八日目(1):悪党、相談する
「いや、すいませんがそれ、うちでは無理です」
「あ、やっぱり?」
さじを投げた医者みたいなことを言ったキスイに、俺は間抜けな返答を返した。
あれから半日ほどかけて、朝になったところである。帰ってきた俺たちはまずキスイの部屋に直行したのだが、彼女は困った顔で言った。
「というか、わたしが聞きたいくらいなんですけど。ライさま、神器たる剣もないのにどうやってその規模の神格を制御されてるんですか?」
「それがさっぱり」
「ですよね……」
キスイは苦笑した。
それから彼女はセンエイの方を向いて、
「ええと、わたしだと感覚しかわからないのですが、これ、神格で言うとどのくらいでしょう?」
「4級じゃないかな」
「もう完全に神の領域ですよね……」
「そうだねー」
「そうだねー、じゃありませんよ魔女。どうしてこんな風になってるのか説明してください。うちの集落にこんな爆弾持ち込まれても困りますよっ」
ジロロが吠えた。
「まあまあ、そう言うなよ。そちらだってライくんに借りがないわけじゃないんだ。なんとかこの神格を安定して制御する方法、心当たりがあれば、ぜひともご教示願いたいね」
「神器があれば、それで制御できるでしょうけど……」
キスイは困ったように言った。
「神器は失われていますし。それにさきほどの話だと、ライさまは神器を手放すと宣言したのですよね? だというのに神格が維持されているというのは、どう考えても変ですよ」
「だよなあ」
センエイもうなずいて、それから俺を見た。
「実際、私も疑ってるんだ。こいつ実は、人間に化けた神なんじゃねえの?」
「俺にそれを言われてもなー……本気で思ってるの?」
「数ある仮説のうちのひとつくらいにはな」
「マジかよ……」
「説得力のある仮説が少ないんだ。所有者契約はほとんど切れかかってるのに神格だけ増幅中となると、どう考えていいかわからない」
「それでも、せめて有力な仮説くらいは提示できませんかね、魔女」
「当たっている保証はないし、当たっていても対策なんてないが、それでも聞きたいのかね?」
「それでも聞きたいのですよ。意味があるかどうかは、こちらで検証します」
ジロロが言うと、センエイは苦笑した。
「……なにか?」
「いや、なに。こちらの話さ。気にしないでくれ。
よろしい。とはいえ、説明するならいっぺんに、だ。――例の神官たちにも協力を仰ぎたいのだが、いま彼らはなにをやっているんだ?」
「あー、それがですね……一応、お声がけはしてるんですけど。どうも、ライさまと一緒に来られた例の隊商の長、クランどのが行方不明だとかで。そちらの方に顔を出しておられるようなのです」
キスイが言って、俺とセンエイは顔を見合わせた。
「やっぱあのおっさん、スパイだったのかな?」
「だとしても、ここにいないならいまは妨害できまい。気にしても仕方ない。
キスイくん。彼らに、いったん仕事を切り上げてこちらに来てもらうことはできないかな? サリの方の件もあるし、こちらの方が緊急度が高いと思うのだがね」
センエイが、横のベッドに横たえられているサリを指して言う。
と、そこで、こんこん、と扉をたたく音がした。
「はい。どなたですか?」
「すみません。神官のポエニデッタとスタージンですけど」
「ああ、どうぞ。お入りください」
「噂をすれば、というやつだな」
「そういうときは神話とか運命律を持ち出すと、エセ神様っぽく雰囲気が出るんだぞ」
「雰囲気出してどうすんだよ」
「いや、こんなちびすけが頑張って雰囲気出そうとしてたら笑えるじゃん?」
「オーケーてめえ後で泣かす。
で、よう。久々だな、リッサ。スタージン」
「はっはっは、それはどうでしょう。まだ一日程度しか経っておりませんよ、前にお会いした時から」
「……そういや、そうだったな」
スタージンの言葉に、俺はうめいた。
いろんなことがありすぎて、どうにも時間感覚が狂っている。
リッサの方は、横たわっているサリをちらりと見てから、
「どうも、非常事態みたいだよね」
「そういうこと。来てくれて助かった」
「またサフィートさんだけ残してきちゃったけどね……まあ、彼ならうまく、隊商の混乱を抑えてくれるでしょ」
リッサはそう言って、一息。
