02通り過ぎた人々 その2
【ライサスライガ】
享年五十一歳。
ユディがいよいよ決戦に向かうという手紙を受け、ちょうど疑似生命体の研究も大詰めだったこともあり、残りの人生をギジーに吸わせようと決意する。
常に他者と一定の距離を保ち続けてきた彼にとって、ユディという存在を強く意識したきっかけは、日常の何気ない時間にあった。
ある日の夜、テーブルに齧りついて論文を書いていると、ユディがお茶を淹れてきた。
「そこに置いてくれたまえ」と上の空で返事をすると、くすっと笑ったような声が聞こえて、それっきり。
ようやくキリが付いた頃には、随分と時間が経っており、お茶の話などすっかり忘れていたことに気が付く。
慌てて口をつけると、驚きに目を見開いた。
まだ、あたたかい。
どう考えても、答えは一つだった。
ユディが、定期的に淹れ直していたのだ。
急かしもせずに、無言で、冷えた茶は自分が飲んでいたのだろう。
正式に雇われた関係でもないのに、彼は自然にそれをやってのけた。
彼は、本当に純粋な、他意のない善意というものの存在を、証明してくれたのだ。
それはライサスライガが、この世界において最も必要としていたものだった。
ライサスライガは、それ以降、常に心にユディを置くようにしている。
多角的な見方を求めた時、必ずそのユディに意見を窺っていた。
たった一ヵ月しか共に過ごしていないはずなのに、彼にとってユディの存在は、それほどまでに衝撃的で、大きなものだった。
孤児である彼は、命の家の存在にかなりの関心を持っており、定期的に授業や健康診断などを引き受けていた。
疑似生命体の研究が、かなりの期間行き詰っていたため、いい気分転換になった部分もある。
ユディが人間ではないと知らされた時、同じく人間ではない存在を彼の傍に置くことは、彼を孤独にさせない、とても重要な研究だと理解していた。
そんな中、彼はコトホギという少女に出会う。
→<別記:ライサスライガと精霊の見放し子>
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【疑似生命体のギジー】
か弱い生命体だが、水槽の水に守られている限り、死ぬことはない。
疑似生命体と人間とでは、流れる時間が違う。
そのため、今ではユディと出会った時代は太古の昔。
彼らは遥か昔に自我を与えてくれたユディを、ほとんど崇めていた。
ユディが与えたのは、歌と、名前と、物語。
これらが彼らに自我を芽生えさせた。
突然に無数の疑似生命体が自我を芽吹かせたことから、精霊たちがその場に集結して、それぞれ手分けをして様々な祝福を授けたのではないか、と、ライサスライガは分析している。
あることがきっかけで肉体を得た時、ライサスライガはまず、ギジーに制約の精霊ウィブネラの力を使わせ、他者のためにのみ、祝福の力を行使すると誓わせた。
数多の精霊の力を振るえるギジーの能力は、個人のために使っていいものではない、と判断したからだ。
「我ながら、実に賢者らしい判断だ」と、ライサスライガは自嘲気味に呟いたという。
ライサスライガから吸った寿命の残りが、イコール彼らの寿命となる。
十年か、二十年かはわからないが、キオの旅に付き添うことに、残りの人生を使用すると決意している。
人間の器を得た時から、時間の感覚は人間と同じ。
ただ、中身は人間よりも精霊に近い存在になっており、そのため、精霊の祝福の奇跡を、人間よりも上手に使いこなせる。
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【ハープレイネ】
霊樹の村では『虫も殺さないハープレイネ』と評され、慕われていた。
実は、羽虫に妖精の姿を重ねていたので、追い払ったり潰したりができなかっただけだが。
いつもにこにこして、子宝に恵まれなくても幸せそうだ。
夫はそんな彼女に癒されながらも、時々不安にさいなまれていた。
妖精を信じている、純真無垢な少女のような妻。
いつも幸せそうなのは、他がどうでもいいからではないのだろうか。
二人の間に子供が居ても居なくても、どうでもいいのではないか。
日に日に不安は大きくなっていき、彼はついに、妻の心を試すことにした。
「他の街に女を作った。そちらは無事に懐妊したから、俺のせいじゃない!」
妻は、困ったように笑っていた。
夫は、何かにせっつかれるようにまくし立てる。
