09世界の謎
全員で茶を飲み、リルハープは飴玉を満足げに味わっている。
飴玉は、小さなリルハープの顔くらいのサイズだが、彼女は嬉しそうに、ちるちると舌を出して、大事そうに味わっている。
これでしばらくは静かだろうな、とユディは心の中で安堵した。
一段落着いた頃、ライサスライガは静かに切り出した。
「さて、ユディ君」
「はい、なんでしょう?」
ユディは、こちらを向く姿に視線を合わせた。
「今ざっと考えてみたが、君の記憶のことだ。先程は冗談のつもりで質問攻めと言ったが、やはり特効薬は、『質問』という行為に集約するだろう。君は今日から、質問をすること、されることを常に意識してみるといい。そういったことが刺激になり、多少なりと思い出せることが増えていくだろう。それと、ここにある本はすべて、いつでも読んでくれていい。文字は読めるね?」
「はい、おそらく読めると思います」
「それは重畳。この100年程度で、植物紙などの技術が発展し、本の値段はかつてに比べて随分と安くなったそうだ。おかげで私のような庶民でも、多少の背伸びをすればこうして買い集めることができる。いい時代になったものだよ。ユディ君の村にも、本はあったのかね?」
ライサスライガは、早速質問をしてきた。
ユディは、こめかみに指を当てて、何事かを考えこむ。
「ええと…。そうだ、確か…昔は寝る前に、姉さんが絵本を読んでくれていました。ですから、あったのだと思います」
「ふむ…。モノガリの隠れ里と言っても、やはりそう大きな暮らしの違いはないということか。しかしユディ君。私が先程君の事情を聞いた時、一番に思った疑問がある。そしてこれは、別に答える必要はないから、気軽に聞いてみてほしい」
「あ、はい、お願いしますっ」
ユディは心持ち、背筋を伸ばしてライサスライガに向き直った。
「なぜ、『隠れ里』なのか、ということだ。一体何から隠れているのか。そもそも、君たちモノガリは悪いことをしているわけでもないのに、なぜ大っぴらに世間に知られないように過ごしているのか。本当にモノノリュウが悪で、モノたちが悪さをしているのなら、もっと世界中に注意喚起をするべきではないのかね? もちろん、簡単には信じて貰えないだろう現象であることは確かだろうから、かつて何か苦い事情を得たのかもしれないが」
ユディは、驚いた顔をした。
「…本当ですね、考えてもみませんでした。そういうものだから、としか思ってなくて…」
「ふむ…。では、次の質問だ。ユディ君、君が首から下げているその楽器は、モノガリと何か関係があるのかね」
「え? ああ、このオカリナですか。これはもともと姉さんのもので、姉さんは音の精霊タールトットの祝福を受けていました。ですから、姉さんがハタチの誕生日を迎えた折には、これを手にモノガリの使命を果たしに旅立ったのだと思います。僕も、このオカリナを使って、精霊の奇跡を行使できるみたいです」
「なるほど、確かに辺境地域では、珍しい精霊の祝福を得ることが多い。この街では、智の精霊エティナイの祝福を受けている者が多く、リコリネ君の居た掘削の街では、力の精霊ゴルドヴァの祝福が多い。力も智も、五大精霊と呼ばれているほどに影響力が強いため、彼らの祝福を得ている人間の数の方が、音や色の精霊よりもよほど多い。これに対してある仮説があるのだが、それは知っているかね?」
ユディは、すぐに首を振った。
「いえ、知りません」
「これは、縄張り争いの一種なんじゃないか、という説があってね。そのため、そこまで縄張りにガツガツしていない、大人しめの精霊は、辺境のあたりで祝福を与えているじゃないか、とね。なかなか面白い説で、私は気に入っている。…ところでユディ君の名前はやけに短いが、君の村では精霊信仰はなかったのかね? それとも、本名は長いのか…」
「えっ、名前が何か、信仰と関係があるんですか?」
ライサスライガは、今までのすべての質問に意味があるとでも言いたげに、注意深くユディの返答を聞いている。
「精霊信仰のある多くの地域では、名前は2つに分けられるものが多い。私の場合は、ライサスと、ライガ。これは、死して後、どちらかの名を、祝福を得た精霊に還す、という意味合いがあるという話だ。つまり今現在、私は精霊と共に生きている、という認識を、名乗るたびに持つことになる。リコリネ君の場合は、リコと、コリネだね。命の精霊コリネイリにあやかってつけられた名だと聞いているよ。たまにこうして、願いを込めて、精霊にあやかった名を付けることもある」
