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いつだって、別れは突然に。



 ―貴方と出会えて、本当に良かった―



 私が死んで転生することになったこの世界には、頭のおかしい人達が沢山いる。


 その原因は考えるまでもなく、男女の比率が1:3(いや、今は1:4か……)であるということ。その不均衡によって生み出された性欲まみれのモンスター共のせいで、この世界にいる男性の草食化は急速に進み、肉食系男子なんて存在はもはや空想上の概念と成り果ててしまっている。


 前世日本とは違う。襲われないように、静かに生きていけるようにと――そんな思考の下で家に閉じ籠る男性達と、僅かな学生期間でしか彼らと触れ合うことが出来ない哀れな女性達。


 求められるのは求め過ぎない清廉な淑女であり、たとえ顔の容姿が際立って優れていたとしても、それは確実に結婚できるという現実とイコールで結ばれない。


 どれだけ頑張っても、血反吐を吐くような努力を重ねたとしても、報われるのは、初めから持って生まれた者達の中の、さらに上澄み。


 こんな世界で女性として生まれてしまっては、だから、多少頭のネジが外れてしまうのも、無理のないことなのかもしれない。


 私のように、全力で全てを捧げられるような趣味にでも出会えていたら、また違った人生を歩むこともできたのかもしれないのだけれど……



「元々、神隠しということで貴方をこの世界からこちらへ連れてくる事になっていましたが……流石に急過ぎましたね。あの子達の気持ちを、蔑ろにしてしまいました」



 衆目憚らず涙を流す女の子に、全力で抱き着かれたことがある。


 まだ小学校に通う前。たった1度話した事があるだけの、小さなアパートの一室に暮らす、貧乏な家庭の女の子。


 小山から見下ろす私を見つけて、小さな足で、懸命に駆け寄ってきたあの時の姿を覚えている。迷惑だと顔に出す私の事情など関係ないと、言葉足らずな懇願で、カルガモの雛のように後ろを付いて来た理解不能な存在。


 2度と会うことはないだろうと思っていたのに、あの時、再会して……


 別に、奇跡でも何でもない。ただそれだけの出会いに、あそこまで感情を剥き出しにして泣いていた彼女は果たして……私との出会いを、たったそれだけの繋がりを、どれほど大切に思っていたのだろうか。


 過去に戻れるのなら、聞いてみたかった。


 あれだけ悲痛な泣き声を上げてしまう程、君は、追い詰められていたのだろうか。


 それほどに君は、壊れてしまっていたのだろうかと。



「ただ、依然として時間がないのも事実です。本来であれば、既に貴方の魂を向こうへ送る手はずとなっていた所。私の気持ちとしては、平等にお別れの機会を設けてあげたいところなのですが……」



 木漏れ日が差し込み、幻想的な森の中。ひょっとこのお面を被った女の子に出会ったことがある。


 行きつけの古書店カフェへと向かう道中、大木の影に身を隠していた彼女はあの時――死のうとしていた。


 生きることがつらいと、そう言っていた。


 容姿に優れない私では、この世界に生きる男の子と話をすることすらできないのだと。思春期特有の過度な被害妄想と、そう一蹴してしまうこともできたのだけれど、あの時彼女は確かに追い詰められていて……


 お面を外し、その素顔を初めて見せてもらった時……安心した。


 あぁ、なんだ。全然綺麗じゃないかって。


 自殺を選択するほど悲観的になる容姿でなくて、だから、私も普通と返して。


 そうしたら、心からの笑顔でもって、私にありがとうと伝えてくれて――



「貴方の言葉を必要としている子達の下へ送ります。全員は無理だとしても、可能な限り、絶対に」

 


 初めての席替え。


 隣の席になって以降、子犬のように懐かれてしまった小柄な女の子の事を思い出す。


 心療内科の談話室。


 幼い頃に本を読み聞かせてあげたことがある、高飛車な性格の女の子の事も。



「それでも、恨まれてしまうのでしょうが……軽率な提案をしてしまったあの時の私の贖罪として受け止めます」



 児童養護施設を1人で切り盛りする、実は泣き虫な所がある先生。


 その施設にいた、微塵も穏やかでない性格の女の子達。


 美味しいカフェオレを淹れてくれる信頼できる性格のマスターに、古書店カフェで出会った、様々な個性の常連さん。


 寡黙な祖母。貧困にあえぐ姉妹。いきなり結婚を申し込んできた同級生。数々の奇行を繰り返すクラスメイト。笑い方が気持ち悪い読書好きの先輩。天然を体現しているような女性。覇気が凄い署長さん――


