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☆ たんぽぽ





トルカナが、娘が何かをしているようだと気付いたのは、後で聞く限り随分と後の事だったらしい。

 魔獣の討伐に神経をすり減らす毎日の中で、ほんの少し空いた時間に、メイドたちの愚痴が聞こえてきたのだ。

 曰く、お嬢様が無駄遣いをしている、と。

 正直な所ここは辺境故、若い娘や子供が喜ぶような店は殆どと言って無い。貴婦人として必要な物は帝都に出た時に揃えているし、茶会も夜会も子供には関係ない筈で…どこで無駄遣いができるのかと思う。

 久しぶりに会う妻に聞くと、ああ。と言った後くすくすと笑った。


「おじいさまのせいなのよ」


 トルカナの父母はもう居ないため、メドロアの父…王国の侯爵の事である。

 何やら手紙で、領地を強くするためにはどうしたらいいか聞いていたらしい。

 その返事が、人を育てろと言うもので……

 そして、齢十歳のリオリーヌが考え着いたのが、所謂『先生』という人間を探す事だったらしい。


「リオにはきちんと付けてあるだろうが」


 マナーも勉学もダンスも…護身術も。

 これはという教師を探して、教育を施して貰っていて、教師側からの評判も悪くは無かったはずだ。


「そうじゃないのよ…孤児院の子供たちの先生をね。なって下さる方を街中で探しているらしいの…」

「孤児院の?」

「普通に親のいる子供たちは、その仕事なり技術なりを継ぎますから…」

「ほう。で、見つかったのか」

「ええ。聞いて私も驚きましたわ」


 リオが見つけてきたのは、多岐に渡った。


 剣や格闘術の先生は領兵から。

 過去に貴族家の家庭教師をしていた人。

 マナー講師の手伝いをしていた人。

 立ち上げた商会で腕を振るっていた人。

 帝都のテーラーとドレスメーカーで腕を鳴らしてきた職人。

 引退した鍛冶屋。

 子供に経営を任せていた薬屋。

 弟子が欲しい大工、技術を磨かせたい細工師…などなど。


「鍛冶屋や薬屋は、まあ居るとは思っていたが」


 魔獣と戦い抜くためには、必要な人たちだ。


「それが?」

「その方たちへのお礼を、リオが出しているのよ」

「は?」

「ドレスやアクセサリーに使う分が欲しいと言ったので、出してあげたわ」


 さらりと言う妻に、トルカナは眉を顰めた。


「お前、何故止めないんだ?」

「あら」


 意外という顔が返ってきて、トルカナは少し身を引いた。


「あなただって、ご自分の背中を任せる人材を育てていらしたでしょうに」


 違いまして?と言わんばかりに小首を傾げる妻に、トルカナは押し黙った。


「しかしなあ…」


 貴族の子弟を付けるには早い気もする。

 だが、平民のそれも孤児院の子供たちを教育して、どうなると言うのか。

 そして娘は…どうしたいと考えているのだろう。




 その夜、トルカナは娘を呼んで話を聞いた。

 十歳の子供が、どれくらい先を見て動いているのか知りたかったからだ。

 ただの哀れみや施しでそのような事をしているのであれば、ある程度の所で止めさせるつもりであった。


「それでリオは…孤児院の子をどうしたいんだ」

「どう、って?」


 心底不思議そうに聞く娘に、トルカナは貴族の親の顔で告げた。


 いくら優秀な人材がいても、平民出身では侍女や側仕えには出来ない事。

 どれだけ教育に金を出しても、使い物になるかどうかは分からず、無駄になる事が多い事。

 将来を見据えての人材育成なら、貴族の子弟を選んだ方が良いという事。

 …などを、出来るだけ分かりやすいように伝えた。


「私は…あの子たちが他所へ行っても、別にどうでも良いの」

「は?」


 意外な言葉に、トルカナは目を剥いた。


「そのつもりでは無かったのか?」

