26
変人、奇人、ストーカー
矢沢さんからの死刑宣告を受けた日の翌日。
チャイムの音と共に騒がしくなる教室の片隅で1人。一向に良くならない現状に頭を抱えることしかできない状態の私はというと――
「……」
死んで――どうにもならない無力感に苛まれ、開いたままの教科書を気にせず机に突っ伏していた。
薄っすらと目を開けると、昼食を食べようと楽しそうに机を移動させるクラスメイト達の姿が見える。
「見てみて! さっきノートに婚期が遅れてゾンビみたいな顔してる先生描いてみたの!」
「うわっ、めっちゃ似てる(笑)」
「え~、もっと血走った目してなかった?」
……あぁ、なんてアホなんだろう。あの能天気さが羨ましい。
「はぁ」
本当に……こんな世界に転生すると分かっていたら、私は神様に土下座をしてでも女性として生きることを切望したというのに。
転生させてもらった身の上で文句を言うのはみっともないと分かってはいても、この世界の理不尽を嘆かずにはいられない。
授業自体は何とか真面目に受けることが出来たのだけれど、正直もう限界だ。
「あの、のぞみく――っひ」
おずおずと近づいて来ようとする小鹿(※同じクラスになった男の子はまとめて小鹿と呼んでいます)は無言で睨んで追い払う。
毎回緊張しながらも誘ってくれることは有り難いが、生憎今日はストレスで食欲が湧かないのだ。理解してほしい。
それに、小鹿だけではない。一部始終を見ていたクラスの女子生徒達にも"こっち見んな"という念を送って牽制す「い、いいい一緒にご飯食べませんかっ!」――まあ、ゴリラ相手じゃ意味なんてないんだけど。
「……」
「い、いやっ、そのっ……お弁当作り過ぎちゃって」
放っておいてほしいという私の願いなんて知ったこっちゃないと近づいてくる豪胆さ。友人と思わしき2人の女子に腕を引っ張られながらも、本人にはまるで効いている様子がない。
今も真っ直ぐな瞳で私を見つめ、誘いを断られるなど想像すらしていない彼女の名前は新木 玲奈。
『私と結婚してください』
名前を言っても伝わらないだろうが、小学校2年生の頃にいきなり結婚を申し込んできたあの頭のヤバい女の子である。
「……」
あの時、振られた彼女を前世の知人と重ねて少し優しくしてしまったのが余計だったのか、突っ走ったら止まらない彼女の性格はあれからも治ることがなく、むしろ悪化したのでは思うくらいには話しかけてくる。
今だってそう。基本隣の席になった子としか最低限の会話をしない私相手に、どこかの少女漫画よろしくベタな言い訳を重ねて話しかけてくるのは彼女くらいのものだろう。いや、そうでもないか?
「食欲がなくても、何か食べなきゃダメだよっ! ……です」
「玲奈、周り見て周り!」
「絶対無理だってぇ」
「……」
正論だけど、時と場所を選んで言った方がいいと思う。
「「「「「………」」」」」」
気付いていないのだろうか。あの時と同じように、殺気の籠った眼差しで新木さんを睨みつける女子の視線が1つ2つと増えていって――
「望くん、一緒に食べよう!」
まあ、それで怯む彼女じゃないか。
伊達に初対面で結婚を申し込んできたわけではないな……容姿に恵まれないながらも、真っ直ぐに気持ちを伝えてくるその勇気は凄いと思う。
凄いと思う、のだけれど……
だけど、どれだけ頑張っている姿を見せられようと、私にだって都合があるのだ。
頭のおかしい女の子は、何も彼女だけじゃない。
人の善意につけ込んで、いらぬ好意を押し付けてくる迷惑な子を何人も知っている。
ここで反応を返してしまえば、いよいよもって彼女達の歯止めが利かなくなることを、私は身をもって知っているから。
「……」
だから、この日も同じ。何も聞こえていない振りをして、いつものように無言で教室から出ていくことにした。
「――っ」
「ほら、だから言ったのに」
「玲奈ぁ……」
人間なのだから、数少ない異性相手に好意を抱いてしまうことが仕方のない事だとは思っている。
でも、どうか私の事は放っておいてくれないだろうか。
小鹿君でも、他の誰でもいいから……私とは違う別の異性に興味を抱いてはくれないだろうかと、そう願わずにはいられない。
「なんて」
願ったところで、何の意味もない事は知っているのだけれど。
◇◇◇◇◇
話は少し変わって。
ここ、主人公が在籍する公立桜花中学校には決して触れてはならない5人の要注意人物がいる。と、言われている。
誰が言い始めたのかは定かでない。
ただ、それが誰を指すのかと問われれば、直ぐにあの子達の事かと想像できる程度には大半の生徒達にとって周知の事実で、真理で、常識で。
冗談で口にすることすら憚られる。
間違っても話しかけられたりしないように、目線は合わせず距離を置き、近くにいたら息を止め、そうして静かにやり過ごす――そんな存在。
であれば、きっと誰もが疑問に思うことだろう。
それほどに警戒される件の5人とは、一体どれほどの危険人物なのだろうかと。
例えばとても大柄で、学校の窓ガラスを何枚も割ってしまうような凶暴な性格の人?