「お前のそういうところが嫌なんだ! 俺が欲していたのは、何でも許してくれる存在じゃない! 互いに本音を言い合い、叱咤激励しながら高め合える存在だったんだ!」
ハープレイネは、しばらく黙り込んだ後。
「だったら、最初に…言ってほしかったなあ…」と、笑う。
目じりからは、涙が流れた。
その時夫は、妻は普通に傷つき、涙する存在だと気づいた。
自分がしでかしたことの罪深さと、相手の愛情を疑った心の弱さに耐えきれず、その場を走り去る。
ただ妖精と妻の絆に嫉妬していただけだったのかもしれない。
その後、どこかの街で、酒におぼれてこの世を去った。
ハープレイネは、大事な妖精に、夫が去ったことだけを告げる。
大好きな妖精には、人間同士の醜いやり取りで耳を汚してほしくなかった。
一人になると、寂しさから「リルちゃん~~」と羽虫に話しかけていたりしたのだが、それは妖精本人には絶対に内緒だ。
妖精との、最後の約束の三日前。
自分の死期が近づいていることを悟った彼女は、それでもベッドから抜け出し、ふらつく足で歩き始める。
三日もあれば、足を引きずりながらでも、なんとか森に辿り着けるだろう、と願っていた。
だんだんと意識が朦朧としていく中で、うっすらと声が聞こえてきた。
姿は見えないが、その声は、自分を明暗の精霊パルカティナだと言う。
妖精が心を許した人間に、ようやく巡り合えたと。
そこからは、記憶がない。
ただただ、精霊の案内に従って、本懐を果たさせてもらえる…という確信を得ていた。
どんなに時間がかかっても、またあの子に会える…と。
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【調達屋のギュギュ】
本名、ギュットギュッテ。
音の祝福同士は、『共鳴』という現象が起こり、相手に好感を抱きやすい。
ユディの音の祝福の量は、彼が滅ぼした里一つ分もあったため、最初に会った時、ギュギュはユディに強烈に惹かれた。
ギュギュ自身の受けた音の祝福の量も、決して少なくなかったのが原因だろう。
しかし慎重な彼女は、何度も自分の気持ちを疑い、確かめて結論を出した。
精霊に惑わされない、強靭な精神力の持ち主と言える。
ユディと別れた後は、巨獣の島踏破の成功者として一躍有名人になった。
まとまった富も手に入れたため、そこからはやりたい放題の日々を送る。
最終的には、とある村に小さな学校を作り上げた。
無償で教育を施すという宣伝を聞きつけ、子供だけでなく、様々な年齢の人が集ってくる。
それはつまり、あまり裕福でない層が、ギュギュの存在に目を付けたと同義だ。
しかし、巨獣の島の踏破者の実力を恐れて、盗賊などは全く近寄ってこない。
近寄ってきたのは、まったく別の層だった。
一つは、そねみを胸に近づいてくる層だ。
ある日、ギュギュに絡んでくる男が一人。
「女はいいよな、色仕掛けしてりゃ成功を手にできるんだからな!」などのセクハラから始まり、「小娘の癖に、俺とお前の何が違うんだ、腕を怪我さえしなければ、俺だって大工の職を失わずにすんだんだ!」など、見当違いの八つ当たりがはじまる。
ギュギュは一通り黙って聞き終えた後、思いっきりその男を殴りつけた。
そして転がる男に全力で音の祝福をかけ、腕の怪我ごと癒していく。
そのあと、「手が出ちゃったわ、ほら、慰謝料。醜く這いつくばって拾いなさいよ」と、金貨を一枚放り捨てる。
信じられないような顔で見上げてくる男に、ギュギュは鼻を鳴らした。
「悔しいんだったらグダグダ言わずにアタシを見返して見せなさい! じゃーね」
目撃者は多数居たため、ギュギュの武勇伝の一つとなった。
もう一つは、困窮した親の層だ。
「人間は、生きてるだけで偉いのよ!」と豪語する姿に希望を見出し、この人なら立派に育ててくれるだろうと、ある母親が学校の前に、一歳になったばかりの子を揺り籠に入れ、置いて行った。
ギュギュは怒り狂い、大陸情報倶楽部の掲示板を使って大っぴらに母親探しをしたものだから、瞬く間にその噂は知れ渡った。
「雇用から世話してやるからアンタが育てなさいよ!! 母親って思った以上に必要なのよ!?」
その書き込みを見て、ますます心を動かされた人が出てきたのか、一人、また一人と、授乳期を過ぎた赤子が増えていく。
「托卵か!!!?」とキレながらも、ギュギュは大急ぎで託児所を作り、子供たちが何不自由なく育つように環境を整えていく。
