二日目(11):悪党と関係のない会話
なんとなく目が覚めた。
「んんー……サリ、かわいい……むにゃむにゃ」
「……センエイ、重い」
「にゅ?」
いつのまにか上に覆いかぶさっていたセンエイが、目をこすりながら起きる。
「あれ、サリ?」
寝ぼけている彼女を押しのけて立ち上がり、横に置いてあったマントをすばやくまとう。
「眠れないから、散歩に行ってくる」
「ついていっちゃ、ダメ?」
「だめ」
きっぱり答えて、わたしはさっさと歩きだした。
うしろでなにかわめき声みたいなのが聞こえるが、無視。
足は自然と、昼間にライと会った丘のほうに向かっていた。
(もっとも、それ以外に行ける場所もないけど)
あまり遠出するのは散歩の趣旨に合わないし、危険だ。
歩きながら空を見上げる。そこには満天の星明かりが、大地を照らしていた。
星の天蓋。
世界と世界でないものを隔てる壁だ。
(気分、悪い)
目をそらす。
……正直。星は苦手だ。否応なしにべつの光景を思い出す。
それは最果ての破壊。幾多の生命が消え去っていく、その最後の数瞬。
それを――綺麗だ、と思ってしまった自分が、どうしても不愉快で。
(思えばあの時から、わたしは止まったまま――)
不愉快で不愉快で、最後を否定することしかできず。
だから、――見かけた『最後』を、けして実現させないことで自分を保つ。
それは、たとえば昨日みたいに。
(ライ――ライナー・クラックフィールド)
奇妙な少年だった。
自分が介入しなければ間違いなく絶命していたであろう彼は、ちょっとした介入によって予想外の運を引き寄せ、変な運命に巻き込まれてしまった。
それは自業自得で、けしてこちらのせいではないのだけれど。
(少し不安。彼は、このあとどうする気なのだろう)
などと思ってしまうから、ついつい介入を続けてしまうのだった。
考えてみれば、あの少年もだいぶ変な人間だ。
なによりまず、自分を怖がらない。
大抵の人間は、自分のまとう雰囲気や眼帯などを怖がって近寄ろうともしないのだが、彼は度を超して馴れ馴れしいので、かえってこちらがとまどってしまう。
無神経、というふうにも見えないのだが……
(どうなのかしらね。あるいは、極限まで怖がらせてみたら態度も変わるのだろうけど)
それはそれで、なんだかもったいない気もする。
軽く頭を振る。
ちょっと注意を散らせすぎだ。どうもここ一日、調子が狂いっぱなしの気がする。
ため息をついて、すぐそこの木に寄りかかり、深呼吸をした。
どくん、どくん、と、心臓が脈動する。
――おかしい。
さっきから、情動をうまく制御できていない。
(!?)
まずい。
これは、発作の予兆だ。
全身を怖気が走る。
たとえるなら、足が攣る直前に感じるいやな予感を、数十倍に引き延ばしたような感覚。
とっさに心のなかを探る。なにかおかしなことはないか。相手に呑まれた部分はどこなのか。
それを意識した瞬間、最初の波が来た。
「あ……っ」
かくん、と膝が折れる。
存在しているという、基本的な感覚すらない。まるで、身体が他人のものになってしまったみたいな感触。
腕を地面について、四つんばいになる。
「あ、ぐっ」
(だめ、このままじゃ打ち負ける)
《敵》の攻撃を見定めようと、意識を心のなかに集中する。
そこに、ふたつめの波が来た。
「が――」
吐いた。
致命的な瘴気に内臓を掻き乱され、考える間すらなく吐瀉物を撒き散らす。
抵抗することすらできない、圧倒的な嫌悪感。
三度目の波。
「か、ふ」
全身が痙攣する。
地面がどこだかわからない。まるでさかさまに空へ落ちていっているような――錯覚。
耐えようとして、耐えられない。あお向けに横の地面に倒れ込んだ。
――思考が、まとまらない。
肉体的な発作に気を取られて、まともに考えることができない。
四度目。
「ああああああああああああ!」
左手。
左手だけに意識を集中する。
左の腰に刺さった短剣――その、魔を灼く聖光があれば、なんとかなるはずだった。
精神力を振り絞って、なんとか短剣の柄をにぎりしめる。
とたん、はじけるような痛みが全身を走った。
「が、ぐううっ」
痛い。
身体中の神経が剥き出しになって、火で炙られているみたいだ。
考える余裕も、時間もない。
だから――わたしは、かろうじて動いた左手で短剣を抜き、その刀身をにぎりつぶした。
じゅっ……という小さな音と、焼けるような痛み。
「ひ――ぎ、ぃーい」
ただでさえ痛覚過多になっているところに、そんなことをしたのだ。痛みは想像を絶していた。
重度の虫歯をハンマーで何度もがつんがつんとやられるような――たとえるなら、そんな感じ。
だけど、けして離さない。
心の奥で、二重の絶叫が響いて回る。
「ま、けな、い」
――ヤメロ。
声が聞こえる。
同時に、左手の支配権を奪い取られる。
刃をにぎる力がすっ、と抜け、短剣が地面にすべり落ちた。
その剣の発する光が、ぼうっ……と夜闇にかすれて見える。
「まけ、な、いか、ら」
――ヤメロ。
聞こえてくる声を無視。
残った理性を全力でかき集めて、わたしは短剣の上に倒れ込むような形で腕をたたきつけた。
ふたたび、じゅっ……という、音。
――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
今度こそ、『敵』は致命的な絶叫を上げた。
そして――不意に、身体の違和感が消える。
「はっ、はあっ、はあっ……」
息が荒い。
あお向けに転がったままゆっくりと瞑想し、呼吸を落ち着けていく。
落ち着くにつれて、だんだん負傷した箇所の痛みが無視できなくなっていった。
まずは、未だにじゅうじゅうと左腕を焼き続けている短剣をひっぺがす。
(どこが、傷ついたの……?)