「皆にもそう言ってるわ。ただ約束はして貰っているの。孤児院を出なくてはならない年齢までに、読み書きと計算だけは出来るようにしてって」

「…それは、お前が損をするだけでは無いのか?」


 娘の考えが分からない。


「えっとね、お父様」

「ああ」

「親がいない子供はここには多いでしょ?」


 ここの神殿が管理する孤児院には、魔獣の被害で孤児になった子供が殆どだった。

 今では、魔獣被害で孤児になった子供が、遠くから連れて来られる事もあるくらいなのだ。


「それだけで、侮られて欲しくは無いと思ったの」


 慰問するうちに、彼らが色々と騙されている事が多い事に、リオリーヌは気付いていった。

 文字が読めない事、計算が分からない事、知識が無い事を、周囲の大人たちが良いように扱っている事に我慢ならなくなったのだ。

 そこへ祖父の手紙が後押しとなり、どうしたら良いかと考えて、今に至ったのだと説明する。


「寄付や食事も大切だけれど、知識は他人に取られたりしない自分の物よ。今孤児院に居る子は、それを身に付けて欲しいの」


 辺境伯領の子供は優秀だと広まれば、皆がきちんとした職に付けると笑うリオリーヌに、トルカナは苦い顔を返した。


「しかし、お前ひとりが損をする事に変わらないだろう?」


 金と手間をかけて育成した人材が、他領へ流れて行くのを喜ぶ娘が分からない。


「そんなこと、無いと思うわ」

「なぜ」

「皆に言ってるの。皆は『たんぽぽ』なのよって。綿毛になってここから飛んで、別の場所で根を張って花を咲かせてって」


 それは何の意味も無いでは無いかとトルカナは眉を寄せた。


「出て行くばかりでは無いか、それでは」


 優秀な人材を出すばかりの愚かな領になってしまう未来に、トルカナの声に怒気が混ざる。

 しかしリオリーヌは驚いた顔をした。


「お父様、どうして行ってしまう事ばかり仰るの?」

「え?」


 そうでは無いかとトルカナは思う。

 風にあおられるまま、掴みどころ無く大空に舞う綿毛。

 手を伸ばしても留める事は出来ないまま、頼りなくも飛んで行ってしまう一方の…切ない景色が脳内に浮かんでいる。


 その景色が、娘の言葉で一瞬で霧散した。


「綿毛は、こちらに飛んでくる事だってあるわ」


「…!」


 虚を突かれたトルカナは、息を呑むことしか出来なかった。











「いい天気だ」


 一人甲板の隅に立ったトルカナは、大きく息を吸い込んだ。

 遠くには王国の港がうっすらと見えてきている。


 あの時、止めさせなくて良かったと再び思っていた。

 今この時がその証拠のように、別の土地で花開いた幾つものたんぽぽが、娘の命を救ってくれた。そればかりか、自分もその恩恵に与っている。


「お父様、どうかなさいまして?」

「ああ、リオか……うん、たんぽぽたちの力はすごかったと、思ってな」


 父の呟きにリオリーヌはくすりと笑った。


「確かに大人になるにつれ、私の考え方も変わって来てはおりましたけれど……ここまでして貰えるとは思ってもおりませんでした」


 絶望に潰されそうなあの時から…それと悟らせない連携を、リオリーヌは思い出して涙ぐむ。


 手の中の小さな紙片。白い花。

 気が付いたら隣国に入っていて、初めての船旅。

 そして…予告無いままの父親との再会まで。


 計画を実行するには大変だったと思う。

 お金もかかっただろうし、バレたら犯罪者だ。怖い事や嫌な事もたくさんさせていたはずだ。

 それでも必死に助けの手を差し伸べてくれたそれを、決して忘れてはいけないし、忘れないだろうと思う。


「…これ以上、甘えないようにしなくては」

「勿論だ。落ち着いたら、おいおいお礼をしていこう。なかなかに楽しい者たちだったからな…」

