十三日目(2):悪党、領域に入る
日が高くなって来た頃、それなりに開けた場所に出た。
広場の中央をきれいな小川が縦断し、ちょうどよい休憩場みたいになっている。
「ここは?」
「『妖精の溜まり場』ってやつだ。神話時代からある空白の土地で、なんでか知らんがここには、獣も魔獣も近づいてこねえ」
バグルルが言う。
と、がっしゃんと音がして振り向くと、ペイがアーマーから飛び出して来るところだった。
「ふひー。やっぱ整地されてねぇところを歩くと疲れるなぁ、このマシン」
「おう。おつかれだな、ペイ」
「ここで休むんですか? バグルルさん」
「ああ。昼間のうちにここで休んで、夜になってからまた進む。行軍はできるかぎり夜にするぜ」
「出発前に言っていた安全地帯ってのは、ここか?」
「そうだよ。ここは探知術も効きにくいからな。ここで休んでから出発すれば敵も足跡を追いにくいって寸法だ」
「わかった。それじゃ、ともかく食事にしよう。行軍用の食料はペイのアーマーに入ってるんだよな?」
「おう、任せとけ。そりゃもう、ぎっちり詰めても移動にはなんら支障がないのがこのマシンの売りのひとつ――おろ」
…………
すっげぇ嫌な沈黙が降りた。
「なんだ。まさか詰め忘れたとか言わないよな?」
「悪い。鍵かけ忘れてたわ。気づいたら大半落っこちてる」
「馬鹿か、テメェはっ!?」
「う……わ、悪い、バグルル。そもそもこの機械、使ったことなかったからさ。テンの野郎に言われて初めて使ったのが昨日のことで」
「ぐはぁ……どうするよ、おい。とりあえず予備の食料類は多少あるし、水はそこの川から補給するにしてもだ」
「食料が足りない?」
「ああ。さすがに長丁場の行軍で携帯食料がないのは危険過ぎる。どうするか――」
「なら、ボクが狩りに行ってきますけど」
「あん?」
リッサは弓をひょいっと持ち上げて示し、
「土地勘がないので遠出はできませんけど、それほど多くでなければ捕ってこれますよ。もともと、ボクは狩人ですし」
「頼めるか? 秘儀は目立つから使わない方向で」
「大丈夫です。弓と罠だけ使えばいいんですよね?」
「けど、体力のほうは大丈夫なのか? ここまで歩きっぱなしだったろ」
「ぜんぜん大丈夫だよライ。本場の狩人をなめないで」
自信満々で言うリッサ。
バグルルがすまなそうな顔で、
「じゃあ悪いけど頼む。後で十分休息の時間は用意するからよ」
「わかりました。それじゃ、みんなは休んでおいてください」
言って、リッサは森のほうへ消えた。
目が覚めると、リッサが火の準備をしていた。
残りのふたりは近くで毛布にくるまって雑魚寝。まあ、そこそこ強行軍だし、疲れを残しておくと今後に響く。
「どんくらい経った?」
「2時間くらいかな。――こまめに帰ってきてはいたんだけどね」
言うリッサの足下には、捌き済みの小さな動物や、木の実とかが置いてある。
「これ、ぜんぶ食べるのか?」
「木の実は一部持ち運び用。……本当はもっと取ってきたかったんだけど、この森はそれほど豊潤じゃないみたい」
北のほうだからかな、と言って、彼女はため息をついた。
「むう。足りるかな」
「わかんない。
でも、森からそれほど離れるわけじゃないみたいだし、大丈夫だと思うけどね」
たしかに。森を抜けたらさほど遠くないとは聞いている。
聞いているのだが――
(気になるのは、神殿の連中がボロボロにされたって話だ)
よっぽど強大な魔獣とはち合わせしてしまったんだろうか。
不安はあるが、しかし……
「? どしたの?」
「いや。……なんか、気づいたら巻き込んじまってるな。悪い」
というか、本当を言うなら、ハルカの言葉はリッサにこそ当てはまる気がするのだ。
俺はまだ、度外れた力を持ってしまっているという、戦争に勧誘されるまっとうな理由があるものの。
リッサはただの神官である。
それが、世界の存亡を賭けたわけのわからない戦いに動員されているというのは、つまり俺が引き込んでしまったようなものだ。
リッサだって、俺が関わってなければこんな危険な旅に同行せずに済んだだろうに。
――という思いを込めて言ったのだが、リッサはなぜか、すっごいまずいものを食べてしまったような顔をした。
「なんだよ」
「この際だから言っておくけど。巻き込まれたのはキミのほうだってこと、自覚してないでしょ。ライ」
「ん? いや、俺、金銭的報酬もらってるし。巻き込まれたわけじゃないぞ?」
「それだったらボクももらってる。ただの神官としては破格なくらい。
