10水槽の中の世界
そこは、奇妙な部屋だった。
研究部屋という話だったが、まったくごちゃごちゃしていない。
ただ、大きな四角いガラスの箱が部屋の片側にあり、そしてリコリネの部屋と同じように、もう半分に布団が畳んで置いてあった。
どうやら普段、ライサスライガはこの部屋で寝起きしているのだろう。
窓には分厚いカーテンがかかっており、薄暗かった。
「これは…?」
開けたままの扉の薄明かりを頼りに、ユディたちは、不思議そうにそのガラスの箱に寄って行く。
ライサスライガは、明かりを遮るように、後ろ手に扉を半分ほど閉めながら、説明をする。
「これは、水槽という。そして、中に入っているものは、疑似世界だ。ワールド・テラリウムとでも言おうか。最近のガラスは、薄く、透明度が増し、そして厚みも均一になってきたため、このようなものが売りに出されるほどになった。ちなみに、他の人々は主に魚を泳がせているようなのだがね。私の場合はこれに疑似生命体を漂わせて、人の進化、発展をシミュレートしている。もっとも、まだこの疑似生命体自体が研究途中のため、長時間明かりに当てると消えてしまうほどの脆弱な存在から抜け出せてはいないのだがね。なので、くれぐれもこの部屋のカーテンを開けないように」
部屋の明かりがある程度遮断されると、疑似生命体と呼ばれたものは、淡い色に発光していることがわかった。
夕暮れの明かりでさえも、彼らには眩しいということなのだろう。
白い粒粒、としか表現できない形だ。
さんざめく星々のように、静かな脈動をしている。
「……素晴らしいですね、これは。極秘事項でなければ、今のところの研究成果を聞かせて貰ってもよろしいでしょうか?」
リコリネが、興味津々にライサスライガを窺った。
「構わないよ。ただ、完成してまだ1年も経過していないからね、わかっているのはささやかな事柄だけだが…。実をいうと彼らは、もう何十回も絶滅をしてしまっている。私の研究は、彼らをいかに長く存続させるか、という部分に集約しているのだが…。何度目かのチャレンジで、一つだけ、確実にわかったことがある」
ライサスライガは、なぜかユディに目を向けた。
「彼らの進化、発展のために、『音楽』が必要不可欠だということだ。ごく初期段階に、何でもいいから音楽を奏でてやると、心の均衡が保てるようでね。音楽が無ければ、すべての個体が争いをはじめ、絶滅をしてしまう。一度音楽を与えると、彼ら自身で小さな音を奏でてみたりもする。人の発展に必要なのは、潤沢な食糧でもなく、どんな外敵をも倒せる武器でもなく、音楽だった。これが、今のところの私の結論だ」
「なるほど、理解できます。確かに鎧にしても、余裕もなくギチギチにフィットするものよりも、ある程度の『遊び』がある方が、壊れにくく、動きやすいですからね」
リコリネが、感銘を受けたように感想を述べる。
「貴族の子女がその感想でいいのでしょうか~~……」
リルハープが、残念そうにリコリネを見ている。
ユディは、マイペースに別の考え事をしていた。
「…ライサスさん、僕がこの部屋で寝泊まりをすると、ライサスさんはどこへ行かれるのですか?」
「私は、リビングのソファでも眠れるからね。本棚が近い分、むしろそちらで寝ている回数の方が多いくらいだ。それを見越して、あのソファにだけは、惜しみなく私財を注ぎ込んでいるよ」
ライサスライガは、冗談めかして片目をつむった。
「わあ、それを聞いて安心したような、僕がそっちで寝たいような、複雑な気分です。実は本が読めることをとても楽しみにしているんですよ」
「ははは、それは本たちも喜んでくれるだろうね。安心したまえ、日中は教鞭をとることにしているからね、その間は君があのソファの主だ。研究資料も並んでいるから、そちらに騙されずに、まずはちゃんと物語本の方を手に取るといい。先に小難しい方を読んで、気分が傾くような先入観を持ってほしくはないからね」
「あははっ、そうですね、それを防ぐために、ある程度の選別をして貰えると助かります」
「なるほど、効率的な要望だ。しかし選別と言っておいて、塔よりも高く積み上げてしまわないか、私の自制心が試される時でもあるな。緊張をしてしまいそうだよ、ふふふ」
ユディは、すっかりライサスライガが気に入っていた。