「そうですね。まず自分の足場をしっかりとしなくては」


 港が近付いてきて、乗船客が荷物を持ちだして下船の準備を始めている。

 ゆっくりと近付いて行く桟橋の、出迎えの声が大きくなっていく。

 何気なく見降ろしたそこに、二人は家族の姿を見つけた。


「ああ、お母さま!」

「メドロア!」


 下級貴族の着るような地味なドレスを纏った夫人と、その後ろには護衛に囲まれた祖父が、馬車から顔だけ出して笑っている。

 リオリーヌは震えそうな唇をかみしめ、大きく手を振り続けた。






 桟橋に向けて手を振る二人の、その後ろ姿を笑顔で見つめる商人夫婦は、自分たちの役目が無事に終わった事に安堵していた。


「…本当にありがとう、あなた」

「いや、まあ、そこそこ楽しかったしな」


 船から走り下り、駆け寄る二人と出迎える一団とが、大きな歓声に包まれる。

 その光景を見ながら、タルカは昔の事を思い出していた。




 リオリーヌが孤児院に教師を集めだしたころ。

 既に年長であったタルカは、日々を焦りの中で生きていた。

 毎日、どこかの家の手伝いに行って賃金を稼いではいるものの、他の同じ仕事をしている者と賃金の格差がある事に、早い時期に気付いていた。

 けれどそれに抗議は出来ず…このまま孤児院を出て同じような仕事を得たとしても、扱いは変わらないだろうという絶望に似たものをひしひしと感じていたのだ。


 だから、リオリーヌが与えてくれた機会にタルカはしがみついた。


 難しい文章が読めるようになれば。

 きれいな字が書けるようになれば。

 正しく素早く計算が出来るようになれば。


 自分の価値を高められたら、別の世界に行けるのでは無いかと。


 憶える過程は辛かったが、その先に見える期待がタルカを動かしていた。

 同い年の中にはそんなタルカを馬鹿にするように、出身は変えられないと笑うものもいた。

 そんな中、意地のように続けていたタルカは、ふと気付いたのだ。

 これは身に付けてしまえば、誰にも奪われない力なのだと。


 自分より先にここを出て行った子供たちの行く末は、あまり良いものでは無かった。

 女の子は下働きか娼館に行く事になり、男の子は力仕事か傭兵、良くて探索者となったと聞いたが、武器の指南を受けることも出来ないままでは、長生きできてはいないだろう。


 何の役にも立たないかも知れない。

 でも色々と…商店の文字が読めて、立札の意味を知り、お金の価値と金額の計算が出来るようになってくると、タルカの世界は同じ場所であるにも関わらず、大きく広がった気がしたのだ。

 そうして、もっともっとと知識欲が増える。

 時間が無い事が、タルカを焦らせる。

 どこまで行ったら良いのか分からなくなった頃、リオリーヌから老夫婦を紹介されたのだ。


 昔は大きな商人だったが、今は後継に譲って自分の食い扶持だけの商いをしている人物だった。

 その商家に住み込んで、行く行くは独り立ちしないかという話にタルカは飛び付いたのだ。

 この老夫婦商人が辺境に引っ込んでいるのも、見込みのある若者を静かな場所で育ててみたいという気持ちからであった。

 リオリーヌからの話に早めに賛同してくれた一人でもあったため、話は早かった。

 合わなければ戻っても良いという話だったが、タルカはしがみ付くつもりしか無かった。

 こんなにいい条件を、他の子に取られたくないと思ってもいたからだ。


 タルカはそこで実に色々な事を学んだ。

 商人としての知識は勿論、手紙の書き方、言葉遣いや立ち居振る舞い、季節の装いや禁忌とされる習慣や仕草まで、多岐に渡って教え込まれていったのだ。

 気が付けば、既に孤児院の籍が無くなった年齢になっていて…そして、辺境の孤児院出身でもきちんとした仕事に就けると証明したタルカは、後輩たちのやる気を物凄く上げたのだ。


