第9話 白波さんの作戦
次の日、俺は少しだけ早起きしてYouTubeを観ながら髪のセットをしてみた。一度頭を濡らしてから乾かすところかはじめないとダメだったり、ワックスのつけかたひとつにしても思ったよりも複雑で、昨日は簡単だなんて言ってしまったがこれは結構練習が必要かもしれない。
まあ、そうだよな。絵だってある日急にうまくなるわけじゃない。とくに俺は髪のセットに関しては、ゼロからのスタートなんだから多少変になってもしょうがない。ただ、絵の練習と同じように毎日積み重ねていけば、必ずうまくなる。それに髪のセットは絵と違ってオリジナリティも必要ないし、この動画の通りにするだけでいいのだから、多分何回かやればそれなりのものになりそうな気がする。
俺は米山さんがやってくれたものに比べるとかなり劣るものの、髪のセットっぽいのものが出来上がると、学校へと向かった。
学校について、いつも通り無言で教室に入る。昨日、クラスメイトを観察してた感じ、もしかしたら教室に入る時って「おはよー」みたいなこと言った方がいいのだろうか? ただ、俺全然友達いないのに、誰に向かっていってんのって思われそうでなんか怖くて言えない。
あ、でも白波さんに言ってる体なら……と白波さんの姿を探してみたが、まだ来てないみたいだ。ちょっとだけがっかりしている自分に気付く。そのうち登校してくるだろうからがっかりする必要ないんだが、やっぱり白波さんの美しさは別格だからな。クラスの中にいるといないとでは大違いだ。
結局何も言わないまま、いつも通りまっすぐ自分の席に向かう。ただ、なんだろ。なんかちょっとクラスメイトからの視線を感じる気がする。
男子も女子もちらちらとこっちを見ている……気がする。なんだ? 俺、なんかしたか?
と、疑問を持った瞬間『調子乗ってきも』『似合ってないし』という女子たちの笑い声が聞こえた。なるほど。こわ!
これってあれだよな? 俺が髪をセットしてきたから、調子に乗ってるとか、似合ってないって言われてるんだよな……。もしかして、俺思ったよりセット下手だったか? いや、確かに初めて自分でセットしたんだから、下手だとは思う。全く絵の描いたことない人が、初めて絵描いたらそりゃ下手だろうしさ。
でも調子に乗ってるっていうのはひどくないか? 俺の見た目で不愉快な気分にさせたくないと思って、出来る限りのことをしただけなのに。
心の中で不満が溜まる一方、恥ずかしい気分にもなる。自分の努力を馬鹿にされたような。女子たちの笑い声や陰口が聞こえるたび、消えたくなるような。俺は無駄とはわかってるが、なるべく目立たないように肩を丸めて机の木目にだけ視線をやった。
ただ、これって……多分俺がやってきたことと同じなんだよな。きっと女子とかって自分の身嗜みとかにみんな気を遣ってて、朝鏡の前で時間をかけて化粧したり髪のセットしたり……。でも、俺はそれに対して『ブス』って一言で、その努力全てを否定してたんだ。
そう考えると、本当に俺のやってきたことって最低だよな。今、同じことやられてみて、それがこんなに悲しいことなんだって初めてわかったわ。昨日までは頭の中で最低だなっ理解してたって感じだけど、今は心の痛みで分かる。
「おはよー。そんな下向いて、どしたの?」
ふと、妖精さんの声で現実に戻される。
「あ、白波さんおはよう」
「……なんか元気ないね? てか、ちゃんとセットしてきたんだ! えらいえらい! 初めてやったにしてはうまいじゃん!」
「え、マジ?」
「マジマジ! あ、でもちょっと待って」
白波さんは、そう言って白魚のような手で俺の髪に触ってちょいちょいちょいっと髪をなおしてくれた。
「こっちの方がいいね」
「あ、ありがとう」
「はは、全然全然! それより、ちゃんとセットしてきたのがえらいわ。やらないとうまくならないからね」
さっきまで消えてしまいたくなるぐらい落ち込んでいたので、白波さんの褒め言葉が心に染みる……。
「でも女子たちから『調子乗ってる』とか『似合ってない』とか言われて、さっきまで心が折れそうだった」
「あー……」
子供が頑張って描いた絵をみて親が「下手」とか言ったら、多分その子もう絵を描きたくなくなると思うんだ。
「気にしなくていいと思うよ。みんな泉のこと嫌いだから傷つけたくて言ってるだけで、本気で思ってるってわけじゃないと思う。ほら、昨日までのあたしと一緒」
「な、なるほど……」
みんな泉のこと嫌いだからって部分にちょっと傷ついたけど。
「大丈夫! ちゃんと似合ってるから! あたしと米山さんを信じなさい!」
