34
貴方のいる日常。
『意中の相手を自分以外の誰にも取られたくないと思った時、では、どうすればそれが実現すると思う?』
あれはいつの事だったか…深夜に放送していたとあるテレビ番組で、そんな馬鹿みたいな話題が取り上げられていて、顔だけが取り柄の芸能人達が真剣に話し合っているのを見た覚えがある。
――私はぁ、やっぱり一番早くに告白するのがいいんじゃないかと思いますぅ
最初にそう答えたのは、1年前に大ヒットした某有名ドラマの主演を演じたことで知られる天才子役の女の子だった。子供らしいと言えば子供らしい、あまりにも可愛らしい回答に、周りの出演者の頬が緩む。
――いやぁ、急に告白しても振られるだけでしょ? それよりも大事なのは、時間をかけて自分がいかに清廉な人間なのかをアピールすることよ!
次いでそう持論を述べるのは、最近天然キャラとして様々なバラエティー番組に呼ばれているお笑い芸人の女。誰にも取られないようにという前提があるにも関わらず、時間をかけて人間性を評価してもらうという的外れな解答に、司会の女性も呆れた声でツッコんでいる。
会場から起こる笑い。本人は至極真面目に答えたつもりだったのか、不思議そうな顔で会場を見回している。頓珍漢な解答を指摘された上でこの反応なのだから、彼女の天然はキャラというより素なのかもしれない。
そうして、その後も次々と出される解答に、けれど私が共感できるものは一つもない。
――自分を受け入れてもらえるまで何度も告白する。これしかないですよ!
――他の誰よりも魅力的な女性だって思われるように、自分磨きすることかなぁ……
――監禁、調教、ぐふっ
「――――」
そのまま、特に見どころもなく終了してしまった番組を溜め息と共に消し、大人しく寝室へ向かうことにする。
「どいつもこいつも、馬鹿じゃないの」
押入れから取り出した埃臭い毛布を乱暴に敷き、胸の中に残るモヤモヤを吐き出すようにそう悪態をつく。
「――――あぁ、気持ち悪い」
遮るもののない窓ガラスに反射されるのは、今年で40歳を迎える独身女性の、惨めな姿。
人を好きになることすら罪になる、あまりにも醜く醜悪な女の顔。
「邪魔な奴ら全部、いなくなってしまえばいいのに」
女にも昔、気になる異性がいた。
「そうしたら、私にだって」
告白する勇気なんてなかった。
「私だって、きっと、今頃は――」
自分みたいな女に告白されるなんて、迷惑にしかならないと分かっていたから。
「――――」
その日もやっぱり、眠れない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あの、奏。私の目がおかしくなってしまったのでしょうか――正門近くにいる女の子達の中に、明らかに見知った顔が見えるのですが」
「えぇと、多分それ、私にも見えちゃってる…かも」
公立桜花中学校から程近く、ガラス窓を隔ててちょうど学校正面を見渡せる位置にある喫茶店の中で、制服姿の少女2人は、お互いにげんなりとした顔を見合わせると、どちらともなく溜息をこぼす。
「はぁぁぁぁ……本当にあの子は、先生に無断で学校を休むだなんて」
艶のあるブラウン色の髪を左右に揺らし、ドラマのような仕草で額に手を当てる。彼女の前にあるグラスは既に空になっており、追加で注文されたホットココアを見ると、悲しいかな、既に湯気はなくなっていた。
「まあ、昔に比べたら――ね?」
「帰ったらお説教ですね。全く、新しい子も増えて先生の負担は増すばかりだというのに…今朝会った時は大人しかったので、つい油断してしまいました」
ひまわり園では最早共通認識として知られている、朝原 双葉の暴走癖。冴が来てからは大人しくなったと安心していたものの、やはりその本質はそう簡単には変わらないらしい。
今も視線の先にいる彼女は桜花中学校の制服を着ている女子生徒に対面し、何やらしつこく絡んでいる様子。他人に迷惑をかけてはいけないと、あれほど先生から注意されているというのに――本当に、もう。