痛んでいる箇所を順々に確認していく。
左腕の火傷は凄まじかったが、これは問題ない。放っておけばそのうち再生する。
もうひとつ。抜き身の刃をにぎりしめた左手は、指がいくつかちぎれ飛び、その断面は醜く焼けただれている。
こっちは、指がないと再生が遅れる。
わたしは地面に落ちている指を右手で拾い集めて、強引に切断面にねじ込んだ。
激痛が走った。
「――っ」
我慢して、さらにぐりぐりとねじ込んでいく。
やがていびつな形ではあったが、なんとか指がもとの場所にくっついた。
(あとは、再生するまで待てばいい)
ふと顔に手をやると、涙とよだれでべとべとだった。
それを乱暴に袖でぬぐう。
(これだけひどい発作は、ずいぶん久しぶり――)
三半規管、痛覚、腕の支配権を奪われるほど追い詰められたのは、たぶん8年ぶりくらいだろう。
「はぁっ……」
上半身を起こして、吐息。
そこでようやく、わたしはその気配に気がついた。
「誰?」
「あ、そのぅ……」
気まずそうに木の間から出てきたのは、知った顔だった。
つい最近知り合った、旅の神官。なまえはなんて言ったっけ。たしかリクサン――だめだ、うまく思い出せない。
「えっと……大丈夫? なんか、すごく苦しそうにしていたけど――わ!」
ぎょっとしたように叫んで、彼女はこちらに駆け寄ってきた。
「なにそれ!? どうしたの!? ひどい傷じゃない!」
「なんでもない」
「な、なんでもないって、でも、」
「放っておけばすぐ直る。なんでもない」
「と、ともかく手当てくらいしないと――」
「なんでもない」
「…………」
「なんでもない」
がしっ。
「あう」
「なんでもなくないのっ! ほら、思いっきりやけどしてるじゃない!」
「なんでもないのに……」
「ちょっと待ってなさい! いま、ちゃんと治してあげるから!」
言って彼女はわたしの左腕に手を添え、詠唱を開始した。
「理気を司る神ザイタイ・マークフェンケルの御力にて、宣言する、我は天に応ずる者――」
「ま、」
「疑うは時の爪痕、隠したるは聖陰、行いは荒ぶる龍となりて日輪を食らう――」
「え?」
絶句。
(これは、治癒じゃない。はるかに上級の――)
「力は光のごとく、炎が再生するように、生命は再帰する――来い、回帰!」
ふわっ……と、やわらかな風が吹き、同時に左腕から、あらゆる違和感が消滅していた。
まるで、発作などなかったかのように。
(時間遡行によって、傷を『なかったことにする』術儀――)
「ふう。
これで大丈夫かな。短時間に何度もかけられない術だから、今度からは気をつけてね?」
彼女はそう言って額の汗をぬぐった。
わたしは……そのとき、本気で混乱していた。
わけがわからない。
「なんで?」
「ふぇ? どーかした?」
「なぜ、ここまで高度な大秘儀を使ったの?」
たずねる。
相手は首をちょっとかしげて、
「普通の秘儀でもよかったの?」
「よくは、ない――けど」
どうして、あなたは。
「あなたは、なぜ、」
「だってその剣、神光を放ってるでしょ? それを使ってやけどしたんなら、直接神力を使うタイプの治癒術とかはまずいんじゃないかな、って思ったんだけど。
見当ちがいだった?」
剣。
わたしは、未だ鞘に収めていなかった短剣を見た。
柄の部分には輝くルーンで『月の光も届かぬ場所で戦いつづける君が、どうか癒されますように』と書かれている。
霊剣、『新月』。
敵にとっても、そしてわたしにとっても致命的な剣だ。
(要するに、あれを見られた時点で正体は露見していたということか)
吐息。
「正解」
「あ、そう?」
「わたしは、魔物とほぼおなじだから。ただの治癒術じゃ逆効果」
「あ、それじゃ、ひょっとして最初に傷を隠そうとしていたのは、まちがって治癒術をかけられる危険性があったから?」
「それは――」
ちがう。
言おうとして、思いとどまる。
かわりに、わたしはぜんぜん関係ないことを言った。
