我をして動けなかったら?」
「それは別の話ですね。元気な者は働かなくては食事は出来ないんです。まず、あなたには簡単な仕事から始めてもらいましょう。皆が暮らす寮の掃除を受け持ってもらいます。心配はいりませんよ。先輩のシスターハンナが指導してくれます」
シスターハンナはここではかなり古株なのかカレンから見れば母親くらいの年齢だった。
「でも、院長、私いきなりは無理です。だって、ここに来るまでに乗り心地の悪い馬車に揺られたせいですごく身体が痛いんです。だから、私は病人です」
カレンのそんな言い訳は全く通用しなかった。少し気分が悪い。身体がだるくて立ち上がるのも辛い。今まで生きて来て通用した病気のふりはどのシスターにもすぐに見破られ逆に仕事を増やされた。
仕事で手抜きでもすればその日の食事は目に見えて減らされた。
何でも自給自足のフローリス修道院では、食べ物を粗末にすることを一番嫌った。
嫌いだからなどと言ったら二度とその食材が自分の皿に入ることはなかった。
カレンは、何度か逃げ出そうとしたが修道院の出入り口は常に鍵がかかっているし塀は石造りの頑丈なもので逃げ出す事はとても無理だった。
だから仕方なく自らの仕事をやるしかなくなった。
今まではいつも人を頼るのが当たり前だった。卑しい心で人の弱みに付け込んで人の善意を当然の権利のように受けて生きて来た。
男に頼り縋って生きる。それでもカレンは男に身体を揺すりたことはなかった。そう言う事をする事を知らなかった。だからアルベルトに取り入るのが無理だと分かって今度はアキルに縋った。アキルは思っていたより純情ですぐ本気になった。工房にいるのが辛いと漏らしたらアキルは一緒に逃げようと言ってくれた。その時はすごくうれしかった。でもそれはほんの一時の感情だった。アキルと逃げると当然のように彼がカレンを求めて来た。カレンは急に恐くなってアキルの元から逃げ出した。アキルの事はいい人だと思っていた。この人と暮らして行くのも悪くないとも。でも、カレンは睦みあうと言う行為がどんなものかすら知らなかった。何よりアキルを信じるのが恐かった。
院長はカレンの生い立ちを知り何とか立ち直らせたいと思ったのか、カレンにはいつもより厳しい態度を取っているらしいと聞いた。
でも、そんな仕打ちは余計にカレンの逃げる理由になった。
カレンはフローリス修道院には確かに男はいなかったが、シスターたちが交代で近くの救護院で看護の手伝いをしている事や週に一度街で貧しい人の為に炊き出しをしている事も知った。
ここから出る事さえ出来れば。
カレンはここから逃げ出す事を考え始めた。
まず、自分を信用させるために何をするべきか。それは言われた事をきちんとこなす事だ。そうすれば救護院や炊き出しに出かけられるようになると思った。
そう考えを変えたカレンは言われた事をきちんとこなし手伝いも進んでやるようになった。
院長はすごく喜んで次第にカレンは修道院内で認められるようになった。
心象をよくするためにロートン男爵家とハルドン男爵家、グレナン伯爵家にお詫びの手紙も書いた。
今まで酷いことをした事を心から謝り、これからは真面目に一生懸命生きて行くことを誓うと書いた。
院長はその手紙を読んでひどく感動したらしい。まあ、カレンは一切そんな事は思っていなかったが。
そして半年がたちカレンはシスター見習いとして認められ炊き出しの許可が
出た。
カレンは炊き出しに参加する事になった。すでに逃げるための計画は立て始めていた。もちろんすぐに逃げるつもりはなかった。炊き出しに出たら、金持ちの独身男性を見つける事。男はあちこちを移動する貿易商や大きな商会の使用人、運送業もいいかも知れない。
とにかく適当な男を見つけてある程度の金を用立てさせこの街から離れれば何とかなると思っていた。カレンは今までのやり方で生きて行けると信じていた。
炊き出しは街の中心部にあるの教会で行われる。
炊き出しの日、カレンはシスターハンナの隣についた。