初対面とは思えないくらい、気さくな人だ。
何か、この人の役に立てたらいいな、と心から思う。
…そうか。
リコリネは自分に対して、こういう気持ちだったんだ。
彼女は、大袈裟でも何でもなかった。
ただ、人と人との関わりを、普通に行っていただけだ。
まだまだ、わからないことがたくさんあるみたいだ。
でも、自分がわかっていくのは、少し楽しい。
「ライサスさん、この部屋で過ごすにあたって気を付けることは、カーテンを開けないことだけでいいんですか?」
「ああ。気を付ける点はそこだけだが、日中は私もこの部屋に入ってくることを覚悟していてくれたまえ。経過観察をしなければならないからね。そして、それとは別に、頼みごとが一点ある」
「なんでしょう、何でも言ってみてください」
ユディはやる気を出している。
「ユディ君。水槽の中の世界の彼らのため、試しにそのオカリナを吹いてみてくれないかね? 音の祝福を受けた者を見るのは初めてという部分もあるし、やはり私のような、手慰みに楽器をいじる程度の者が奏でる音よりも、きちんとした音楽を聞かせてやりたい。その場合、彼らにどのような影響が出るかを見てみたいのだよ」
言いながら、ライサスライガは、部屋の隅の小物置き場から、六角形の箱のようなものを手に取った。
「これが普段使っている、コンサティーナという楽器だ。いつも街角でささやかな演奏会をしていたお爺さんが引退するときに譲り受けたものだ」
そう言って、何らかの操作をしながら、両側からその六角形を引っ張る。
すると六角形は、ジャバラ状に横へと長くなっていきながら、簡単なメロディが流れた。
とても、ふかふかした感じの音だった。
「その音も、結構素敵ではありませんか~~」
リルハープは気に入ったようだ。
ライサスライガは、照れたように笑う。
「お褒めにあずかり光栄に思うよ。しかし、武器は武器屋という言葉もあるからね。ユディ君、頼めるかい?」
すぐに彼は六角形をもとの場所に戻してしまった。
ユディは少し残念に思いながら、首から下げているオカリナを握りしめる。
「わかりました」
一度だけ、深呼吸をする。
そこから、慎重に息を吹き込んだ。
あでやかというよりも、たおやかな音の糸が紡がれ始める。
その小さな部屋に、みずみずしい音の群れが、満ち引きを繰り返すかのように、注がれていく。
ユディを中心に、淡い緑の燐光が室内を満たし始める。
まるで、音に色がついているかのようだった。
すると、どうだろう。
薄暗いはずの部屋に、ぽつん、ぽつんと淡く、はかなげな明かりが灯り始めた。
発生源は、水槽の中。
オカリナの音色に呼応するかのように、小さな生き物の小さな明かりが、色とりどりに変化していく。
まるで、この世にあるすべての色が、そこに集結していくようだった。
……一緒に歌ってくれている、とユディは感じた。
その幻想的なまでの風景に、リルハープもリコリネも、そして提案者のライサスライガ自身も、息を呑んでいた。
ユディは、音精霊の奇跡の力を込める。
この音を聞いてくれている人たちが、健やかになりますように。
調子の悪い所がなくなりますように。
明るい気持ちになれますように。
まるで音自体に温度があるかのように、ぬくもりのある音色が尾を引くように伸びやかな響きを見せ…そして曲が終わる。
余韻を味わうような間が空いた。
「……驚いたな、明らかに活性化している。ここまで明瞭な変化があるとは…」
ライサスライガの視線の先にある水槽の中の生き物たちは、力強く飛び跳ね、体を寄せ合い、明滅を繰り返している。
「まったくですね。まるで先程の彼らは瀕死の状態だったのではないかと思ってしまうほどです。…そして、主。なにかされましたか? 私ですら、先程よりも調子がいいように思います」
リコリネは、ぐーぱーと、手甲に覆われた指を動かしている。
「あ、うん、少しだけ、奇跡の力を使ってみたんだ。効果があったんだね、よかった」
「他者の体調を回復させたということかね? なるほど、力の精霊などは、主に自分にのみ影響が出るような奇跡が多いが、音は空気を振動させるからね、その振動が届く範囲に影響を及ぼす奇跡を使うことができる、ということか。なんというか…暖かな力だ。そして私は思ったよりも疲れていたのだね、回復してみてわかったよ。若いうちは案外3時間睡眠でも行けるなと思っていたところだったのだが」