「金があれば大体のことは何とかなるわよ!」と自分に言い聞かせ、駆けずり回っていたある日、揺り籠でうーうー言っている赤子の手を、なんとなくつついてみた。
反射なのか何なのか、赤子はギュギュの人差し指を、きゅっと掴んでくる。
物凄く小さな手なのに、そこから生まれたとは思えないくらいに確かな力だった。
ギュギュは、久しぶりに心が震え、感動した。
その後掲示板には、「もうアタシの子だから絶対返さないからね!!」という殴り書きが張られたという。
最終的には、生まれたばかりの騎乗鳥の雛が校舎の前に捨てられていた。
その頃にはギュギュはヤケクソになっており、「よかったわね、ペチュにも子供ができたわよ!」と、にこやかに愛鳥に話しかけるまでになっていた。
そこから数年が過ぎた。
事情を知る村の人たちの手伝いもあり、暮らしは落ち着いていた。
しかし、子供たちが大きくなってくると、今度はプライベートに配慮した個室なども作らなくてはならない。
やることが山積みで、出費ばかりが増えて行き、ギュギュはすっかり髪をかきむしる癖がついてしまっていた。
ある日、ギュギュの前に、きっちりと身なりを整えた男が現れる。
それは、あの日ギュギュが殴りつけた男だった。
男は、布で大事に包んだ金貨を一枚、ギュギュに差し出す。
「恥ずかしながら、這いあがってきた。あんたに貰ったこの金貨は、何よりのお守りだった」
驚くギュギュに、男は真剣な顔を向ける。
「あんたに惚れた。腕を磨いて、俺はもう一流の大工だ。俺の腕も財産も、好きに使ってくれ。すべてを捧げる」
ギュギュは数秒間、ポカンと口を開ける。
それから、挑発的な顔で、二っと笑った。
「いいわ、じゃあまず、ヘソを見せなさい!」
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【ラルファシアン】
通称、調達屋のラルフ。
ギュギュの元へと、一番最初に捨てられていた子ども。
名前だけは、赤子時代に握っていた手紙に書いてあった。
封筒の中には、数枚の硬貨が入っており、子のために必死にかき集めた、なけなしの金銭なのだろうと見て取れた。
ラルファシアン自体は、ギュギュの息子になれてよかったと心から思っているので、実の親には全く憎しみがないというか、そもそも関心がない。
「最強の調達屋二世」を自負し、相棒の騎乗鳥ジュニと共に、各地を忙しく駆けまわる。
その人懐っこさが印象に残るのか、数年のうちに、名指しでの依頼が増えて行った。
どんなに有名になっても、どんなに腕が上がっても、誰もがやりたがらない面倒な調達も断らなかったという。
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【シグナディル】
両親は早くに他界し、ご近所さんの厚意や優しさの中で育ったため、世の人のためになるような人間になろうと決意。
精霊の祝福の量が少なかった弟は、幼い頃から病弱だった。
弟は本が好きで、特に困っている人を助ける賞金稼ぎの話が大好きだった。
本当は騎士になりたかったが、弟を失った時、賞金稼ぎになることを決意。
守り切れなかった弟の分も、人々の役に立つために人生を尽くした。
ユディアールの苛烈さには、早い段階から気づいていた。
相手が賞金首だからという理由で、平気で殺しにかかる。
しかも、笑いながら。
普段は飄々としているのに、内側に計り知れない何かがあるような男だと感じていた。
しかし、長く行動を共にして、シグナディルは気づく。
強敵を求めるようにどんどんと危ない場所に突っ込んでいくユディアールが、ただ死にたがっているだけだということに。
そんな人間を放っておけるわけもなく、なんだかんだで長くコンビを組む。
シグナディルはとても几帳面な性格で、宿を引き払う時もきっちりと掃除をする。
同じように、街を出る前に、掲示板に貼られている賞金首は、大も小も綺麗に片づけて行かないと気がすまない。
だが、そういった自分の主義をユディアールに押し付けたりはせず、来てもいいし、来なくてもいい、というスタイルでマイペースにゴミを綺麗にしていく。
ユディアールにとっては、それはとても不思議な光景に映っていたらしく、よく物珍しそうな目を向けてくる。
シグナディルはそんな時、心の中でユディアールの反応に笑ってしまっていた。
