第一章 河童
第一章 河童
晴れた初夏のまだ暑すぎはしない心地よい時分、二階の奥座敷もちょうど良い塩梅にほかほかと温まって、生業を放り出し昼寝としゃれ込むにはちょうどよい。その座敷の中にあって、まさに昼寝と贅沢な時間の使い方をしている男がある。藍縞の着流しでだらしなく座椅子に背を預けては、幸せそうに高いびき。
有数の商家やらが立ち並ぶ景気のいい土地にあって、男のもとにも呼び込みやらの大声が届いてはいるのだが、そんなもの気にもならないと深い眠りに沈んでいる。
しかし、体感時間のあれこれに関わらず、楽しい幸せな時間はふいに破られてしまうもの。男の穏やかな眠りも唐突な大声で中断されることとなる。
「せ〜んせ〜!事件ですよ事件」
襖を跳ね飛ばさん勢いで押し開いて、外套を右肩だけに引っ掛けて染め赤の小袖に紫の袴と言った出で立ち。外套の掛け方がいささか先駆的に過ぎるが着物の仕立ての良さだけ見ればお上の儀官か技官か、はたまたやりての商人かといったところなのだが、田舎の子供のような振る舞いが台無しにしている。どたどたと座敷に上り込んでから、男が眠りこけているのに気が付いたのか、男のわきに端座しての起きるまで待っていようといったところ。
男は半眼であくび一つで起き出して
「なんですか。多津美さん。みりゃあわかると思いますが、今日はお休み、お休みなんですよ」
とだけ言ってまた昼寝でもしようと椅子に沈み込む。
多津美と呼ばれた女は男の顔の方に回り込んで、
「仕事のお話ですよ。もう被害が出ていて、賞金だって
「いやいや、もう今月分は給金を払っているじゃないですか。十分稼いでるなら手を抜かないと、餌を食い尽くしても仕事がなくなっちまいますからねぇ」
いつものこの男はワーカーホリックの向きがあるほどなのだが、なぜか眠いと途端にやる気をなくす。それをよく知っている多津美は反論をあきらめると、困り顔で
「いちおう宣秀さんからのお話で、明日の昼ごろ詳しい説明のため来てほしいと、……一応顔は出しておいた方がいいのでは」
男はいい加減昼寝を再開したいのかひどく投げやりに
「いきます。いきますから話通しておいてください。あと後ほどわかる範囲で今回の件について教えてください」
それだけ言って目をつぶる。
「後ほどとは何時ごろですか?」
男はちらりと窓の外、太陽の高さを確かめて
「あと四時ほど後にお願いします」
多津美はわかりましたとだけ言うと入ってきたとき同様元気よく座敷から退散していった。
男はようやく寝れるとため息一つ、面倒なあれこれを考えないように努めると再び夢の中へと落ちていった。
小舟三隻が河に漕ぎ出して、いざ網を投げてという段になって。舟の漁師は大きな水音と船の揺れを感じた。あわてて見回せば、仲間一人がどこにいったのか、小舟一隻が無人で。放たれた草舟のように乗る物居らずで頼りなく揺れるのみである。漁師二人は慌てて舟を操って落ちた仲間を探した。河といえど人が泳ぎ遊べるほどには深さがなく穏やかな流れである。舟から落ちても危険なほどではない。しかし、落ちた仲間は少し待てでも姿を見せない。これは何かあったものと残った二人は顔を見合わせて頷き合うと、おのおの舟を仲間が落ちたあたりに寄せて、潜って様子でも見ようとしたところ。拡げたちり紙の一点のみつまんで持ち上げるかのように突然水面が隆起したかと思うと、現れた何かはその太い腕で残された二人の内の近かった方を水中へと引きずり込んだ。最後に残された一人は、あれまさに魍魎の類いと死ぬほど仰天して、懸命に棹を操り命からがら逃げ帰った。
「というわけでね。どうだい検討はついたかい。託二」
浅黄染めの小袖に藍の袴の男が体面に座する男、託二と呼ばれた昼寝好きに問いかける。
「二三に絞れないこともないが、こればかりは見ねぇとなぁ。それよりも予算は聞いただけ付いてんの?宣ちゃん」
託二はやや怪訝な顔、対する宣ちゃんこと宣秀は苦笑いといった風で
「いや、あの河で魚が二日は止まっちまってね。河鯰を楽しみにしていた枕木の爺さんが大層お冠。金は出すからあそこから早く鯰を取って来いといっていてな」
託二も合点がいったとばかりに同じく苦笑いの
「なんだよ爺さん。俺は爺さんの使いっぱしりじゃあないんだが」
