1-6 黄昏が照らす先
これにて1章のラストになります。
次からは2章に入ります。
降るは雨は止み、駈駆け抜けるは薄暗い山道、踏み抜くはぬかるんでいる土。逃げるのは難しい、でも諦めることはしない。
抱えた少女は軽いけど、そこに上乗せされる責任は重く感じた。
幼女はされるがままで、大人しく俺に抱えられている。特に何かをするそぶりもない。まあ大人しくしてくれてる分楽でいいんだがな。
そんなことよりもだ。俺が気にしないといけないのは後ろから追い上げてくる奴らのことで、一瞬だけ後ろに目線を向ける。
「やばい、やばい!やばい!!あの羅漸とかいう男よりはマシかもしんないけど、なにあいつ!二足歩行じゃなくて四足だって?猿か!しかも速いとか詐欺だろ俺を食うためか知らんけどなぁ!?必死すぎなんだよぉ!」
後ろから追いかけて来るあのボロボロな着物を着た男。目は血走ってるし、ヨダレは垂れてるし言動はやばいし、そいつの追いかけ方がキモいしで身震いが止まらない。いや寒すぎてか?まあどっちでも関係ない。どっちにしろあいつがキモイのは変わらないんだからな。
本当に今日はついてない日だ。
何もかも最悪だ。少し好転した状況と言えば雨が止んだことか?でも雲はずっと黒い。周りもまだ黒い瘴気に覆われている。
「ぐはへ!もっと逃げろ逃げろ!俺を楽しませろ!」
あれは絶対変態だ!しかも加虐趣味で他人に迷惑かけるタイプの変態だ…… さしずめ獲物を狙う獣ってところか?いや、ストーカーの方があってるな…うん。
あんなのに目をつけられるなんてどんだけ厄日なんだろうな。
捕まったらきっと殺されるんだろう。でも俺は…そう簡単に死んでたまるか。俺が死ぬということはこの子も死ぬということ。絶対に守りきらないと。この小さな命を絶対に守ってやる。そう心の中で決意した。先程の出来事を忘れるように。
だが、このままでは確実に捕まってしまうだろう。悔しいがあいつは遊びながら俺を追ってきている。本気で走れば俺を捕まえられるのにそれをしない。つまりは狩りを楽しんでいるんだ。現に俺は疲れてきているのに奴は余裕そうに走ってやがる。なにか打開策は無いか?例えばやつに聞くような
走りながら当たりを見渡すが、あるのは樹木か岩か土、あの変態妖怪野郎から逃げおおすなんて不可能だろこんなの。
そして思考に耽っていたせいで、山を走っているというのに足元を疎かにしてしまった。そのせいで足元にゴミがあることに気づくのが遅れ俺はつまづいて転けた。
あぶっ!
俺は抱えた少女をだきし舐めながら背中から地面に入った。
結構スピードをかけて走っていたせいが少し地面と背中を擦らせながら盛大に転けた。
痛ってぇ!うぅこりゃ背中抉れてるぞ。
と嫌な予感を少しだけ思い浮かべながら俺はハッと後ろを向いた。するとそこには足を止めて俺を見下ろす男がいた。
「おうおうぼっちゃ?鬼ごっこは終わりかい?」
男は笑いながらそう問う。
元々鬼ごっこなんてしてる気なんてあるわけないのにあいつは下卑た笑みを浮かべて俺を見る。
それは獲物を捉えようとする捕食者の笑みかそれともただの被虐趣味の変態の微笑みか…どっちにしろ嫌なものには変わりない。
「もう少し楽しみたかったんだがな。案外呆気なく終わっちまったぜ。まあ本番のお楽しみはこれからだけどなぁ?」
捕まってしまった。逃げ場も打開策もない。狩りに成功した奴は楽しそうに笑っている。
俺はこのまま殺されるのか?肉を裂かれて無惨にも食い殺されちまうのか?
