~挑戦者その二、庫持の皇子(2)~
『翁、皇子に申すやう、
「いかなる所にか、この木はさぶらひけむ。あやしくうるはめでたきものにも」と申す。
皇子答えへてのたまはく、
「さをととしの二月の十日頃に、難波より舟に乗りて、海の中に出でて、行くかむ方も知らずおぼえしかど、思ふこと成らで世の中に生きて何かせむと思ひしかば、ただ空しき風に任せて歩く。命死なば如何はせむ。生きてあらむ限り、かくありきて、蓬莱といふ山にあふやと、海に漕ぎ漂ひ歩きて、我が国の内を離れて歩きまかりしに、ある時は浪に荒れつつ海の底にも入りぬべく、ある時には風につけて知らぬ国に吹き寄せられて、鬼のようなるもの出で来て殺さむとしき。ある時には来し方行方も知らず、海にまぎれむとしき。ある時には糧尽きて、草の根を食いひ物としき。ある時は、言はむ方なくむくつけげなるもの来て、食ひかからむとしき。ある時には、海の貝を採りて命をつぐ。
旅の空に、助け給ふべき人もなき所にいろいろの病をして、行く方そらもおぼえず、舟の行くにまかせて、海に漂ひて、五百日といふ辰の刻ばかりに、海の中に、はつかに山見ゆ。舟の中をなむせめて見る。海の上に漂へる山、いと大きにてあり。その山のさま、高くうるはし。これや我が求むる山ならむと思ひて、さすがに恐ろしくおぼえて、山のめぐりをさしめぐらして、二、三日ばかり見歩くに、天人のよそほひしたる女、山の中より出で来て、銀の金椀を持ちて、水を汲み歩く。これを見て、船より下りて、『この山の名を何とか申す』と問うふ。女、答へて言はく、『これは蓬莱の山なり』と答ふ。これを聞くに、うれしきこと限りなし。この女、『かくのたまふは誰ぞ』と問ふ。『我が名はうかんるり」と言ひて、ふと、山の中に入りぬ。
その山、見るに、さらに登るべきやうなし。その山のそばひらをめぐれば、世の中になき花の木ども立てり。金・銀・瑠璃色の水、山より流れ出でたり。それには、いろいろの玉の橋渡せり。そのあたりに照り輝く木ども立てり。その中に、この、取りて持ちたまうで来たりしは、いと悪かりしかども、のたまいしに違はましかばと、この花を折りてまうで来たるなり。山は限りなく面白し。世にたとふべきにあらざりしかど、この枝を折りてしかば、さらに心もとなくて、舟に乗りて、追い風吹きて、四百余日になむまうで来にし。大願力にや、難波より、昨日なむ都にまうで来つる。さらに潮に濡れたる衣をだに脱ぎ更へなでなむ、こちまうで来つる」
とのたまへば、翁、聞きて、うちなげきて詠める。
呉竹のよよの竹取野山にもさやはわびしき節をのみ見し
これを皇子聞きて、
「ここらの日頃、思ひわび侍りつる心は、今日なむ落ち居ぬる」
とのたまひて、返し、
わが袂今日乾ければわびしさの千草の数も忘られぬべし
とのたまふ』
(おじいさんは皇子に、
「どのような所に、この木はあったのじゃろう。信じられぬほどに素晴らしく、美しいものじゃのう」と、ほれぼれしながら言う。
皇子は自分の冒険を長々と話し、答える。
「一昨昨年の二月の十日頃に、難波から舟に乗って、海へと出たのだが、どちらに向かえばよいのかも分からずに、だからと言って決意した事が成就できなければ、この世に生きてどうするものかとも思ったものだから、ただむなしくも風に任せて波に漂っていたのです。
死んだからと言ってどうだと言うのだ。生きている限り、どうにかして蓬莱と言う山に出会えるだろうと、海の上を漕ぎ漂い進んで、我が国から離れていくうちに、ある時は嵐にあって波が荒れ、海の底に沈みそうな思いをし、ある時は強風に流され、見知らぬ国に吹き寄せられて漂着し、鬼のような者に殺されかけ、ある時は行く方角も帰る方角も分からなくなり、どうにもできずに海の藻屑となることを覚悟し、またある時は食料が尽きて、通りがかった見知らぬ土地の草の根を食べ物にした。ある時は何とも言いようがない、筋骨隆々とした大きな化け物が来て、食いかかられ、ある時は海の貝を取って食べては、飢えをしのぎ、命をつないでいました。
旅の空の下の事なので、だれの助けも呼べない所で色々な病にかかり、この先どうなるとも知れないままに、船の進むままに任せて海を漂い、五百日目の辰の刻(午前八時)ぐらいに、海の遥か向こうにうっすらと山の影が見えたのです。
