二十日目(1):悪党、世界を渡る
旅立ちの門。
それは、死後に生者の魂が旅していく道に至る場所。いわば、冥界への扉だという。
「と言っても、生者が死者に出会えるわけでもないんですけどね。魂は生きている者には見えませんから」
「そうなのか」
「旅立ちは通常、無限図書館から始まって無の砂漠、天乃橋立、氷雪原野、炎獄回路と続き、炎獄回路で転生の輪と一体化して終わるのですが――
この扉は無限図書館をスキップして無の砂漠に出ます。そこから無限図書館に戻り、さらに外に出ればトマニオに到着、ということになりますね」
言いながらプロムは、俺とリッサの全身にえらく大きな布を巻き付けた。
「これは?」
「砂避けです。
無の砂漠の気候は厳しいですから、これがないと吹き付ける砂が痛いですよ?」
巻き付け終わって、彼女は満足そうにひとつうなずいた。
「これでよし。では、後は装置が作動すれば砂漠に着きますから。
後は渡した地図どおりに進んでくれれば自然に無限図書館へ着きます。ご健闘をお祈りしますよ」
「わかった。世話になったな」
「ありがとうございました!」
と、礼を言うリッサのところにプロムは近寄り、ぼそっと耳打ちした。
とたん、ぼっ! とリッサが真っ赤に染まる。
「あああああのですねえプロム様!」
「じゃあスライデン、準備オッケーなのでスイッチ入れてくださーい!」
「こ、こらー!?」
ばちばちばち、と休息に周囲の風景が溶けていき、闇のなかに取り残される。
「なにを言われたんだ?」
「ごめんライ、お願いだから聞かないで……っ」
「……あ、そう」
俺はそれ以上、その話題に触れないことにした。殴られたくないし。
視界が戻ったとき、そこは。
「砂漠だな」
「うん。砂漠だね」
眼前にはひたすら広がる荒野。
ひび割れた大地にはごろごろ岩が転がり、砂利混じりの強い風が吹き付けてくる。
生き物の気配はカケラもない。枯れ木一本すらない。
「ヤな雰囲気だな……気分悪くなってきた」
「ともかく、出発しよう」
「どっちに行くんだ?」
言われてリッサは地図を見て、
「ん、とりあえず正面にしばらく行けば道があるから、後はその道を行けば自然に着くみたい」
「わかった」
うなずいて、俺は荒野を歩き始めた。
じゃり、じゃり、じゃり……
「ライ」
「ん?」
「あのさ、さっきのだけど……ホントによかったの?」
「えーと、祭神ってやつ?」
こくん、とリッサはうなずいた。
「ボクはべつにいいんだけど。プロム様の言うとおり、生きている神を祭神にするのは名誉なことだし、祭司待遇っていうのも破格だし。
けど、その……ライはどうなのかな。って」
「いや、そもそも俺、祭神とか祭司ってなにか知らないし」
それで「どうなのかな」と聞かれてもなにがなにやら。
と、リッサが、すっごい複雑な顔をして黙り込んでいることに、俺は気づいた
「どうした?」
「いや、その……そっか。忘れてた。神になってもライはしょせんライだよね」
「微妙にむかつく物言いだな」
「だって! おかしいよライ! ライにはちっちゃいころ、祭神とか付けられなかったの!?」
「いや、俺孤児だしさ」
「孤児でもまわりの大人がしてくれるでしょ普通!? ていうか神殿はなにしてたのよー!」
「俺に怒られても困る。あとまあ、敵討ちのためにいろいろやってたんで、それどころじゃなかったってのも」
「ぬぐぐぐ……ライが神になる前に知ってたら、ボクがなんとかしてたのに……」
「そもそも祭神って、なんのためにつけるものなんだ?」
「加護がつくんだよ。その祭神に対応した、いくつかの技能を習得しやすくなったりするの」
「へー。便利なんだな」
「だから誰でもつけてるし、神殿も無料でやってくれるし、その年齢で祭神つけてない人間なんてぶっちゃけ初めて見たよ……」
頭を抱えて、リッサ。
俺は、ふうん、と思いながら聞いていたが、
「で、じゃあ祭司ってのはなんなの?」
「え? ああ、それは神官職限定の話だね。
ボクたち神官は、神殿に勤めるとき、改めて祭神を選び直すの。選んだ祭神によって役職まで含めていろいろ変わるから重要なんだけど、その「神官職」の中で、その祭神担当の代表者っていうのが、祭司」
「なるほどなー。じゃあ、俺を祭神にしてるのはいまのところリッサだけだから――」
「自動的に祭司になったってことね」
「だいたいわかったけど、その祭神替え、いまさらだけど本当によかったのか? なんか神殿での序列に関係してる話っぽいけど。出世に響くんじゃねえの?」
「いや、ボクの祭神だったアヴァイレル様も、あんまりメジャーな神様じゃなかったし。それに、祭司ってだけで十分な出世だよ」
「そういうもんか」
「まあ、もちろん神殿の偉い人には、なにか言われると思うけどね。でもプロム様がおっしゃった通りで、「大巨人プロムのご意向に従い祭神を変更しました」って言われて、文句つけられる人は神殿にはいないよ」
リッサはそう言って、笑った。
俺もなんとなくその言葉を聞いていたが、
「そういや、俺ってなに司る神なんだ? たしか加護が得られるんだろ?」
「いまはわからない。しばらくしたら、無限図書館にある記述を巫女様が拾って、神託として決めるんだと思う」
「俺に選択権は?」
「ないよ?」
「マジかよ」
「しょうがないでしょ。ていうか、自称が通るなら大悪党の神になっちゃうじゃない、ライ」
「かっこいいじゃん」
「かっこよくてもダメ!」
「うぐぐ、法律と正義の神とかになっちゃったらどうしよう……」