街中の教会の前にはすでに貧しい子供や年寄りの行列があった。
カレンは周りを見渡した。どれもこれも貧乏な人ばかりじゃない。これじゃ目当ての男を見つけるのは無理じゃない。
カレンが大きく息を吐きだした。
「一杯貰えるか?」
いきなり目の前に椀を差し出された。
カレンは目の前の衣服に目を奪われた。
目の前の男性は周りの者とはかけ離れた身なりをしていた。上等の布地の上着には袖口に細かな刺繍が施してありシャツやズボンも仕立てが良い。
それからじわりと目線を上げてその男を物色する。
年の頃なら20代前半。整った顔立ちに艶やかな茶色の髪は整えられている。
いきなり上物が現れた。カレンは内心で舌なめずりした。
シスターハンナが耳元で囁いた。
「カレン、この方はドマーニ商会のご子息よ。炊き出しはドマーニ商会の協力を頂いているの。いいから早くスープを入れて差し上げて」
「は、はい。すみません‥」
カレンは慌てて男が持っている椀を受け取りスープを注いだ。スープにはほんの少しの肉と野菜が入っている。
「どうぞ」
「ありがとう。君、初めて見る顔だな」
「はい、今日が初めてなんです」
「名は?」
「カレンと言います」
「カレンか。君かなり若い気がするけど、本気で修道女になるのか?」
そう尋ねられて思わずまさかそんな気はないですよ。と言いそうになって慌てて口ごもる。
「‥いえ‥ちがっ‥」
「ふっ、そうか、何か事情があってここに来たんだな。ここには事情を抱えた者が来ることが多いところだからな。そうだ。何か困った事があればいつでも言ってくれ。これでも俺はこの街では有名なドマーニ商会の息子なんだ。名はエドソンと言う」
「エドソン‥様。はい、ありがとうございます」
カレンははにかむような仕草をすると柔らかく微笑んだ。
「ああ、いい笑顔だ。カレン、君はそうやって笑っている方がいい。実はさっきはその、なんだかすごく緊張してるように見えたから、気になって声をかけたんだ」
「わ、私、そんな顔を?」
カレンは恥ずかしさで頬が熱くなった。これから男を囲い込もうとしている女とはとても思えない。
「ハハハ、カレンは純情だな」
「エドソン様、冗談が過ぎます。カレンは修道院に来て日が浅いんです。あまりからかわないで下さい」
シスターハンナが間に入ってエドワードを諌める。
「シスターハンナ、申し訳ない。そんなつもりはなかったんだ。カレン楽しかった。じゃあ、また」
エドソンはそう言うと逃げるように炊き出しの場所から去っていった。
シスターハンナが言った。
「彼は女たらしで有名なの。カレンは修道女だから問題ないと思うけど気を付けて」
「わかりました」
女たらし。カレンに取ったらそれはまたとない相手だと思った。そんな男なら騙しても後腐れがなくていい。そう言う男は騙された事は恥だと思うから被害を訴える事もないだろう。
それから炊き出しのある度にエドソンは現れた。
何度目かの炊き出しの時、老人が具合が悪くなって倒れた。カレンはその老人の介抱を任された。
教会の中、人気はほとんどない。椅子に横になった老人は目を閉じていた。カレンは濡らしたタオルで老人の額を拭いながら声をかける。
「大丈夫ですか?どこか痛いところはないですか?」
老人は目を開けていきなりカレンの手を握った。
「ほう、可愛い手じゃ。この滑らかな手触りたまらんな。あんたみたいな若い子に介抱されて、ほれ、久々に滾ってきた」
老人と言ってもよく見ればそこまで老いた男ではなかった。
男はカレンの手を股間に引き寄せる。これでもカレンは純潔だ。そんな事をされそうになった事はあるが触ったことなどない。
「離して!このエロじじい!いい加減にして!」
カレンは男を突き飛ばして走り去る。
そこに現れたのはエドソンだった。
「どうしたカレン?」
カレンは大きな木の陰で真っ青な顔をして木に縋っていた。
「男が具合が悪いからって言うから介抱してたら私を襲おうとして来て‥」