舟にいる者は皆、これは本当の事なのかと目を凝らして見ていました。海の上に漂っているように見えるその不思議な山は、それは大きいのです。
その山の様子はとても高く、気高く、立派な物でした。これが私が探し求めていた山なのかと思うと、さすがに嬉しいを通り越えて、そら恐ろしくなってしまいました。
遠巻きに山の周りを廻りながら、二、三日様子をうかがっていると、天人のような服装をした女が山の中から現れ、銀の椀を持って、水を汲み歩いています。それを見て勇気を持って舟から降り、
『この山の名は、何と言うのでしょう』と尋ねると女は、
『この山は蓬莱山です』と答えます。
これを聞いた時の嬉しさと言ったら……この上ない喜びでしたよ。
今度は答えた女の方が、
『そうおっしゃるあなたは、どなたでしょう』
と聞いてきたので、答えると女は、
『私の名はうかんるりと申します』
と言って、すぐに山の中に入って行ってしまいました。
その山を見ると、さらに上にはとても登れそうもない。仕方がないので山の周りを廻って歩くと、この世の物とは思えないような、美しい花の木々が立っていました。そして金・銀・瑠璃色の水が、山から流れ出ていたのです。その流れる川には様々な宝玉で出来た橋が渡されています。その回りにも美しく輝く木々が立ち並んでいました。その木々の中では、この折取ってきた枝はかなり美しさでは劣る方だったのですが、姫のおっしゃった物と違わないようにと、この花を折って持ってきたのです。
……いやあ、あの山はこの上なく素晴らしかった。世に他に例える物がないほどだが、そんな神々しい山からこの枝を折り取ってしまったものだから、バチが当たりはしないかと、ひどく心もとなくなってしまい、舟に乗って、追い風に吹かれて、四百四日かけて帰ってきました。
神仏の大願力のおかげで、難波から昨日都に戻ってきた所です。長い間潮に濡れた衣すら着替えもせずに、まず、こちらに伺ったのです」
この話を聞いていたおじいさんは、すっかり感激して歌を詠んだ。
「代々竹取の仕事で野山に入っていますが、あなたのような辛い目にあった事はありません」
これを聞いた皇子は、
「この長い日々の中、辛く思っていた心が、今日のその言葉ですっかり晴れました」
と言うと返歌として、
「念願かなって帰る事が出来て、私の衣の袂も乾いた。おかげで千もあったこれまでの苦しさも、忘れてしまえそうだ」
と詠んだ)
***
いくら都でも有名な名匠達が集められたと言っても、姫の注文した白銀の根、黄金の茎、白玉の実を持った枝を、本物そっくりに作りだすのはたやすくはなかったのでしょう。一年、二年では作り出す事ができずに、三年の月日がかかりました。
その間皇子も自分の姿を隠しながら、この秘密の工房が人に知られぬよう、自分自身も職人たちと共に工房の建物に籠って、日々を過ごしていました。その間皇子はやる事がないどころか、人のいる所に姿をあらわしたり、自分の噂が立ってしまうような事態を、極力避けなければならなかったはずです。
華やかな都から離れて、職人と僅かな供周りの人たち以外に、顔を合わせ、言葉をかわす相手すらいない所で、隠れ暮らすのです。さぞや暇を持て余したことでしょう。
とにかく時間は嫌になるほどありました。皇子にとっての数少ない楽しみは、この企みが成功した時の都人の感激する様子や、羨望のまなざし、身を揉んで悔しがるであろうライバルたちの顔、そして姫を手に入れる瞬間を想像する事だったことでしょう。
それはやがてさまざまな想像を膨らませ、「本当に自分が旅に出ていたら」と言う空想世界を描き出して行ったようです。皇子は実に詳細に旅の出来事を翁に話して聞かせました。
旅にどんな苦難があり、絶望し、しかし気力を奮い起し、辿り着き、蓬莱山が大変素晴らしい所で、喜びよりも恐れが湧きあがるほどで、木を手折った後も、天罰を恐れるほどだったと、もっともらしい話をとても筋道立てて作り上げていました。
あり余る時間を使って、幾度も話の練習をしていたことでしょう。
話を聞いて信じこんだ翁は、本当に感動して思わず歌を詠みました。けれどこの様子では皇子の歌は、こんな風に褒められるだろうと予測が出来ていて、事前に作ってあった歌なのかもしれません。それほど皇子の計略は、入念に言葉の隅々にまで行きとどいていました。
さぞや皇子はかぐや姫争奪戦の勝利を確信して、良い気持ちでいたことでしょうね。