「恐れ多いことです。命の精霊は、母性の象徴でもありますからね、両親は私が生まれた時、女らしく育つことを望んでいたのでしょう。実際は、力の精霊ゴルドヴァの方に仲良くしていただいている気がしておりますが」
リコリネは、遠くを見るように呟いた。
ユディは、頑張って自分の中を探るように思索を巡らす。
「……たぶん、ユディは愛称で、本名は長いのだと思います。精霊信仰はありましたから」
「……なるほど」
ライサスライガは、じっと考え込むような間を空けた。
そして、おもむろにリルハープの方へと視線をやる。
「リルハープ君、ユディ君が首から下げている楽器の名前を、君はどう呼んでいるかね?」
「……トゥルリラです~~」
リルハープは、戸惑いがちに答えた。
ライサスライガは、満足げに頷く。
「そう、我々の祖父母よりも前の世代では、その楽器のことはそう呼ぶ。ユディ君、先程から思っていたのだが、辺境に住んでいたにしては、君の言葉遣いは、とても現代寄りだ」
「えっ、そうなんですか?」
ライサスライガはゆっくりと立ち上がり、キッチンの方へと歩き出す。
周囲をふわふわと漂っている浮き菜とぶつからない辺りは、流石に過ごし慣れている感じだ。
その間の時間ですら惜しむように、喋りながらの移動だった。
「もっともそれは、ユディ君がおかしいという意味ではない。私の専攻は言語学ではないが、年に2度ある、あらゆる分野の学者たちが集うシンポジウムには欠かさず出ている。そこで最近、奇妙な議題が上がったのだよ。『この世界は、異文化に侵され始めている傾向が見受けられる』とね」
言いながら、ライサスライガは、緑色のフルーツを持って戻ってきた。
ユディはそれに見覚えがあった。
リルハープに教えて貰った、碧玉という木の実だ。
「碧玉、ですよね?」
ユディが質問を先回りしてそう言うと、ライサスライガは、とても喜んだ。
「君は聡いね、話が早くて助かるよ。リコリネ君は?」
「リンゴ、ではないのですか?」
「そう。リンゴ、と呼ぶ者が増えてきている。まあ、言語なんてものは10年経てばガラリと変わることもあるからね。例えば、酒の精霊ススイグナだ。この精霊は性質上、一昔前は貴腐の精霊と呼ばれていた。さらにその前は、腐食の精霊だ。用途によって呼び名が代わっていった典型例として有名だね」
「すごく面白いですね…!」
知らない話ばかりで、ユディは少しドキドキしていた。
ライサスライガは、ユディの心境を知ってか知らずか、同じ調子で話を続ける。
「例に挙げた通り、呼び名が代わるのはあり得ない話ではない。言語は、生きているからね。そう、ありえない話ではないのだが、一点、強調するとしたら…リンゴでも、碧玉でも通じる、という点が、若干おかしいのだよ。前の名が、古語、または、死語として、廃れていかない。ススイグナが腐食の精霊だったということが、とっくに廃れた知識であることからも、リンゴとオカリナは種類が違うように感じる」
「ちんぷんかんぷんで、なにやらこんがらがってきました~~??」
リルハープはちょっと苦しんでいるが、ユディにはさっきから、とても楽しい話に感じて仕方がなかった。
やはり教師なだけあって、ライサスライガは話が上手い。
「こういった現象が、世界中で起こり始めている。先程、本の値段が安くなってきた話をしたが、こうなると、その辺りも若干関係があるのではないかと、私はそう疑っているよ。技術の発展に、何らかの形でブーストがかかっているのではないか、とね。リコリネ君、ヒダルガミの話を出したが、あれは当時、私が文献を読んで知ったばかりの話だ。外の世界を怖がらせるために使ったのだが、後から調べてみると、奇妙なことがわかった」
「奇妙、ですか? 確か、空腹をもたらす、カミ、という存在なのですよね? そしてカミは、無作為にタタリという厄災を起こす概念だとか。確かに、幼心に怖いと思っていました」
「そう、満点だ。よく覚えていたね。やはり君は学者向きな気がしてならない。あれは、ある地方の伝承だと書かれてあったのだが…後からどう調べてみても、どこの地方の伝承なのか、その肝心なところの情報が抜け落ちているんだ。しかし、ある種の信仰を感じる内容は、確かに地方伝承にふさわしい。では一体、この情報はどこからやってきたのだろうか?」
