第五章 土鬼
第五章 土鬼
穏やかな午後、仕事がないにもかかわらず昼寝もせずに難しい顔で考え込んでいる託二の様子に、見かねた多津美が
「どうしたのですか?具合が悪いですか?」
「うん?…いやいや、………そうですね。少し休むことにします。やることもないですし、多津美さんも帰っていただいていいですよ。
あっ、もちろん給金は据え置きで」
多津美は、託二の体調を案じて、言われるままに帰ろうかとも思ったが、気になったことをつい口に出してしまった。
「…結婚のことで悩んでいるんですか?」
「いや、…まあ、そうですかねぇ」
あいまいな託二の言葉を聞いて、多津美は託二を力づけようと言葉をかけた。
「私は、ずっと働き続けますから心配しないでください」
託二は大きく息をして、多津美に笑みを向けて、
「有難うございます。まあ結婚しても何も変わりませんよ。今後ともよろしくお願いしますね」
「はい!」
託二は、掛け布団を取り出してきて、横になった。多津美は託二に声をかけ、
「おやすみなさい。何かあったら私が力になりますよ」
部屋を出ていった。それに合わせたかのように平吉が窓から入ってきた。
「託二。今日は飴湯ないの?」
託二は寝ころんだまま水筒を平吉に放った。
「眠れないの?」
「………寝れませんよ、声をかけられちゃあね」
平吉は受け取った水筒を傾けて飴湯を味わう。
「……今日はほとんど全部残ってるね。飲まなかったの」
「…暇がなくてね。
そろそろ寝かしてくださいよ。こう話しかけられちゃあ眠れない」
平吉はため息をついて託二の横に寝そべった。
「……でも、話はしてほしいんでしょ」
「…そうですね、いや、私のことをわかっているつもりなんですか?」
平吉は掛け布団を頭まで被った託二の頭のあたりを撫でた。
「わからないよ。でも何となくわかるかもしれない。託二はわかりやすいからね」
「言いますねぇ…」
「じゃあ当ててもいいんだけど、結婚っていうのが嫌なんでしょ」
託二は言葉に詰まる。少し時間をおいて、意を決して、
「嫌ではないです、……でも、いや、やっぱり嫌なんでしょうね。変わってしまうことが怖いんですよ。変わらない強さを自分が持っていると信じられないで」
平吉はうつぶせでひじを立てて、手のひらにあごを乗せた。
「それで託二はどうするの?苦しんで苦しんで、我慢するしかないの?」
「それは…」
「うん、託二はここじゃないどこかに行きたいんだね」
平吉は、託二に視線を向けた。掛け布団をずらした託二は平吉を見返す。
「大丈夫だよ。僕だけは託二の味方だから」
「ありがとうございます。でもさすがにもう寝かしてください」
託二は仰向けになり、掛け布団を引き上げた。
「まったく、託二はしょうがないな」
託二に聞こえないほど小さい声で言って平吉は、掛け布団にもぐりこむと託二に寄り添うように移動した。二人はすぐに夢もない深い眠りに落ちていった。
結婚の儀の一部として託二は町はずれのお堂にこもっていた。ただっぴろい畳張りの間に託二が端座している。そこに平吉が入ってきて、託二に、二言三言囁いて、出ていった。
とうとう結婚の当日になって、託二の心中は裂かれたようにまとまりが取れなかったが、それを表情には出さないことに何とか成功していた。儀礼の流れとしては、智美が乗った車を託二が馬で引いてゆき、聖域とされる池のほとりで演武をして、また戻ってくるという退屈極まったものである。その往路にて、ことは起こった。託二に巨大な影が落ちる。そちらを向くと、道脇の街路樹、それよりも高く、脂ぎった黒髪が乱雑に伸びる頭には無表情な目が並び託二に視線を向けている。化け物は、筋肉が張り出して、まさに岩山のようななりで、一歩一歩託二達に近づいてくる。
託二は馬から降りると、手早くそばの樹につないで、車に手持ちのお札を張り付けると中に呼び掛けた。
「智美さん。ちょっと行ってきます。危なくなったら逃げてください」
何事かと窓を開けた智美は、向かってくる化け物の姿を見て、口に手を当てて驚愕した。託二は、その化け物に駆けて行く。智美は、引き留めようとしたが、その背中に声は届かなかった。
森の中に託二が入っていき、それを追うように化け物も離れていった。智美が動けないでいると、しばらくした後、雷がすぐそばに落ちてきたかのように大きな音が響いた。
何事があったのではと心配した智美が森に入っていく。しばらく進むと表面の地面がえぐり取られたかのように土がむき出しになった場所があった。その周囲には草木が散乱して、その中に智美は見つけた。黒く擦れた布きれが散らばる近くに、贈り物の扇子が色あせた状態でえぐられた地面に落ちていた。智美が駆け寄ろうとするが、それよりも早くはらはらと崩れて、風に乗って散って、初めから何もなかったかのように消えてしまった。




