ナドラの宿屋、風花亭
冒険者証となるタグを受け取ったミラはそれをまじまじと見る。とても薄い何かの金属の板に文字が刻まれている。文字が読めないミラにはなんて書いてあるのか分からないけれど、身分証の木札のミラの名前だと村長が教えてくれた文字と同じものがあったので、それが名前なのだろう。
依頼を受けるのも終わったら報告するのもユーフェだと決められている。それの証がここよ、とユーフェが指差したのは文字では無さそうだった。
「これが私のマークなの。ここにこのマークがあると、担当が固定ですよ、というのが受付のみんなにわかるわ。もしも私じゃない人がミラさんの処理をすると言ったらおかしいから他の人か、ギルドマスターを呼んでくださいと言えばいいわ」
「いいんですか?」
「ええ。受付担当の固定はよくあるわ」
上位の冒険者だと特に、と笑うユーフェにミラはそういうものか、と頷いた。
ところで、と話を変えるようにユーフェはミラの目を見た。
「宿は決まっているのかしら?」
「いえ。これから探そうかと思ってました」
「そうなのね。この街で冒険者向けの長期滞在出来る宿は安いところだと一泊で銀貨一枚。それなりで二枚、高い所は五枚ね。食事の有無、風呂場があるかどうか、とかだけれど」
個室に移動して話していたおかげで周りの目も無いからとユーフェはミラに親切にあれこれと教えてくれる。
特に風花亭は食事が良く、女性冒険者専用でテイマーでも泊まれると言う宿。長期滞在可能で、部屋の掃除を自分でするなら銀貨一枚という破格の価格。
「ミラさんには二年はここに留まって欲しいから部屋を借りた方が安いのだけれど、安定した収入がまだ無いでしょう?」
「はい」
「ギルドが保証人になってもいいのだけれど、実績が無いから、一ヶ月、依頼を受けて実績を作りましょう。今はブロンズだけど、一ヶ月真面目に依頼をこなせばカッパーにまでは上がれるから、そうすれば保証人になれるわ」
冒険者にはクラスというものがある。
下から順に、ブロンズ、カッパー、アイアン、シルバー、ゴールド、プラチナとなっている。特殊としてミスリルを持つ人もいるとの事だけれど、実在している事はギルドも認めているが、誰というのは公にしてはいない。
ミスリル級は基本的に一人で国を落とせるだけの力がある。
正直なところ、ドレイルはクラスを無視してミラをミスリルにしたかった。ミラ単体ならばブロンズからカッパーに上がるのが精々だろうが、ミラはテイマーである。
そしてそのテイムしている魔物がミスリルに値する。
だが、ゴールド、プラチナ、そしてミスリルはギルド本部が認定しなければならない。少なくとも現段階においてミラがそれだけの戦力を有しているなど公には出来ない。
それに、神誓契約もしている。
ミラの身を守るには着実に実績を重ねて周りから信頼を勝ち取ることがミラを守ることにも繋がるのだ。
「冒険者と言っても活動は様々で、魔物討伐もあるけれど、地域密着の住人からの依頼に応えるのもあるの」
例えば、と言ってユーフェが出てきたのは明日にでも掲示板に掲載する予定の依頼票だった。
そこには溝掃除やある家の庭掃除、子育て経験者限定での子守りなどもあった。文字を読めないミラにユーフェは一つずつ丁寧に説明をしてくれる。
「草むしりや買い物依頼もあるんですね」
「ええ。例えばこの買い物依頼はまだ小さなお子さんを抱えた奥さんからで、旦那さんがいる時は旦那さんに任せているのだけれど、仕事で二週ほど不在だけど、買い物に行くには少し大変だから冒険者に頼むの。あまり依頼料は高くないけれど、この街に来たばかりの新人冒険者に勧めているの。この依頼を通してお店がどこにあるとか、どんな人がいるのかを見れるでしょう?」
「確かに。あの、この依頼、受けれますか?」
「ええ。この依頼の場合、一日では終わらないわ。二週間の間で六日間依頼となっているの。だから、指定された日におうちに行って、買い物のお金を受け取って、指定されたものを買ってくるの。それを家に届けて終わり。この紙のこの中に印をもらって、私のところに来てね。そうしたら、その日の依頼は達成しました、と私が記録するの。指定された期間全部きちんと出来たらお金を支払うわ」
「お買い物の無い日は別の依頼を受けられますか?」
「もちろんよ」
ユーフェはとても親切だった。そして、文字が読めないミラに文字を学べるようにとギルドが配布しているそれ用の冊子とかなり薄い木箱を渡してきた。
「この箱はね、ここの蓋を開けてみて。砂が入ってるでしょう?こう、とんとんと均してこの木の棒で文字を書いて、また均したら新しく書けるの。字の練習用ね」
「うわぁ。あの、これ、本当に良いんですか?」
