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5.ふたたび

 ペンを走らせていたウィルトールはふと感じた違和感に手を止めた。

 何か、おかしい。

 だがその何かが分からない。

 おもむろに顔を上げ室内を見渡してみる。テーブルセット、ソファ、本棚と順番に目を向けていくが変わったところは特にないように思う。外に目をやれば空の色は日に日に濃い青に、木々の緑は陽射しを浴び燦々と輝いていた。夏が近い。

(……気のせいか)

 首を傾げつつもウィルトールは再び手元に目を落とし、ペンを握り直した。

 気持ちを改め一文字書いたその直後、突然胸元で何かが発熱した。それも火傷しそうなほどに熱い。急いで服の下に落としたペンダントを引っ張り出せば、細い鎖に通された二つの飾りのうちの片方、小指の爪ほどの小さな青玉の中心が銀色に輝いていた。ウィルトールはハッと息を呑む。しばらくの間それは目を射るほどに眩い光を発し、やがてすうっとその輝きを消した。


 この石はその昔、セイルの療養目的でこの地を離れる際に叔母から渡されたものだった。

「これがあんたたちを危険から守ってくれるから、絶対に肌身離さず持ってるんだよ。片方が危険に遭うともう片方も共鳴するようになってるからね。お互い何かあればすぐ分かって便利だろ」

 長身の叔母から有無を言わせずにっこりと渡されれば大抵の人間はまず逆らえないのをウィルトールは知っている。叔母の笑顔には何かそうさせるだけの力があるらしい。それなのに指示も忠告も平気で無視し、平気で盾突くのがセイルだった。叔母が強く念を押したのはそんな彼の性格を見越してに他ならない。

 幼少期の弟はとにかく手のつけようがないほどやんちゃで、向こう見ずで、怖いもの知らずだった。叔母の心配した通りこの石が力を発揮したことも数えきれない。だがここまでの強い発熱と発光はさすがに過去一度きりである。

 その時のことを思い出しウィルトールは僅かに眉間に皺を寄せた。まさか、と思った。だが幾ら考えても辿り着く結論はそれしかない。


 セイルは今、何らかの危機に瀕している。

 それも恐らく過去経験した事件と同程度のものに。


「何やってるんだあいつ……」

 ウィルトールは一つ息を吐くとペンダントを元通り服の下に落とした。ひやりと冷たい感触が肌に当たった。まるで先程の熱と光など錯覚だったとでも言わんばかりだ。事実、この石が叔母から貰ったものでなければウィルトールもさして気に留めなかっただろう。なにせ問題の事件からはそこそこの年数が経過しているし、あの頃に比べれば弟も成長して随分と落ち着いたのだから。

 もう一度胸の中で繰り返す。弟は一体何をしているのか。何がどうなっているのか。

 問いに答えられる者はここにはいなかった。弟の予定など一々把握していない。全てを知っておかねばならぬ年はとうに過ぎていた。それでも何か起こっていると知った以上は動かざるを得なかった。

 ウィルトールは静かにペンを置き、席を立つ。





 * *





『きれいなかみ』


『つきがさのひかり、あつめたいろ』


『こっち、てんのはしごのいろ』


『なかまか?』


『なかまちがう……にんげん』


『にんげん』


『におい、しってる』


『しってる、またきた』


『きけん』


『キケン』


『キケン』


(キケン……危険?)





 * *





 ――眩しい。

 瞼裏にちらちらと光が揺れている。その明滅がひどく気に障る。

(まだ寝かせろよ……)

 気分がささくれ立つ。それを宥めるかのように、そよ風が頬を撫でていく。さわさわと梢が鳴った。窓が開いているのかその距離は案外、近い。

 不快な光から逃れるように寝返りを打った。――硬い。それに平ではない。湿り気があり、じんわりと温い。この肌触りは寝具のそれでは決してない。

 だが寝具ではないとすれば、

(オレはどこに寝てるんだ?)


 セイルはぼんやりと目を開けた。真っ先に飛びこんできた色は緑。草葉の緑である。

 何か野草の短く細長い葉が風に吹かれ、しなやかに揺れているのが目に入る。僅かに首を巡らせば頭上の遥か高い位置にも鮮やかな緑が揺れていた。木漏れ日がちらちら踊りながら降ってくる。

(あれか)

 不快でしかなかった明滅の原因。分かってしまえばさほど立腹することでもなかった。

 いつもの調子で勢いよく半身を起こしたセイルは、途端に襲った目眩と頭痛に顔を顰め、反射的に手を当てた。何の痛みか全く身に覚えがない。大きな波が通り過ぎるのを待ち、痛んだ付近を恐る恐る撫でてみた。傷もコブも特にないようだ。掌を見てみたが綺麗なままだった。首を捻りつつ腕を下ろすと掌にしゃらと細い糸の束のようなものが当たった。

 そういえば腕を動かした際にも何かがさらりと滑り落ちる感触があったのを思い出した。もしかすると自分の意識がない間ずっとこの腕に乗っていたものかもしれない。セイルはおもむろに目を落とした。自らの座る傍らに白い糸が、まるで絨毯のように辺りに広がっていた。