それもいいかもしれないとほんの少しだけ思ってしまった。そうしたら全て悩む必要もなくて、このどうしようもない絶望の気持ちも感じなくて済むのかもしれないと思ってしまった。
「おいおい。もう少し泣き叫ぶとか反応をくれよ?もっとたのしみたいんだけどなぁ?もう諦めちまったのか?恐怖でチビりでもしたのかよ?あぁん?」
俺の反応が気に食わなかったのか男は文句を言ったあとに俺に蹴りを入れた。俺は抵抗できずにそれを受け入れぐえっと声を漏らした。
「ちっつまんねぇ。ならこっちの娘に聞こうか………ん?こいつァ……」
男が俺の抱いている娘に手を伸ばす。
…絶対にダメだ。まだ生きてる。動けるのに諦めるなんて、無責任にもこの子のことも投げ出して殺されることを許すなんて、そんなの見捨てることと同義じゃないか。
手があって、足があるなら身体を動かせる。やつに抵抗できる。この子がいるのに諦める訳には行かない。
どうにか見つけた生きる意味。それがなくては俺はきっと全てどうでも良くなっていたと思う。あの時、この娘が来なかったら俺は彼処で抵抗することもなく死んでいただろう。それだけ絶望が深かったんだ。ある意味この娘は恩人だな。きっとここから連れて逃げてやる。そう俺決意を固め直した。
俺は足の近くに目をやった。そこにはゴミの山が落ちている。真新しく最近捨てたように見える。雨に濡れているが外側だけで中身は使えそうだった。
俺はゴミの山の中の袋に入っているものを見つけて、それに手を伸ばした。
「なんだ?いきなり動きやがって。ん?なんだそれは…へぇ火が出て?そんな小さな火でどうする…ギィヤァアああああああああぁぁぁ熱いいぃいうぁぁ」
伸ばした先にあったのはガスバーナーとなにかのスプレーが入った袋。いつもなら注意したのに!と怒っていたかもしれないが今はそんなの考えている暇はなかった。
男が俺の行動に惚けている間に袋を破って中身を取り出す。おそらくあのBBQしてた奴らが置いていったもの。ガスバーナーを点火してそこにスプレーを吹きかけた。結果奴は火達磨になる。服は俺と違って濡れていなかったのでどうにか火が聞いてくれてよかった。
「はは、ガスバーナーとスプレーを使った即席火炎放射器だ。雨のせいで火がついてくれるか心配だったが何とかなって良かったよ」
今のうちにそう思って俺は少女を抱えて直ぐに逃げようとする。
しかしそう事は簡単に行かなかった。
「おい何処に行く気だ?」
すぐ後ろで火達磨になって苦しんでた男は、何ともなかったように俺の肩を掴んでいた。
「なんで……?」
「へへ、驚いたぜ。人間の技術は火をここまで操れるようになったみたいでびっくりよ。だがな、どれだけ人間が火を操れようとも、これはただの火。中妖である俺にこんなチンケな炎効くわけねぇだろ?俺を殺したいなら術の炎でも用意しな。まあお前は見たところ霊脈がないみたいだしな。無駄なあがき、残念無念ご苦労さん。まあ運が悪かったと思って諦めてくれや」
ち、くしょう。俺は馬鹿か?こんな化け物があれぐらいで倒せたと思って油断して…本当ならあれは相手にスキを作るためにやったんだ。それなのにあいつが苦しんでるのを見て安心してしまったんだ。俺の落ち度だ。
どうにか出来ないか?
俺はこの状況を打開するための策を考える。しかし捕まった状態では打開できる策なんてほとんどない。ましてや火が効かないようなやつを俺がどうこうできるのか?
現実は無常。俺の行動が無意味だったとただただ突きつけられる。
俺はただ遊ばれただけ。希望を持った俺が馬鹿だったってことなのか?まあでも…このまま死んでもいいのかもしれない。美咲さんも翔八ももう…それならいっそ俺は…
破滅願望とも取れるその思いに支配されそうになると、ふと幼女のことを思い出した。
巻き込まれたのは俺だけじゃない。あの娘もだ。俺だけの犠牲では済まない。俺が全て諦めるには余りにも無責任では無いか?
どうにか幼女だけでも逃がせないだろうか?
