第四章 迷い廊下
第四章 迷い廊下
朝早くに祀木の屋敷、宣秀のもとを訪れた託二は、依頼書を受け取っていた。
「それでは任せたぞ託二。…しかし最近頑張りすぎではないか。放置していた案件まで手を出すとは」
「いやいや、できる時にやっておかないとね」
宣秀は、託二の考えを探るような視線を向けて、
「託二は十分役割をこなしているさ、功績は十分だ。昔のようには誰も言わないよ」
「まあ宣ちゃん。この仕事が終わったら、少し仕事のペースを考えてみるよ」
託二はそう言うと、懐から取り出した水筒をあおった。宣秀は何か言いたげに、託二を案じるような視線を向けていた。
立ち入り禁止とされた一角、その原因となった屋敷を託司は訪れていた。以前に挑んだすべての者がさじを投げたといういわくつきである。とうの託二も過去二回探索したが、途中で断念して戻っている。この屋敷の質の悪いところは怪異の原因が多すぎることにある。屋敷を丸ごと焼き払うならともかく、まったく傷をつけないようにとお達しもあり、現状打つ手がない。なのになぜ託二がここを訪れているかというと、できる限りの情報を記録しておこうと考えてのことである。
最近の託二は、生来の質など忘れてしまったかのように、仕事に打ち込んでいるが、それは仕事に打ち込むことで差し迫った婚姻について考えないようにしようという狙いがある。逃れようのない事物が、じりじりと迫ってきて、それが重圧となって託二を苦しめていた。その苦悩を振り払うように、あるいは少しでも距離を取ろうと逃げるように、託二は化け物屋敷の中に入っていった。
化かされない目を持っている託二ではあるが、適宜紙に記録を取りながらの歩みであり、直接襲ってくる化け物を除ける必要もあり、至極ゆっくりと進んでいる。突き当たりで三回引き返して、階段を二回上って、託二は時間が経ったために探索を断念すると、慎重に来た道を引き返した。
託二は茶会に出るため、枕木の屋敷を訪ねていた。有力な家々から人が集まり、決まりきった挨拶をかわす、それだけの会だ。家を預かる身になれば、他にもいろいろあるのだが託二には関係ない。
大広間に人が集って会が始まった。本日の茶は託二の婚約者、枕木智美が立てる。当たり前だ、本日はそのための会なのだから。託二は嫌気がさしながらもそれを全く顔には出さないで、作法を完璧にこなした。
茶会が終わり、託二は智美の居室を訪ねていた。これも決まった流れである。偉人の話を模しているようなのだが、とにかく面倒くさい。託二は、部屋の前で従者に取次ぎを頼む。
箪笥や鏡台といった家具が大きくを占めて、こじんまりとしたスペースに智美が座って待っていた。託二は、お決まりの品を定められた手順で渡す。そして智美から匕首の包みを受け取る。最低限流れに沿うだけなら後は退出するだけなのだが、託二は智美に、流水と桜模様の包み紙を青いリボンで飾った包みを差し出した。智美は、決め事に沿うという常を外れた託二の行いに戸惑ったようで、
「まあ、なんでしょう?」
「こちら受け取っていただければと」
「ええと…」
何か取り決めの品だと思われたのか、智美はなかなか受け取らなかったので、託二は暗喩やほのめかしに満ちた言葉を使わないように、簡潔な言葉で真意を告げた。
「二心なく、ただあなたに贈りたいと考えて持ってきました。受け取ってもらえると嬉しいです」
その言葉に智美は贈り物に対する礼を返して、託二の真意を確かめるように中身を改めようと考えてか、
「ありがとうございます。さっそく、開けても構いませんか?」
託二が了承すると、智美は丁寧に帯と紙をほどいて、箱の中赤い敷き布の上に青く透ける細工の櫛を認めた。智美が視線落として固まってしまったので、突然の贈り物で困惑させてしまったかと思った託二は
「小物屋での折に、見事な青細工が目に入りまして、あくる日の好みの話など思い出しました。童心に帰り、ただ無邪気に喜んでいただけるのではないかと、…確かにこの場にはふさわしくなかったかもしれまん」
智美の口元だけ揺らしての笑みが、にっこりとしたものに変わった。
「ありがとうございます。昔青い色が好きだと言いました。覚えていらっしゃったのですね」
「ええ、ふとした折に思い出しまして」
疎ましく思われなかったようなので、託二は安心して、去り際の口上を述べようとして、それを智美が遮った。
「少し、少しだけお時間をください、私からも贈りたいものがありまして」
智美は鏡台の引き出しからなにやら取り出して、託二に手渡した。託二はどんな意味合いを持つ品かと少し身構えて、若干色があせた包みを解くと赤紫の扇子が出てきた。
「秘密院に祈りを込めてもらったものです。危険なお仕事をしているので、少しでも守りになればと」
託二はありがたく懐にしまうことにした。
「ありがとうございます。これで何かあっても大丈夫ですね」
「何かはない方がいいのですが、
あと……その、昔を思い出しまして、髪を梳いてもらいたいと思ったのですが、お願いできますか?」
智美はうつむき加減、恥ずかしいのか髪で顔を隠した。託二は軽く引き受けて、鏡台の櫛を取ると智美の後ろに回る。
「始めますよ、いいですか?」
「はい、お願いします」
託二が人の髪を梳いた経験も子どもの戯れ程度のもので、ぎこちない手つきで慎重に櫛を入れる。夕日のような色の灯りに照らされた智美の髪は明から暗へ変化をかいて、髪を梳けば髪の返す光が複雑に揺らめいて託二は少しだけ目を奪われた。昔、十歳程度の頃もこうであったかと思い返して、しかし託二の記憶はあいまいに。ふと託二の鼻に花油の香りが届いた。智美が花油を使い始めたのはいつ頃からだったのだろうか、託二には思い出せない。よくよく見れば、当たり前だが記憶の中の少女は目の前の女性になっているわけで、託二は時間の流れを意識させられた。いや、そもそも託二はどれほど智美と正面から向き合っていたのか、十と二十の歳の頃、その中間を埋める姿の記憶はないに等しい、託二はそのことに気が付いて、心を苦味が満たす。
託二があれこれ考えつつ髪をゆっくり梳く中、智美は昔を思い出して、穏やかな表情を見せた。