そうじゃなくて、お金積まれても拒否できる立場だったのに、なんとなく雰囲気で飛び込んじゃったでしょ。今回」
「まあ、そう言われればそうかもしれないけど」
ただ、それでも俺が決めたことだ。
巻き込まれたという言い訳ができる立場じゃないし、それに――
(ここでおさらばってのは、大悪党らしくねえよな。かっこ悪いし)
と思ったからこそ、なのだが。
リッサは剣呑な目で俺をにらんだ。
「わかってないね。ぜったいライはわかってない」
「……? おい、リッサ?」
「ふんだ。いいもんね。どうせボクは最後までついていくって決めたんだから。
前に言ったとおり。ライがきっちり更正するまで、しっかり面倒見るんだからね。覚悟しときなさいよ」
むきになったような、そのくせどこか寂しそうな表情で言う。
うーむ……心配、かけちゃってるかあ。
その心遣いはありがたいんだが――
「む。なに笑ってるのよ?」
「いや、そんなすねた顔はおまえには似合わないと思ってな」
「え――あ、」
「ほら、おまえってどっちかって言うと打撃系だろ? 可愛い子ならともかく空気読めって感じで」ごきゃげきっ!「あぎょっ!?」
「どーゆー意味よその打撃系って!?」
「が、がはっ……ってーか、ほら! やっぱり打撃系じゃねーか!」
「あんたがそんな失礼なこと言うからでしょーが! 救いがたい口の悪さね、いっぺん牢屋で矯正してきたらどう!?」
「あいにくだが親しい人間には思ったことを包み隠すなっていうのがクラックフィールド家の家訓なんでな」
「それ以前に思うなー!」
「なにを言う! 内心の自由はすべての人間に許されているって近所に住んでたじーさんが――」
「あんたは例外っ! つーか礼儀くらい内心でもわきまえときなさいっ!」
言いながらげしげしと追い打ちで蹴りまくるリッサ。
「ちょ、ギブ、ギブってば!」
「ふふふ――! 今日はもういいかげんボク堪忍袋の底が抜けちゃったなぁ。ちょっと足腰立たなくなるまで性格改善にトライしよっか?」
「……なにやってんだ、おまえら」
「ひゃあうっ?!」
「見てわからないか? ペイ」
「おまえがそこの嬢ちゃんにボコられてる」
「おう。いい観察力だ」
ペイは、本気で長い長いため息をついた。
「まあ、とりあえずじゃれ合うなら怪我しない程度にな。いま倒れられると面倒だし」
「なんでぇ。もう終わりか? つまんねぇの」
「……おまえも見てたのか、バグルル」
「あれだけ大声出しゃ起きるだろ。馬鹿だなおまえら。わはは」
つーか、見てたんなら止めてくれ。すげえ痛いんだから。
リッサはもう、怒ってるんだか照れてるんだかよくわからない表情で、そっぽを向いて作業にもどっている。
(いま突っつくとまた爆発しかねないので、おとなしくしておこう……)
と。バグルルがぼそっと耳打ちした。
「照れくさいのはわかるが、打撃系はさすがにねぇだろ」
「つーかアンタ、やっぱ最初から見てたんじゃねえか……」
「わはは、まあな。もうちょっといい雰囲気になるかと期待してたんだが、おまえじゃちと未熟すぎたか」
「うるせ。性格悪ぃな」
……自分でも、それなりに気にしてるのに。
火のほうを見ると、すでにもうだいぶちゃんとした焚き火の形になっていて、リッサがてきぱきと調理の準備を進めていた。
「食べ終わったら休んで、もう一度狩りをして、食べて、それから出発ね」
「あいよ」
空は快晴。
場違いなまでに平和な一時を、もうしばらく楽しんでおこう。
夜になって出発して、俺たちは森を抜けた。
この場所には見覚えがある。それも、つい最近の話だ。
無地の燎原。奇怪な幻術が支配する、壊れた土地。
その、西端。最も海側の端に、場違いに作られた階段状の山道がある。
「ここが、入口か?」
「ああ。――おい、まだ入るな。そこだって燎原の一部なんだ。うかつに入ると幻域に取り込まれるぞ」
「うげ」
あわてて足を止める。
正直、あの荒唐無稽な空間には、あまり近寄りたくない。
『で、どーすんだ?』
「明け方までここで休む。安全な場所ってわけでもねえが、中にくらべりゃここは天国だ」
「なにがいるんだよ?」
「ミーチャとおなじような連中さ。神々の時代に作られた、戦闘用の妖精兵器だ。並の魔人じゃ一対一でも遅れを取る」
「どれくらいいるんですか?」
「さあな。正直、数え切れなかった」
うわあ、超やべえ。
「抜けていけるんですか? その……」