そう言われると、この髪型は米山さんの作品なわけで、あんなおしゃれな美容室で働いているプロの美容師さんが似合わない髪型にするわけがないよなと思えてくる。それに、俺は実はイケメンっぽいって話も思い出した。俺がイケメンだとしたなら、セットが多少下手だとしても、周りを不愉快にさせるほど醜いってわけじゃないだろう。
「そっか、そうだよな……!」
「そうそう、その意気! それに、あたしちゃんと泉がモテる方法考えてきたから!」
「え!?」
モテたいってなんの話だ? と一瞬思ったが、そういえば白波さんにはそういうことにしてるんだった。女子たちに好かれたかったから意地悪して『ブス』って言ってたっていう設定に。
俺的にはモテるっていうより、とにかく今の状況を打破できればそれでいいんだが。でも、白波さん、こんな難問ちゃんと考えてきてくれたんだな……。やっぱ良いやつ。
「ど、どうすればいいんだ?」
「あ、泉は何もしなくていいよ」
「え?」
「基本的にはあたしがなんとかするから」
頼り甲斐のありすぎる白波さんの発言に、ちょっと面食らってしまう。だが、自分が悪くてこういうことになってるのに、それを全て白波さんに任せて、自分は何もせずに問題を解決するなんてことは、あまりにも無責任すぎる。
「いや、それはさすがに……。俺が招いたことなのに、全部白波さん任せってわけにはいかないだろ。それに、みんなに謝りたいって気持ちもあるしさ」
「ああ、全部任せてってわけじゃないの。泉にもいずれ動いてもらうよ。ただ、もう少し先になるかな」
「先……? 俺はまず最初にみんなに謝った方がいいんじゃないかと思ってたんだが」
とにかく、今はクラスのみなさんに申し訳ないって気持ちでいっぱいだし。
「うん、あたしも最初はその方がいいかなって思ったんだよね。素直に『構ってもらいたくて意地悪してました! ごめんなさい!』って謝っちゃう。でも、それだと許してくれる子もいれば、許さない子もいると思うんだよね。むしろ、許さない子の方が多いかも。そうすると、泉の目指すモテとは遠くなるんじゃないかなって」
俺の目指すモテってなんだ? なにやら白波さんの中では、俺はみんなにモテたくて仕方がない男ってイメージになってるのかもしれない。ていうか、そう説明したの俺だけど。でも、俺的には別にモテを目指してるわけじゃないので、とりあえず謝りさえすればそれでいいんだけど。
あ、でも。その理由で謝るとなると、男子たちには何て説明しよう? 男子にも、構って欲しくてブスって言ってましたっていうのは、ちょっと……っていうか、かなり変なやつな気がする。そんなの漫画で読んだことないし。
「だからさ、謝る前に泉の好感度をあげる作戦に出た。それで、ちょっと打ち解けたあたりに、泉がちゃんとひとりひとりに謝る方が許してもらえる確率があがるんじゃないかなって」
「なるほど」
「あたしだって、最初に泉に対する好感度があがったから、謝られた時すんなり許せたしね」
「え、そうなのか? どこで好感度あがったんだ?」
「それは、ほら……別になんでもいいじゃん! とにかく! 最初は、私に任せてくれたらいいから! ただ、もし女子に話しかけられるようなことがあれば、その時は愛想よく対応すること! もう絶対誰かに『ブス』とか言ったりしないこと!」
「あ、ああ、それはそうだな」
なんだか焦ったような口調で白波さんは言った。
もう誰かにブスと言ったりしないのは当然として、今こんなに嫌われてる俺が女子に話しかけられる未来とか想像できない。でも、白波さんの言っていることは分からないでもない。嫌いなやつに謝られたところで、その言葉が受け入れられないっていう感覚はよく分かる。俺だって脳のバグが起きる前、人間のことを醜く思っている時は何を言われようが誰とも関わろうとしなかったしな。でも、脳のバグが起きてからは、妹や白波さんがすんなりと心に入ってくる。
それと同じことなんだよな、多分。
「とりあえず、最初は私に任せてくれていいから!」
「わ、わかった。じゃあ、申し訳ないけど、任せるよ」
白波さんは「うん!」と、花でも咲かせられるんじゃないかというほどの妖精らしい笑顔で自信満々にうなずいた。
本当に見ているだけで癒される。この瞬間を絵に残したい。絵……そういえば。
「あ、約束の絵描いてきたぞ」
「え? もう?」
俺は鞄の中からスケッチブックを取り出すと、写実的に描かれた白波さんの似顔絵があるページを開いた。
「こんな感じなんだけど、どう?」
「すごっ! なんか昨日描いてたやつより、うまくない?」
「まあ、昨日のは練習だったから」
「そうなんだ? ほんと写真みたいだね、色鉛筆の色使いとかも綺麗だし。ね、もっとよく見たい」
「ああ」