 思い返せば、たった10年かそこらの人生で、よくもまあこれだけ濃い人達と巡り合ってきたものだと、我ながら感心してしまう。


 それもこれも、私が男だからという――ただそれだけの理由で。



「………」



 向き合ってあげてと、弟に言われた。


 お互いに、無口な性格同士。こういう時に気の利いた言葉をかけられない私の事など、誰よりも分かっているはずなのに。


 

「……私は」



 実は、好きでした……とか。


 貴方の事を愛しています……とか。


 本心でも思っていないことを、感情を込めて伝えることは出来ない。


 私は、そこまで器用じゃないから。


 それに、たとえそれが最後の会話になるのだとしても――いや、だからこそ、すぐにバレる様な嘘はつきたくない。それは一番駄目な事だと思う。


 

「いつも1人でいるあの子達に、少しでも幸せになって欲しかった」


 

 まあ……それでも、約束はしたから。


 

「取り敢えず、頑張ってみる」


 俯く老女に、そう伝える。


「……」


 自分にできる、精一杯。


 目の前で悲しい表情を浮かべる自称神様が、少しでも晴れた顔で最後を見届けられるように。


「だから、後は任せて」


 そう、言い終わるや否や――身体が淡い光に包まれて。


「……ありがとう」


 視界が真っ白な光に包まれる瞬前。


 少しだけ安心したような表情で笑うおばあさんが見えた気がした。


 

 

 


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 




 うっすらと目を開ける。


 視界に映ったのは、とても見慣れた光景だった。


「……」


 壁一面に並ぶ本棚に、それでも収納しきれず床に積み重なっている書籍の数々。裏庭へと通じる大きめの窓ガラスにはカーテンがかけられ、そこから入る僅かな太陽の光がぼんやりと部屋の中を照らしている。


 足元にはネットで注文していた小説がぎっしりと詰まった段ボール箱が置かれており、先程までこの世界にいなかったことがまるで夢だったかのように、ただただいつも通りの日常が広がっていて。


 (……いや、夢ではないか)


 視線の先、部屋の中央に置かれている少し年季の入った机と椅子。


 私の特等席であるその場所には、見慣れた後姿をこちらに向ける先約が座っていた。


「――――」


 目の前の机に顔を突っ伏し、今朝、最後に見た時と変わらない服を着て、出かける前には整えられていたはずの髪の毛は、今や見る影もなくぼさぼさになってしまっている。


 身体はまるで石像なのかと思う程にピクリとも動かず、けれどこちらにギリギリ聞こえないほどのか細い声で、何かを呟き続けていた。


「……」


 よく見れば彼女の周りはどんよりとした空気に覆われ……まだ私の存在にすら気が付いていないようなので、折角だからと慎重に近づいてみることにする。


「――、――――み」


 慎重に、ゆっくりと、足を進める。


「……」


 こんな悪戯、平常時であれば絶対にすることはないのだけれど……

 思い返せば、母とのスキンシップなど彼女の情緒が乱れた時に抱きしめてあげるくらいで、日常的な会話も淡白なものだった。


 前世日本での後悔から、今世ではちゃんと親孝行をしようと決意しておきながら……全く、なんとも情けない話ではあるのだけれど。


「――み、――――ぞみ」


「……」


 彼女が呟いている言葉を正確に聞き取れるほどの距離まで近づいてもなお、こちらの存在に気付く様子がない。それほどに塞ぎ込ませてしまっているという事実を申し訳なく思いつつ、けれど、最後だからこそ、やっぱりこの人には笑っていてほしいと――心の底からそう思う。


 この、男女比が歪な、おかしな世界で。

 

 可愛げのない私に対して過保護に過ぎる程の愛情を注いでくれた、彼女にこそは。



「お母さん」


 

 もうほとんど背中にくっついてしまいそうなほどの至近距離で、ハッキリと聞こえるような声量で、その言葉を口にする。


「――――ッ!?!」


 ――反応は、劇的だった。


 私の言葉に反応した母親は、背骨が折れてしまうんじゃないかと心配になる程の勢いで上体を起こし、呆然とした表情で辺りを見回して、やがてゆっくりとした動きで背後にいる私の事を見つけて……