センエイが、ぱん、と手をたたいた。
「よし、じゃあ話し始めだ。ライくんの現状についての、おそらく最有力の仮説を説明しよう」
「聖地トマニオは知っているかね、ライくん?」
センエイの話は、そんな言葉から始まった。
「なんで俺に聞くの? まあ、名前しか聞いたことねえよ。そもそも、聖地って言われてファトキアとトマニオ、どっちが由緒正しいかもよくわからねえし」
「それはトマニオでしょ」
リッサが言った。
センエイは、軽くほおを掻くと、
「まあ、この部屋の中だと突っ込むのは私だけだろうから、あえて言うがね。ライくんの故郷に限定すれば、ファトキアの方が影響力がでかいよ」
「え、本当に!?」
「そんなことあるんですか?」
リッサとキスイが、口々に言った。
センエイはうなずいて、
「この地方限定なんだ、ファトキアの権威ってのは。その代わりこの地方でだけはものすごく高い。だがまあ、リッサくんはこの地方出身ではなさそうだし、岩巨人の集落も――」
「本来、もっと北に由来してますからね」
ジロロが言って、センエイは首肯した。
「そういうことだ。この地方以外のほとんどの場所にとって、聖地といえばトマニオなんだよ」
「へえ」
「んでまあ、その名声の源泉となるのが、トマニオにあると言われる『大聖典』だ」
センエイは言った。
「この『大聖典』は、名前こそ本のようだが、その実態は、異世界とつながる門になっている」
「異世界?」
「そう。その名も聖典世界。たしかここの集落の奥に壁画があったんじゃなかったかね」
「あ……」
言われて、俺は思い出した。
この集落に最初に来た日。キスイに導かれて行った場所で見た、『果てへの旅』の壁画。
「大聖典はその聖典世界の正門。正典第一領域『無限図書館』へとつながる門だ。
そしてこの図書館に収められている書物こそが、『神話』と我々が呼んでいるものの、正典になる」
センエイはそこまで話して、一息。
「……で、その『神話』に記載されていることには、自動的に『神話』の加護がつく。それによって神格を得る現象も、記録されている。
つまるところ、私が最初に考えた仮説はこうだ。なんらかのアクシデントで、この「ライナー・クラックフィールド」という人間は『神話』に刻まれたのではないか、ということだ」
「え、で、でも、それ……」
リッサが困惑したように言った。
「それって、つまりライ、神になったってことですか?」
「そういうことになるね」
「そんなことがあり得るんですか? この二千年の間、神や大巨人への転化なんて、ほとんど記録にないはずですけど」
「そう。問題はそこだ。
名前が『神話』に記載された、それだけでは普通、人間は神にはならない。実際、神殿で修行を繰り返した者たちの中にも、その功を『神話』に記載されて、8級か9級くらいの神格を得る者はいる。だがそれは『聖者』――神どころか、亜神より格下だ。『神話』に載れば自動で4級の神格が得られますなんて馬鹿みたいな話、あるわけがない」
センエイは言った。
「だから次の仮説としてこう考えた――ライくんは、『神話』に『バルメイス神』と誤認されているのではないか、とな」
「誤認?」
「ああ。バルメイス神の剣を持っているからな。
あの剣には、バルメイス神にしか抜けなくなる呪いがかかっていた。にもかかわらず『なぜか』ライくんが抜いたことで、『神話』はライくんをバルメイス神と誤認した。結果、バルメイス神としての加護が神話側から供給されてきて、いまに至るというわけだ」
「その仮説は最初の仮説よりは、説得力がありますが……」
ジロロは首をかしげた。
「だとすれば、彼は未だに『バルメイス神』と誤認されていることになります。しかし、『バルメイス神』の人格は、剣を手放すことで離れていった。そんなこと、あり得ますか?」
「そう。あり得ない。だからこの仮説も失格だ」
センエイは言った。
「だが、そこで思い出したんだよな、私は」
「なにをですか?」
「ライくんのあの恥ずかしい必殺技」
「恥ずかしいって言うなよ!」
「いやだって、『食らえこのライナー・クラックフィールドの必殺奥義!』とか毎回言うんだぜ。もう見てらんないっていうか」