「可哀想に‥震えてるじゃないか」
エドソンがそっと背中をさすってくれる。
カレンはチャンスと思う。さっきは驚いたけどこんな機会は二度とないかも知れない。
思い切ってエドソンを誘惑すればいい。
「エドソン様は優しいんですね。いつだって炊き出しに協力して下さるし‥」
「カレンがいるから」
「また、そんな事‥勘違いしますよ」
「俺は本気だ。今まで色々な女と遊んで来た。まあ、カレンも聞いてるだろうが。でも、俺はカレンに恋をしたんだ。こんな気持ちは初めてで‥君に会いたい一心で毎回ここに来るんだ」
「そんな事‥私、今までいつも男に利用されて来たんです。父は男爵でしたが母は愛人でした。だから男爵家でも肩身の狭い思いをして、父が亡くなると義理の兄は私に言い寄ってきました。それで奥様に追い出されて親戚に預けられました。そこでも男爵に言い寄られて何とか逃げ出したら男に騙されて身売りされそうになってその時私、男にけがを負わせたんです。それでここの修道院に来ることになって‥」
カレンは培ってきた男を落とす仕草でエドソンに縋りついた。
上目遣いで彼を見つめ眦には涙を溜めて彼のシャツの端を遠慮がちに指先で握る。決して抱きついたりせず、距離は少し開けて男に不慣れだと思わせる。まあ、実際、男を知らないカレンはさっきの男の行動に少し怯えてはいたのだが。
エドソンの頬に朱がさした。彼の顔は何かを察したように明らかに変わった。
「カレン!もしかして君は本当は修道女になりたくないのか?」
「‥はい、私の意志で修道院に入ったのではありませんので‥」
「じゃあ、もし、俺が結婚を申し込めば君はフローリス修道院から出られるって事なのか?」
修道女が結婚すると言う事はもう修道院にはいられなくなると言う事だった。
「‥ええ、でも、そんな事エドソン様に頼むわけには‥」
思わぬ展開にカレンも戸惑った。
「何を言ってるんだ。俺はカレンが好きなんだ。カレンさえいいなら俺と結婚しないか?」
「けっこん?」
カレンの脳内には未知の言葉だった。結婚。母は愛人で結婚はしていなかった。異母兄のジャックは結婚していたがカレンに色目を使うような男だった。アルベルトも少し甘えればカレンになびいた。カレンにとって男は信用ならない生きもので利用するだけの器に過ぎなかった。
エドソンの申し入れはカレンにとってまたとないチャンスに過ぎなかった。
「すまない。いきなりで驚いただろう?でも、俺は本気だ。俺は商売人の息子で生活は安定している。結婚してもカレンが困ることはないと保証する。まあ、貴族のような贅沢な暮らしは無理だが、それでも平民の中では比較的いい暮らしは保障できる。いや、そんな事は関係ないか。すまない。何しろこんな気持ちは初めてで‥ゆっくりでいいんだ。俺とのことを本気で考えてくれれば‥」
カレンからすればエドソンは飛んで火にいる夏の虫だった。今すぐ結婚してもいいと言いたかった。でも、それはあまりに早すぎると思い留まった。
「お、お気持ちはうれしいです。私も考えてみたいと思います」
「ああ、ありがとう」
そうやって炊き出しのたびに二人はこっそり逢引を重ね一カ月後にはカレンが結婚を決断したと言った。
それから話はあっと言う間にまとまり、カレンは修道院で真面目に務めを果たしたとして罪を免除されエドソンと結婚すると言う理由で修道院から出られる事になった。
エドソンはカレンを伴い修道院を後にすると両親に会わせるとカレンをドマーニ商会に連れて行くと言った。
カレンは焦った。
エドソンと結婚する気はない。修道院を出るためにエドソンを利用してだけで彼と結婚する気はなかった。
もちろん数日はそのふりをするつもりではあったが、こんな話は聞いていなかった。
このまま彼の両親に会い話が進めばもう後戻りできなくなるのではとカレンは焦った。
カレンは支度に必要だからとある程度のお金をエドソンが用意してくれていた。
今、カレンの手には1万ギルと言う金があった。
カレンは逃げるなら今しかないと思った。