「もちろん。それに、このギルドには小さいけれど図書室があるの。引退した冒険者が文字を教えてくれることもあるから、ミラさんに時間が出来たら参加するといいわ。文字を読んで書けるのって大事だからね」
「はい!」
木箱に蓋をして手渡してきたユーフェにミラは頷いた。村にいた時は文字が読めなくても、書けなくても何も問題はなかった。しかし冒険者をするなら文字の読み書きは大事なのだと分かった。
冊子には絵と文字が書いてある。絵はとても分かりやすくて、これがその文字なのだ、と判別出来た。
文字は分からなければただの絵のようなものでしかない。しかし、これがわかれば、きっと世界が広がるのだろう。
「ふむ。文字は大して変化しておらぬな。我も教えることが出来るぞ」
ミラとユーフェが話していると、クロがミラの肩から覗き込みながらそう言った。
「クロさんわかるの?」
「ああ。あとはウィラも分かるのではないか」
「ええ。分かりますわ。ミラ、宿で一緒に文字のお勉強をしましょうか」
「うん」
唯一上半身だけとはいえ人型を持つウィラであれば文字を書くことも出来る。
ユーフェは彼らが本当にミラのことを大事に思っているのだと改めて感じた。それほどまでに蜘蛛の声は柔らかく穏やかであった。
ミラはユーフェについでだからと宿まで連れて行ってもらった。ずっと彼女を独占していてよかったのかと思ったけれど、ドレイルからユーフェが宿に着くまで面倒を見るようにと言われていたことを思い出して感謝した。
人に親切にされるのは慣れていない。
ずっとずっと、村でミラは出来損ないのように扱われて優しくされたことがなかった。
魔物達がカリナを両親を、村人を殺した事に対して罪悪感は今でも持っていない。あの村でミラが最も下にいて、それにより村人はミラより下はいないのだと言う気持ちで繋がっていた。ろくでもない奴らだ、とクロが言っていたし、ミラもそう思う。
そんな経験から、人と言うのは誰かを貶めて安心する生き物で、ミラがいればミラを皆下にすると思っていたのに、ドレイルやユーフェはミラの友達を恐れはしたものの、ミラに対しては成人したばかりのまだまだ若い子として扱うだけだった。
一人の人間として話を聞こうとしてくれるのがどれだけ嬉しい事か、きっと彼らは知らないだろう。
ユーフェはギルド職員共通の服を着ていて、そのお陰でミラが隣にいてあそこの店は何で、なんて話をしていても誰も気にしていなかったし、冒険者がユーフェに声をかけて、ユーフェが応えながら新人冒険者のミラを紹介してくれたりした。
名前を全員覚えることは出来なかったけれど、ユーフェが大丈夫だと判断した冒険者達は皆いい人なんだろうな、という雰囲気があった。
「ここが風花亭よ。ツェリさん、こんにちは」
「おや、ユーフェじゃないか。どうしたんだい?」
宿の扉を開けると受付で、顔を上げた恰幅の良い女性がにこにことユーフェと会話を始めた。
「こちら、今日ナドラに来たばかりの新人の冒険者さんなの。長期滞在で部屋を抑えたいのだけど」
「おや。珍しいね。ギルド職員がついてくるなんて」
「ギルドマスターが目を掛けているの。テイマーだからそれ用の部屋がいいのだけど」
「運がいいね。空いてるよ。ギルドの紹介ってんなら宿代は大丈夫だろうね?」
「ええ。私が担当するから。ミラさん、私がひと月分立て替えます。依頼を受けたその中から返済でいいかしら?」
「え、あの、いいんですか?」
「勿論よ。その代わりに私が指定する依頼を受けてもらう事もあるわ」
「大丈夫です。あの、ありがとうございます」
ミラはこれが特例措置だとは気付いていない。ギルドはそこまで面倒を見ることは本来はない。しかし、ドレイルの一存で決められたのだ。ミラには常識を身につけてもらう必要がある。
彼女が共にしている魔物達がどれだけ恐ろしい存在なのかをミラ自身が知らなければならない。
ナドラの街には冒険者向けの長期滞在が出来る宿は実の所少ない。冒険者は短期間で移動することが多いからだ。
その中で風花亭はかなり良質な宿で無茶な事は言わない。
「朝晩のご飯付き、掃除は自分で。それでも一泊銀貨一枚。ひと月ってんなら金貨三枚だよ」
「ええ。はい、確認して」
小さな袋から金貨を取り出す姿を見てミラは震える。金貨など、初めて見た。村長は持っていたのかもしれないけれど、平民の中でも良くない環境だったミラにはとてつもないお金にしか思えない。
「あ、あの、ユーフェさん、私、いっぱいお仕事します」
「あら。ふふ。大丈夫よ。ミラさんに無理のないようにするから」
「でも」
「まずは慣れることからよ。私はその手伝いをしたいの。さあ、部屋に行って休んでね。ギルドの場所は覚えたかしら?」