「…なんだか、ぞっとしない話ですね。僕が何気なく使っている言葉が、一体どういう経緯で来たものかもわからないなんて」
ユディは、心からそう思った。
ライサスライガも同意の頷きをしたが、しかし同時に首も傾げた。
「そう。だが、こうした情報を流布させる何者かが居たとして、その目的が全くわからない。侵略にしては控えめすぎるし、そんな情報を流したところで、一体誰に何の得があるのかわからないことばかりだ。ユディ君、君はどう思う? あまり世の中の文化に触れていない君に、敢えて聞いてみたいと思ってね。個人的な嗜好で、世間擦れしていない者の意見を私は好む傾向にある」
「……少し、考えさせてください」
ユディは、真剣に、空っぽになったティーカップの底を覗き込んでいる。
リコリネもリルハープも、静かにそれを見守っている。
やがて、ユディは顔を上げた。
「……残したい、のではないでしょうか」
ライサスライガは、先を促すような視線を向ける。
「それを、文化だと仮定するなら。どこかに、残したかったから、何らかの方法で、広めたのではないでしょうか。文化は、その種が生きた証とも言えます。僕には今、ほとんど何もありません。でも、モノガリの村があったこと、姉さんが居たこと、それらをこうして誰かに話せることが幸せだと、少しそう感じました。誰かが、どこかに、確かにいた証。そうして積み重ねてきた何かを残したいと、僕ならそう思います」
ライサスライガは、感銘を受けたように息を吐いた。
「なるほど。その発想は、私の中にはなかったな。確かに、害意のあるものだと仮定をしても、やり口が優しすぎるとは思っていたんだ。ユディ君、君は優しい男だね。そういった発想ができる男が、最初の教え子の主であるということには、感謝しかない」
リコリネは、不思議そうにライサスライガを見る。
「先生は、思ったよりも私のことを大事に思われていたのですね? 当時は何も感じませんでした」
「君はそういう子だよ……。と言いたいところだが、私の中でのリコリネ君の存在は、君と離れてから大きくなっていったからね。そういう認識だろうとは思っていた。…ところで、リコリネ君、君はこの家の中でも、その全身鎧を着て過ごすつもりなのかね」
「はい、もちろんです。我が掘削の街を出たのは一か月程度前になりますが、その当時に比べて、精霊の祝福の力を使うことが、格段にスムーズになっているのを感じます。やはり、使えば使うほど、奇跡の力は負担なく、そして強くなっている。主の旅を手伝うにあたって、これほど効率のいい修行方法はありません。この家は庭もなく、素振りをする空間もありませんしね」
「言っておくが、ガッディーロ家に比べれば、多くの家はマッチ箱にも等しいものだよ。まあ、真面目な君らしいと言えばらしい答えだね。そして、その戦斧。どうやら抜かずの剣についての講義を覚えていたようだね」
「はい、もちろんです。感銘を受けましたからね」
「リコリネ、抜かずの剣って?」
ユディが聞くと、リコリネはすらすらと答えてきた。
「かつて私は、先生にこう問いかけました。『この世でもっとも強い武器とは何でしょうか』と。すると先生はこう答えられました。『抜かずの剣だ。相手が戦うことをためらうほどの武器を持っていれば、それを抜く必要もなく、そして相手は勝手に頭の中で、その武器の威力を高めてくれる。頭の中にあるものが、一番強いのだよ』…と」
「ああ、なるほど、それでリコリネは、見るからにすごい武器を選んだんだね?」
「はい。多少浅はかな気はしますが、なんだかんだで気に入っております」
ユディは、ほんの少しの高揚を覚えた。
リコリネのことが、少しずつわかっていく。
相手のことを知る、というのは、こんなに嬉しいことだったのか…と。
妖精族の掟がどうのとかで、すぐに口を閉ざすリルハープとの旅では得られなかった感情だった。
ライサスライガは、一つ頷くと、リコリネに向き直る。
「リコリネ君、全身鎧のまま過ごすことに、条件が一つ。必ず夜が更ける前に眠りにつくように。少なくともこの家に居る間は、きちんと体を休める時間を取りたまえ。それも、人よりも多く。いいね?」
「は。わかりました」
リコリネは、きっちりと姿勢を正して返事をする。
昔からこうだったのだろうかと、10年前の二人を思い浮かべて、ユディは微笑んだ。