「それ後々ぶっ倒れる人の考え方です~~っ。寝る時間を削って、何かに集中したくなる気持ちはわからないでもないですが~~、先程リコリネにちゃんと休養を取るように伝えておきながら、教師失格ですよ~~!」
リルハープは心なしか、ライサスライガに対しては厳しい。
「これは手厳しい、反省しよう」と謝るライサスライガの姿に、ユディは思わず笑ってしまった。
「ライサスさん、この子たちには、何か名前とかがあったりするんですか? 見ているとちょっと、可愛く感じてきてしまって」
水槽を指さすユディに、ライサスライガは意表を突かれた顔をした。
「いや、名前など考えたこともなかったね。ただの研究対象に愛着を抱く発想はなかった。ユディ君、試しにつけてみるといい」
「本当ですか? じゃあ、疑似生命体だから…ギジー。君たちは今日から、ギジーだよ」
ギジーたちは、聞こえているのかいないのか、同じ調子でぽつぽつと明滅を繰り返しながら、水槽を漂っている。
「ギジー、今日から一ヵ月、よろしくね」
「…そうだった。今日からの一ヵ月のために、色々と教えておかねばならないね。さあ、まずはキッチンの使い方からだ。助手をやってもらうからには、食事などはユディ君に任せるからね。まずは初日の夕食を作りに行こう。今からでは、歓迎パーティーのようにできないことだけが残念だよ」
「僕は多分、リコリネよりは料理ができる可能性が高いですからね、任せてください」
「お待ちください主。私の料理の腕前を見たこともないのに、何故そんなことをおっしゃるのですか?」
「リコリネは包丁でまな板ごとぶった切るに決まってますからね~~っ」
笑い声と共に、部屋を出て、階段を下りていく。
賑やかな食卓だった。
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次の日は休日だということで、早速朝から街案内が始まった。
リルハープはいつも通りユディの胸ポケットに潜り込み、ユディとリコリネは物珍しげに、市場を目指していくライサスライガの後ろをついていく。
「いやはや、ユディ君は驚くほど早起きなんだね。私が起きた時には朝食が出来上がっていて驚いたよ」
「ライサスさんはぐっすりでしたね。物音で起こしてしまわないか、若干心配していました」
「昨日のユディ君のオカリナが効いたようでね、おかげで実に久方ぶりに体調がいい。体とは、こんなに軽いものだったのだね」
「先生、私たちが居る間は、不摂生をさせませんからね。そのつもりで居てください」
「ははは、安心したまえリコリネ君。生徒がいる前でくらいは、模範的な大人で居るようにしよう。…さて、ユディ君。どうだね、この街は。君の素直な感想が聞きたい」
青い並木道の中央を歩きながら、ライサスライガはユディを振り向いた。
ユディは、きょろきょろとしていた視線を戻す。
「あ……はい。この道は、面白いですね。土の地面じゃない。石畳は、歩くとコツコツ鳴って、自由な音楽みたいです。この木の並びも、こんなに整然と生えているものは初めて見ました。なんていうか…木を、見せるために生やす、という発想が、とても面白いです」
ライサスライガは、少し驚いたようにユディの話を聞いている。
「それから、この街の大きさ自体が、とても不思議です。だって誰かが、最初に煉瓦の一個を積み上げたところから始まったんですよね? 途方もない作業だったと思います。でもこうして、それが当たり前になる未来を目指して、頑張ったんですよね、きっと。そういう人たちに見えていた未来は、一体どんなものだったんでしょう。それだけは、全く想像できません」
「……いや、すごいな。私には、君に見えているものこそが想像もつかなかったよ。あまりにも当たり前すぎて、この足元にある物に、そんな発想を持ったことがなかった。もちろん、史実として、この街の成り立ちは知識として知ってはいる。知ってはいるが、感慨を持ったことはなかったな。君と話すのは、ある意味でとても勉強になるよ」
感銘を受けたように話すライサスライガに、ふとリコリネがフルフェイス越しに目を向ける。