持って首を締めつける男を俺は何とか見る。
「ど、どうにか…」
「あっ?」
「あの子だけでも逃がして欲しい。代わりには俺がなるから…」
無様に命乞いのように俺はこの男に縋った。それしか手がなかった。考えられなかった。
「ぶっアヘひははっ!?お前馬鹿なのか?と言うよりも気づいてなかったのか?その娘は人では無い。俺と同じ妖ものよ。どうせ力がないふりをしてお前を喰おうとしたんだろうよ!それすら気づかずに助けようとするとはどれだけ愚かなんだ。ふはへ。これほど愚かな人間とはなぁ。おぉ、きっとその悲鳴もいいものなんだろうな」
「あの子が妖?」
一瞬何を言っているのか分からなかった。いや、理解しないようにしていたことを理解してしまったんだ。それに動揺している自分がいた。
しかし、それ以上に俺は落ち込んだ気持ちに火が灯った。
馬鹿か俺は?こいつの言葉に何動揺してんだ!守るって決めたんだろ?なのになんで今諦めようとしてんだ!?
怒りが込上げた。理不尽に俺を痛めつけようとするこの化け物に、そして何より、一瞬でも幼女を守るという意思を曲げようとした俺自身にだ。
託されたものを成し遂げることが出来なかった、差し伸べた手は振り払われた。死は既に覚悟した。けれど決意は何度も居られてしまった。
「守ると決めたんだ。てめぇみてぇなやつに殺されそうなやつが化け物だからって見捨てるほど、俺は賢い人間じゃねぇんだよ。」
それでも俺はあの子を守る再び決意した。この決意やり遂げられねば、もう決して立ち上がることがあできないだろう。絶望の中で俺が縋った唯一の光なんだから。
「あぁん?生意気なガキが…なんだその目は…怒りは感じるな。だが、絶望を感じない?俺が望んでるのはそんなものじゃない。あぁ、そうだなァ。その目にもっと…昏いものを宿してみたいなぁ」
男はねっとりとした口調で言う。なんだろうかこの身体に這いずり回るような感覚は……気持ち悪くて仕方がない。
「ああ、やはり自分で絶望を与えるのも良きかなぁ。その怒りに満ちた顔が恐怖で、痛みで歪む様はさぞかし美しいだろうなぁ。あぁ、見てみたい。死への恐怖を一切感じさせないその瞳に昏く歪んだものが浮かび上がるその時が。なら、もう少しいたぶってから…殺そうか!」
うっとりとした顔で笑みを浮かべながら男は手を振り上げる。
やばいと感じて、何とか抜け出そうと暴れるが、こいつは首を締めながら俺を殴って来る。いたぶるか…俺の痛みに歪む顔を拝みたいんだろうな。
俺はこいつの趣味の為に殴られるのか?いやこいつの顔的に色々考えてるんだろうな?ただ殴られるだけで住むわけが無い。
そうしていると男は思いついたように顔をニヤァとさせた。凄く気持ち悪い。まるで見てはいけない台所の敵を見た時のように。
俺は耐えようと歯を食いしばるがそれは無駄な抵抗だった。
「まずはここからだな」
「ぐ、がぁあああああああああああああああ!イタイイタイイタイ!」
こいつは俺の右目にその鋭い爪をゆっくりと当ててきた。鋭い爪はゆっくりと俺の目を傷つけらながら押し潰してくる。
みぞうちを殴られるとか、金的されるとかそんな痛みと比べられないぐらい痛かった。
あぁ、でもあの時感じた絶望なんかよりずっとマシだ。耐えろこれぐらい耐えて見せろ!!こんなことぐらいで負けてたまるか…
じたばたと暴れて抵抗の意志を見せる。抜け出そうとするがうんともすんとも言わなかった。俺は為す術なくいたぶられる。
目を潰されたのは片方だけだった。なんとなくだが、きっとこいつは俺に最後まで恐怖を感じさせたかったんだと思う。それなら俺はそれに抗うしかない。
キッとやつを睨みつけ、抵抗の意志を見せる。しかし男は気にする素振りも見せなかった。
そしたら次に男は俺の指の骨をほった。
1本ずつ折られた。
右も左も合わせて折られた。
次に顔を殴られた。何度も何度も。
俺の痛みに悶える顔を見て、こいつは涎を垂らしながら興奮したように震えながら笑っていた。
きっと俺の顔は血と、涙と鼻水と涎でクシャクシャなんだろうなと新たな痛みに思考をぐしゃぐしゃになっていることだろう。
そうして俺の身体は男にいたぶられていく。ゆっくりと、しかし確実に身体には傷が増えた。
なぜ俺はこいつにいたぶられている?