そのうち「殲滅のシグナディル」という二つ名が自然とつき、ユディアールは爆笑していたが、本人はまんざらでもない。
付き合いもいいので、ユディアールが「必殺技を考えて叫ぼう!」と提案した時も、またバカなことを…と言いつつも、ちゃんと付き合って、それっぽいものを考えたりもした。
最終的に、無意識のうちで彼の心は次のような結論を出す。
「今まで失ってきたものが形を成すとすれば、それはユディアールの形をしているのだろう」と。
それほどまでに、ユディアールの中には、かけがえのない何かが詰まっていると感じていた。
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【渡し守のシュレイザ】
人と関わることを極限まで避けてきたため、人生経験がほとんど育たなかった。
そのため、「男はこんな感じ、女はこんな感じ」という、ざっくばらんな印象で日々を過ごす。
それで支障はなかった。
ユディたちに出会うまでは―――。
ある日、思い余って四代目のリコリネに、「テメエとおれはライバル関係だ」と告げる。
リコリネはただ首を傾げていたが、シュレイザは言うだけ言って満足していた。
五代目のリコリネが交代したばかりの時、シュレイザはリコリネの部屋を仏頂面で訪れる。
「おい」
「シュレイザ殿、どうされましたか?」
「テメエ何者だ?」
「………」
「さっきおれたちに気づかずに直接部屋に行こうとしていたな。おれに気づかないのはまだわかる。だがテメエがアイツに気づかねエわけがないんだ。アイツの顔を知らなかったのか?」
「……なるほど。受けていた報告よりも、よほど鋭い方のようだ。しかしちょうどいい。シュレイザ殿、協力してください」
「ああ?」
「先日、『リコリネ』が体調を崩して倒れたことはご存じですよね? 彼女はもう、長くないのです。そのため、私が代わりに来ました」
「………」
「主はお優しい方です。それを知られてしまえば、ショックで足を止めてしまう可能性すらある」
「だからといって隠すのか?」
「いつか知られる日も来るでしょう。ですがそれは、今ではないのです」
「それをテメエが決めるのか。何様のつもりだ?」
「では、シュレイザ殿が真実を打ち明けますか?」
「………」
「…そう、これはとても難しい問題なのですよ。ですから、ちょうどいい。シュレイザ殿も、主に私の中身がバレないように、ご協力をお願いします」
「それは……アイツは仲間ハズレってことにならねエのか?」
「必要とあらば、私は何でもしますよ。すべては主の心を守るためです。ご安心ください、私が弱った後も、次のリコリネが来る手はずとなっています。バレない限り、リコリネの代わりはいくらでもいる。ですから、あなたの協力が必要なのです」
「テメエいい加減にしやがれ!!」
この声に驚いたユディが部屋に入ってきて、その場は事なきを得た。
その後、落ち着いたシュレイザに、リコリネは改めてユディが人間ではないと告げる。
「なんでアイツばかりが……そんな運命を背負わなきゃならねエんだろうな」
シュレイザは、生まれて初めて他人のために涙ぐんだ。
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【トビークレイ】
ユディと出会ったのは、十二歳の頃。
父のように大きくなりたいのに、チビなのが悩みだった。
幼さから、何が起こったかをすべて把握していたわけではないが、父のことは、どうしても憎めなかった。
何故ならあの時、ヴィッツローは間違いなく、自分と母を選んだからだ。
一緒に死んでくれと言われた時、間違いなく父は、トビークレイにとってのヒーローだった。
だが同時に、母ジュナライアが、とても寂しがりであることを、彼はよく理解していた。
よく夜になると、酒に酔った母が、寂しい寂しいと泣きながら抱きついてきていたからだ。
結果として、ヴィッツローと口をきかない、という結論に至る。
ヴィッツローは命の家を定期的に訪れ、トビークレイにお土産を渡したり、一生懸命話しかけてくる。
時々、何もかもをかなぐり捨てて、父の胸に飛び込みたくなる衝動が来る。
次第に、自分の感情を封じるために、命の家の庭で、物狩りになる修行に打ち込み始めた。
ユディとリコリネと修業した思い出が、彼のすべてだった。