「やっぱり、胡桃お姉さんのようにはいきませんね――どうにも私は、未だに姉としての威厳を持てていないようです」
「そ、そんなことないよ。私、雫ちゃんは凄く頑張ってると思うよ?」
「年少の妹達に、陰で鬼ババアって言われているのにですか」
「あ、愛情表現の一種なんじゃないかなぁ…」
姉と呼べる3人が施設を卒業してしまった今、現在ひまわり園での最年長はここにいる2人ともう1人。彼に出会った小学生時代の面影を残しつつ、スラリと伸びた手足と苦労の浮かぶ表情からは、確かに彼女達の成長が垣間見える。
「それに、そう言う私達だって人の事は言えないでしょ?」
「……うぅ、それはそうですが」
話題を変えるため、いたずらにそう指摘すると、途端に身体を縮こまらせる雫ちゃん。そんな様子を微笑ましく思いつつ、けれど、彼女の暴走に巻き込まれたのもまた事実だった。
「今頃先生、かんかんに怒ってるんだろうなぁ」
「うぅぅぅ」
尊敬する先生に現在進行形で迷惑をかけてしまっているという事実を前に、さらに身体を小さくさせる幼馴染を見つめながら、思い出すのは今朝の事。
昨夜の夜更かしが原因で、耳元で音を立てる目覚まし時計にも気付かず熟睡していた私と茜ちゃん。けれど強く肩を揺さぶられ、間一髪のところで目の前にいる雫ちゃんに起こしてもらえたかと思ったら、連れてこられたのはなぜかこの喫茶店だった。
道中、先を急ぐ雫ちゃんに手を引かれながら疑問を口にしても答えを教えてはもらえず、喫茶店に着いてからも難しそうな顔をして正門を眺めているだけ。
度々体調を崩して何度か病欠を取ったこともある私だけならいざ知らず、目の前の大槻 雫という少女はただの一度も風邪を引いたことがない。何より、その性格は真面目で誠実。
普段の彼女からは考えられない行動に、だから私もどうしていいのか分からずにいたのだけれど……
「自分でも、おかしなことをしている自覚はあります」
騒がしくなっていく外の様子をなんとなしに眺めていた私の耳に、ポツリとそう呟かれた小さな声が、確かに聞こえた。
続く言葉を待つ私に気が付いているはずなのに、すっかり冷めてしまったココアを一息に飲み込んだ雫ちゃんは、それから先を語ることはなく。
平日の早朝、私達2人しかいない店内は静寂に包まれる。
普段なら気にもならないこの状況も、なぜか今日に限っては、酷く私の焦燥感を駆り立てて――心が落ち着かない。
「そ、そういえば、今日はヴァレンタインなんだよね! 雫ちゃんは覚えてる? 去年のこの日、茜ちゃんが彼にチョコを貰おうと家に突撃して出禁になっちゃった話」
暗くなってしまった雰囲気を変える話題。私が思いついたのは、去年のヴァレンタインのこと。
「絶対に手作りチョコを貰うんだーって、やっぱり茜ちゃんは凄いよね。あそこまでの行動力はいらないけど、自分の気持ちを素直に伝えられる所とか、私も見習いたいなぁ」
あの日、彼相手にどれだけ粘ったのかは知らないけれど、明らかに義理だと思われる市販のチョコボールを貰ったと嬉しそうに私達に自慢しに来て、話を聞きつけた双葉ちゃんと取り合いになって、それで先生が怒って――
「結局、何も知らない冴ちゃんがいつの間にか食べてしまって‥‥ふふ、あの時の茜ちゃんと双葉ちゃんの顔、今思い出しても笑っちゃうなぁ」
折角のチョコを食べられてしまった茜ちゃんの落ち込み様は凄くて、いつもなら嫌味を言って喧嘩を始める雫ちゃんも、その日は何も言わずに静かにしていた。その後、改めてチョコを強請りに行こうとする茜ちゃんを私と雫ちゃんで羽交い絞めにして、それを見た先生がまた怒って――
「結局、罰として私達3人だけで雑草だらけの庭を手入れすることに――て、どうしたの雫ちゃん?」
いつの間にか、思い出話を語る私の事をぼんやりとした表情で見つめていた。何か、気になることでも言ってしまったのだろうか‥‥
「――いえ、別に」
そう言って、クスクスと笑う。口元に手を当てて、上品に。
「他意はないです。ただ――」
「………?」
「――ただ、よく笑うようになったなぁと、感慨深く感じていました」
えぇと、それは嫌味で言っているわけではなく?