なぜ俺はここまで傷ついている。
なぜ俺は無力なんだ?
なぜ俺は反撃すらできない?
もう死にたい。こんな痛みずっとは耐えられない。
俺の心はズタズタに引き裂かれていた。
それに反応してか男は興奮したように笑って勢いで喋り出す。
「この…クソ…野郎」
「ふはへ!いい表情だぁ。待ってろお前が終われば次はそこの妖だぁ」
その瞬間俺の何かが切れた。消えかけていた燃えカスのような闘志は薪をくべられたように再び燃え始めた。
そうだ守らないと。あの子を守ると決めたんだ。まだ死ねない。こいつだけでも殺してやる!!
力が欲しい…無敵なんて贅沢は言わない。ただ、この理不尽な状況を打ち壊すことが出来る力が欲しかった。
こんな男の手で殺されるなんて我慢ならない。
そんな想いが強くなって来た時、この場に似つかわしくない綺麗な声が聞こえた。
その声を探そうとしてた俺だが、そんなはずないと思って諦めた。けど次の瞬間時が止まった。
男は歪めた快楽の表情のまま立ち止まり動かなくなった。
何が何だか分からずその残った目で周りを確認した。すると妖と呼ばれた少女が立ち上がりこちらに話しかけてきた。
「よいのかそのままで?」
良くはない。こいつに1発ぐらいお見舞いしてやりたい。でも、俺じゃこいつに勝てない。どうすることも出来ないんだ。
「わしを守ると決めたんじゃろう?揺らいでおるのかその意思は?」
揺らいでなんかいない。君を守る。そう決意した俺の意思は一切揺らいでなんかいない。例え君が妖でも関係ないんだ。守ると思った意思を俺は突き通したい。
「そうか。ならば戦う術を示そう」
彼女がニヤリと笑みを浮かべた。
戦い方?俺にそんな力あるのか?
「何お主はあの羅漸を前に生き残ったのだそれぐらいの力はあるはずじゃ」
羅漸…あいつか…なら教えてくれ!その力ってやつ
「ふふふ、ならば教えてやろう。その力はお主の紅き血に宿っておる」
血に宿ってる?どうやったらその力を使えるんだ?
「もう忘れおったのか?お主は既にその力を1度使っておるはずじゃがな」
1度?一体どこで?そんなことあった気がねぇぞ。
「はあ、本当に忘れておるようじゃな。亡者共を退けたことを思い出せ」
亡者…あの幽霊たちのことか?
そうだあの時…あいつらに来て欲しくなくて、俺を強く思って変な感覚があった。手にあったはずの傷も消えていた。なら血を使って願えば…なんとなくだが理解した。あいつの倒し方。
てか話せたのかお前!?
