第7話:コンプライアンスの刃とペーパーカンパニー
第二層のオアシス都市、ファラシャ。私は街の裏通りにある馴染みの酒場で、山盛りのフライドポテトと巨大な白身魚のフライをつまみながら、冷えたエールを喉に流し込んでいた。
「ふむ……素晴らしい。油とアルコールの背徳的な組み合わせは、酷使した頭脳を癒やす最高のガソリンですね。仮想空間(VR)の最大のメリットは、どれだけ揚げ物と酒を摂取しても、現実の私の体重やダイエット計画に一切の悪影響を及ぼさないことです。まさにノーリスク・ハイリターンの健康資産運用」
【コメント】
:おっさん、また揚げ物食ってんのかww
:ゲーム内で痛風になるぞ
:てか悠長にダイエット語ってる場合じゃないだろ! 掲示板見てないのか!?
:運営がキレたぞwwwおっさん終了のお知らせwww
コメント欄が異常な速度で滝のように流れている。
私がエールのジョッキを置いたタイミングで、酒場のスイングドアが乱暴に開き、専属ビジネスパートナーであるアリアが血相を変えて飛び込んできた。
「ちょっと田宮さん! のんびり揚げ物食べてる場合じゃないわよ!」
「おや、アリアさん。奇遇ですね、貴女も一杯いかがですか?」
「いらない! それより、これを見て!」
アリアはホログラムのシステムウィンドウを展開し、私の目の前に突きつけた。
それは、この街を治めるNPCの領主から発布された、全プレイヤーに対する『緊急の御触書』だった。
【ファラシャ領主令:市場安定化法(通称:独占禁止税)】
現在、一部の異邦人による資源の不当な買い占めが確認されている。
よって、個人のインベントリ内に『各種鉱石』を【1000個以上】保有している者に対し、超過分に対して『50%の重加算税(没収)』を課す。
※本通達より24時間後に、領主の査察官が全プレイヤーのインベントリを巡回査察する。
【コメント】
:運営のダイレクトアタックきたあああああ!!
:完全におっさん狙い撃ちのパッチで草
:そりゃトップギルドを奴隷にして、24時間鉄鉱石掘らせまくってりゃ目ぇつけられるわww
:ざまぁwwwおっさんの在庫、半分没収だ!!
「……なるほど。NPCの経済AIが、市場の異常なボラティリティ(価格変動)を検知して、自動でパッチを当ててきたわけですか」
私は口元をナプキンで拭き、全く動じることなく呟いた。
現在、私の配下となった『紅蓮の獅子』の元メンバーたちが、寝る間も惜しんで第二層の鉱山で採掘を行っている。現在の私の鉄鉱石の保有数は約『3万個』。つまり、明日の査察で1万5000個以上の資産がシステムに強制没収されるということだ。
「冷静に分析してる場合!? これじゃ私たちが安く素材を仕入れられる前提のスポンサー契約も破綻しちゃうじゃない! どうするの、急いで市場に投げ売りする!?」
「アリアさん、落ち着いてください。現実の金融市場でも同じです。特定のセクターに理不尽な重税が課せられた場合、優秀な投資家は狼狽売り(パニック・セル)などしません。資本をより税制的に有利な抜け道へと『移動』させるだけです」
私は立ち上がり、スーツの襟を正すように初期装備の布の服を整えた。
「NPCの領主様は、少々ルールの詰めが甘かったようだ。……さあ、現場(鉱山)へ向かいましょう。組織の再編の時間です」
◆ ◆ ◆
第二層・ファラシャ近郊の廃鉱山。
前話で私に敗北し、ギルドごと吸収合併されたレオンたちは、煤にまみれながら泣きそうな顔で鉄鉱石を掘り続けていた。
「お疲れ様です、レオン君。そして従業員の皆様。本日は皆様に朗報があります。現在の過酷な隷属契約を破棄し、皆様を『自由の身』にして差し上げようと思いまして」
「……は? じ、自由……?」
私はシステムウィンドウを操作し、新たな契約書を彼らの前に展開した。
「本日から皆様は、我が商会の従業員ではなく、独立した『個人事業主』です。今後、皆様が掘った鉱石は皆様自身のインベントリに収納されます。そして、それをアリア様のギルドへ直接販売(納品)していただく」
「お、俺たちが直接売っていいのか!?」
「はい。ただし、これはフランチャイズ契約です。私の『看板』と『販路』を使う以上、売上の『90%』をロイヤリティとして私の口座に自動送金していただきます」
「……は?」
レオンの顔が引き攣った。
「当然の対価でしょう? 残りの10%は皆様の取り分です。これまでの『無給での強制労働』に比べれば、遥かに健全なギグ・エコノミーだと思いませんか?」
私は現在保有している『3万個』の鉄鉱石を、システムメニューを通じて、50人いるレオンたち個人事業主のインベントリへと『仕入れの在庫』という名目で均等に分配した。
一人当たりの保有量は『600個』。
これで準備は完了だ。
◆ ◆ ◆
数時間後。
鉱山の入り口に、重武装の衛兵を引き連れた厳格な顔つきのNPC査察官が現れた。
『領主様の命により、インベントリの査察を行う! 異邦人タミヤ、貴様だな。市場を混乱させるほどの鉱石を不当に溜め込んでいるという悪徳商人は!』