ヴィッツローは子供たちの人気者で、よく高い高いをして遊んでやっているのを横目で見る。
そんな時、力持ちで優しい父を、彼はこっそりと誇りに思っていた。
命の家を脱走したのは、十七の時。
すっかり声変わりして、チビだったのが嘘のように大柄になっていた。
成長痛で夜も眠れなかった日々を、彼は誰にも相談せず、唇を噛んで耐え続けた。
ある日、時間の流れが自分の心を溶かし始めていることに気づき、ヴィッツローから逃れた。
しかし、日に日にヴィッツローに似てくる自分に耐えられなくなり、前髪を伸ばす。
また会いたくなったら困るからだ。
トビークレイが真っ先に行ったのは、ユディの足跡を辿ること。
大好きなユディが生まれた故郷を、この目で見てみたかった。
幼い頃にユディから口頭で聞いた話でしかないため、捜査は難航したが、他に目的もないため、じっくりと腰を据えて物狩りの隠れ里を探す。
何とか辿り着いた霊樹の村を拠点に、何度も森の中を彷徨い、ついに彼は廃村を見つけた。
だが、目の前にあるのは、まるで滅びてから何十年も経ったかのような村の残骸。
ユディの話と、年代だけが合わない。
不思議に思いながらも、それを気にするよりも、探し当てた達成感の方が胸の内を支配していた。
自信のついたトビークレイは、その日から、村に残っていたボロボロの書物などを読み漁り、物狩りとしての修行に明け暮れたのだった。
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【ヴィッツロー】
彼は、植物を愛していた。
そして確かに、奉公先の貴族の娘を、一輪の薔薇のような娘さんだと思っていた。
しかし、植物を愛する者は居ても、恋情を抱くものは多くはない。
彼もまた、ただ花を愛でるだけの感情しか持っていなかった。
彼の一番は、妻と息子だった。
大魔女トオン・テッド・ニールは、ほとんど生まれたばかりと言える状態で、未成熟な経験しか持ち合わせていなかった。
そのため、彼女がかけた呪いは、イレギュラーに対応できるほど洗練されてはいなかった。
つまり、真実はこうだ。
ヴィッツローが妻と息子に同時に触れたため、またそれらが同列一位であったため、『最も愛する者が二人いる』、というイレギュラーに対応できず、爆発しなかった。
ただ一つ、彼に罪があるとするなら、ジュナライアの寂しさに気づかなかったという一点だけだろう。
命の家に来てからは、フリーの庭師として、ガッディーロ家の推薦を受けながら、掘削の街の樹木を整えていく日々を送る。
トビークレイが怒っているわけではないことは、なんとなくわかっていた。
ちょっとした喧嘩をしたときの、意地を張った様子と同じだったからだ。
だからこそヴィッツローは、いつか、この関係がいいものになると、前向きにそれを信じながら、息子に話しかけ続けた。
それが叶わなかった後も、彼は命の家で息子を待ち続けた。
子供たちには人気があったし、心のどこかに傷を持った子たちばかりが集まる場所なので、なんとか助けになろうと尽力し続けた。
変わり果てた息子の遺体が帰ってきたとき、なぜか妻と息子を同時に失ったような気持ちが一気に押し寄せて、夜を徹して泣いた。
老後は穏やかに暮らしたという。
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【ジュナライア】
一途で献身的な女性。
大雑把でガサツな部分を自覚しており、それが自信のなさにつながる。
しかし、自分は明るくて元気で悩み事なんて一つもない、と思い込んでいた。
そのため、ある日限界を迎えた……というだけの話なのだろう。
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【ウェイスノー】
本名ウェイスリーアノー。
リーアの名を捧げられる主を待ち焦がれながら、人生を送る。
待望は高望みにまでなっていき、様々な人間を観察し、通り過ぎて来た。
老騎士王に強く惹かれるものがあったが、自分だけでなく、多くの者が騎士王の周囲に居ることが、判断を止める理由となる。
探していたのは、大勢に望まれている一人ではないと感じた。
やがて、待ち続ける日々にしびれを切らした彼は、次第に騎士の情熱を失っていく。
日常を適度にやり過ごし、恋愛からもあっさり身を引き、本気を出すような戦いはなかなか訪れない。