「――――ッ!!!」


「――ゎぷ」


 精一杯、力加減はしてくれているのだろう。


 けれども、こちらが思わず呻き声を上げてしまう程の力で抱きしめてきて――


「苦しぃ……」


 私がそう伝えてもなお、その力は弱まることはなくて。


 あぁ、やっぱり。物凄く心配させてしまったんだなぁ。


「……」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……のぞみ」


 母の腕に抱かれている状態のまま、やがて静かな声で名前を呼ばれる。


「お母さんのほっぺた、思いっきり抓って」


「……」


 錯乱……しているわけではないのだろう。

 

 要望通り、滅茶苦茶思いっきりほっぺを抓る。


「……あぁ、全然痛くない」


 やかましいわ。


「でも、良かったぁ……」


「……」


「帰ってきてくれたんだね、のぞみ」


「……」


 腕の力が更に強くなる。


「お母さん、のぞみに何か嫌われるようなことをしたんじゃないかって……このまま、もう一生会えないんじゃないかって、心配で……」


「……」


「頭が真っ白になって、身体が震えて……お母さんなのに、たくさん泣いちゃった」


「……」


「私、学生時代に男の子と話した経験ないから……のぞみが何を考えてるのか、時々分からないこともあるけど……でも、お願い」


「……」


「どこにもいかないで」


「……」


「ずっとずっと、一緒にいて……じゃないとお母さん、生きていけないよ」


「……」


 嗚咽を漏らし、首元に顔を埋め――その様子は、まるで幼い子供のようでいて。


「……お母さん」


 あぁ、心が苦しい――それでも、ちゃんと伝えないと。


「……」


「……」


「お母さん」


「……ぃや゛」


「あのね――」


「……聞きだぐなぃ」


 駄々をこねるように首を震わせ、どこにもいかないようにと、さらに強く、抱きしめて。


「たくさん、本を買ってくれてありがとう」


「や゛めて……」


「こんなに大きな書斎もつくってくれて……本当に嬉しかった」


「……おね゛がい゛、のぞみ゛」


「たまにお風呂を覗こうとする癖は、流石に直した方がいいと思うけど」


「わ゛たじは……」


「それでもやっぱり、凄い人だと思う……少しだけ、尊敬もしてる」


「……ま゛だ」


「料理が美味しいところとか、寝顔が面白いところとか、優しいところとか……他にも、たくさん」


「………まだ、あな゛だと」


 視界が白く染まっていく。もう、時間がない。


「最後まで、一緒にいてあげられなくてごめんなさい」


 薄れゆく意識の中で、伝えたい言葉が溢れては消え、消えては溢れて――


「親孝行とか、全然できなくて……」


 上手く、言葉が纏まらない。


「お母さん」


 それでも、最後に伝えるべき言葉は、きっと――


 これからの人生、少しでも胸を張って生きていけるように。


 親不孝な息子からの、嘘偽りのない、本心からの言葉を。



「今まで本当にありがとう、大好き」


 

「――――ッ」


 瞬間。眩しいくらいの光と共に、胸に抱いていた温もりは消えて――



 思い出の詰まる書斎には、悲痛な女性の鳴き声だけが木霊していた。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






「正直、意外だった」


「何がです?」


「……いや」



 先程まで私を抱きしめていた母親の体温も抜けぬまま、再び目を開けると、そこには凡そ悲観なんて言葉とは無縁の少女が立っていた。


 小学生の頃とは違う。腰の方まで伸ばしたブラウン色の長髪に、どこかの令嬢を想起させるような優雅な佇まい。身にまとっているのは近隣の高校生が来ている制服で、それは私にも見覚えがあった。


「――って、そんなことよりも!」


「……」


「貴方が急にいなくなったと聞いて、今町は大騒ぎになっています。どうしてここにいたのかは分かりませんが、すぐにでも皆に知らせないと――」


 あくまで顔は真面目モードのまま、制服のポケットをまさぐっている彼女を尻目に、改めてここはどこなのかと周囲を見回す。


「……」


 そうして視界に映るのは、古い記憶の中にある光景。


 黄色く塗装された外壁に、赤色の扉、そして茶色の屋根。目が痛くなるような濃さのそれらで彩られ、一度見たらまず忘れることはないだろうと――そんな強烈なインパクトのある建物。


