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femme fatale





 むかしむかしの、おはなしです。

 とあるふかい山奥に、わらと板とでつくられた、ちいさな小屋がありました。大きな木々にかこわれ、まもられ、うもれたようなその小屋のなか、若者がひとり住んでいました。

 若者は、もうずいぶんながく、そこにいるという気がしていました。どれくらいかは、わすれたけれど、とにかくながく、ひとりなのでした。でも若者は、さびしいなんて思ったことはありませんでした。ひとりで小屋に住んでいることが、若者のあたりまえでした。それよりほかの暮らしなど、考えたこともなかったのです。

 ある日、きっと春でした。草木のみどりがやわらかく、風はふんわりあたたかく、胸をくすぐるかおりがしました。若者はいつものように、ひとりで小屋のなかにすわって、戸のすきまから外をのぞきます。すると、やわらかいみどりがゆれて、なにか白いものが見えました。白いものはゆっくりとうごいて、小屋のほうへ近づいてきました。若者がじっとしているうちに、小屋の戸のまえまでやってきました。

 それは、うら若い娘でした。白い花嫁衣裳をまとった、とてもうつくしいひとでした。若者はそっと戸をあけて、娘を招きいれました。ながらくひとりで暮らした小屋に、はじめてだれかをいれました。ふたりは、夫婦になりました。

 娘といっしょになってから、若者は思いだしました。風や獣の声を聞きながら、ひとりで眠っていたときのこと。かなしいことはなにもないのに、なみだが流れてきていたのです。でも、いまはそんなことはない。娘が小屋へきた日から、なみだすることはなくなりました。ひとりでいたとき、ほんとうは、さびしくてしかたなかったのだな。若者はやっと気がつきました。

 若者は、じぶんも娘のことを、よろこばせたいと考えました。そこで、よい日和をえらび、娘を外に連れだしました。小屋のある山のなかでいちばん、見晴らしのよい場所へ連れていきました。娘は、たいへんよろこびました。さわやかな風に髪をあそばせ、きもちよさそうに伸びをしました。そんな娘に若者は、泣かなくなったことを話しました。

 すると娘は、花のこぼれるように、とてもやさしくほほえみました。若者の手をとってだいじに包み、これからもずっとおそばにいますと、いとおしそうに告げました。若者は娘を抱きしめて、満ちたりてくるしいほどでした。ひとりで泣かずにすむ日と夜とが、いくつも、いくつもかさなりました。

 ある日、きっと夏でした。草木のみどりがいっぱいしげり、風はひんやりしているけれども、どこか重たくしめっていました。小屋にさしこむ日のひかりに、若者が目をさましてみると、となりで寝ていた娘がいません。若者が外へさがしに出ると、娘はすぐに見つかりました。小屋のそばの木の根にすわり、背中をまるめて泣いていました。若者は急いで娘に駆けより、どうしたのかとたずねました。すると娘は、こたえました。

 きょうは、はやくに目がさめたので、あの見晴らしのよいところへ、出かけてみることにしたのです。このまえ、あなたさまが連れていってくださって、おはなしをしたところです。あのとき気がついたのですけれど、あそこからは里も見えるのです。さきほど、見てみましたら、里は渇いておりました。この夏は、雨がふらないようです。作物だけでなく、ひとも渇いて、もはや暮らしていけないようです。からだのよわいひとたちは、もうもたないかもしれません。たくさんのひとがしんでしまいます。

 娘は両手で顔をおおうと、ふるさとなのですと言いました。それを聞いた若者は、いちど、天を振り仰ぎました。けれどもそれはいっときだけで、すぐに娘のほうを見ました。

 若者はすわりこむ娘のまえに、しずかに膝をつきました。娘の手をとってだいじに包み、こわがらなくてよいと告げました。なにも失わせないから、こわがらなくてよいと言いきかせ、娘の指先にくちづけをのこし、そしてそこから去りました。

 娘は、はっとしてなみだをぬぐい、若者の背中を追いかけました。でも、そのすがたはすぐにかすんで、みどりをゆらす風になびいて、星くずの川になりました。きらめきながら大きくうねり、白い滝のようにそびえて立つと、そのまま天へのぼっていきます。それは白銀の竜でした。若者のもうひとつのすがたでした。娘が呼んでもこたえずに、里のほうへ飛んでいきました。

 娘は、飛び去る竜を追いかけ、山のなかを走りました。履物がぬげてころびながらも、一心に駆けていきました。そして見晴らしのよいあの場所に、ようやくたどり着きました。そこからのぞむふるさとは、すっかり雲におおわれており、雨のめぐみをうけていました。

 ぶあついけれどもやさしい雲を、なでるようにして舞っている竜。雷よりもまばゆくはかない、そのすがたを娘は見つめていました。ずっと、ずっと見つめていました。

 やがて、雨はあがりました。里のひとびとはおおよろこびで、びしょびしょになってわらっていました。竜神さまと、花嫁さまの、おかげさまだとわらっていました。花嫁さまをむかえにいこうと、口々に言いかわしました。

 そのころ、山のふもとには、ちいさな蛇がころがっていました。白銀のからだはこまかくなって、もうぴくりともうごきません。

 まだまだ若い竜神は、天にしたがわなければなりませんでした。天のゆるしなく力をつかうと、罰として八つ裂きにされるのでした。

 天にそむいて雨をふらせた、若き竜神は罰をうけました。しずくにぬれて欠けたうろこは、こもれびにそっときらめきました。そして、あとかたもなく消えました。

 しばらくのときが過ぎました。里に呼びもどされた娘に、赤ん坊がうまれました。この世のものとも思われない、玉のような赤ん坊でした。その子は産湯にひたったとたんに、そのすがたをかえました。きらめく白銀のうろこをもった、うつくしい蛇になったのでした。

 蛇は娘の腕に巻きつき、いちど頭をすりよせたあと、するりと産屋を出ていきました。ふかい山奥のおやしろのほうを、めざして、ひとりいきました。





fin

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