何か意味不明な言葉を呟きながら、授業中には突然奇声を上げてしまうような理解不能な人?
果たして、答えは――
「ふひっ、ふひひぃ」
「……」
面倒事から避難すべく教室を出てきた私は、その足を止めることなく学校の2階にある図書室まで来ていた。
目的は当然、小説が並ぶコーナー。
SF、ミステリー、恋愛、ファンタジー、etc……家の書斎ほどではないにしろ、そこそこの蔵書量を誇る我が校の本棚には未だ未読状態の書籍が数多く存在する。
昼食が始まったばかりということもあり、こんな時間に図書室にいるのは私くらいのものだろうと高を括って気楽に読書を楽しもうと思っていたのだけれど……
「ぐひっ、くふぅ」
目的とする本棚に辿り着いた私の前には、気色の悪い笑い声(?)を上げながら本を読んでいる貞子みたいな長髪の女子生徒がいた。
その前髪で本当に活字が読めているのか――先程から様子を眺めている私には全然気づいていない様子で、完全に読書に没頭しているようだった。
「むぅ」
けれど、困ったな。
私が読もうと思っていた長編ミステリー小説はちょうど彼女が立ち読みしている場所のすぐ近くにあり、傍にいかないと取れそうにない。
――なんだけど
「ふふ、ひぃ」
あぁ、近づきたくないなぁ。
「……」
というか、そんなに没頭できる程面白い小説なのだろうか。彼女が何を読んでいるのか、少しだけ興味が湧いてきた。
本人は未だ私に気付いていない様子だし、足音を忍ばせて慎重に近くへ寄って見ることにした。
静かに、ゆっくりと、バレないように。……なになに
「『超絶不細工な私が朝起きたら絶世の美少女になっていた?!』」
――あぁ、成程そういう
「……は?」
「あ」
しまった、完全に声に出して読んでしまった。
バレないようにとしゃがみこんだ状態でいる私を、件の女子生徒が髪の隙間から僅かに見える瞳を大きく見開いて見下ろしている。
あまりにも驚きすぎているのか、その後は石像のように固まったまま動く気配がない。
というか、白目剥いて気絶してないか?
いやまさか、漫画の世界じゃあるまいし――
「……む」
どうしよう、なんだかよく分からない状況になってしまった。これ、放置しててもいいのかな?
けれど、こうなった原因は確実に私のせいになるのだろうし。
「どうしよう」
まぁ、取り敢えず彼女が目を覚ますまでは本を読んで待ってみるとしようか。
◇◆◆
それから少しして。
「――っは、あれ‥ここは?」
「あの……」
「Oぎゃあっ!!」
少しして。
「うぅん、頭めちゃいたいぃ」
「あの……」
「Piィィィィイ!!」
少し、して。
「ぉあ、お家帰りたい」
「あの……」
「ワァァァァァ「いい加減にして」――ふぁイ!」
気絶した女子生徒を床に寝かせることが出来たところまでは良かったのだけれど、目を覚ました彼女に声を掛ける度に幽体離脱を繰り返すものだから、ついイラついて両頬を掴んでしまった。
両手で顔を固定されている体勢では流石に気絶することも出来ないのか、今度は逆に一言も喋らず沈黙している。
いや、よく見たら前髪が長すぎて気付きにくいだけで、だらしのない顔をして口からは涎を出している。うわ、気持ちわる。
―――ゴスッ
「あ」
いけない、彼女の涎が手につきそうだから咄嗟に両手を離してしまった。
重力に逆らうことなく思いっきり床に頭をぶつけた彼女はやはりピクリとも動かない。今度こそ本当に死んだんじゃないだろうか。
取り敢えず、彼女の生存を確認すべく人差し指でつむじをつついてみる。
「生きてる?」
「――っ」
あぁ、良かった生きてた。
「くひっ、ぐふふぅ」
駄目だ死んでた。
床に突っ伏したまま再度気色の悪い声を出す女子生徒。頭の方がだいぶ心配になる状態だけど、恐らくこれは生まれ持ってのものだろう。
げんなりしつつも近くの時計を確認すると、昼休みが終了する間際だった。ちょうどいい、これ以上は付き合ってられないと彼女のことは放って置くことにした。
「本のことはごめん」
立ち去る前に一言。恐らく異性には見られたくないであろうライトノベルのタイトルを無遠慮に口に出してしまったことは謝って、そのまま逃げるように図書室を後にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今でも鮮明に覚えている。6年前にあった、あの衝撃的な出来事。
私の暮らしていた施設には、とても穏やかで優しい先生がいて。
そんな先生が、私よりもずっと小さな男の子に抱きしめられて、抱きしめて‥‥泣いていた。
泣きながら、誰かの事を呼んでいて
それが誰の事を言っているのかは分からなかったけど‥‥ただ、まるで小さな子供のように泣いている先生を見て、なんだかとても悲しくなって。
幼いけれど、とても綺麗な男の子に抱きしめられている先生のことが、私の目にはとても眩しく映って。