「そなた…今更じゃな。このような状況で申すべきことではなかろう」
はは、そんな呆れたように言わないでくれよ。まあでも助かった。ありがとうな。
「…そなたに価値があることを願う。勝たねば死ぬだけじゃからな。精々励むことじゃ」
そういうと少女は姿を消した。
なんだよそんなことできるんなら最初からしてくれれば助かってたのに。
あいつの目的はよく分からないが今はこの男を倒すことだけを考えないと行けない。どちらにせよこいつを倒せなかったら俺は終わるんだからな。
そう考えていると止まった時が再び動き出した。
男は何事も無かったように動き出していた。
「あん?なんだ今の変な感じがしたが…おい待てあのガキの妖はどこに?」
キョロキョロする男を無視して俺は、男の腕を力の入らない手で掴んだ。
「最後の抵抗か……こんなもので俺をっ!?何だこの力は!?」
骨が折れて使い物にならない手でこいつの腕を掴む。痛みなんて気にせず俺は力を入れた。するとミシミシ音が鳴る。
「くそこのやろう!」
痛みに負けてか男は俺を投げ飛ばした。
それと同時に俺の血がやつの身体中に飛び散る。だが、まだ足りない。もっとだもっと血を…あいつにつけないと……
俺はゆっくり立ち上がり男を見る。
何を思ってか男は思わず一歩退いた。その顔は驚愕していて汗を1粒額から垂らしていた。
「な、んだ?こな、いのか?」
ああ、クソ上手く喋れねぇ。顔殴りすぎなんだよクソ野郎が。
「っ!?なんだ!なんなんだお前は!あそこまでやったのになんでまだ目が死なない!なぜそこまで目に力が宿ってるんだ!俺が見たいのはそんな目じゃない!俺が見たいのは「それ、だけか?」ヒィッ!」
「言い、たいのは、それだけ、か?」
「ちっ、ただの人間じゃないのか?くそっもっと遊ぶ気だったが気が変わった。もう要らない。早く死ね」
そういうと男は爪を鋭くさせて俺に突き刺す。
俺はそれを避けることなく受け止める。男の拳は俺の腹に容赦なく突き刺さった。
「ぐはっ!!」
俺は血反吐を吐き、男にかかるが男はそんなこと気にせずに笑っていた。
めちゃくちゃ痛い。でもさっきよりマシだ。俺にはもう動くだけの力はない、だから俺にはこの方法しかないんだ。
「はは、やっばりただの虚栄なんだな!お前なんかに…お前なんかに妖怪である俺が畏れるわけないんだ!」
「ぺっ」
口に含んだ血を含んだ唾を吐き出してこの男の顔にかけてやる。ざまぁねえな。俺ので顔が汚れちまってるぜ?
「貴様ァ!この俺の顔になんてことしやがる!目に入ったじゃねぇか!それがお前の最後の抵抗なんだな?それを悔やみながら死ね!簡単には殺さねぇ。もっといたぶって…」
俺の様子に気づいたか?絶望なんてしてない。俺は片目で相手を馬鹿にするように笑ってやる。何かがおかしいと思ったのか男は急いで腕を離そうとする。
「は、離せ!なんで外せない?死にかけの人間なんかよりも俺の力が弱い訳ない。なのになんで!なんでこいつはいきなりこんな力を出せるんだ!」
はは、おかしい事に気づいても、もう遅い。俺のやりたいことは既に終わっている。
痛みに歪んだ顔で精一杯笑ってやる。
「ざ、ざまぁみ、ろ」
親指を下にしてサインを送ってやる。相手は意味を分かっていないみたいだが侮辱されたのは理解したらしい。顔を歪めてやがる。
男はもう片方の手の爪をむき出しにして俺に手を振り下げる。
どうすればいいかは……もう知っている。いや、教えてもらった。あとは願いを乗せるだけ。
俺は奴の手に合わせて、憎悪を乗せてつぶやく。
「消えろ」
俺自身ですら底冷えするような声が俺の口から放たれた。
すっと俺の中から何かが抜ける感覚と同時に男に付着していた血が光った。
「な、なんだこれは?まさか!?嘘だ!こいつに霊脈が存在しているなんて聞いてなっ」
瞬間、男は消し飛んでいた。そう、跡形もなく消え去っていた。
頭の中が真っ白になる。
何が起きた?俺が呟いて、そしたらあいつが吹き飛んで…周りに散らばってた血がなくなってる。
俺がしたんだよな?
