6.権力争い-1
後継者レースの途中報告が行われた翌週。
ケリーがオフィスでデスクワークをしていると、そこに書類を持った男性社員が現れた。
「若社長、新しい取引先の申請リストです。ご確認をお願いします」
「ありがとう、確認するからそこに置いておいて。......それと、若社長って止めてくれない?」
私は不満を訴えるが、男性社員は全く気にした様子がない。
「でも、皆言ってますよ。次の社長はケリーさんだって」
「皆が言ってるから問題なの」
私はジロリと睨む。
男性社員は「おお、怖っ」と言って震えるような素振りを見せたが、反省する気配はなかった。
「全く、いくら言っても聞かないんだから...」
私はぶつぶつと文句を言いながら、彼が持ってきた書類へと視線を落とす。
そこに並んでいるのは、ミックスバーの取り扱いを希望する店と、関連する情報の一覧だった。
「ふむ、必要事項はまとまってるし、与信審査で引っかかりそうな相手も見当たらない。ああ、でも希望取引量は満額回答とはいかなさそうね。次の担当者に渡しておくわ」
「じゃあ、よろしくお願いします」
男性社員は一礼し、去っていった。
管理本部の一員として、各種申請の確認と担当部署への引渡し。
これが私の仕事の1つである。
(一通り研修を終わらせた後、そのまま現場で実地訓練。いかにも新人社員の育成カリキュラムってところね)
現場で人と接していれば嫌でも顔を覚えるし、覚えられる。
それ自体は悪いことではないが、先ほどのような噂話が出てくるのは困りものだった。
(どうにかならないかしら?いくら否定しても聞いてくれないのよね)
どうしたらいいのかと大きなため息をつくが、その瞬間あるアイデアが思い浮かんだ。
(.....いえ、この状況を利用すべき?私がいつか社長になると期待して、色々と便宜を図ってくれてる人もいる。彼らを使えば色々とやれることも増えるはず)
こちらの要望を真面目に聞いてくれる相手というのは貴重だ。
あちこち見て回って理解したが、社員は皆が真面目に働いているわけではない。
(業務改善や新しいことをやろうとすると、『自分の仕事じゃない』『やったことがない』って逃げようとする人が多いのよね)
そんな相手を説得するのは骨が折れる。
だが、私を支持する人が多ければ話は通しやすくなるだろう。
(うーん、派閥ってこうして生まれるのね。でも、必要性や流れはよく分かるわ)
目下、私が模索しているのは、父が抱えている仕事を減らす手段である。
例えば、冷蔵技術の研究を引き継ぐことができれば、父の負担もかなり解消されるはずだ。
私1人では研究など無理だが、協力者がいれば話は変わってくる。
(話を通すためには私を支えてくれる人たちが必要。そして、彼らを引きつけるためには、彼らが期待したくなるような人物として振る舞わないといけない)
人の期待を背負うなんて慣れていない。
期待を裏切った時の反動は怖いし、何かあった時には責任を負うことになる。
そんな不安が頭をよぎるが、ワガママは言っていられない。
「というか、真面目に仕事してたら自然と人が集まるのよね。どうせ逃げられないなら、自分から攻める方がマシよね」
社長の血縁という立場は、それほどまでに影響力が強いのだった。
**********
後日、私はリオに声をかけられ、カフェへと連れ出された。
なんでもケーキが有名らしく、HSサウス社の社員にも人気らしい。
(元パティシエをそんな店に誘うとは、なかなかいい度胸をしてるわね)
紅茶とケーキが届くなり、リオが本題を切り出した。
「最近、あちこちの案件に首を突っ込み始めてるよね。何が目的なんだい?」
「何の話かと思えば...」
どうやらリオの目的は釘を差すことだったらしい。
私は適当に誤魔化そうかと思ったが、リオの表情が思いの外真剣なのを見て考えを改めた。
私が倒れた日から、彼は私の生活に口を出し、何かと面倒を見るようになっていた。
お陰様で生活環境や体調が随分マシになったことに感謝したい。
(まるで、だらしない主人をペットの犬が世話しているようね。寝落ちした主人に毛布をかける感じかしら?)