「ひまわり園か」


 何かと縁の深い、児童養護施設ひまわり園。苦い記憶もあるこの施設の敷地に、どうやら私はいるらしい。


「……あれ、おかしいですね? 近隣の方から奪――お借りした携帯が、さっきまでは確かにあったはずなのに……」


 そうして、そんな不吉な独り言を漏らしている目の前の少女は、大槻 雫。


 私が小学校に入学してまだ間もない頃、彼女の幼馴染がきっかけで交流を持つことになったともだ――ではなくて、ストーカー予備軍だ。


「……」


 恐らくは神様の仕業なのだろう、きっと一生見つかることのない運命が確定した携帯電話を探し続ける彼女を見て、首を傾げる。


 冒頭の言葉を繰り返すことになるが、やっぱり意外だ。


 再びこの世界に戻る前、自称神様が言っていた言葉を思い出す。


『貴方の言葉を必要としている子達の下へ送ります。全員は無理だとしても、可能な限り、絶対に』


 そんなことを言うものだから、私はてっきり、想像する女性陣の中でも特に通報待ったなしのレベルで異常な執着を見せるモンスター共の下へ送られるのだと、そう思っていたというのに。


「……やっぱりないです。どうして?」


 篠田何某とか、矢沢何某とか……彼女達に比べたら、目の前の少女の執着なんてものは――


「……あれ、というかおかしいですね。先程から、身体の震えが止まらないです」


「……」


「……」


「……」


「あまりにも唐突に出会えてしまった事で、感動が遅れてやってきたのでしょうか」


「……」


「……」


「……」


「あの、取り敢えず抱きしめてもいいですか?」


 前言撤回。とてもヤバい人でした。


 少し行方をくらませたというだけで発作を起こしてしまうとは……まるでアニメのキャラクターのような奇行だが、けれど彼女は現実に目の前にいる。


 そうして、私が気付いていないとでも思っているのか……顔は正常な状態を保ったまま、ジリジリとこちらへ距離を詰めてきていて――


「あ」


「……へ?」


 瞬間、先程の時と同様に淡い光に包まれる身体。


 どうやら、自称神様がこれはマズいと時間短縮を図ったらしい。


「………」


 非現実的な光景を目に、呆然とした表情で固まる大槻さん。


「あの、ひょっとしてこれは……またいなくなってしまうとか、そういう?」


 あまりにも鋭い指摘に、思わず無言で頷く。


「………」


 返答を受け、身体が灰になる一歩手前の大槻さん。


 普段のお淑やかな様子からは想像もつかない。恐らく人生史上最も取り乱しているのだろう彼女に向けて、私も手早く言葉を伝えることにする。


「先生によろしく」


「……」


「……あと、才原さんとの喧嘩は程々に。倉知さんが可哀想だから」


「……」


 あと数年もすれば彼女達も卒業し、晴れてひまわり園を卒業することになる。


 学生時代よりも辛い瞬間は多くなるのだろうが、それでも、頼もしい幼馴染達と一緒に、これからも頑張っていってほしい。


「……」


「……」


 返答がない。まるで屍のようだ。


「……」


「……」


「……はぁ」


 これが最後になるというのに、全く。


 迷った末に、地面に膝をついたまま俯く彼女に対しても――あの時の先生と同じように、軽く抱きしめてあげることにした。


 私の抱擁はそこまで安くはないのだけれど、どうせこれで最後なのだし。大盤振る舞いでいこう。


「――――ッ」


「……?」


 強く腕を掴まれる。


「あの、結婚――」


 消える寸前、大槻さんが何かを言っている様子が見えたが、生憎と言いたいことを言えた満足感に浸る私の耳に届くことはなかった。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






「……」


 2人目となる大槻さんとの邂逅を終え、ツンとした薬品の匂いが鼻につく病院内。不自然な程にシンと静まる廊下を進み、目的の部屋の前へと辿り着く。


 その場で軽く深呼吸をし、意を決して扉を「捕まえた」――開けた瞬間、胸元に見えたのは眩いくらいの金髪。


 それを初めて目にしたあの日から一度も手入れを怠ったことのない、自慢のトレードマーク……と、本人が公言していた。


「……何よ、アンタが突然いなくなったって聞いて、少し焦っちゃったじゃない」


「……」


 その割には、身体越しに伝わる震えがやけに激しい気もするのだけれど……まあ、野暮なので言わないでおく。


「……この場所に来たってことは、私を選んでくれたってことでいいのよね?」


「……」


「正直、アンタに会えた興奮で、今滅茶苦茶身体が暑くなってるんだけど……」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……」 