白波さんはスケッチブックを俺から受け取ると、穴が開きそうな勢いで嬉しそうにその絵を眺めた。やっぱり自分の絵を褒めてもらうって、ちょっと恥ずかしい気もするがすごい嬉しい。
顔が自然とニヤニヤしてくる。
「他の絵も見てみていい? 実は前から泉の絵じっくり見てみたかったんだよね」
「え? べ、別にいいけど」
前からってことは、俺のこと嫌いな時からって意味だよな? 嫌いな相手の絵をじっくり見たいって、それってつまり俺の絵が嫌いって感情に勝てるぐらい魅力的だったって言ってくれてるようなもんじゃん。
そんなこと言われたら、断れるはずない。俺は完全に気分を良くしていた。ので、すっかり忘れていた。
「あれ? こっちに描かれてるのも、もしかしてあたし?」
そう、このスケッチブックには二次元化された白波さんがしっかりと描かれていることを。
「そ、それは――」
焦って思い出してみても、時すでに遅し。白波さんは、漫画っぽくデフォルメされた白波さんが描かれているページをまじまじと見ている。
やっちまった……。さすがに、これは嫌がられるよな。
オタクって、気持ち悪がられるって漫画で読んだことあるもん。勝手に自分を漫画のモデルにされて、色んなパターン描かれたら、絶対嫌だろ。
「あ、あのさ」
俺がなんとか言い訳の言葉を口にしようとした時。
「いい」
「……え?」
「これ、めっちゃいいッ!」
白波さんはクラス中に聞こえるような声で、叫んだ。クラスのみんながこっちに注目する。その視線で、白波さんはハッと我に返ると「ごめん! なんでもない!」と誰にともなく言った。
「なに興奮してんだ?」
男子のひとりが、からかうように返す。ちなみにその男子はすごいイケメンだ。まあ、全員イケメンに見えるんだけど。
「うるさいって! もう、ほんと気にしなくていいから!」
白波さんがそういうと、クラス中がくすくすを笑った。俺の陰口を言っているときのくすくすって感じの笑い方じゃなくて、ほほえましい感じの笑い。
そして、そのくすくす笑いが収まるころ、元のクラスの空気に戻った。なんか、今のやり取りみて思ったけど、白波さんってもしかしてカースト上位者? だって、もし俺があんな風にクラスの注目を集めたら、微笑ましく笑われるなんてこと絶対ないだろうし。
「ねえねえ、これめっちゃいいね?」
今度は俺にだけ聞こえるような声で、嬉しそうに白波さんは言った。これと言った指の先には二次元化された白波さんの絵がある。
昨日描いた5パターンのうちの1つ。少年漫画でも少女漫画でも青年漫画でも萌え漫画でもない絵。一番独特な、気分のむくまま描いた絵。
「え、それ?」
「うん、これ! さっきの絵もよかったけど、あたしこれが欲しい」
「いや、そういうのってオタクっぽくて嫌なんじゃないのか?」
「全然! むしろせっかく絵に描いてもらえるんだったら、こういうのの方が嬉しい!」
そういえば。たまに道端で、ワンコインで似顔絵描きますみたいなやつ、あれって写実的に描かれた絵より、ちょっとデフォルメ化された絵の方が、人気があるって聞いたことがあるな。あれと同じ感じなのか?
「これ、ちょうだい!」
「あ、ああ。白波さんがそれでいいなら、全然いいいけど」
「ほんと? めちゃくちゃ嬉しい! あ、ねえねえ、これLINEのアイコンにしていい?」
「ど、どうぞ」
LINEってあのコミュニケーションツールアプリだよな。最近よく漫画に出てくるわ。俺のスマホにはインストールされてないけど。
白波さんは俺の描いた絵をスマホで撮影すると、楽しそうにスマホをいじり始めた。
それにしても、意外だ。もちろん、漫画っぽい絵の方が気に入られたってことも意外だったけど、この5パターンの絵の中から白波さんが選んだのがこの一番独特の絵だったこと。
女子高生なら、少女漫画っぽい絵が、一番受けがいいかと思ったけど。なんで白波さんはこの絵を選んだんだろ。
「この絵気に入ってくれてすごい嬉しいけどさ。なんで、この絵がいいと思ったんだ?」
「ん? だって、なんか見たことない感じの絵だったから! どこでも見たことがないような、ほんとに世界にたったひとつだけの絵って感じ!」
世界にひとつだけの絵。それって、俺が一番求めてた言葉かもしれない。
今までずっと誰かの絵を真似することでしか描けなかった人間の絵。多分、この5パターン全部そこそこうまく描けてるんだと思う。
もしかしたら、この一番独特な絵は漫画には向いていないかもしれない。仮に少年漫画を描くなら、やっぱり少年漫画っぽい絵を採用した方がいいのかもしれない。
でも、それでも。白波さんの言葉を聞いて、俺のオリジナルの絵はこれにしようと決めた。世界にひとつだけの俺の絵だ。