「先生、勉強で思い出しました。昨日、言語学は専門ではないとおっしゃっていましたが、そういえば先生の専攻は何なのでしょう? 今まで気にしたことがありませんでした。」
「おや、言っていなかったかね。私は、あらゆる学問に通じる、いわゆる賢者を目指している。まだ卵の試験に合格したばかりだがね。そのため、言語学はもちろん専門ではないのだが、広く浅く、すべての学問の扉を開けて行っているよ。ある日、気づいたんだ。すべての学問は、根っこのところで、どこか繋がっていると。専門家にはかなわないが、逆に専門家が、広い知識を求めて私に相談してくることは多々あるね。だからまあ、勉強しても勉強しても、常に時間が足りないと感じている日々を送っているよ」
「なるほど、異種格闘技の専門家みたいなものですか。確かに、必ずしも一つの武を極めた者が、絶対的な強者というわけではありませんからね」
「その解釈でいいのですか~~!?」
思わず小声で、ユディの胸ポケットからリルハープが顔をのぞかせている。
「おっと、今日はマーケットの日か。少し遠回りになるが、こっちの豆本通りが少し面白いんだ。ついてきたまえ」
「豆本…?」
ユディは一度リコリネと顔を見合わせた。
もちろんリコリネの表情は、フルフェイスに阻まれて見えない。
しかし、リコリネも不思議そうな顔をしているんだろうな、とわかった。
フルフェイスが、ちょっと斜めに傾いでいたからだ。
ユディはそんな素直な反応をするリコリネに笑ってしまいそうになりながら、慌ててライサスライガの後ろを小走りについていく。
「うわあ、かわいい…!!」
ユディは、興奮に声を上ずらせる。
そこには、個人向けの小さなテントがずらりと軒を並べていて、手の平サイズの小さな本たちが、テーブルの上に所狭しと陳列されていた。
それを目的に来た人たちが、本を手に取り、店員の話を真剣に聞いている。
ライサスライガは、いつものように説明をしてくれた。
「あれが、豆本のバザールだよ。月に一度開かれる。通常、本とは職人が手掛けるものだが、この街では個人がああして自由に作って売りに出したりもできる。この叡智の街では、個人の知的創作活動の支援として、無利息で金銭を貸し出したり、テント等の場所提供も行っているため、こうした活動をしやすいんだ。ああ、もちろん金銭の貸出上限はあるがね」
「面白いですね。そういえば我が掘削の街でも、職を探しにきた人のため、気軽に炭鉱夫になるための援助がありました。やはり体力勝負の職場は、離職率が激しいそうです。落盤で片足などを失った方への補助もあるのですよ」
「頭脳系と肉体系の温度差にくらくらします~~!?」
張り合うように説明するリコリネの言葉に、リルハープが苦しんでいる。
「というわけで君たち、気軽に見てきたまえ。記念に一冊だけ買ってあげよう。あのサイズならば、旅に持って行くにしても、邪魔にはならないだろう。値段は一律だから、これで買うといい」
ライサスライガは、ユディとリコリネに、銀色の硬貨を一枚ずつ握らせた。
「リルちゃんは無理ですね~~、自分と同じくらいのサイズなんて、とてもじゃないけど持ち歩けません~~っ。ご主人サマ、好きにお選びください~~」
そう言って、リルハープは胸ポケットに潜り込んでしまった。
「では、リルハープ君には、今日の買い出しで好きな味の飴玉を選ぶ権利を進呈しようか」
ライサスライガは、その様子に微笑むと、通りの先にあるベンチを指し示した。
「昼の鐘が鳴ったら、あの辺りに集合するように。それまでに、私は軽食を買って来よう。それではね」
「あ、はい、ありがとうございます…!」
ユディは、硬貨を握りしめて、ライサスライガの後姿を見送る。
リコリネは、ちょっと声音を弾ませながら、右手側のテントを指さした。
「では主、私はあちらから見て回りますね。主は、反対側でお願いします」
「えっ、一緒に見て回らないの?」
「ふふ、主はお優しいですからね。私の方を気にかけて、本を吟味することへの集中を散らすことは間違いありません。お互いに、ゆっくりと見て回りましょう」
そう言ってリコリネは、ガシャンガシャンと全身鎧の足音を鳴らしながら、堂々と人の群れの中へと入り込む。
人々は、唐突な武闘派の出現に若干驚いて距離を取っていく。
人の波が割れて行く様は、さながら十戒のようだった。
「買い物、初めてだ…!」