あぁ、羨ましいなぁ……なんて
「――――」
叶うのならば、私も彼と――
「―――――さん!」
「一柳さんっ!!!」
「うぇ?! はいっ!!」
――あぁ、またやってしまった。
いつもの癖でぼーっとしていた私の目の前には、怒ると怖いことで有名な多田さんが立っていた。
もう60も後半の歳だと聞いているのに背筋は真っ直ぐに伸びていて、険しい表情で私の事を睨んでいる。というより、私がここで働き始めてから多田さんの笑っている所を一度も見たことがない。
この人のせいでこのバイトを辞めた人が何人もいるという噂は、多分本当の事なんだろうなぁ。
「ちょっと、もうとっくに交代の時間になってるんだけど。邪魔だからどいて」
店内の時計を確認すると、確かに私の勤務時間から既に10分程が経過していた。
「……はい、すみません」
そんな小さなことで怒らくてもいいじゃないかと思いつつ、それでも言い返すほどの勇気はないので素直に謝っておく。
多田さんもこれ以上私と会話を続けるつもりがないのか、鼻息荒く隣のレジへと行ってしまった。
――――――――
――――
「はぁ」
小さく溜息を吐きながらバックヤードにあるロッカーに制服を仕舞い、足取り重く勤務先のコンビニを後にする。
外はまだ薄暗く、肌には冷たく流れる風が当たる。
くぅぅぅぅぅ――
「お腹空いたなぁ」
ポツリと呟いた小さな言葉は、誰の耳にも届くことなく消えていく。
本当は手作りのご飯が食べたいけど、施設を出たての頃に頑張っていた自炊は掛け持ちでバイトする生活を続けているうちに止めてしまった。
先生の作ってくれたご飯を食べたいとは思っても、まさかこんな時間にお邪魔して迷惑をかけるわけにはいかない。
「しょうがないか」
家に帰る前に、いつものスーパーに寄ってパンでも買おう。
それを食べたらシャワーを浴びて、それからすぐに仮眠を取って。
お昼にはまた別のバイトのシフトが入っている。5時間くらは寝ておきたいところだけれど。
「……はぁ」
なんだか、疲れたなぁ。
高校を卒業してからすぐに、私はひまわり園も卒業した。
施設を出てからの生活。先生から聞いて覚悟していたこととはいえ、それでもこんなに辛いとは思わなかった。
「……」
私の帰るアパートには、もう"お帰り"と言ってくれる誰かがいない。
"胡桃お姉ちゃん"と慕ってくれた妹達がいない。
「……」
これから死ぬまで、こんな生活が続くのだろうか。
「……」
一体いつまで、私は日陰を生きていかなければいけないのだろう。
「会いたいなぁ」
あぁ、叶うのならば。どうかあの子ともう1度――
「……望君」
あれ以来、やっぱり一度も施設へは来てくれなかった男の子。
私達の大事な先生を救ってくれた、たった1人の男の子。
――今すぐ君に会いたいよ。
◇◇◇◇◇
「あぁ、来ちゃったぁぁ……」
時間は流れて、日曜日。
久しぶりの休日にも関わらず、精一杯のお洒落をした私がいるのは望君のお家が見える小高い山の麓だった。
場所は茜から聞いて知っていたとはいえ、まさかここまで来てしまうなんて。
「私のばかぁ……」
こんな所を見られたら、いよいよ私の人生は終わってしまう。
ここまで一生懸命に育ててくれた先生に顔向けできない。
「う゛ぅぅぅぅ」
段々と強くなる罪悪感に押しつぶされ、思わずその場で蹲る。
「……うぅ」
それでも、せめて一目だけ。
一瞬だけでも彼の元気な姿を見ることが出来たのなら、私の心が救われる気がするから。
「ごめんなさい、望君」
こんなに不細工な大人に執着されて。
貴方の事を好きになってしまって、本当にごめんなさい。
(なにこれ)
◇◇◇◇◇
青空が澄み渡る日曜日の早朝。
家に侵入してくる害虫対策にと山の方まで避難していた私の視線の先には、先程からごめんなさいと呪詛を吐くように謝り続ける綺麗な女性がいた。
「ごめんなさい望君、本当にごめんなさ――」
「……」
いや、本当になんだこれ。
彼女の言う望君とは十中八九私のことなのだろうけど、この人に何か謝られるようなことをされた覚えはないのだけれど。
それよりも、謝罪の言葉を口にする割にはここから見える書斎の方へとしきりに目線を向けていて。
心なしか、上気した頬が赤くなっているような。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい―――」
「……」
――――――――――――――――
――――――――
――――
あぁ、この人ストーカーか。
確信したと同時に、なるべく音を立てないようにその場から遠ざかっていく。
幸いにも彼女の意識は目の前の家へと固定されているようで、こちらに気付く様子はない。
そうして、確実に逃げ切れる距離まで離れることに成功した私は、迷うことなくポケットにあるスマホを手に取る。
そうして……
「あ、もしもし警察ですか?」
大人相手に容赦はしない。