 ――いや、なにナチュラルに発情しているんだろう。

 

 胸元で荒い息を吐いている高飛車猿を力の限り引き離そうと、前世でも出した事のない全力を出し――駄目だ全然離せない。


「は、ふっざけんじゃないわよ! 今のは完全にそういう流れだったじゃない?! 私の純情をどうしてくれるのよ!! 黙って責任取らせなさいぃぃぃい!!!!」


 これで最後になるのだからと、人が善意で好きにさせていたというのにこの態度。なんて清々しいのだろうか。早く自首してくれ。


「矢沢さん、いい加減に――」


「うっさい! こうでもしないとアンタは永遠に捕まってくれないじゃない! 私が幸せにするんだからっ、黙って大人しくしてなさい!!!」


 万力のような力で拘束される。


 まさかこんなタイミングで肉食動物に捕食される草食動物の気持ちを体験できるとは思わなかったが、これ以上は流石に洒落にならない。


 きっと今もこの状況を観察しているのだろう自称神様に向けて、強く助けてくれと念を送る。――終わった。全然返事が来ない。


「……」


「……はぁ、はぁ」


「……」


「……はぁ。やっと大人しくなったわね」


「……」

 

 床に押し倒され、馬乗りにマウントを取られる。


 あぁ、これはもう諦めるしかないのかと、遂には前世からの走馬灯が頭の中をよぎり出して――と、そこで逆に冷静になれたことが良かったのかどうなのか。


「……」


「何よ、今更泣いて謝っても止まらないんだからね」


 思えば、始めからやけに焦っていた様子の矢沢さん。普段の彼女も横暴で傍若無人なのだけれど、流石に今日のこの感じは異常だろう。


 それに、時間がないと焦っていた自称神様。彼女がこの状況を把握していないなんて、果たして本当にそんな事があるのだろうか。


 ――いや、ない。


「……」


 あの人が本当に危険だと判断した場合、トラウマを植え付けられる前に必ず助けてくれるはずだ。であれば、今、何もしてこないこの現状。その答えは、多分――


「……」


「……」


「……」


「……」


「……今日以降、もう会えなくなるって知ってたの?」


「……」


 確信を持って口にした私の問いかけに、やはりというか、上着にまで手を伸ばそうとしていた矢沢さんの動きがピタリと止まった。


「……」


「……」


「……」


「……」


「……いつから?」


「別に。アンタが扉を開けた、その瞬間からよ」


 自称神様と私のやり取りなど、彼女が知り得るはずもない。であればどうして気付くことが出来たのかと、それが不思議で仕方がない。


「そんなの決まってるじゃない、女の勘よ」


「……」 

 