ハハッこんな呆気なくかよ。笑うしかない。
「アハハ、は、はっ」ゴホッゴホッ」
口に手を持っていくとどちゃっと血を吐き出した。それと同時に足がふらつき、視界が揺れた。
力が入らないし、目眩がする。まるで貧血みたいな感じがする。まるでって言うかそのまんまだなこりゃ。
あぁ、ダメだ立ってられない。
ふらつく身体を何とか動かし近くにあった木にもたれかかりながら座り込んだ。
きっとさっきのあれで身体の血が少なくなったんだろう。腹にまだ穴が空いてて血が流れる。失血死しないのが不思議なもんだよ。勝ったは良いけどこのままじゃここで野垂れ死にだ。
「うっグッ」
突然膨れるように痛み出した胸を掴む。
なんだ?この痛み…心臓が破裂しようとしてるみたいだ。
ぼた、ボタッと目から、鼻から、口から血が溢れ出す。身体の中の血管が悲鳴を上げている。
内側から来るこの痛み…病気とか怪我とかそんな感じじゃない。上手く言葉で言い表せられない。苦しい。あぁ、今日はこんな事ばっかりで嫌になる。なんて日だ!なんて…そんなこと言ったところでどうにかなる訳でもないのになぁクソっ。
あぁダメだ身体が動かないな。このままここで死んでしまうのだろうか。
濡れた地面に横たわる。うっすらと晴れ出す空はオレンジ色に染められていた。いつの間にか夕方になってたのか。そんなに時間が流れてたことが信じられない。
雲に隠れていた空はいつの間にかこんなになっていたんだな。最後に見る空がこういうのも悪くないかもしれない。
そんな風に死を悟っていると再び彼女が姿を現す。
「ふふ、ハハハハハっよもやここまで強力な霊脈の力とはな」
よく聞こえない。思考も上手く定まらなくなってきた。
「お主はわしに価値を見せた。故にその命を貰ってやろう」
助ける?この状況から俺は助かるんだろうか。疑問に思うが、でも助かるのなら俺に何が残ってる?生きた所で俺は……
「わしの血を飲め。そうすればお主も助かるじゃろう。しかしこの血を飲めば貴様はもう逃げられんからのう。よう考えることじゃな」
彼女は自身の手を切ると俺に差し出してきた。
飲んだらどうなるか教えてくれないんだな…まるで悪徳業者だな。
「このまま全て諦めるか?それとも抗い続けるか。お主はどちらを選ぶ?」
ズルいなぁ。そんな選択肢の提示しか提示されないならひとつしか選べないじゃねぇか。唯一助ける手を差し伸べてくれたこの子からの問に俺は迷うはなかった。
この先どうなるか分からない。けど、このままただ意味もなく死ぬのも嫌だ。まだ生きれるなら俺は…
意を決して彼女の手から溢れ出す血を飲み込んだ。
「契約成立、その血肉全てわしのものじゃ。そう、血の最後の一滴までのう。残念じゃのう。もうお主はわしから逃げられんぞ?」
そう言って彼女は艶めかしく笑った。
何かが透き通るように身体にめぐっていく。身体の根本から何かを作り替えていくかのように。それと同時に心臓の痛みが消えて眠気が俺を襲う。
あぁ、そういえば彼女も妖…妖怪なんだよな。今までのことを考えると疑う余地はないんだけど。
逃げられない。つまりはいつかは俺はこの子に食べられるんだろうか?
雨は止み、空から雲が消え始める。雲の間から漏れ出す黄昏の光が彼女を照らし出した。
あぁ、なんて綺麗なんだ。
沈み出す太陽が最後に放つ黄昏色の光が妖しく彼女を包み込む。そんな光景が幻想的で、浮世絵離れした美しさを視界に映す。
そして彼女自身の艶やかな表情が彼女自身の幼い見た目を否定していた。そうあれは子供なんかの表情じゃない。
それでも、俺はそんな彼女にいつまでも見とれていた。
そんな俺は一つだけ強く心に思った。たとえ騙されていようと関係ない。
黄昏色の夕日に照らされた彼女はこの世の誰よりも綺麗で、俺は彼女になら生きたまま喰われてもいいと思ったんだ。唯一助けの手を伸ばしてくれた彼女になら俺は身を捧げられる。
意識を失う前に俺は、彼女の目に鬼を見ながらそう思った。
もっと短く書くつもりが書きたいこと書いてたら思っていたよりも長くなってしまいました。
誤字脱字あれば気軽に教えて頂ければ嬉しいです。