八日目(3):悪党は悪党でなければならない
その後、リッサと二人して仮眠を取って、気づいたらもう夕刻だった。
食事を軽く取って、リッサはすぐ作業に入る。
「もう日は暮れたかな?」
「だろうな」
「そう。――やっぱり、ままならないね」
「これからも長いのか」
「相手の同意がないからね、この場合。
同意があれば簡単なんだけど。同意がなくて、意識がなくて、心がふらふらしてる。そういう相手を『射貫く』のは、かなり難しいんだ」
「『射貫く』ことができれば、一発でいけるんだな?」
「うん。そしたら、次はライの出番」
言って、リッサはサリの方を向いて、また弦を弾きはじめた。
びぃん……
びぃん……
びぃぃん……
………………?
いま、なんか……
「! リッサ!」
「アアアアアアアアアアアアア!」
「うわ!?」
がつん!
俺がとっさに振った光の剣が、リッサにとびかかったサリの身体をはじき飛ばす。
倒れたサリは、しばらく奇声を上げながらじたばた暴れていたが、やがて動かなくなった。
「…………。
収まったか」
「タイムリミット……ってわけじゃ、なさそうだね。
センエイさんの言ってた、一時的に暴れ出すかもしれない、って話かな」
言うリッサの顔色は青い。
……あれ?
「おまえ、顔切れてるぞ?」
「え? ……あ、ほんとだ」
リッサはそう言って、ほおを伝う血をぬぐった。
「なにが当たったのかな……あー、これだ。弦が切れて、それが顔に当たったみたい。
いまの騒動で切れちゃったんだ。目に当たったら危険だったね」
見ると、たしかにリッサの持っていた弓の弦が、途中で切れてしまっている。
「ライ、スタージンさんを呼んでくれる? 彼に治癒してもらう。ついでに、代わりの弦を取ってきてもらおう。ボクも治療できるけど、施術中にべつの秘儀を使うと集中が乱れるから」
「ああ、わかっ――」
「うむ。どうやら手前の出番のようですな」
「……いつからいたんだよ、おまえ」
「いやあ、いま戻ってきたところです。ようやくサフィート神官補が寝付いてくださりましたので」
……?
スタージンの言葉に、首をかしげる。
リッサは苦笑して、
「やっぱり、荒れてました?」
「ずいぶんと。やはり彼は人がよいですなあ」
「……なんの話?」
「いえ。また魔物と自分から関わるようなことをしてと、たいそうお怒りでして」
「ああ、そういえばそんな話もあったっけ」
反撃も含めて魔物に一切触れてはいけないなんて、そんな窮屈な戒律があるのだった。こいつらには。
「あいも変わらず人のよいことです。彼も」
「…………」
「……? 人の、よい? あいつが?」
なにかの聞き間違いかと思ったが、スタージンは首を縦に振った。
「当然でしょう。戒律違反とは言ってもしょせんは他人のこと。他人のことにいちいち口を出すのは善人のすることです」
「迷惑な善人だな」
「善人なんて迷惑なものですよ」
「……その発言は、聖職者としてはわりと限界ぎりぎりなんじゃないかと思うんだが」
「はっはっは。これは手厳しい」
さらりとかわして、スタージンは笑った。
その後、彼は手早くリッサの治療を終え、弦を置いて去っていった。
リッサはそれを見送ってから、
「さて、とりあえず弓を直しちゃわないとね」
てきぱきと作業に取りかかる。
それを見て、ふと、思った。
「リッサ」
「ん、なに?」
「ありがとな。手伝ってくれて」
リッサはちょっと憮然としたような感じだった。
「そういうのは、ぜんぶ成功した後に言うもんだよ」
「失敗したら言えないじゃんか」
「ばか、失敗したときのことなんか考えないのっ」
「……はいよ」
「ぜったい成功させるんだから。キミもそのつもりで気張りなさい、ライっ」
やけくそ気味に言って、リッサはまた弓の修復に取りかかった。
――そっか。
(こいつも、恐かったんだな。俺と同じで……)
びぃん……
びぃん……
びぃぃん……
時間は、すでに深夜に差し掛かっている。
俺もリッサも、休息と食事を取ってはいるものの、単調かつ集中力のいる作業は消耗も激しく、きつかった。
びぃん……
びぃん……
びぃぃん……
「ほんとはね」
「ん?」
唐突に話し始めたリッサに、俺は首をかしげた。
「神官補になって、この術を最初に覚えたときね。ぜったい使わないだろうなって思ったの」
「なんで?」
「だって、精神操作に同意する人間なんて多くないでしょ。無理やりやるとこれだけ手間がかかるし、その上たいした利益があるわけでもないしね」
「そりゃ、そうか」
「だから――まあ、今回のこれには感動したよ。こういう使い道もあるのなら、秘儀っていうのも悪くないのかなって、思った」