「うるせえ自覚はあるんだよしょうがねえだろあれやらないと発動しねえんだから!」
思わず早口でどなる。
「そう。あれをやらないと発動しない、それが問題だ」
ころっと態度を変えて、真剣な顔でセンエイが言った。
「で、あれってなんだ? ライくん」
「え? そりゃあ……ええと、名乗ることだけど」
「そう。あの技、たぶん元はバルメイスの神威の一種だろうが、真名を名乗らないと発動しないという制約がある。
そして真名ってのはね、魔術的には『その人間が、その名前が自分だと思っている名前』なんだよ。だからライくんがバルメイスって名乗っても発動しない。自分の名前でないとダメだ」
「あ……!」
キスイが、なにかに気づいたような顔をした。
「そうか。ライさま、自分で名乗っちゃったから――」
「その時点でライくんは、バルメイスではないと証明されてしまった。
ところが、ここで二律背反が起こるんだ」
センエイは言った。
「整理すると、ライくんが自分の真名だと思っている『ライナー・クラックフィールド』を唱えたことで、バルメイス神の神威が発動した。これをとりあえず、事実Aと名前を付けよう。
もしライくんがバルメイスであれば、『ライナー・クラックフィールド』が真名のはずがないので、事実Aによるとライくんはバルメイスではない。しかし、ライくんがバルメイスでないとすれば、バルメイスの神威を使えるはずがないから――」
「その神威は発動しないので、事実Aは起こりえない。
でも事実Aが起こらなかったとすると、今度はライさまがバルメイス神でない証拠が消えるので、神威は発動しなければならなくなり――事実Aが発生するわけですか」
「そう。これは論理的な堂々めぐりだ。神話システムはこの時点で、深刻かつ解決不能なエラーを抱えた」
センエイの言葉に、キスイは考え込んだ。
「……だとすると、なおさら現状のライさまの状態がわかりませんね」
「そうなんだよ。いまライくんが神話側にどう認識されているのか、極めて曖昧だ。
実を言うと、サリよりライくんの方が深刻な世界の危機かもしれんのだよ。神話システム自体が崩壊しかねない自己矛盾、それを体現してしまっている」
しん……と、あたりを沈黙が包んだ。
ごほん、とスタージンが咳をして、
「まあ、そのへんにしましょう。
どのみち、いまはクラックフィールド氏の問題は解決不能です。さしあたり、もう一つの問題から手を付けるのが妥当だと思いますが」
「そうだな」
センエイはうなずいた。
「で、バグルルからあんたは聖騎士だと聞いたが」
「残念ながらいまは、資格を持っているだけですよ。聖騎士団とは折り合いが悪く、役職を外されてしまいましてね」
「だがそれでも聖騎士資格持ちだ。だから聞こう。
いまのサリの状態、どうにかできる方法に心当たりは?」
「ほぼ、ありません」
スタージンは静かに答えた。
「たとえば回帰の秘儀で時間遡行する、という案もありますが、あれで遡行できるのはせいぜいが三十分。このサリという魔女が正しい状況であった時刻に戻るには、時間が経過しすぎております」
「他の方法は? ああ、私の方から情報開示するとな、黒騎士団関係の情報はそこそこ知っている」
「……それをここで開示しろと言うのですか。下手をすれば手前の首が飛ぶのですがね」
「おまえがいま言わないなら、そこかしこで言いふらすが?」
「まあ、そう脅されては仕方がありません。話しましょう」
スタージンはそう言って、にかっと笑った。
「先ほど『聖者』というワードが出てきましたが――これは、修道者が厳しい修行の果てに神格を得るという類のものです。ポエニデッタ神官の出身である東方では、『仙人』と呼ばれているようですな」
「あ、仙人のことだったんですか。聖者って」
「ええ。しかしそう成るためには、類い希なる素養と、厳しい修行が必要でして。
それを嫌った一部の堕落した修道者の中には、てっとりばやく『聖者』となれるための裏道を探す者が後を絶ちません。そして、先ほど魔女殿が述べた『黒騎士団』に代表される邪道な聖職者たちが行き着いたのが――自分の身体に、魔物を取り付かせる魔技です」
「……それは、極めて危険なのではないですか?」
「当然でございます、ラ・ジロロ。