「そんな大きいもの司らせてもらえるなら、それはそれで光栄だと思うよ?」
「道ばたに落ちてる馬糞の神になっちゃったらどうしよう……」
「あんた巫女様と神託をなんだと思ってるのよ」
「あいててっ、蹴るな蹴るなっ」
漫才しながら歩いていると、視界に伝え聞いた通りの道が見えてきた。
片方は山のほうへ、片方は地平線の先の先まで続く、長い長い道。
その、道の傍らに。
「おや?」
岩巨人の女の子が、ひとり。
一瞬キスイかと見間違えたが、微妙に違う。
彼女はこちらに気づくと顔を上げ、きょとんとして言った。
「なんだ。バルメイスではないか」
「…………」
「どうした? やっぱりひとりで図書館にいるのは寂しくなって、わらわに遊んでもらいにきたのか?」
にへら、と笑って言う。
……なんでやねん。
「あの、キスイ様? な、なんでここに?」
「うむ? わらわはキスイではないぞ。まあ誰と聞かれても困るが」
「あ、ひょっとして黒キスイ?」
「なんだその呼び方はっ。まるでわらわがキスイのおまけみたいではないかっ」
じたばた暴れる。
「……なんでこんなところに? つーか、おまえキスイと分離できたのか」
「うん? なぜいまさらそんなことを。そんなの当たり前ではないか。
ほれ、おまえもわらわもその、ろんとん? なのじゃろ。じゃから――」
「なにそれ?」
「なにそれって――」
沈黙。
「うぬ、さては貴様バルメイスの偽物かっ」
「な、なんでそうなる!?」
「おのれそこな神官手伝えっ。悪者征伐じゃ! であえーであえー!」
「ええい、むちゃくちゃ言いやがるなこのちびっこがっ」
「なにをー! おまえだってちびのくせにっ」
「よし泣かす! 絶対泣かす!」
「ちょ、ちょっとふたりとも落ち着いてっ……!」
いろいろあった後。
とりあえず落ち着いた黒キスイに、リッサが事情を一通り説明していた。
「ふん、なるほど。では貴様はバルメイスではなくて、集落にいたあっち側のガキということじゃな」
「ガキにガキって言われたくないが、そういうこった」
「神とも大巨人とも知れぬ神格持ちか。
まあいい。とりあえず今回は見逃してやろう」
「そいつはどうも」
「ふむ、地上は大戦争か。
とはいえ、まだここにはその魔王とやらは来ていないから、手遅れではなさそうじゃな」
「本当!?」
「ああ。ここしばらくはずっとわらわもこのあたりにおったからな。間違いあるまい」
リッサの言葉に、なにげないことのように返す黒キスイ。
「ずっと、ここに?」
「む、なにか含むところがあるようだな貴様」
「いや、その、なんだ。……退屈じゃないか?」
「まあな。だから普段はこのあたりで遊んでおる。
あとは、貴様も知ってのとおり、しばしばキスイの身体に邪魔しておる。なかなか楽しいからな」
「つーかおまえ、実際のところ何者なんだ?」
「知らん。そういう難しいことはパルメルエに聞け。
まあ、それよりなにより、さっさと行かなくていいのか?」
「あ、そうだった」
「山のほうに行けば図書館に出る。道なりに行くがよい。
わらわは、もうしばらく散歩を楽しんでくる故な」
言って、黒キスイはさっさと山と反対のほうに歩いていってしまった。
……とんだアクシデントだった。
けど、まあ。
「行こう、ライ」
「ああ。道が正しくて、しかもまだ間に合うことがわかったんだ。収穫だったな」
そして、俺たちも歩き出した。
「うわ……でっけー……」
荒野の端。
そこは崖のようになっていて、階段状の通路があって、谷底に続いている。
谷底には木々がうっそうと茂り、その先にひとつの建物があって、建物の奥にひどく切り立った山々が連なっていて、そこから先は見えない。
……のだが、問題はそこではなく。
「どこまで続いてるんだ、この谷と建物は?」
「無限だよ?」
「……あ、そう」
奥行きは有限だが、谷の横の広がりは無限にあるらしい。
まさに無限の図書館。文字通りの代物だとは予想していなかった。
「じゃ、行こう、ライ」
「ああ。……うう、なんか圧倒されるな、この光景」
ぎぃぃぃ……
「おじゃましまーす……」
「おじゃましまーす……」
そっと中に入る。
うわ。ずらーっ……と、本が並んでる。
「お待ちしておりました」
「だあああああ!?」
「うわきゃー!?」
「静粛に。図書館内です」
いきなり出てきた女が、むっつりしながらそんなことを言った。
――つーか、なんだこいつ。
服の見た目からするとおそらく神職、巫女の類だろう。カラフルで清潔そうな、東方風の衣装だ。
……が、えらく野暮ったいメガネと、読みかけの本に指を挟んで持ついでたちは、その雰囲気とえらく食い違う。
加えて、出現してからいままで毛ほども動じぬ無表情。なまじっか美人なせいか、サリより迫力がある。
「えと、その、ボクたちは怪しいものではなくて」
「存じております。ライナー・クラックフィールド神、およびその祭司の方でいらっしゃいますね」
「え?」
「パルメルエ、と申します。この無限図書館の司書であり、神託の巫女を兼任させて頂いております。ようこそいらっしゃいました」
言って、パルメルエと名乗った彼女は、あくまで無表情にお辞儀をした。
【余談】
この時点ではパルメルエがまだライの記述を拾ってないので、ライは神なのか大巨人なのかもわかっていません。
ただ、人間出身で大巨人になる例はまずないので、リッサは普通にライを神として扱っています。
【2018年7月10日追記】
日本に帰ってきたことを念のためにご報告しておきます。