「なんだこれ」

 一房を摘まんで光にかざした。色は真っ白ではなく僅かに黄みがかった白。その光沢や感触は絹糸のように滑らかで美しい。

 もっと間近で見ようと顔を近付けた。が、糸はすぐにぴんと張り、手に軽い抵抗を伝えてきた。長さが足りない。糸の先を辿っていったセイルは次の瞬間ぎょっと目を剥いた。

 白い糸束の間から見えていたのは明らかに人の手だった。認識した途端にぞわりと背中の毛が逆立った。

「うわっ!」

 糸を慌てて放り投げ、後ずさる。そうしながらもセイルはその物体から目を離せなかった。

 手だ。腕と言うべきか、とにかく手だ。肘から下の部分が白い糸――いやこれは髪の毛か――を絡ませて投げ出されているのだ。

 よく見ればもう片方の手も、そしてセイルがいる方とは反対側に両足もちゃんと見えた。どうやらこちらに頭を向けて俯せに倒れているようだ。長い髪が顔も身体も覆い隠しているために分かりにくいが。

「……ひ、ひと、人、か……。……脅かすなよな……」

 セイルは顔を強張らせたまま長い溜息を吐いた。苦手な化け物の類いではない。人であるなら何も問題はないのである。なかなか収まらない動悸に落ち着け落ち着けと自己暗示をかける。

 白い髪を割るようにして投げ出されている手はほっそりと細く、綺麗な指をしていた。さすがに一目で女だと分かる白い手だった。まるで血が通っているのか疑わしく思えるほどの白い肌。セイルは再びぎくりと息を止めた。この白さ――、


 果たして息はあるのか。


 もしや殺伐とした事件の成れの果てかと考えかけ、慌ててその思考を振り払う。辺りはのどかな森の中だ、そのような恐ろしい事件は絶対に似合わない。希望的観測を込め、その可能性はこの際考えないことにする。

 ごくりと唾を飲みこみセイルは動いた。投げ出された白い腕にそろそろと手を伸ばし、ととん、と叩いてみた。

 ――思いのほか柔らかい。

 分かったのはたったそれだけ。セイルは途方に暮れた。せめて体温の有無が確認出来れば話は違ってくるのかもしれない。が、再度触れる勇気は出なかった。情けないことだが今にも吐きそうだった。



 得体の知れないもの――いわゆる化け物がセイルは大の苦手だ。

 発端は叔母の「悪い子のところにはお化けがやって来てみんな食べちゃうんだよ」という発言だったように思う。よくあるしつけの文句である。脅して怖がらせ、言うことを聞かせるという寸法の。

 当時のセイル少年は叔母の言葉など端から馬鹿にして信じていなかった。この世にお化けなんているものか、子供騙しの手になんか引っ掛からないぞ、と斜に構えた子どもだった。

 何度叱られようが脅されようが態度を改めることはしなかったセイル少年。その彼にある夜、叔母の言った通りのことが起こってしまったのだ。

 ()()

 セイル少年は確かに()()を見たし、実際に鼻息や涎も体感した。大口を開け迫ってくる巨大な姿を前に少年の身体は固まってしまい、避けようもなく一気に飲みこまれた――はずだった。だが次の瞬間少年の目の前にいたのは腕を組んで仁王立ちしている叔母であり、場所も化け物の腹の中などではなく元いた寝室なのだった。

 セイル少年は化け物の出現を必死に訴えた。が、叔母には全く取り合ってもらえなかった。それなのに化け物はその後も昼夜関係なく現れ、セイル少年はすっかり参ってしまった。それで叔母の命令には出来る限り従い、日が沈むと同時にベッドに潜りこみ頭から寝具を被るようになった。たまにそろりと寝具から顔を出してみるのだが、部屋の片隅には相変わらず鋭い眼光が二つ、暗がりからこちらを睨んでいるのだ――。



 セイルは慌てて頭を振った。激しく振って嫌な思い出を振り払う。見渡せば辺りは光に溢れ、風に揺れる梢がさわさわと鳴っていた。穏やかな光景に僅かな勇気を貰った気分で、セイルは再び目の前の人物に目を向けた。

 極論を言えば何も見なかったことにしてこの場を後にする選択肢もあった。だがそうしたとしてやはりもやもやと、後ろ髪を引かれる気持ちは残るだろう。それならばこの際ちゃんと確認しておいた方が後々のためには良い気がした。

 過去にセイルを苦しめたあれはとてつもなく大きかった。だが目の前に倒れているのは自分より小柄そうだし、何と言っても人の形をしている。大丈夫だ、大丈夫。余計なことは考えない……。



 頭だと思わしき箇所へ恐る恐る手を伸ばす。嫌々ながらに人差し指と中指でそうっと髪を割り入ると青白い肌が垣間見えた。そのまま持ち上げるようにして髪を退かし、ようやく見えた横顔にセイルはあれっと眉を顰めた。どこか見覚えがあるような気がした。

「――あっあいつ! えーと……そうだ確か、カレンフェルテ!」

 思わず指を指して叫んでいた。叫んだ途端にがんと頭痛がし、(うめ)く。呻きながらも再確認した。間違いない、この女は元・縁談相手だ。

 緊張が解け、セイルはどっと脱力した。魂まで吐き出しそうなほどに長い溜息を一つ、それから改めて目を向けた。何故、この女がここにいるのだろう。もう会うこともないだろうと思っていたのに、どうして。

 あの日庭園で倒れた姿と今の姿が重なる。あの時は、声を上げればすぐに駆け付ける者がいた。その者たちの手でカレンフェルテはあっという間に運ばれて行った。けれど今この場には自分たちの他に誰もいそうにない。

 躊躇(ためら)ったのは一瞬で、セイルはその小さな肩を掴んだ。軽く揺さぶって目覚めを促せば少女はすぐに長い睫毛を振るわせ小さく呻いた。セイルの見守る中、カレンフェルテは静かに目を覚ました。冬の凍てつく湖面を思わせる白藍の瞳はどこか一点を見つめたまま微動だにしなかった。

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