ライサスライガは、感慨深くリコリネを見直す。
「年頃の娘になって、どこか変わってしまったことを覚悟していたのだが、君は全く変わっていないね。反抗期もこなかったのではないかね」
「反抗期…ですか? 特に思い当たる節はありませんね、そういえば」
「ははは、君らしい。いや、一つだけ変わったところがあるか……」
「まあ、なんでしょう~~?」
ようやくリルハープの興味のある話題になったらしく、彼女は前のめりに聞いている。
そして、いつの間にか飴玉は食べきったようだ。
ライサスライガは、暖かな瞳で、全身鎧のリコリネを見つめた。
「美しくなった」
「先生、社交辞令はよしてください」
「なんだ、その辺りが見抜けるようになったんだね、リコリネ君は」
「むしろどうして今のが通ると思ったんですか?」
思わずユディは突っ込んだ。
リルハープも不満気だ。
「つまらないジョークです~~」
「ははは、すまないね、ジョークに関しては鋭意修行中の身なんだ。おそらく一生涯、免許皆伝になる日は来ないだろうが。ああ、もう夕暮れか……君たちと話すのは楽しいな、時間があっという間に過ぎてしまった」
窓の外に目を向けると、シャリン、シャリンと明かり雪が降っている。
紫紺の夜がやってくる前兆だ。
それを見て、ユディはふと思い出した。
「あ……ライサスさん。『青い空の世界』について、何かご存じないでしょうか?」
「青い空の…? それはまた、変わった単語だね。ユディ君、それは一体どこから来た質問なのかね」
ライサスライガは、興味深げにユディに目をやった。
「はい、先日会ったモノオモイが言っていた言葉で…」
「モノオモイ、とは?」
ライサスライガの質問に、ユディは自分が口にした言葉に初めて気づいたかのように、一度口元を押さえた。
「ええと…そうだ、『もの思う、故に、我あり』という言葉から来ています。僕たちモノガリが竜の夢に還すべき、意思を持ったモノたちのことを、モノオモイと呼んでいます」
「なるほど。確かに呼称が無いと不便な現象ではあるからね、納得がいくよ。しかし、青い空の……。青…。青……か。最近、どこかで、耳にしたような…」
全員、ライサスライガの思索を邪魔しないように、じっと見守っている。
「…そうだ。少し違うが、生徒たちが噂していた単語に似ている。とはいえ、うろ覚えの単語だからね、今迂闊に答えるのは、私の流儀に反する。君たちが滞在する期間中に、私の方で少し情報を集めてみるよ。ユディ君、その調子だ。これからも遠慮なく『質問』を重ねてみて欲しい」
「ありがとうございます」
「さて、一度二階へと移動しよう。君たちの寝室を案内するよ。リコリネ君の寝泊まりする場所は作っておいたのだが、ユディ君は急遽、私の研究部屋に来てもらうことにしよう。そのためには説明が不可欠でね。ついてきたまえ」
ライサスライガは立ち上がり、二階へと先導する。
ユディたちは、興味深げについていった。
リルハープはユディの肩に乗ったまま、楽をしている。
二階には扉が二つあるだけだった。
ライサスライガは、階段に近い、手前の扉にまず手をかける。
「ここが、倉庫代わりに使っている部屋でね。リコリネ君とリルハープ君はここで眠りたまえ」
中を見ると、様々な荷が片側だけに寄せてあり、もう半分に、窮屈そうに布団が敷いてある。
「リコリネ君はベッド以外を見るのは初めてだろう。庶民は狭いスペースを利用するために、床に直接シーツを敷いて眠りにつくのだよ。起きている間は布団を畳めば、ある程度のスペースを確保できるからね。君も、空いたスペースは着替えなどに使いたまえ。一応、男女兼用のフリーサイズの衣服はそこに畳んで置いてある。寝るときは鎧を脱ぎ、ちゃんとそちらに着替えるように」
「わかりました。雨風がしのげるだけで御の字ですからね、贅沢な寝床に感謝します」
リコリネは早速、手荷物とマサカリをその部屋の床に置いてから、また廊下に出てきた。
貴族の子女だという話だったが、このたくましさはどこから出てくるのだろうか。
次にライサスライガは、その隣の部屋の扉に手をかけた。
「さて、いよいよ私の研究部屋だ。まだ、誰にも見せたことはない。研究発表の練習のつもりで説明をしよう」
自分は単純なのかもしれない、とユディは思った。
そんな前置き一つで、こんなに期待で胸が膨らんでしまうのだから。
ガチャリと、扉が開かれた。