「違います――ただ、昔の事があったので」
「………」
昔というのは、私達が小学5年生だったあの時の事を言っているのだろう。
確かに、当時の私は今より臆病で、心が弱くて――あぁ、だから雫ちゃんにもたくさん迷惑を掛けちゃったんだっけ……
「迷惑だなんて思っていませんよ――大切な家族のためですから」
「あはは、改めてそう言われると、なんだかむず痒いね」
なんの恥ずかしげもなく、堂々とした態度でそう告げる雫ちゃん。やっぱり凄いなぁ。茜ちゃんが持つ強さとは違う――こう、一本芯があるというか、揺るぎがないというか…
まあ、だからこそ、さっきまでの気弱な様子が、余計に気にはなるのだけれど――
「――奏」
「な、どうしたの?」
「そろそろ、出ましょうか――外も騒々しくなってきそうなので」
「……?」
雫ちゃんが視線を向ける先、つられて私も確認すると――あぁ、なるほど、あれは確かに騒々しくなるだろうなぁ…
『うあぁ寝坊したぁぁぁぁぁぁ――――雫のバカあぁぁぁぁぁ!!!!!』
「……誰がバカですか、全く」
「あはは…」
自然と重なる、お互いの視線。爆速で正門へと走ってくる幼馴染を止めるために、同じタイミングで席を立つ。ここに茜ちゃんが来たということは、昨夜永遠と聞かされた『強気で攻めよう、猪突猛進ヴァレンタイン!大作戦』を実行に移すということなのだろう。それは絶対に止めないと。
「それじゃあ行きましょうか、奏」
結局、最後まで雫ちゃんの本心を聞くことはできなかったけど。
「――――」
「――――」
「――――」
「――――」
あぁ、でも、きっとそういうことじゃないんだろうなぁ。
何かを聞いて欲しいから、この子は私を――
「――――雫ちゃん」
「――?」
ほとんど無意識の内に、口から零れた言葉。
私に背を向け歩き出す彼女に、さて、なんて言葉をかけようか。
「――――」
変な所で素直になれない、この不器用な幼馴染に、今の私がしてあげられること。
「雫ちゃんはさ――将来、どうするの?」
あまりにも漠然とした、曖昧な質問。それでも、私の意図は伝わったようだった。
「私は」
少しの沈黙の後、振り返らずに、彼女は言った。
――ずっと、傍にいたいです
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一筋の明かりも見えない暗闇の中、■■◆●が泣いている。
指針を失い、頼れる大人もいない中、辺りには悲痛な泣き声だけが木霊する。
絶望の淵、願うのは■■■に会いたいと、ただそれだけ。
◆■■■は知っている。
きっとそうすることでしか、私は救われないのだと。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
間違っても、私は自分が選ばれる側の人間だと思ったことはない。
そもそもが、こんな顔。
私というちっぽけな人間の生涯は、生まれた時から決まっているも同然だった。
幼稚園にいた頃、楽しそうにおままごとをしている女の子達が心底羨ましかった。誰がお父さん役をやって、誰がお母さん役なのかって――真剣に配役を決める彼女達の話し声にすら、その時の私にはとても尊いものに思えて。
だから、私もその輪に入れてほしいと――言葉に出して、嫌だと拒絶されてしまった時には、悲しくて悔しくて、声を上げて泣いてしまった。
どうして私だけ駄目なんだって、私だって、誰かと一緒に遊びたいんだって――もう、誰もいない教室の中で1人、ただ本を読んでいるだけの時間は寂し過ぎたから。
遅い時間まで働いて、汚れた服で私を迎えに来てくれるお母さんを待っている時間が、苦痛でしょうがなかったから。
それでも、結局、私はいつも1人で。
小学校に入学する頃には、もう誰にも期待しちゃいけないんだって、これ以上自分が傷つかないように、ひっそりと生きていこうと、そう決めて――
生まれて初めての席替え。自分の隣の席に男の子が座るんだってわかった時、本当にドキドキした。こんな私にも神様は平等にチャンスを与えてくれるんだって、その時初めて私の人生が報われたように感じてしまって、生まれて初めて、誰かと繋がりを持てることに期待して――
結局、泣いて嫌だと拒絶されてしまった時、あぁ、やっぱり私は駄目なんだって。周りにいる子達の視線が集まるのが恥ずかしくて、みっともなくて。なんだか、自分がとても汚い存在のように思えてしまって、そう考えてしまったことが、お母さんに申し訳なくて…
『……普通』
だからさ、本当に感謝してるんだよ――のぞみくん。
あの時のこと、貴方にとっては思い出にも残らないただの気紛れのような行動だったのかもしれないけど、本当に、嬉しかったんだよ。私は私のままでいいんだって、ほんの少しの距離に貴方がいることが、その吐息を感じられることが、幸福でしょうがなかった。
――ねぇ、のぞみくん。覚えているかな?