実際、それによって修道院がひとつ壊滅した事例がございます。下手をすると、神格を手に入れた身体を魔物が操れるようになるのですから、それだけで新しい『魔王』が誕生します。
まあ、道外れた彼らとはいえ、たいていの場合は、複数の安全弁を用意した上で行っているようですが――それでも、一日以上は行われた記録がありません。たいていの場合、それ以上やると修道者の人格が崩壊して大惨事になりますので」
「……それを、サリは七年やったわけだ」
センエイはうめいた。
「正直、いままで保っていたこと自体が、すでに奇跡のようなものだが――その結果、蓄積された神格は『聖者』どころか『亜神』の上位にまで達し、それが取り返しのつかない暴走をしようとしている。
さっき言った安全弁は? いまからでも可能なことはないか?」
「残念ながら。ほとんどの場合、憑依される側の人間の心の中にあらかじめトラップを仕掛けておく形で作られるものです。いまさらでは無理でしょう。
もうひとつの安全弁もないわけではないですが――」
「ああ。安全に殺す技だろう?」
「ええ。魔王の暴走を抑えながら、依り代自体を殺す技です。
が、それもこのクラスとなると通用するかどうか。それに、それを使うとなるとサリ・ペスティ殿の命は救えません」
「……ふ」
センエイは軽く笑った。
「なにか?」
「いや。おまえはサリの命を軽視しないんだな、と思ってな。なんだかんだ言って、結局おまえもリッサくんの同類か」
「ははは、まさかまさか。手前はサフィート神官補が怖いので、とてもではありませんが積極的に魔物と戦うなど、できませんよ」
「…………」
ふと。
俺は、さっきから黙ったままのリッサが、気になった。
「どうしたリッサ? 便秘か?」
ごしゃあっ!
「いま本気で考えてるんだから黙ってて、ライ」
「な、ナイスパンチ……ごふっ」
からかったときのリアクション、マジで容赦ないよねこいつ。知ってたけど。
リッサは真剣な顔で、センエイの方を見た。
「センエイさん」
「なんだい、リッサくん」
「ひとつだけ、解決できるかもしれない方法に心当たりがあります」
「……ほう」
センエイの目が、細くなった。
「最初に聞いておこう。危険性は?」
「いざとなると、ライが死にます」
「え、俺?」
「そーよ。そもそもサリさんがこうなったのはキミを助けるため。だったら次は、キミが腹くくる番でしょ」
「それはまあ、異存はないけど……」
正直、さっきまでだってサリとは、命がけの戦いをしてきたばかりである。
だからそのくらいのリスク、当たり前だとしか思っていなかったのだが、
「それだけではないでしょう。ポエニデッタ神官」
言ったのは、スタージンだった。
「いざとなると、あなたも死にます。いくら手前が聖騎士で、全力で守ると言っても、あの規模の魔王相手では限度がある。
手前もパリーメイジ神官補ほど堅苦しく言うつもりはありません。しかし、命を賭ける以上、相応の理由を示してもらわないと納得がいきません。なぜ――あなたは、かの魔女を救おうとなさるのですか?」
「それは……」
リッサは少しだけ、考えて。
「腕試し、というのでは納得いただけませんか?」
「…………。
仕方ありませんな」
スタージンは、にかっと笑って一歩下がった。
「なあ、そろそろ教えてくれよ。いったいどんな方法でサリを助けて、どういうリスクがあるっていうんだ?」
「うん。それはね」
リッサは言った。
「ボクの秘儀でライがサリさんの心の中に侵入して魔物を倒すの。そうすれば全部解決するよ」
【余談】
前話で、センエイが「ライの状態について予測は言えるが、意味がない」と言いましたが。
今回では、ジロロに「意味があるかどうかはこちらが決める」と言われて、苦笑しています。
これは魔人たちとジロロの、センエイに対する信頼の差が起こしたことなのですが、センエイはあんまり他人に信頼されるのが好きではないので、結果としてジロロに好感を持った……というのが、あの下りでの彼女の苦笑の理由でした。
……はい。言わなきゃわかるわけないですね。そういうこともあります。
【12/6 0:09追記】一箇所日本語がおかしかったのを修正しました。
【2018年6月22日追記】固有名詞のミスに気づき修正しました。




