守られる姫の邸
『かの十五日の日、司々に仰せて、勅使、少将高野大国といふ人をさして、六衛の司合はせて二千人の人を、竹取が家に遣はす。家にまかりて、築地の上に千人、屋の上に千人、家の人々多かりけるに合はせて、あける暇もなく守らす。この守る人々も弓矢を帯してをり、屋の内には、女ども番に居りて、守らす。
嫗、塗籠の内にかぐや姫を抱かへて居り。翁も塗籠の戸鎖して戸口に居り。翁の言はく、
「かばかり守る所に、天の人にも負けむや」
と言ひて、屋の上に居る人々に言はく、
「つゆも物空に翔らば、ふと射殺し給へ」
守る人々の言はく、
「かばかりして守る所に、かはほり一つだにあらば、まづ射殺して外にさらさむと思ひ侍る」と言ふ。翁これを聞きて、頼もしがりをり。
これを聞きて、かぐや姫は、
「さしこめて守り戦ふべきしたくみをしたりとも、あの国の人を、え戦はぬなり。弓矢にして射られじ。かくさしこめてありとも、かの国の人来ば、みな開きなむとす。相戦はむことすとも、かの国の人来なば、猛き心つかふ人も、よもあらじ」
翁の言ふやう、
「御迎えに来む人をば、長き爪して眼をつかみつぶさむ。さが髪を取りてかなぐり落さむ。さが尻をかき出でて、ここらの朝廷人に見せて、恥を見せむ」と腹立ち居る。かぐや姫言はく、
「声高になのたまひそ。屋の上に居る人どもの聞くに、いとまさなし。いますがりつる心ざしどもを思ひも知らで、まかりなむずることの口惜しう侍りけり。長き契りのなかりければ、ほどなくまかりぬべきなめりと思ひ、悲しく侍るなり。親たちの顧をいささかだに仕うまつらで、まからむ道も安くもあるまじきに、日頃も出で居て、今年ばかりの暇を申しつれど、更に許されぬによりてなむ、かく思ひ嘆き侍る。御心をのみ惑はして去なむことの悲しく堪へがたく侍るなり。かの都の人は、いとけうらに、老いをせずなむ。思ふこともなく侍るなり。さる所へまからむずるも、いみじく侍らず。老い衰へ給へるさまを見奉らざらむこそ恋しからめ」と言ひて、翁、
「胸いたきこと、なし給ひそ。うるはしき姿したる使ひにも障らじ」
とねたみ居り』
(そしてあの八月十五日がやってきた。帝はそれぞれの司に勅命を下し、勅使には近衛の少将である高野大国と言う者を任命して、六つの衛兵府から、二千人を竹取の翁の邸に遣わした。
邸に来た兵たちは、広い邸をぐるりと取り囲む築地塀の上に千人、邸の建物の屋根の上に千人が配置され、更に邸に仕えている大勢の使用人たちも兵たちと心合わせて、ほんの少しの隙間も開かないほど、しっかりと邸を守っていた。兵として来た侍たちはもちろん、この邸の使用人までもが弓矢を帯びており、母屋の中は侍女たちが皆、見張り番をして姫を守る。
おばあさんは塗籠と呼ばれる、三方を壁で囲った丈夫な部屋にかぐや姫を入れ、自ら姫を抱きかかえて守った。おじいさんは塗籠の戸を閉めて、しっかりと鍵をかけて、戸口の前で守っている。おじいさんは強気で、
「これほどして姫を守っているのじゃ。相手が天人と言えど、負けるはずがない」
と言い、屋根の上に居る兵たちにも、
「ちらとでも空を飛ぶものがあれば、すぐに射殺して下され!」
と言う、声をかけられた兵たちの方でも、
「これほどの守りをしている所なのだ。蝙蝠の一匹が飛ぶのを見ても、真っ先に射殺して外にさらし見せしめにしてくれようと思っているのだ」と威勢よく答えた。
これを聞いたおじいさんも、頼もしく思っていた。けれどこれを聞いたかぐや姫は、
「残念ですがわたくしをこのように閉じ込めて、守って下さり、戦おうとして下さろうとしても、あの国の人々を相手にしては、戦う事さえかなわないでしょう。あの人達を弓で射る事も出来ないはずです、こんな風に戸を閉めて閉じ込めても、あの人たちが来ればとはすべて開いてしまうことでしょう。戦い、相まみえようにも、あの国の人々か来た時には、その勇猛果敢な心でさえも失われてしまうのです」と言う。
おじいさんは腹を立てて、