 やがて、親の商会とは違った事を学びたいと、老夫婦を尋ねてコナリがやってきて…縁あって夫婦となって、今があった。


 リオリーヌ様から自分が貰ったのは、切っ掛けだけだったかも知れない。

 けれど、その切っ掛けが無かったら、今ここに自分は居ない。




 無理を頼んだのに実行してくれた夫と、朗らかに笑う子供たちを見て、タルカも微笑んだ。


「俺たちも降りようか」

「そうね」


 下船しながら遠くにある一団を見る。

 泣き顔と笑顔と、愛情深く抱き締め合う姿は、心から良かったと思える光景だった。

 公爵様が居られる以上、ただの平民であるこちらから近付いて行くことは出来ない。

 コナリは端で警護していた兵士に声を掛けると、置き忘れられていた二人の荷物と、ずっと運んできた木箱を預けた。


「…さて、行くか」

「そうね。お節介の時間は終わったし」

「そうだなあ…自己満足のお節介、か。ま、それも良し」


 高位の貴族と関係者の集いをちらりと眺め、恩を売るつもりも無い二人は、子供たちとナインを連れて、いつもの商人の顔をしてそこから静かに離れていった。



 トルカナとリオリーヌが落ち着いた頃には、港にいた人たちは殆どいなくなっていた。

 勿論、コナリとタルカ、双子も、ナインという従業員もいない。

 ただ、ついさっきまで居たことを証明するように、自分たちが忘れていた荷物と運び込まれていた木箱がそこにあった。


「え、嘘!どうしましょうお父様!まだお礼もきちんと言って無いのに!」


 リオリーヌは慌てて周囲を見回したが、見知った顔は見つからなかった。


「…しまった……気を遣わせてしまったようだな」


 貴族に戻ったと判断されたと気付いたものの、既に消えてしまった彼らを追う術は無かった。


「見事な引き際だの」


 メドロアの父の侯爵が感心したように笑った。


「何、王国に居るのなら、探す手立ても有ろうよ。お前たちも色々あるだろうから、落ち着くまで待ちなさい。…しかし、リオは実に有能で良い者たちを味方に出来たようだな」

「…そんなつもりは全くありませんでした。おじいさまのお手紙を、自分なりに考えてみて、そうして関わってきた人たちです。それだけの関係なんです…」


 それでも自分を助けてくれた。お金も手間も時間も掛っただろうに、何も告げずに準備をして、手を差し伸べてくれたのだ。

 なのに、何の礼も出来ないままの自分が情けない。


「…確かに私から彼らに手を伸ばしました。けれど命を懸けてまで…こんなにも良くして貰おうなんて、考えたこともありませんわ。私はただ、いつか戻ってきた人が、辺境に何かを与えてくれれば良いなと思っていたのです…」


 ふわりと潮風が吹き過ぎて行く。

 スカートの裾をひらめかせるその風の強さが、リオリーヌの脳裏に森の中に舞い上がった、沢山のたんぽぽの綿毛を思い出させた。


「その話を…わしにも詳しく聞かせて貰おうかな。リオが大好きなたんぽぽたちの事を」

「…ええ、喜んで」


 皆が乗り込んだ馬車が港を離れていく。

 父と母と祖父の顔を眺め、改めてリオリーヌは己が身の無事を噛みしめながら、心の中で小さく祈った。



 派手な色も艶やかでも無いけれど、強くて逞しくて可愛らしくて、一人できちんと咲ける花。


 そんな愛しいたんぽぽたちと、もう一度必ず会えるように。と。










読んでくださった方、評価を下さった方、ブクマを入れて下さった方、皆様どうもありがとうございました。

婚約破棄物から変な方向へ向かいたくて書き始めた作品でした。

初めての投稿でしたのでかなりチキンになっていました。

宜しければ、評価等下されば嬉しく思います。

ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても良いお話でした。ありがとうございます。話の続きが気になり、一気に読み耽ってしまいました。 最初はタイトルの「たんぽぽ」が何のことか分からず、でも、そんな疑問を置き去りに話に引き込まれ…
[一言] 大変面白く一気読みさせてもらいました。 m(_ _)m タンポポとかわいらしい表現ですが話的にはバタフライエフェクト又はブーメラン何時か返って来たらいいなが凄い即効性で返って来てる為(笑)と…
[良い点] とても素敵な作品でした。ありがとうございます。 一気に読んでしまいました。 人々の背景や心情の描写が、長すぎずも丁寧で、 主人公側の一人一人に感情移入して大きく心が動かされました。 辺境…
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