嫌な気分ではないからいいかと流してきたが、日頃世話になっておきながら、自分の考えを彼に教えないというのはフェアではないことに気づく。
(彼をパートナーとして認めたんだから、ちゃんと頼るべきよね。流石に父のことは言えないけど)
経営の勉強を兼ねて社内で影響力を得ようとしていることを説明すると、リオの顔が曇っていった。
「不味い?」
私が不安になって尋ねると、リオは「うーん」と唸りつつ難しい顔をした。
「良いか悪いかで言うなら、現場にとっては良いことだ。けど、重役たちからすれば悪いことだね。会社全体だと半々ってところ」
「派閥形成に繋がるから?」
私の言葉にリオが頷く。
このあたりは誰もが懸念するらしい。
「でも、言っても聞かないのよ。開き直って利用する方がマシじゃない?」
私は不満げにケーキをつつくが、リオは「それは分かるよ」と紅茶を飲みながら頷いた。
「君の主張にも一理ある。社員として見れば君の行動は咎められるものじゃない。ただ、君は普通の社員じゃない」
「当然だけど、管理職や関係者には報告してるわよ。勝手なことはしてないわ。それでも駄目?」
「駄目だね。これは君の問題じゃなくて会社の構造の問題だ。今の重役はハーヴィー社長の信奉者。社長を脅かす者は容赦なく排除される」
「えっ...」
リオの言わんとすることを察し、私は困惑し眉をひそめた。
「肉親と経営権で争うわけないでしょ」
「意外とそうでもないんだよ。親と子供が経営権をめぐって訴訟。よくある話だ。有名な家具メーカーで内紛が起き、創業者の祖母が孫を追い出したなんて話もある」
「嘘でしょ...」
権力や金が人を狂わせるのか。
それとも、そこまでして自分の理想を追い求めたいのか。
「一番いいのは社長を頼ることだ。最初から社長の指示という形を作ればいい。立場の違いは明確になり、功績も社長につく。これなら波風は立たない」
「うーん、それは...」
私はリオの提案をやんわりと否定した。
父に話を通すということは、父に負担をかけるということ。
それでは意味がない。
「どうしてそこまで頑張るんだい?君は社長を目指してるの?」
「いえ、そうじゃないのよ。父の仕事をいくらか引き受けられるようになりたいの。例えば冷蔵技術の研究開発とか―――」
そう言っている途中でとあるアイデアが思い浮かび、私は言葉を切った。
(父の目的を達成すれば、引退させられるかも?)
後継者レースに勝てば父はハムズスイーツ社の社長になる。
仕事は間違いなく増え、長期休養など無理だ。
HSサウス社の社長も兼任するかもしれない。
「どうしたんだい?気になるようなことでもあった?」
「ごめん、ちょっと待ってくれる?」
リオは目をパチパチさせているが、一端考えに集中したいので、手を前に出して彼の言葉を打ち切った。
(以前それとなく聞いてみたけど、引退する気は当面なさそうだった。父は世界中にチョコレートを売りたいという目標を持っている。もし暑い南部で売れるようになれば、区切りがついたと考えてくれるかもしれない)
冷蔵技術の確立は未だ道半ば。
しかし、ハムズスイーツ社として多額の投資を行えば、短期間で実現できる可能性はある。
(それを見届けた後なら引退してくれるのでは?)
私がHSサウス社の社長になる必要はない。
だが、建前だけでも社長を目指すと言っておけば、父が引退する時に代役として周囲も協力しやすくなる。
「そうね、社長を目指すのも悪くないかも」
「えっ、本気かい?」
私が唐突に意見を変えたのを見てリオは驚き、持っていたカップを落としそうになった。
「気が変わったの。色々と考えたらそれも悪くないかなって」
「ふーん、色々とね。でも、目標が出来たのはいいことだね。それなら僕も本気で応援するよ」
リオは「これは楽しくなってきたぞ」と笑みを浮かべ、上機嫌で紅茶を啜る。
私にはよく分からないが、彼にとっては願ったり叶ったりの展開らしい。
「仮に、の話よ。今すぐどうこうできるわけじゃない。けど、目標として掲げるくらいならいいでしょ」
これで父を休養させられるかもしれない。
もちろんこれで万事解決とはいかないが、取っ掛かりくらいにはなるだろう。
私は降って湧いたアイデアに夢中になっていた。
だから、近くの席でHSサウス社の社員が聞き耳を立てていることに気がつかなかった。