「何を言うか。そんな迎えの天人など、このわしが長い爪で目をくりぬき、潰してくれる。その髪をひっつかんで空からかなぐり落してくれる。その尻をまくり出して、ここに居る侍たちに見せて、大恥をかかせてやる!」と怒鳴りまくる。しかしかぐや姫は、
「そのようなことを、大声で言わないでください。屋根の上に居る人達に聞こえて、みっともないではありませんか。こうしてわたくしを御引き留め下さる御心に、なんの報いもせずに帰らなければならないことは、わたくしにとっても悔しい事でございます。
わたくしにはここに長くいられる前世の約束がなかったために、もうすぐもとの世界に帰らなくてはならないのかと思うと、悲しくなるばかりです。御恩を受けて育てていただいた両親のお世話も少しもできないまま、帰らなくてはならない道中が、心安くあろうはずがありませんから、このところ縁に出てはせめて今年だけでも、待ってはいただけないかとお願いをしていたのですけれど、ついに許してはいただけませんでした。
ですから月を見て、わたくしはこうも嘆き悲しんでいたのです。
御心をこのようにかき乱してこの世界を去らなくてはならないことは、わたくしにとっても本意ではなく、悲しく、堪え難いことです。月の都の人々は、とても美しく清らかで、老いると言う事がなく、そのため思い悩むと言う事がありません。
そんな所に帰ると言っても、わたくしは少しも嬉しくなどありません。老い衰えて行く両親の先々の世話も看られない事こそ、この世界を恋しく思わせるのです」
と言うのです。これを聞いたおじいさんは万感胸に詰まり、
「胸の痛くなるようなことをおっしゃるでない。どれほど麗しい姿をした使いの者が来ようとも、わしが姫を守る障りになど、なりはせぬわ!」と怒りをあらわにした。
***
かぐや姫を守ろうと、帝は直々に、自分の直近の兵たちを竹取の翁の邸に遣わしました。ここに出て来る六衛の司 とは、宮中の警備をする衛兵たちを司る六つの府です。
帝の周辺警護をする左右近衛府。内裏、および大内裏の各門を守る左右衛門府。大内裏の貴人たちを守る左右衛兵府。この六つの府の総称を六衛の司と呼んだのです。
そんな武勇に秀でた者たちが、邸の塀に千人、屋根の上に千人も配置されました。
この描写から、竹取の翁の邸がどれほど広く、壮大なものかがわかります。実はこの時代は急にお金持ちになったからと言って、勝手に大きな邸を好き勝手に作ることは許されませんでした。身分や家柄、位によって造営できる邸の広さに決まりがあったのです。
つまり竹取の翁は貧しくはあったけれども、家柄は決して悪くはない人だったのでしょう。それがかぐや姫のきちんとした養育にも繋がり、姫のもたらす財によって、翁も大きな邸が構えられるような暮らしにまで、身を立てる事が出来たのでしょう。もちろんそれは姫に恋する帝の恩恵もあってのことでしょう。
こうして姫を守ろうと、翁夫妻や兵たちはもちろん、邸の使用人や侍女達までもが懸命に姫の警護に勤めます。嫗は自ら姫を抱きかかえ、共に丈夫な部屋の中に閉じこもってしまいます。
身分がら直接姫を守りに行けない帝も、おそらくは気もそぞろな思いで月を見上げていることでしょう。けれども姫は、もうこれで地上とはお別れなのだと覚悟を固めて行きます。嘆き、怒り、腹を立てる翁を静かに諭し、老いた親を残して去っていかなければならないことを詫びるのです。
ここまで、肝心の姫の口からは、帝への心情は語られてはいません。育ててくれた翁夫妻への感謝と、老いてゆく夫妻に何一つ恩を返せない事への嘆きが、語られるばかりです。
毎日月を見ていたのは、せめてもう一年、猶予の時間が欲しいと願い続けていたからだったが、許してもらえなかった。月の人々は老いることも、物思いにふけることもない。翁たちが衰えてゆくのに自分はなんのお世話もできない。これからどれだけ気がかりで恋しく思う事だろうと、静かに翁に語るのです。