二人で街の衣料品店に入った。
カレンの服を買うためだった。カレンは何枚か試着すると言って店の奥に入った。手元にお金もあった。エドソンは店の中でカレンを待っている。逃げるなら今しかない。
エドソンの優しく微笑む顔が脳裏に浮かんだ。そっと握られた手の温もり。好きだと言ってくれた。
もしかしたら‥ううん、そんなことあり得ない。
カレンはエドソンのすべてを否定して決断した。
店の裏口から走り出て馬車乗り場に走った。
服を数着押し込んだ袋を抱えてとにかく走った。
出発する寸前の馬車がいてその馬車に飛び乗った。
王都に向かう辻馬車でカレンはふたつ離れた街まで乗った。
その街で馬車を下りると安い宿を決めるとやっと落ち着いた。
だが、エドソンは思った以上に行動が早かった。すぐにカレンが逃げ出したことに気づくと馬車の行き先を調べ後を追った。
街で大きな商売をしているドマーニ商会のエドソンが尋ねれば皆がカレンの行き先を教えた。
エドソンはその夜にはカレンの泊まる宿にやって来た。
エドソンは自分が急かしたせいでカレンが怯えて逃げだしたと思っていた。カレンに心配ないと言ってゆっくりやって行こうと思っていた。
だが、カレンが泊っていると聞いた宿にやって来て見てしまう。
カレンはその日のうちに早々に男を見繕っていた。適当に金を持っていそうな男に甘い声で誘いをかけている途中だった。
「カレンどういう事だ?君は俺と結婚する気じゃないのか?」
カレンはエドソンがこんなに早く自分を見つけるとは思ってもいなかった。
目の前に座るガタイのいい男にしなだれかかっていたのだ。もちろん今夜の夕食を奢ってもらうつもりで。
何をどう言い訳すればいいのかと思うがもう言い訳は無理だろう。
そしてついにエドソンに言ってしまった。
「エドソン。ごめんなさい。私、あなたと結婚する気はないの。私はただ修道院から出たかった。あそこは窮屈で息が詰まりそうになるから。私は自由に生きて行きたいの。悪いけど私はこのまま去るわ。ほんとにごめんなさいあなたの気持ちはうれしかったわ。でも、私はあなたを好きじゃないの。だから‥」
カレンは思ってもいなかった。本気になった人間が血迷ったら何をするか。
エドソンは持っていた短い護身用の短剣を持ち上げた。
「俺を騙したのかぁ~!!」
頭に血が上ったエドソンは勢いのままカレンの胸に短剣を突き刺した。
「うぐっ!」
胸に走った衝撃と痛みにカレンはそのまま床に倒れ込む。
エドソンはハッと正気を取り戻したがその場に立ちすくんだままだった。
「そんな‥つもりじゃ‥な、か‥」
カレンはエドソンを見ていた。そんなつもりじゃなかったのだと言いたかった。
エドソンがどうしてそこまで怒ったのかわからないまま意識が途切れた。
周りの客が「誰か、医者を呼べ!女が刺された。おい、しっかりしろ!」
さっきカレンが誘惑しようとしていた男がカレンを抱き起す。
だが、短剣が心臓を突き刺したらしくカレンはすでに息をしていなかった。
カレン。18歳。若い命は呆気なく散った。
カレンは思ってもいなかった。人の心を弄ぶことがどれほど危険な事かも。どれほどひどい事なのかも。
だが、そんな事を考える余裕もなくカレンはこの世を去った。
ただそこには、血だらけのカレンのそばでうなだれて泣きじゃくる男の姿があった。
「カレン!死ぬな!カレン~‥‥‥俺はお前を愛してるんだ~。カレン~」
カレンはエドソンを信じればよかった。
一度でも男を信じることが出来たならカレンの人生は幸せなものになっていたのかも知れなかった。
あとがき~
最期までお付き合いいただきありがとうございました。
カレンのその後はきっと賛否両論あると思います。
カレンが改心してエドソンを信じて幸せな人生を送ると言う人生も考えましたが、今回はあえて最後までカレンと言う女性が人を信じれないまま可哀想な最期を迎えると言う展開にしました。
最期まで楽しんでいただけたら幸いです。