隣同士だった席が離れてしまった後、貴方は私を拒絶したよね。
それが貴方の決めたルールならしょうがないのかもしれないけれど、あれ、とっても悲しかったんだからね? あれだけ私とお話をしてくれたくせに、期待させるだけさせて、離れ離れになったらそれまでなんて、私、そんなに諦めのいい女の子じゃないんだよ。
それでも、遠くの席へ戻る私の事を横目で見ながら、少しだけ申し訳なさそうな表情になる貴方の一面も知っているから、今はそれで許してあげる。
――のぞみくん。私、絶対に貴方を諦めないからね。
本当に私を突き放したいのなら、他の子達と同じように、言葉で私を罵って。
お前なんかに興味ないんだよって、いつまでも付き纏ってきて気持ち悪いんだって、喉が枯れてしまうくらいに、大きな声で、拒絶して。
それでも、私は貴方の事が大好きなんだって、それ以上の声量で、貴方の前に立ってみせるから。
どれだけ嫌われることになっても、貴方が嫌がっても、それでも私は傍にいるから。
その代わり、他の何を犠牲にしてでも、貴方を守ってみせるから。
どうか、私だけを見ていて。
私以外を拒絶して。
小さな世界で、私と貴方。
2人で生きよう。
2人だけで、生きていこう。
だから
「もう、私達の邪魔をしないで」
全部終わったら、すぐに会いに行くからね。
「どこかへ消えて」
今度はもう、放さないから。
「どうか、お願い」
絶対に。
「私に頂戴」
「「「嫌」」」
狂気的にも思えるほどの執着を前に、間髪入れずにかけられるのは拒絶の言葉。
「アンタ馬鹿なの? そんなちっぽけな感情で彼を思っている程度なら、今すぐ私の視界から消えて。――凄くイライラするから」
「私、さっき言ったよね――告白したことがあるって。それでも分からないのかな? 確かに彼は貴方みたいな子にも優しくしてくれたのかも知れないけど、それってただの同情だと思うよ?」
「……全部うるさい」
三者三様。新木 玲奈から告げられた衝撃の事実に脳を焼かれた珍獣2匹が乱入してから数十分が経過した今も、この4人による言い争いは執着点の見えぬまま続けられていた。
「もう何度言ったら分かるのかな‥‥純粋に考えて、この中で断トツ顔が良い私が一番可能性があるんだから、もうそれでいいでしょ? 潔く諦めてよ」
「……あ゛?」
「死んでください」
「消え失せろ」
誰かが口を開けば、他3人が否定して――この争いに介入しようとする命知らずのクラスメイト達が一歩足を進めれば、計8個分の眼力でもって説き伏せられる。
「私の家、来たことがある。ホットケーキ、作ってもらった」
「――ていう妄想ね。ほんと哀れ」
「いるんだよね、現実が受け止められなくてすぐ妄想に走っちゃう貴方みたいな痛い女」
「迷惑だって気付かないんですか?」
時刻は既に朝礼の時間を超過し、数分前にやって来たこのクラスの担任は山城 瑞稀の一発によって沈められている(※死んでないです)。
前回と同様、この場に黒服でもいれば数秒で場を鎮める(物理)こともできたのだろうが、今回に限ってはそれも期待できない。
「自意識過剰、ストーカー、妄想癖――アンタ達全員、本当にムカつくわ」
「そう言って、さっきから偉そうにしてるけど、そういう貴方は何? 言っておくけど、ただ彼と会話が出来て舞い上がってるだけの勘違い女なら、笑いものだよ?」
「――昔、本を読んでもらったわ」
「何……それだけ?」
「そうね、どうせ何を言っても理解できないわよね」
彼女達は、死んでも譲らない。譲れないから、終わらない。
口論は既に佳境を迎えている、このままでは、いずれ4人の言い争いが暴力にまで発展してしまうことは想像に難くないのだが――
「あれ、そういえば北条君は?」
誰かが口にした、その素朴な疑問を耳にした瞬間、まるで時が止まったかと錯覚してしまうほど唐突に、少女達の口撃はピタリと止まった。
