最終章:一の太刀
一
永禄八年(1565年)五月十九日、午前十一時。
二条御所の主殿を激しく叩いていた五月雨の音は、いつしか止んでいた。代わって御所を包んだのは、耳が痛くなるほどの、奇妙な静寂であった。
無数の槍に四肢を貫かれた足利義輝は、ゆっくりと、その膝を床についた。
彼の具足は、すでに自身のものと敵のものとが混じり合った血によって、鈍い赤黒さに染まりきっていた。必死に握りしめられた鬼丸国綱が、血溜まりの中に静かに横たわっている。
「……なんという御方だ」
誰かが、掠れた声で呟いた。
一万の軍勢が、たった一人の男を仕留めるために、これほどの時間と、これほどの死体の山を築かねばならなかった。兵たちは誰も義輝の骸に近づこうとはしなかった。彼らが恐れたのは、すでに息絶えかけているこの若き将軍が、死の間際に放つかもしれない最後の「一の太刀」であった。
義輝は、薄れゆく意識の中で、冷たくなった床板を見つめていた。
不思議と、痛みはなかった。ただ、朽木谷の安曇川で浴びた冷たい水の感覚や、塚原卜伝と木刀を合わせたときに嗅いだ土の匂いが、鮮やかによみがえってきていた。
(父上、私は京を逃げ出さなかった。足利の誇りを、この刀で守り抜いた)
義輝の唇が、微かに動いた。
彼は、誰もが羨む「征夷大将軍」という職を、生涯で一度も心地よいものとは思わなかった。それは常に自分を縛る檻であり、偽りの神輿であった。しかし、この最後の数刻においてだけは、彼は自分自身の肉体によって、本物の「天下の主」であった。言葉でもなく、血筋でもなく、ただ圧倒的な「個の実存」によって、時代そのものを圧倒してみせたのだ。
義輝の懐には、彼が数日前、己の運命を予感しながら静かに認めていた辞世の句が記されていた。
五月雨は 露か涙か 不如帰
我が名をあげよ 雲の上まで
五月雨のように儚く消えるこの命は、朝露であろうか、それとも無念の涙であろうか。いや、そのような感傷は要らぬ。ほととぎすよ、私の魂を連れて飛び立ち、私の名を、せめてあの雲の上の天まで届けてくれ――。
享年三十。
彼は最後まで、歴史の歯車に組み込まれることを拒んだ。足利義輝という一人の人間の名を轟かせることを望んで、その壮絶な生涯を閉じたのである。
二
義輝の死の報せは、数日を待たずして日本全国へと駆け巡った。
大和国・多聞山城の奥座敷で、その報告を受け取った松永久秀は、手にした筆を止めた。
「公方様は、畳を盾にされて突き伏せられました。されど、その前にお味方の兵数十人が切り散らされ、まるで修羅の如き有様にござりました」
報告する使者の声は、勝利の喜びよりも、恐怖に震えていた。
久秀は、窓の外に広がる大和の山々をじっと見つめた。
「やはりな」
と、久秀は静かに呟いた。
義輝を殺した。これで三好と松永を脅かす「意思を持つ神輿」は消え去り、自分たちの望む通りの傀儡政権が完成するはずであった。しかし、久秀の胸を去来したのは、勝利の美酒ではなく、言葉にできぬ不気味な敗北感であった。
義輝は、政治の場では敗れた。
しかし、その壮絶すぎる死は、戦国の大名たちに「足利将軍」への心からの敬意を深める結果となった。
権威を軽蔑していたはずの久秀は、自分が義輝を殺したことで、逆に「足利」という亡霊に生涯縛られることになる。
事実、こののち、義輝の死は歴史を急速に加速させることになる。
近江へ逃げ延びていた側近・細川藤孝らは、義輝の弟である一乗院覚慶(のちの第十五代将軍・足利義昭)を脱出させ、新たな神輿として掲げた。そして、その義昭を奉じて京都へと攻め上ってきたのが、かつて二条御所で義輝とその眼光を交わした、尾張の織田信長であった。
信長は、義輝が予測した通り、神を恐れぬ戦を続け京の街を制圧した。彼は義輝の無念を晴らすという大義名分を掲げて三好三人衆を駆逐し、松永久秀を屈服させた。
信長が京に入ったとき、まず最初に行ったのは、義輝の最期の舞台となった二条御所の跡地を訪れることであった。
草の生い茂る廃墟に立った信長は、かつて自分を見下ろした、あの若き剣豪将軍の、氷のように冷徹な眼光を思い出していたかもしれない。
「公方様。貴方ほどの男が、なぜ四畳半の畳の上で命を捨てられた。私であれば、国を捨ててでも生き延び、万の軍勢を率いて戻ってきたものを」
信長はそう思ったであろう。信長にとって、武勇とは組織の力であり、軍事力の合理性であった。義輝のような「個の美学」は、新しい時代には不要な、中世の遺物にすぎなかった。
しかし、信長は同時に知っていた。自分がどれほど精緻な天下布武の秩序を築こうとも、あの足利義輝という男が遺した「一の太刀」の残像を超えることは、決してできないということを。
三
足利義輝の死から数年後、室町幕府は織田信長によって完全に解体され、日本の歴史は「近世」という、より巨大で組織的な殺戮の時代へと突入していく。
かつて中世を支えていた、神仏への信仰、言葉への信頼、そして個人の武勇による調停といった美しき幻影は、すべて信長の鉄砲の轟音によって吹き飛ばされていった。
だが、京都の民衆は、のちの世まで、あの五月の朝のことを語り継いだ。
「室町にはな、五月雨の降る中、一人で一万の兵を相手に名刀を振り回して戦った、まことの将軍様が居られたのだ」と。
義輝は、歴史の合理性には勝てなかった。
しかし、彼は自らの肉体と、手の中の鉄の重みだけを信じることで、戦国という牙の時代に、これ以上ない鮮烈な「人間の足跡」を残した。
彼の刀は各地に散り、今なお妖しい白銀の輝きを放ち続けている。
(鳳凰の刀・完)
一番気に入っている作品の一つです。
足利義輝という人物のことを書き始めた数か月前まで知りませんでした。
歴史を学んで良かったな、歴史小説を、小説を書ける幸せはここに有るなと思う作品の一つです。
歴史上に公方様は沢山いますが、私にとって公方様はこの人だけですね。
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