査察官が私を睨みつけ、システムの強制スキャンを発動させる。
私のインベントリの内容が、空中に可視化された。
『むっ……!?』
査察官が驚愕の声を上げる。私のインベントリにあるのは、大量の『金貨』と少しのポーションのみ。鉱石の保有数はゼロである。
「ご覧の通りです。私はただの、善良で貧しい一介の盗賊ですよ」
『ば、馬鹿な! 確かに貴様が大量の鉱石を支配していると報告があったはずだ! ……おい、そこの薄汚れた採掘者ども! 貴様らのインベントリも調べさせてもらう!』
査察官はレオンたちにターゲットを移し、次々とスキャンをかけていく。
『保有数、600個……。こっちも600……これも、600だと……? 誰も1000個を超えていない……!』
「お分かりですか、査察官殿」
私は極上の営業スマイルを浮かべ、彼に歩み寄った。
「彼らは私の奴隷でも従業員でもありません。誇り高き『個人事業主』です。そして、彼らのインベントリにある鉱石は、一人当たり600個。領主様の定めた【1000個以上】という課税対象のラインを、誰一人として超えていない。……そうですよね?」
『ぐっ……! し、しかし、奴らは明らかに貴様の指示で動いている! 実質的な独占だ! これは脱税行為とみなす!』
査察官が声を荒らげ、強引に没収プログラムを走らせようとした。
その瞬間、私は営業スマイルをスッと消し、銀行員時代に金融庁の監査を切り抜けた時の『絶対零度の声』を叩きつけた。
「実質的な独占? 脱税? ほう……それは領主様の公式見解ですか? それとも、貴方の『個人的な感想』ですか?」
『なっ……!?』
「証拠を出してください。彼らと私が雇用関係にあるという明確な証拠を。我々は完全なB2Bの業務委託契約を結んでいる。システム上も別個のプレイヤー(法人)として処理されています」
私は査察官の鼻先に、分厚いシステム契約書のホログラムを突きつけた。
「貴方は今、法的な根拠もなく、善良な個人事業主たちの正当な経済活動を妨害しようとしている。これは明確な『職権濫用』です。領主様は、新進気鋭の起業家たちから不当に資産を巻き上げ、この街のイノベーションを阻害する暴君であらせられると?」
『そ、そんなことは……! 我々はただ、市場の安定を……!』
「安定? 笑わせないでいただきたい!」
私は一歩踏み込み、査察官の眼前に立ちはだかった。
「貴方たちの言う安定とは、既得権益の保護と同義だ! 法の網に穴があることを棚に上げ、後出しジャンケンでルールを捻じ曲げ、現場の努力を税金という名目で掠め取ろうとする! そんなガバナンスの欠如した行政に、我々の血と汗の結晶たる資産を1Gたりとも渡すわけにはいきませんね!」
【コメント】
:wwwwwwwwwwwwwww
:おっさんの説教きたああああああああ!!
:NPC相手にガチのコンプラ論争仕掛けてて草
:正論(屁理屈)の暴力wwww
:血と汗の結晶だからなwwwお前は何もしてねえwww
『あ……う、ううっ……』
高度なNPCのAIが、私の繰り出す「システム上は完全に合法である」という絶対的な論理と、凄まじい剣幕に処理を追いつかせられず、視界でバグったように痙攣し始めた。
「査察官殿。貴方のKPI(目標達成率)が厳しいのは察しますが、無理な差し押さえは訴訟リスクを伴いますよ。もしお役御免になって再就職先にお困りなら、我が社で『コンプライアンス担当』として雇って差し上げましょうか? もっとも、初任給はスライム並みですがね」
私が名刺代わりの羊皮紙を差し出すと、査察官は完全に心がへし折れたように膝から崩れ落ちた。
『……ひっ、非道徳的な……悪魔め……! て、撤収だ! 撤収ぅぅ!』
査察官たちは何も押収できないまま、涙目になって街へと逃げ帰っていった。
システム対人間の知恵比べは、金融のプロによる完全勝利に終わった。
【コメント】
:査察官泣かされたwwwww
:NPC虐待でBANされるぞwwww
:名義貸し(ペーパーカンパニー)による完全なる脱税スキーム完成!!!
:領主の無能な法案の穴を完璧に突いたなwww
:レオンたち、脱税のための財布にされてるのほんと笑う
「……あんた、本当に人間の心とかないわけ?」
一部始終を見ていたアリアが、心底呆れたような声を漏らした。
「褒め言葉として受け取っておきますよ、アリアさん。これで我々のビジネスは誰にも邪魔されず、合法的に継続されます」
私は背後でツルハシを握りしめ、自分たちがただの「税金対策のダミー口座」にされたことに絶望しているレオンたちを振り返った。
「さあ、休憩終わりです。個人事業主の皆様、しっかり働いてくださいね。成果主義の世界は甘くありませんよ? 税金対策の分まで、しっかり稼いでもらいますから」
私は彼らに優しく声をかけ、再び手元のインベントリから揚げ物とエールを取り出して祝杯を上げた。
10億円を賭けたマネーゲームの盤面は、運営の想定すらも超え、私というブラックホールの中心へと吸い込まれようとしていた。