「最近の神官は、魔物の傷も治すの?」
「へ?」
きょとん、と、相手はこちらを見返してきた。
「なにそれ?」
「もういちど言うけど、わたしは魔物とほぼおなじなのよ」
「ああ、それは、その……」
相手は、困ったようにぽりぽりと頬を掻いて、
「できれば、このことはみんなに秘密にしておいてくれる?」
「どうして?」
「そのぅ、なんか、このあたりの地方だと、あんまり魔物っぽいものと神官は関わっちゃいけないみたいで。
だから、バレたら怒られるかも、って」
「バレなければ、いいの?」
「いや、そのぅ――」
困ったように、笑って、
「はは、めんぼくない。神官失格だよね、これじゃ」
「でも、わたしは助かった」
相手は、きょとんとした顔でこっちを見ると、
「キミは、ライとおなじようなことを言うんだね。なんか、ふしぎ」
「そう」
ずきん、と、心が痛んだ。
(今は――出てくるな!)
心のなかで、ふたたび湧きあがろうとしたものを押さえ込む。
早めに意識した甲斐があったのか、それはひとつの意思になる前に拡散して霧消した。
彼女は、わたしの表情の変化を見てちょっとあわてたようだった。
「ね、ねえ、ホントに大丈夫? ほかに、痛むところとか――」
「大丈夫」
「……ホントに?」
「魔物とおなじように、わたしの身体は微弱な再生能力を持っている。
だから、数日で怪我なんか跡形もなくなる。気にすることはない」
「そ、そーゆー問題なの?」
本当に問題なのは、身体の傷なんかじゃない。
が、わたしはそれを言うことはせず、べつのことを言った。
「……実際、それほど痛むところがあるわけじゃないから、たぶん大丈夫だと思うけど」
相手はそれを聞いてようやく安心してくれたようだった。
「それなら、いいんだけど――」
彼女がそう言った、その瞬間。
「あ」
視界が、真っ赤に染まった。
目が燃えているように熱い。
理解する。
これは、果ての光景。
わたしだけが認識する、変えなければならない未来のビジョン。
それを認識しようと、わたしは光景の奥に意識を固定した。
「…………!」
「……ねえ、ちょっと、ちょっとってば!」
肩をゆすられていることに気が付いて、わたしは目を開けた。
どうやら、唐突に倒れこんでしまったらしい。
一挙動で地面から跳ね起きる。
「わあ!?」
「どのくらい経った?」
「え、は、ええ?」
「わたしが倒れてから、どのくらい時間が経った?」
「え、ええと、そんなに経ってないけれど……」
しどろもどろになりながら、彼女は答える。
よかった。
手遅れ、ということには、どうやらなっていないようだった。
「ね、ねえ。もう一度聞くけど、大丈夫なの?」
「大丈夫。それより、もっと差し迫った危機に対処しないと」
「へ?」
わたしは神官のほうに向き直った。
「手伝ってほしい」
「な、なにを?」
言われて、一瞬だけ口ごもる。
けれど、あのビジョンがわたしの予測どおりのものなら、一刻も無駄にはできない。
だからわたしは、できるかぎり簡潔に要点を述べた。
「竜退治」
秘儀紹介:
『回帰』(テンポラリ・リインカーネーション)
使用術者:リクサンデラ・メザロバーシーズ=キルキル・ポエニデッタ
種類:大秘儀 難易度:B+
極めて特殊な治療の秘儀。その本質は実は治療ではなく『時の巻き戻し』であり、『短距離時間遡行』という分類をされることがある。
対象の時間を部分的に逆行させて、傷を「なかったことにする」ことで治癒させる。場合にもよるが、条件さえよければ対象を生き返らせることすら可能。
ただし、時間が経ちすぎると効かないし、他の治癒術と比べて治癒能力が劇的に高いというわけでもないので、普通、そもそもこの秘儀は使われない。なんらかの理由で通常の治癒ができないときにその真価を発揮する。
習得難易度と比して効果が割に合わないので、習得者はまれにしかいない。珍しい大秘儀。