「……おまえ、たしか術を継承するために神官になったんだっけか」
「そうだよ。この術の継承者になるためにね」
リッサはうなずいた。
「現在、この秘儀を使えるのはボクのお師匠様と、ボクだけ。
だからね、これを始める前に『腕試し』って言ったのは半分本当で、半分は嘘――本当に試したいのは、この秘儀それ自体」
「そうか」
「そうよ。
今回、サリさんを助けられなければ、この術なんて継承するほどの価値もないと思うんだよ。極論だけどさ」
疲れているはずなのに、リッサは妙に饒舌だった。
それからリッサは、こちらに向き直って、
「ライは、どうして悪党なんて目指そうとしたの?」
「……作業に戻らなくていいのか?」
「このままやってもできる気がしないんだよ。だから気休めの雑談」
「しょーがねーな……」
俺は苦笑して、それから話しはじめた。
「ま、いろいろあったのさ。正義の味方にあこがれられない理由がね。それに――」
「それに?」
「ほら。奪われて不平を言うくらいなら奪う側を目指せってのがクラックフィールド家の家訓だからな。そりゃあ正義にはなれんだろ」
「ふうん」
リッサは気のない返事をして、
「その家訓っての、嘘だよね?」
――予想より深く、踏み込んできた。
「……なんでそう思う?」
「ライってなんか孤児っぽいもん。家訓なんてありそうに見えない」
「いや、だけどなリッサ。孤児って言ってもほら、逆に言えば俺はいま家の当主なわけで、だったら俺の言葉イコール家の家訓と言っても過言ではないんじゃないか?」
「やっぱ親、いないんだ」
「無視すんなよ俺の理屈を!」
「そんな屁理屈どうでもいいよ」
「議論すらしてくれなかった!」
地味に傷つくんだけど。え、俺の理屈、そんなにおかしい?
「で、やっぱ親、いないんだね」
「厳密に言えばいたぜ? 俺が一歳になるかならないかの頃、強盗に押し込まれて二人とも死んだけどな」
「そっか……」
リッサはそこでいったん口をつぐんで、
「その……ライが辛くないなら、詳しいこと、聞かせてもらえる?」
「べつにいいよ。俺にとっては顔も覚えてない親の話だ」
「それでも、孤児になって辛かったんじゃないの?」
「そりゃ、親が無事だったよりは辛かっただろうけどな。俺の場合は保護者代わりの連中がいてくれて、だいぶ楽させてもらった。本気で路上で飢え死にした孤児とか見たことあるし、それに比べりゃ天国さ」
「…………」
「それでも。それでも、確かに俺は、昔は憎んでたよ。俺の親を殺した奴に対して、怒りと憎しみを持ってて、それが正当だと思ってた」
「いまは正当だと思ってないの?」
「ああ」
「なんで?」
「いや。まあ、いろいろあってな。大人たちと協力して、その強盗、とっちめたんだよ。
俺ももうそこそこ大きくなってたから、よく覚えてる。強盗は領主に引き渡され、しばり首になった」
「……そう。それで?」
「強盗には娘がいた。俺と同じくらいの歳だった」
「…………」
俺は、あのときのことを思い返しながら、言った。
「強盗がなんで強盗したかってのも、その娘を食わせるためだった。無教養な食いつめものだったそいつには、強盗くらいしか思いつける方法がなかったんだと。
そしてその娘は、俺を思いっきりなじってから、目の前で自殺した。最後に、これがおまえの選んだ結末だって言ってな」
「……それは」
リッサは言いよどんだ。
「つまりそういうことだよ。俺が正義と思っていた復讐の結果、罪もなにもない女の子が死んだんだ。
それが、善人の所行なわけがないだろう。俺は、結局、どこまで行っても悪党だ――大悪党か小悪党かはともかくとしてな」
「……納得いかない」
リッサは憮然として、言った。
「そうか?」
「いや。だって、それはライのせいじゃないでしょ。
わたしはしょせん、その話については第三者でしかないけど。でもライの行動に間違いを見つけることはできないよ。法律に則って適切な復讐をしただけ、としか思えない。一方で、娘さんの行動は復讐に対する応酬だと思うんだけど、でも手段が適切に見えない」
「まあ、そうだな」
「だから、その程度でライが自分を思い悩む理由はないと思う。そんなので悪党だって背負い込んでるんなら――」
「リッサ」
俺は、静かに言った。
「それは違うんだ。……それは、違うんだよ。俺の復讐は、妥当でも、なんでもなかったんだ」
「ライ……?」
「死ぬ直前、その子にそれを指摘されたんだ。俺は――なにもわかっちゃいなかった」
俺は、あのときのことを思い返して、ため息をついた。
「俺にとって両親なんて、どうでもよかったんだ、ってことをな」