あることが原因で、自身の天秤の強大な力を忌み嫌っており、滅多に祝福の奇跡を使わない。
そのため、ユディに頼られて天秤の祝福を行使した時、心のどこかが救われたと感じ、とても感謝している。
傷ついたリコリネに寄り添った時、自分の主はこの人だと思った。
たった一人で、理不尽な世界に立ち向かっているように見えたからだ。
が、リコリネにすべてを話すと、彼女は首を振る。
「いいえ、落ち着いてよく考えてみてください。あなたの主は、私ではありません。本当の意味で一人きりなのは、私ではないからです。どうかその力は、あの子のために使ってあげてください」
最初は、その意味がわからなかった。
だがある日、何の前触れもなく、コニーのことだと理解する。
コニーが闘技の街を滅ぼす決意をした時、リーアに迷いはなかった。
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【ジャンティオール】
騎士国家出身。
年を取ってからできた念願の子どもの健全な成育のために、両親はジャンティオールが幼い頃に、畜産の村へ移住する。
元々街の忙しない生活よりも、のんびりした村での生活の方が性に合っていたため、両親は大事にジャンティオールを育てることができた。
しかしジャンティオール本人としては、いきなり慣れない環境への引っ越しとなったため、なかなか友達ができずにいた。
大人たちには可愛がられていたため、寂しさはなかったが、同年代の友人というものへの憧れは募っていくばかりだった。
そんな中でジャンティオールの心の支えだったのは、騎士が出てくる物語の本を読むこと。
自然と将来の夢も騎士に決まり、いつか強くなって両親の元に帰ってくると約束し、村を出る。
殉職した彼に対し、騎士団は両親の元へ、村が潤うほどの金銭を贈った。
その意味では、両親に楽な暮らしをさせたいという、ジャンティオールの願い事の一つは叶えられたと言えるだろう。
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【ファウラサ】
踊り子は、舞台で踊るだけではなく、酒の相手をやることがある。
そのため、客を楽しませるために様々な情報を収集しなければならない。
自然と情報屋のような立ち位置が身に着くのがほとんどだ。
中でもファウラサは、知覚の精霊エティナイの祝福を受けていた。
それも、そこそこ多めに。
それは、聞き耳を立てたり、挙動を観察するにはうってつけの祝福で、情報屋としてのファウラサの腕はどんどん上がって行った。
そんなある日、圧殺鎧鬼という、あまりにも規格外の存在を耳にした。
とても興味を惹かれて詳しく調べてみたところ、それは確かに実在し、しかもあろうことか、中身は女性だという。
同じ女であるファウラサは、ぞくぞくした。
女の身でありながら、男どもと丁々発止と渡り合うという様は、軽く想像しただけでも気持ちがいい。
だからこそ、海峡大橋の宿場町に閉じ込められた時、リコリネの姿を一目見て圧殺鎧鬼だと理解した。
キルゼムとやり合う姿から目が離せない。
あんな危険なことを自ら進んでやりに行くリコリネの姿は、ファウラサにとって間違いなく英雄だった。
遠目から見ても、明らかに致命傷を負ったリコリネに駆け寄った時、ファウラサは決意していた。
この人の助けになりたい。
この人のために、人生を捧げたい…と。
そこから、命の家の運営者として、数々の別れを経験した。
どんなに悲しみが身を覆い隠しても、この道を選んだことに悔いはなかった。
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【赤眼のアレイア】
本名アルドナ。
趣味は、夜のお散歩。
シグナディルが好きだったが、いつまで経っても彼が樹上都市を訪れることはなく、騎士活動を続けながら、落胆の日々を送る。
ある日、騎士隊長に思いを告げられる。
騎士隊長は、アルドナの気持ちを知っていてなお、自分のことは二番目でいいから…と添えて、無理に返事を聞こうとはしなかった。
そんな彼の無骨さに心が揺れて、最終的には婚姻を結ぶ。
ずっと一人だと思っていたが、ふと周りを見渡してみれば、騎士仲間や樹上都市の住民に囲まれている日々が待っていた。
とっくに幸せを手にしていたことに、彼女はようやく気付けたのだった。