お互いがお互いに顔を見合わせて、少しの間呆けた表情を晒した後、辺りを見渡して、頭に?を浮かべ始める。
「もうとっくに、1時間目の授業の時間だよね?」 「あ、ほんとだ」 「え、でもせんせ――は、そこで倒れてるんだった」 「風邪、なのかな?」 「分かんない」 「誰か知ってる人はいないの?」 「大丈夫かな?」 「心配だね」
それまではただ固唾を飲んで目の前の修羅場を傍観しているしかなかった少女達。唐突に始まった非日常に気を取られ、いつもならすぐに気が付くはずの異常事態を見逃してしまった。
――北条君が、教室にいない――
ざわめきは広がり、彼の安否を心配する声が辺りを満たす。
その様子は一見するとやや過剰に心配し過ぎなようにも思えるが、普段の彼を知っている彼女達からすれば、それは至って当たり前の反応だった。
なぜなら、北条 望という男は小学校入学時からこれまで――ただの一度も病欠がない。彼は今どきの男子生徒にしては珍しく、皆勤賞だったのだから。今日までは。
「「「「――――」」」」
その時初めて、4人の少女達の顔に緊張が走る。
言い争いなど、続けている場合ではなかった。
目の前の相手を打ち倒さんと躍起になっていた頭は急速に冷え始め、冷静に状況を理解できていくにしたがって、彼がいないという事実が重く身体にのしかかる。
彼に限って、まさか寝坊で遅刻しているわけでもあるまい。いや、いっそのことそんな理由であればいいのにと――そう都合よく現実を考えて、けれど直感がそれを否定する。
「――――っ」
「ちょっ、どこへ――」
この中で唯一、彼の自宅を知っているのは山城 瑞稀。元々考えるより先に身体が動くタイプの彼女は、消えぬ不安に背中を押されるように、急いで教室を飛び出し彼の自宅へと向かおうとする。
それに追従しようとする篠田 香織もまた、確信はないが、ついていくべきだと無意識に身体が動いていた。
出遅れたのは新木 玲奈と矢沢 真央の両名。壁際に密集していたクラスメイト達を押しのけ扉の方へと急ぐ2人を呆然と見つめていること数秒。ハッとした表情を浮かべた後、焦ったように自身も追従しようと後を追い「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁ!!!!!!」
かけ、ようとしたところで――乱暴に開かれる扉。
今にも教室を飛び出そうとしていた4人を強引に押しのけ、憔悴した顔で辺りを見渡す――知らない女性。
「どこ?!! どこにいったの゛!!!! どうしていないの!!!!!」
既に何度もかきむしったのだろうぼさぼさの髪を振り乱し、焦点の合わない瞳で誰かを探している。自身を怯えた表情で見つめる女子中学生達のことなど眼中にもないのか、ただひたすらに、誰かを――
「い……ない、ここにも――なんで、どうして!!!」
整然と並ぶ机や椅子をなぎ倒し、かと思えば、誰もいない虚空に向かって手を伸ばす。
呼吸は荒く、目の端からはとめどなく涙が流れている。
「いな゛いいないいない゛いないいない゛いないいないいない゛いないいな゛い――」
壊れたおもちゃのように、そう繰り返す。
「いないいない゛いないいないいないいないいないいない゛いな゛い゛い゛な゛ぁいい゛な゛い゛い゛な゛い゛いない゛いな゛いいないいな゛い゛いな゛い゛いな゛い゛いな゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あああああ゛あ゛あ゛!!!!!」
「………」
少女、山城 瑞稀は知っている。
この――悲痛に過ぎる、慟哭を。
「――――――! ―――――っ!!!」
言葉にならぬ、絶叫を。
「――――!」
誰かの名前を呼んでいる。
「――――」
あぁ……それは、とても大切な――
貴方がいてくれた日常。