「はい。それに、クロさんも、覚えてるから、大丈夫です」
「それでは、明日は朝早くを避けてきてね。朝一番は依頼取りで冒険者達が溢れかえっているから大変なことになるわ」
「わかりました」
「それじゃあツェリさん、ミラさんをお願いします」
ここまで丁寧にフォローされているミラには事情があるのだろうと判断した女将のツェリは「任せときな」とにこやかに胸を叩いて請け負った。
ユーフェはギルドに戻り、残ったミラはツェリの案内で部屋に行く。
風花亭は外観は少し古いが、中はとても綺麗だった。定期的に点検をして改装をするのだと言うツェリは、三階までの階段を登った。
この付近では珍しい三階まである建物だけど、一階が食堂や酒場、浴場を置いているので、宿泊の部屋を作る為には三階まで必要だったのだという。
その三階の一番奥の部屋は、テイマーのためと言うだけあって人間が寝るベッドだけでなく、テイムした魔物が休めるようなスペースもあったし、その為のクッションもあった。
掃除道具は部屋にあり、トイレも部屋の中に更に小さな部屋として独立してる付けられていた。
「朝と晩は下の食堂に来ておくれ。鍵はあんたが持ってて構わないけど無くしたら弁償だからね。怖いなら出かける時にこちらに渡しておくれ」
「わかりました」
「分からないことがあったら聞いておくれ」
「はい。ありがとうございます」
陽気なツェリは下に戻ると言って出ていき、部屋に残ったミラは部屋の中を改めて見る。
テイムした魔物用のスペースにあるクッションに早速フェルとレオは飛び込み、窓辺にあるテーブルにクロとウィラは飛び降りた。そこにも籠があり、ふかふかのクッションが敷き詰められていて柔らかそうである。
更に、何と小さな水槽があった。テイムした魔物の中には水に纏わるものもいるからだとは思うが、ディスはふよふよと水槽まで行くと纏っていた水球を破裂させて水槽を満たし、その中でぷかぷかと浮いていた。
村にいた頃よりも居心地の良い部屋。他の宿屋を知らないけれど、ここが良い場所なのだとわかる。何よりもクロたちは警戒していない。
肩掛けカバンを下ろすと、ミラはおずおずとベッドに腰かける。こんなに上等なベッドは初めてだったし、布団も柔らかそうだった。
「うわぁ……柔らかい」
「ここはかなり良い宿だな。あのユーフェとやらは、ミラに親切だ」
「ええ。信頼できますわね。紹介してくださった冒険者も人格に問題は無さそうでしたわ」
「僕もそう思うー!匂いが良かったよー!」
しっぽをパタパタとさせるフェルはこの中で一番幼いけれど、それ故に本能的に感じることが多い。嫌なものは嫌だと直ぐに断じるフェルがユーフェを否定しないのならば、ミラも安心して良いのだと思える。
「ごはん、皆はどうする?」
「ボクは沢山食べたからいらないよ」
海の中でたっぷり食事をしたディスはともかく他は、と思ったのだが。彼らは魔物で、しかも力のある魔物だ。沢山食べるのかと思いきや。
「この体だと食事をしなくても問題は無い。そもそも食べなくとも生きていけるからな」
「え?」
「我々にとっての食事と言えば魔素だ。ただ、味はわかるから肉などを食す事はできる。まあ、ミラ。気にせずとも良い。食べたい時には自分達で狩りくらいは出来る」
「僕、狩り大好き!ミラに美味しいお肉持ってくるね~」
一番獣に近いフェルが楽しそうにする横で、レオは悠然と横たわりながらゆらりとしっぽを揺らす。
そもそも、高位の魔物は下級の魔物が体に溜め込む魔力を奪い取る為に食することがあるが、それを人間と同じ食事と思われているのだろう。間違ってはいないが、あくまでも必要なのは魔素だ。
クロの本体で肉が必要ともなれば、今頃大陸に生物はいなくなっているだろう。
「ミラ。疲れているでしょうがご飯は食べましょうね」
「うん」
ウィラの言葉に頷いたミラは、ウィラとクロを連れて階下に降りていく。フェルとレオ、ディスは部屋に待機すると言っていたのでそのままにしておいた。
これからの日々は未知の世界のようなもので、ミラは少しの不安があったが、友達は心強い味方だ。ミラが余程ダメにならない限り見捨てられることはないだろう。
出された夕飯は、生まれて初めて美味しいと思った。
村にいる時は食べることも苦しかった。でも、ここでは誰もミラを貶さない。咎めない。比較しない。
野菜が沢山入ったお肉入りのスープは、お腹の中から体を温めてくれるような、そんな味だった。
ミラノ拠点が決まりました。
ユーフェがここに決めたのは、一番古い宿で、訳ありの女の子を引き受けてくれるからです。
余程でなければ男性は使えない女性専用宿は女性冒険者にとって助かる場所です。