ユディは、ドキドキと頬を上気させながら、リコリネとは反対側へと歩いて行く。
こちらは、誰も避けてはくれないので、きちんと見て回るために、列に並ばなければならなかった。
しかし、列に並ぶことも初めてなユディは、そわそわとそれすらも楽しめた。
最初は、前の人の所作に習って、おっかなびっくりと商品に触っていく。
ひも状の栞まできちんと作ってある本もあったし、緋繻子を使って手触りに重きを置いた装丁の本もあった。
時には話しかけてくる店員さんも居て、「この本棚は自作なんですよ」、と気さくに笑いかけてきた。
みんな、本が好きなんだな…と、ユディは感銘を受けながら、じっくりと見て回っていく。
手の平に収めるのは勿体ないくらい壮大な話もあれば、子供向けの絵本のような話もあった。
散文のような詩、おどろおどろしい話。
興味深いのは、詩ばかり作っている人、童話ばかり作っている人、と、それぞれの人ごとに、個性的な色合いがあるということだ。
ふと、昔のことを思い出した。
(そういえば姉さんは、よく絵本を読み聞かせてくれたっけ。そうだ、せっかくだし、ギジーに聞かせてあげられるような本にしよう。今度は僕が、誰かに絵本を読む番になったんだ)
そう思うと同時に、たまたま手に取った、浅葱色の本。
「花手紙」というタイトルだった。
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春は冬のことが好きでした。
いつもとてもステキな雪解けの瞬間を、春の体内に残しておいてくれるからです。
雪解けはまるで宝探しのようでした。
あの白いものの下から花や草が顔を出す瞬間を、春は愛していました。
春はある日、思い余って冬に手紙を書きました。
親愛なる冬さま。
バトンをたしかに受け取りました。キレイな雪をありがとう。
ただひとつ残念なのは、あなたと一緒に見られないことです…。
しかし春はその手紙を、どうやって冬に届けるかを知りませんでした。
春は泣きました。涙は雨になりました。
夏は春が好きでした。
ある日夏が空を見上げると、雨のつぶのひとつひとつに、愛らしいお花がちんまりと詰まっていて、空からどんどんと降ってくるのです。
夏は春の気持ちを悟り、そして秋に、その花の手紙を託しました。
秋は夏が好きでした。
夏の願いをかなえるために、保管していた花手紙。
しかし秋はどうしても、それが枯れゆくことを止められませんでした。
やがて冬がやってきました。
しかしもう、秋の手元には、花のカタチすら残ってはいませんでした。
しかし秋は、冬への伝え方を知っていました。
冬を迎える秋の膝元で、虫たちが歌いだしたのです。
いつにない潤いを帯びた音色を聞き、冬はすぐに手紙の内容を悟りました。
そうして冬は、秋に気持ちを伝えるのをやめました。
だからこそ、キセツは巡っていくのです。
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「この本をください」
そう言ってユディが硬貨を差し出すと、大人しそうな店員の女性は、とても嬉しげに笑いかけてきた。
「ありがとうございます、可愛がってあげてくださいね」
「…どうしてそんなに嬉しそうなんですか?」
思わず聞いたユディの問いに、女性ははにかんで答える。
「わたしの中の世界を、あなたが気に入ってくれたことが、嬉しいんです」
「…そういうものなんですか」
「そういうものなんです」
ユディには、その気持ちはよくわからなかった。
わからなかったが、何かを生み出す人にしかわからない感覚というものがあるんだろうな…と、少しだけ、わかった気にはなった。
いや、わかったことが、ひとつだけある。
金銭の価値だ。
なんだか、値段以上の取引をした気がする。
あの女性は、自分が差し出した硬貨を、「あなたの世界が気に入った」という事の証明書として受け取ったのだ。
物を買う、ということは、硬貨との物々交換だけじゃないのかもしれない。
ひょっとして、これから買い出しに行くお店に対しても、そこで買い物をするということは、「あなたのお店を応援しています」という意味合いになる…?
…なんだか、人と人との関わり方の一端に触れたようで、ユディはちょっと嬉しくなった。