「下手に抵抗しないほうがいいな。逃げるのに専念していれば、だいたい振り切れる。後は……まあ、今回は正しい道を知ってるのも大きい。
それでも、危険なのには変わりない。全員、覚悟だけはしとけ」
バグルルは厳かに言った。
……なるほど。こりゃ厳しそうだ。
「で、どうする? 休むって言っても、ここも安全な場所じゃないし」
「そりゃ、交代で見張りを立ててだな――」
「待って。森の様子が変です」
さえぎって、リッサ。
「? どこがヘンなんだ?」
『こっちでも感知した! うわ……とんでもねぇ数だぜ、どうする!?』
「あ? な、なにが来たってんだ……!」
「魔物の群れ! まさか、誰かが誘導してきたの!?」
「なんだってぇ!?」
たしかに。森自体が黒いので目立たないが、ぽつんぽつんと魔物らしき姿が見え隠れしている。
「――そうだな。おそらく妖術師の仲間の誰かの仕業だろう。やっぱりライの神格を尾行してきていたか。
ただ、このタイミングを狙ったわけじゃねえな。尾行されてたのはたしかだが、ここから先には手駒どもが介入しづらいと思って、焦って仕掛けてきたと見た」
「どうする!?」
「休憩は中止。なに、かえって好都合だ。ぎりぎりまで引きつけてから、幻像の中に撤退する。追ってきた連中を妖精どもにぶつけよう。
幻域の中に入ったら、まわりの幻覚を片っ端から壊しながら走れ。しばらくすれば幻から抜けて、そこからが本番だ」
すでに目視できるところに迫った魔物たちを見ながら、言う。
……つーか、これ、百体どころじゃないぞ。
これだけの奴らに襲いかかられたら、さすがに、勝てる気がしない。
「く、来るよ!」
「まだだ! まだ引きつけろ!」
『バグルル、上!』
「ち!?」
応えて上を向く――前にペイの手が火を吹いた。
がががががががっ!
上から不意をついて襲いかかろうとしたコウモリもどきどもが、いっせいに穴だらけになって地面に落ちる。
『うおお、自動射撃すげー! いま勝手に火ぃ吹いたぞ!?』
「……微妙に危なっかしいな、オイ」
「限界、限界っ! 逃げましょう!」
「っと、やべえ! 全員走れ!」
「お、おお!?」
走る。
目の前には干からびた古代の階段が――
ぐにゃりと曲がって。
いびつな、キノコの森のなかに出る。
「え、わわ??」
「壊れろっ!」
がしゃーん! と周囲の風景が一瞬崩れて落ちる、その瞬間を利用して走……ろうとしたのだが。
「ちょ、わ、ライ! なにこの気持ち悪いの!?」
リッサがパニックに陥った。
――そういえばこいつだけ、これは初体験だったっけ。
(事前に説明しそびれたか……しまった)
「ともかく走れ! 走りながら周囲は嘘だって念じ続けろ! そうすりゃいつかは抜ける!」
「うわ、うわー! なに、ちょっと待っ――」
「ああもう、いいから来いっ!」
「あ、ライ!?」
リッサの手を取って走る。
再構築されていく幻を、念じてたたき壊しながら走り抜ける。
「ま、まだ抜けないの!?」
「もうちょっとだ! 急げ!」
『魔物ども、順調に追ってきてる! ち、けっこう速いな――!』
「ああもう、そういう細かいのは後でどうとでもなる! ともかくいったん幻から抜けて――」
抜けた。
「へ?」
荒れ果て切った山道の光景。
唐突な視界変化にたたらを踏んで立ち止まる。
とたん、後ろからどかっ! と突き飛ばされた。
「あいてっ!?」
「こ、こら! 急に止まらないでよ!」
「いつつ……いや、そんなこと言ったってな、」
「馬鹿、止まるんじゃねえ! まだ安全圏じゃねえぞ!」
「え?」
言われてまわりを見て――うわ。
あたりを取り囲む、なんだかよくわからないナマモノの群れ。
「きゅるるる、ぴー!」
「「「ぴぴー!」」」
「う、うわあああああっ!?」
『走って抜けるぞ!』
「無理、ぜったい無理! なんだこの数――うわ!?」
ざっ――!
虫が食べ物に群がるように、妖精たちがいっせいに動き出す。
……俺たちの、後ろに向かって。
「な、なんだ!?」
「あいつら、魔物たちに向かってる! どんどん集まってるよ!」
「へ、予想どおりか。――あの魔物どもも、弱小とはいえ神話の害物。神の尖兵なら、まずはそっちを優先すると思ったんだよ」
『いまのうちだ! 魔物どもがどれだけいるか知らんが、奴らがあっちにかかっていればこちらには手を出せねえ!』
「ライ、行こう!」
「お、おう!」
駆け去る。
背後からは、ひっきりなしにうなり声や爆音、それに肉を切り裂く音が響いていた。