託二の口調からは爺さんとやらへの親しみがにじみ出て、表情も心なしか嬉しげに。託二続けて
「まあ、依頼は受ける。……鯰取るとこは漁師にさせてほしいが」
宣秀はからかうようにニヤリと笑って、
「いやいや、自分で取るっつったら網代も出るかもわからんぜ」
「勘弁してくれよ、川をさらうのは化け物探しの一回で充分だ」
託司は、ひらひらと手を振りながらひとしきり笑ってから、真面目な顔をつくって、
「そんなわけで、今回もいつもの通りに頼んだぜ」
託二と一緒に頬など緩めていた宣秀も顔を引き締めて、
「わかった。準備はいつもの通りに進めておく」
託二は宣秀の言葉に一つうなずくともう話は終わりとばかりに脚投げ出し机に肘などついてだらけきった風で、
「それじゃかたい話もここまでと言うことで」
言って託二は懐から竹製の水筒を取り出すと、宣秀に放る。
「仁俊屋の新作。今度は松の都の柚子味だと。なかなかうまかった」
宣秀は呆れたような表情みせ、水筒の中身を少し含んで、
「甘いな。甘いんだが俺には一口で十分だ。
しかし、お前も飽きないね。仁俊屋の飴湯にどれだけつぎ込んでいるんだ」
託二は投げ返された水筒を掴むと懐にしまいこんで、皮肉など気にもせずに、この男には珍しくにっこり笑って、
「飴湯にゃ死ぬまで入れこむさ。なんたって命の恩人だからな」
そこから託二は飴湯への愛を語るのであった。宣秀はまた始まったと内心毒づきながらも、普段渋面ばかりの親友が子供のように純真な姿を見せることは嬉しいのか、話が長かろうと全部聞いてやろうという姿勢。二人は長時間雑談といいつつの託二の飴湯語りに花を咲かせるのであった。
灯台がわりのやぐらの上で、望遠鏡と言うここでは珍しい品を使って託二がなにやら熱心に観察している。視線の先には、漁師が消えた件の河がある。その水面はわずかに揺れるのみで、とても異常があるようには見えない。
その静かな河に、不可解なことに犬をのせた小舟が押し出されて、河の中心へと流れゆく。しつけが行き届いているのか犬は動き回ることもなくただじっと静止している。河の中心まであと半分ほどかと言うところで、何か塊が水中より昇り、犬巻き込んで再び水中に消えた。下手人の姿を捉えるには不十分とも思える一瞬の犯行であったが、見逃すまいと目を皿にして待ち構えていた託二には十分であった。
「あの頭に嘴、岩の身体で引き込むっていうと、こりゃ確定だな」
託二はつぶやいて、丁重に望遠鏡を仕舞い込むと、日差しに優しくああためられたやぐらの板床の上、身を投げ出すと腕枕、昼寝としゃれ込むことにした。
次の日、同じ時間、同じ場所にて託二は、同じように望遠鏡で水面を見ている。違いを挙げるとすれば、河べりに弓を抱えた屈強な男たちが並んでいることで、それは妖怪を討伐するために託二が呼んだ部下たちである。
託二がやぐらの下にいる部下へ手を振って合図を出す。すると逃げられないように縄で括り付けた犬を乗せた小舟が河に押し出されて流れていく。男たちはお札が付いた矢をつがえて、狙いを定めた。小舟が河の中心付近まで流れて、水面から何かが跳ねた。その瞬間を狙ったように河べりから無数の矢が放たれた。降る雨の様によける隙間もない矢の、いくつかは水中に消え、いくつかは舟や犬に突き刺さって、残りは水中から現れた化け物に突き刺さり空中に縫い止めた。灰色で岩のような屈強な体躯を持つ化け物は、札による拘束から逃れようともがいて、そこに二射目が放たれた。第二射は火を纏うもので、矢が刺さった化け物に、燃え移った。油に浸した紙が燃え尽きるように、化け物の姿はものの数秒で幻と消えてしまった。
「お疲れさまでした。今回も順調でしたね。先生」
化け物も無事に消え去って、その日の午後、多津美と託二はいつもの座敷で机挟んで座椅子に座っていた。
「そうですねぇ。多津美さんもいろいろありがとうございました。来月の給料には色を付けておきます。
ああそれと、蔵の酒を適当に持って行ってください、荒事の連中に」
「はい!わかりました!」
多津美はにっこりと笑うと元気よく部屋を出ていった。託二は窓の外を眺めて、代り映えしない雲の様子に眠気を送られて、畳の上で大の字に寝ころぶと昼寝をしようと目を閉じた。日差しに温められて、心地よい風に優しく撫でられて、託二はゆっくりと眠りに落ちていった。