 それを言われてしまっては、対策も何もないのだけれど。


「私にだって分からないわよ。ただ、何となくそういう感じがしたから……それならって行動しただけ」


 それが、どうして襲うという行為につながるのか……


「簡単よ。子供ができたら、アンタに未練ができるじゃない」


「……」


 成程。


 いや全然成程ではないのだけれど。


 あまりにもキッパリとそう言われてしまったものだから、思わず返答すべき言葉を見失ってしまった。


 いや、そうか。彼女は本能に従って最適の行動をしたと、だからそんなに堂々としていられるのか。私としては、全然今から通報しても構わないのだけれど。


「……」


「……」


「……」


「……ふん」


「はぁ」


 まあ、いいや。


 どうせ後数分もしない内に、私はここから消えてしまうのだし。


 それに、最後の会話がこんな下世話な話題で終わるだなんて、それはお互いにとっても嫌だろう。


 文句を言ってやりたい気持ちは山ほどあるのだけれど……


 彼女の横暴にツッコむことは諦めて、大人しく伝えたい事だけ伝えて終わることにする。


「……」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……」


 ――どうしよう。直前にあったことが衝撃過ぎて、言いたい事が思い浮かばない。


「……何よ、そのままだんまりを決め込むなら。本当にこのまま襲うけど」


 そして生憎と、彼女は悠長に考える時間も与えてくれないようだった。


「……」


「……」


 いや、今の場合は逆にその方がいいか。


 いい加減、覚悟を決めなくては。


 伝えたい事、伝えたい事……


「矢沢さん」


「……何よ」


「まず、未練が出来てもいなくなるのは変わらない」


「……っ」


 残り僅かな時間でこの世界から物理的に消えてしまうだなんて、流石にそこまではいくら勘が鋭くても分かるはずがない。


 とても悲しそうな顔をする彼女には申し訳ないが、それは不変の事実なので、きちんと伝えておく。


「……あと」


「……」


「君はもう少し、同性の友達を作った方がいい」


「ぶん殴るわよ」

 

 そう言って、小さく胸を殴られる。


 けれど、全然痛くはなかったのでそのまま続ける。


「転校初日、あの挨拶は良くない、凄く悪目立ちしてた」


「……一応これ、最後の会話になるのよね?」


 ジト目で睨まれる。


 それでも彼女の表情に先程までの焦りが見えないのは……凡そ、このまま拘束していればどこにも逃げられないなどと、冷静になった頭で考えているからなのだろう。


「……」


 事情を知らない彼女相手に何も伝えないのは、卑怯だとは思うのだけれど……


「……アンタ、身体が」


「……」


 ――そうこう考えている内に、どうやら時間がきたようだった。


「……それ、大丈夫なの?!」


 漏れ出す光を前にして何か本能的にマズいとでも感じたのか、緊迫した表情を浮かべている。


 それもまた、女の勘というやつなのだろうか。


「……」


「ねぇってば! どこにいこうとしてるのよ!」


 泣きそうな顔で私の服を掴む矢沢さんの手を止めて……改めて、最後の言葉を告げることにする。


「ちょっ――「矢沢さん、今後困った時は篠田さんを頼ればいいと思う」

 

 私の知っている女性陣の中で、普段の素行が比較的真面目なのが彼女だ。


 矢沢さんに関しては私がいなくなった後、相当に荒れてしまうのが容易に想像できるので、取り敢えず紹介だけはしておく。


「――――ッ!」


 そうして、話している間も彼女は宙へ浮く光を必死に掴もうとするが、触れない。


「あと、昔活字を読むのが苦手って言ってたけど」


「――ッ、――――!!!」


「それでも……もう少し、本を好きなってくれたら嬉しい」


 幼い頃、私が読み聞かせてあげた本の内容に一喜一憂する彼女を見ているのは楽しかったのだけれど、今後はそれもできそうにないから。


「――、――――!!」


 そんな私からの言葉に、普段の強気な表情を盛大に歪ませている。


 別れを悟って、駄々を捏ねるように首を横に振っている。


「――――ッ」


 そうして、追い縋るように、消えていく私の方へと、手を伸ばそうとして――


「矢沢さん」


「――」


 残り時間もあと僅か。


 ついには顔を俯かせ、必死に涙を堪えている様子の彼女に、私が一番言いたかったこと。


 初めてそれを見てから今日まで、何となく、伝えるタイミングを見失っていたのだけれど。



「その金髪、凄く似合ってると思う」



「――ッ」


 そうして、言われた彼女は、今度こそ。


 頬に流れる涙を拭うこともせず、こぼれるような笑顔で笑ってくれた。

































◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





 視界に映る光景を見て、私は自分の予想が間違っていなかったことを確信した。


 なんとなく、最後は彼女になるのだろうと……そんな予感はあったから。


「……」


 夕焼けに染まる空。


 遊具なんて何もない、殺風景な公園の中央に備えられているベンチへ向かって、足を進める。


 足音を聞いてこちらを認識する彼女へ、私は――


「山城さん」


 正真正銘。これが最後の別れになるのだろうと。


 自信を持って、言える気がした。






美醜がおかしい世界のただの日常《中学校一年生編&聖戦》


これにて閉幕です。


そして次回は予定通り。終章―エピローグ―

取りを飾るのはやっぱり彼女しかいないと思っていました。


※3章に登場した登場人物の記載は、また時間のある時にします。

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― 新着の感想 ―
マジで終わっちゃうの?
毎日この小説が更新されていないかチェックするほど好きな作品なので、次回で終わってしまうことに悲しさを感じます。1年間読んできた小説なこともあり、それぞれのキャラクターに思い入れもあるので、この話で書か…
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