どうせなら踏み込むのさ
とある東北のこの街に住んでいた僕は、レトロデパートの伝説のトビラを開けてしまう。その序章は、居酒屋でクダをまきながら始まった。
僕はあの爺さんの言いなりで、しばらく姿をくらましていた時期がある。
といっても失踪ではない。都内で小さく広告仕事をしていただけ。震災で多額の請求がのしかかり、あわや破産かとお先真っ暗。どうせどうにかなってしまうのなら、それを面白がる爺さんの口車に乗ってしまうのもいいだろうと思ったのだ。
その爺さんもまた震災で家屋敷が木っ端みじんになったのだが、しばらくしたら街なかのタワマンの空室を買取って全て新品の家具を揃えて住んでいた。
彼の口癖は「周りを怒らすくらいしか楽しみはない」と笑いながら話すことだった。余命はあの時2年だったはずだが、なんだかんだで生きていた。
僕が爺さんと出会ったのは小泉という少し若い爺さんに面白がられて、ちょっと手伝ってくれないか?の誘いにのったからだ。
その時の僕は、この街のあきらめモードに辟易していた。いつも同い年は東京さまさまだし、東京の流行りものを真似て街なかで店を始めたと思ったら、東京の元ネタが進出したらすぐに閉店してずらかってしまう。
そして何年かしたら「俺が早く目をつけたのよ。」と成功話にすり替えてしまう。店を閉める時、改装計画中って貼り紙して、そのまま去っていったくせに。
そんな震災前のある時、僕は小泉という紳士の誘いにのった。
なぜ小泉と出会ったのか?それはさらに2年さかのぼる。
僕は親も含めて東京人である。このまま東京だけを見て一生終わるのか?と思ったら毎日がつまらなくなった。そこで大阪の会社に勤めてみた。僕以外は関西人である。とはいえオフィスは田町、超東京。大阪の血気盛んな広告代理店が東京進出してきた人材募集に僕が受かったのだ。
その時の僕には、これといった実績はないのだが、オリジナルで作った架空の広告デザインが大阪感覚にはまったらしい。
そこで過ごした数年後、軽く体を壊して辞めることになり、ヘッドハントでこの町の宅配ピザ本部へ課長で勤務することになった時、上司が
「ちょうど世話になった元同僚も同じ町に引退して帰るから、なんかあったら相談しなよ」
と紹介してくれたのだった。
それが小泉。とても紳士であった。
僕が課長として働くピザ本部にアポを取り、私を訪ねてきたのだ。課長待遇でのスタートで周りの好奇な目もあり、30歳の僕は背伸びして課長を演じなければならない。若造の私に小泉はかしづくように宅配ピザの業界展望を話し出した。古ぼけたカバンから新聞の切り抜きやメモを大量に出して一方的に話すのだ。
小泉は去り際に言った。
「いつでも小泉をお呼びください」と。
話は爺さんからも小泉からも離れるが、僕は宅配ピザのネット広告を仕切るため、宅配ピザの創業者から話を聞いていた。
話はもっぱら思い出話だ。
事業を興した店が大失敗して、死ぬか生きるかの決断の時に、そのまま笑いものになるなら、もう一回店を始めてやる。あのSF映画でみた箱入りの出前ピザってやつを、この町で最初に始めた奴、いや日本で最初に始めた奴だとブチかまして死んでやると。
この街でヒーローだったデパートは東京に叩きのめされた。次は俺が戦うんだと。
そしたらヒットしたんだよ、と創業者は言っていた。
僕はその心意気をヒントに仕事に臨んでいた。
東京にあきあきしていた僕は、アンチ東京を演じる私となり、この町で広告仲間を探して、地方ながら業界4位からの躍進を夢見ていた。が、この街のありさまは先ほど話したとおり。どうせダメだのオンパレード。既に宅配ピザは業界4位なのに、街の連中は東京のメジャーのほうが凄いんだと言うだけ。ムヤムヤする時は小泉を呼んで新子焼きの店でいつも以下の話をした。
僕は子供の頃、この街にいたけど街に出るのがワクワクした。それはアンドーチェーンがあったからだ。この街にしかないデパートが自力で市民を沸かせていたじゃないか。あの頃のこの街をひもとけば、なにか出来るんじゃないか?
小泉は懐かしいねえと言いながら、じゃあひとつ調べてみましょう。と、うなづいては何もしないのだった。
僕は僕で、仕事の合間にアンドーチェーンを調べていた。当時子供だった人、中学生だった人を飲み屋で見つけては、あの頃を聞き回る。
すると彼らは一気に笑顔になり、あの頃この街はチャレンジしたい機運があった、地方から海外にだってチャレンジできる、だって世界中から商品を持ってきたデパート、アンドーチェーンがあったんだからと言うのだ。
宅配ピザの創業話からも、この街の全盛期が垣間見えた。宅配ピザは見た瞬間、心の中に何かが起こりそうな予感が大事だと。生地はキャンバス、食べた人の中で何かが始まる抽象画だと創業者が言っていた。広告デザイナーの僕には意味が分かる気がした。
もちろん、現場の店員の多くはポカーンとしていた。
宅配ピザの広告仕事は楽しかった。東京人の僕がアンチ東京の私として、地方から進出した競合ひしめく都心で競合よりインパクトのある広告ネタを作る仲間を開拓するのだから。
分かったのは、都心でうちのピザをよく食べているのは中目黒の漫画スタジオや中野のインディーズバンド、恵比寿の広告デザイン会社。
しかも熱狂的ヘビーユーザ。
顧客リストで丸わかりだけど、知り合いを伝って広告制作相談を持ちかけ、あら奇遇ですね、あなたが熱烈なファンだなんて。これもご縁、一緒に仕事しましょう、という具合で開拓した。
得意がって小泉に話すと、あきれながら「キワドイ手ですが、ちゃんと相手の夢も叶えると良いですな」と笑った。