「…………」
「だってそうだろう? 俺、両親の顔も覚えてないんだぜ。愛情なんて湧くはずがない――結局、俺にとって親なんて、書類上はいたことがわかっているだけの存在でしかない。
で、俺が捕まえた男は、その娘にとっては『大好きなパパ』だったんだよ」
つまり、これはそういう話。
親なんてどうでもいい俺の、形式だけは正しい復讐のために、大切な親だったひとが殺された。
『おまえは、わたしの大切な人を蹂躙したんだ――本当は復讐なんて、どうでもいいくせに!』
その言葉が、いまも耳に残っている。
「だから……やっぱ、俺は悪党なんだよ」
「納得いかない」
リッサはさっきより、ずいぶんきっぱりと言った。
「……リッサ?」
「屁理屈でしょそれは。そもそも、なんで押し込み強盗した側が被害者面してんのよ。
その理屈が許されるなら、赤ん坊がいない夫婦だったら強盗殺人しても罪には問われないことになるじゃない。ライの行動が復讐でないってんなら、それは単に殺人犯を捕まえただけ――お手柄であって、そこに負い目を感じる理由なんてないでしょ」
「リッサ」
「その女の子だってそうよ。自殺したのはあくまで、その当人の選択でしかない。なんでライが、そこから負い目を受けなきゃいけないのよ。そんなのただの当てつけで、それにライが責任を取る必要なんて、なにひとつない――わたしはそう断言できる。そんなことで、ライが悪党だなんて……」
「違うんだ、リッサ」
「なにが?」
「俺はその女の子に、憧れたんだよ」
俺が言うと、リッサはきょとんとした顔をした。
「憧れた? なにに?」
「だからさ。親を想って自分が死ぬほどの親との絆があったんだろ、その子は。
それに俺は、単純に憧れたんだ。ああ、俺にはできないなって思った。想像でしかないけど、たぶん親が健在だったとしても、俺にそんなことはできなかっただろう。
親を思っているふりをして、無様な復讐を果たしただけの俺とは大違いだ。俺は、それを、美しいと思った」
「でも……」
「リッサみたいな反応は、俺、実は知り合いに何度もされたよ。だけど、それはダメなんだ」
俺は静かに言った。
「だってそうだろう。俺が悪いんじゃないとすれば、あの子は、悪党の親に殉じて死んだただの馬鹿ってことになっちまう。それは、俺には、耐えられない――あの子は被害者であるべきなんだ。悪党である俺の、被害者でなければ、いけないんだ」
俺は言った。
「俺は悪党でなければならないんだ――彼女が、美しいものであるために」
「……納得いかない」
リッサは首を振って、言った。
俺は、ため息をついて、
「まあ、正直みんな、わかってくれないよ。でも俺は……そこだけは、絶対に譲れないんだ」
たとえどんなに、根が悪党っぽくないとか、向いてるように見えないとか、悪党ぶってるだけとかまわりから言われようとも。
俺は、悪党なんだ。
悪党でなければ、いけないんだ。
「さ、それよりそろそろ作業に戻ろうぜ。タイムリミット、そんなに遠くないぞ」
「……決めたわ、ライ」
「え?」
リッサは、静かに燃える目を俺に向けた。
「あんたが悪党だって言うなら――ボクは、それを更正させる義務がある!」
「え?」
「そりゃそうでしょう? 悪いことしてる不良少年を更生させるのは、昔から、神官の役割なんだから!」
リッサは強い目線で俺を正面からにらみつけて、言った。
「ライの理屈には正直納得いかないけど、そこはいいわ。いいことにする。
だけど悪いことをしたことと、悪党でい続けることは別問題――悪いと思ってるなら、同じくらいのいいことすれば、人はちゃんと更正できるのよ!」
「いや、だから――」
「なので、これからライはわたしの監督の下、清く正しく更正するの! その娘さんにちゃんと胸を張れるようにね――さしあたりは!」
リッサは弓を構え、びぃん! と強く弦を弾いた。
とたん、サリの胸のあたりが、白く光り出す。
「え、ええ、えええ!?」
「まずはそこの、苦しんでる女の子を救ってきなさい! お説教はその後で、たっぷり用意しといてあげる!」
「ちょ、え、そんなのありかー!?」
さっきまでの苦労はなんだったのか。一発で成功させやがった、こいつ。
「構える! 自分を見失わないように集中して、サリさんを注視! 細かい調整はボクがやる!」
「お、おう!」
俺は、ぐったりと寝ているサリに視線を向けて、集中する。
そのサリの姿が、ぐにゃりと歪んだ。
「行くよ! これがわたしの大秘儀、心貫の矢!」
リッサがその言葉を放った瞬間、急激に俺の視界が白く塗りつぶされていき、そして――




