1.プロローグ
「後継者を決めるわ。次の王、次の社長をね」
女性が周囲を見渡し、ハッキリと言い切った。
豪奢な照明や内装が施された会議室は厳粛な空気が漂う。
窓から差し込む光を後光のように背負う彼女は、まるで神託を告げる代弁者のように見えた。
そして彼女の視線の先、会議室の壁には『ハムズスイーツ社 創業者』と添えられた、1人の男性の写真が飾られていた。
そんな絵画の如き光景を前に、ケリー・ターナーは戸惑っていた。
(なんで私はこんなところにいるんだろう?場違いにもほどがあるんだけど)
この場にいるのは40-50代の成熟した人間ばかり。
20代の若造は自分と隣に立つ男だけ。
しかし、その彼はいつも通りの自然体で、楽しげに人好きのする笑みを浮かべているのが癪に障った。
誰も彼もが立派なスーツをごく自然に着こなしており、装飾品も高級品だと一目で分かる。
上司の背後に控える部下たちも直立不動。
(庶民育ちには肩身が狭い...)
足が沈み込みそうなほどフカフカした絨毯のせいで、気分すら不安定になりそうだった。
(これ土足で踏んでいいやつ?クリーニング代だけで、庶民の給料が吹き飛びそうなんだけど)
そわそわしそうになるのを誤魔化すため、会議室中央に視線を向ける。
テーブルの上座には先ほどの女性が座り、下座には左右に分かれて5人の取締役が座っていた。
席は6席あり、下座の末席は空いたまま。
(誰も近寄らないってことは、該当者無しってことかな)
最も下座の席に座る男性はケリーの父であり、上司でもあった。
(はじめましてのご挨拶ってことで、自作のケーキを手土産として配ったけど...。失敗だったかしら?)
父が「他の取締役たちに紹介する」といって、ここに連れてこられたわけだが...。
前職がパティシエということで、説明を兼ねた手土産をと意気込んだところまでは良かった。
だが、「ハムズスイーツ社の商品を使った試作ケーキです」と伝えたところ、酷く驚かれてしまった。
(会社が世界に誇る商品を勝手にアレンジしたのが不味かったのかも)
彼らは商品に愛着と誇りがあるだろう。
それを新参者が踏みにじったと受け取られれば、冗談では済まされない。
しかも、ここまで緊張感の漂う場とは聞いていなかった。
(父さんもちゃんと言ってよね!手土産を渡した時の相手の困惑した表情。「ヤバい奴が来たぞ!」って覚えて貰いたいんじゃないの!)
少し禿かけた父の頭頂部を睨みつけていると、上座の女性が再び口を開く。
「私が代理で場を繋いできたけど、そろそろ本格的に次の社長に席を譲ろうと思うの。今日集まって貰ったのはその話をするため」
女性の言葉を受け、会議室の空気が息苦しくなるほどに張り詰める。
(彼女はハムズスイーツ社の2代目社長、ラモーナさんよね。50歳近いようには見えないけど)
事前に教えて貰った情報では、ラモーナはケリーたちが働くハムズスイーツ社の創業者の妻であり、公私に渡って30年支えてきたとある。
流石に年齢は隠しきれないが、その輝く目には活力が溢れている。
(どうして社長を交代するの?必要なさそうだけど)
ケリーと同じ疑問を抱いたのか、他の者たちも困惑の表情を浮かべていた。
「我が社の問題は『新商品の開発力がないこと』。創業者が開発した『チョコレート』だけで今までやってきた弊害ね。残念だけど私には無理。子供たちも望み薄。だから、次の社長にはこの問題を解決してほしい」
会議室が軽いざわめきに包まれる。
世襲制を否定したこの展開は、誰も想定していなかったのだろう。
その反応を見て、ラモーナは悪戯が成功した子供のような、楽しそうな笑みを浮かべた。
「我が社は大陸に並ぶ相手がいないほど大きくなり、今も安定した成長を遂げている。けど、今以上に大きく成長させるための起爆剤がない。そこで、新商品を開発し、業績拡大の軸となる新規事業を作り上げた者を社長として選ぶことにしたわ」
ラモーナの言葉に対し、その場にいる誰も口を挟まない。
『やるといったらやる』
彼女がそういう性格だと熟知しているからだ。
ただ、最も上座に座る取締役の1人だけが、「また相談もせずに...」と呟き、目を手で覆っていた。
(席順的に、あの人が社長の次に偉い人?上の思いつきに振り回される苦労人か)
勝手に同情するケリーを脇に置いて、ラモーナは話を進めていく。
「いわゆる、後継者レースというやつね。楽しそうでしょ?この席に座っている人間が候補者よ」
ラモーナは席に座る5人を見据える。
候補者として指名された取締役たちは黙ったまま、ラモーナを見返した。
唐突に降って湧いた話とはいえ、彼らも大企業の重役に上り詰めた者たちである。
彼らの目の色が変わった。
『王の座に手が届く』
そうと知った彼らはすぐさま頭を切り替え、いかにして勝者になるか思考を巡らし始める。
そんな頼もしい彼らを眺め、ラモーナは満面の笑みを浮かべた。
「期間は3年。その間に伸び代があると思わせる事業を作ってほしい。新商品だけじゃなくて、『事業』をね。その程度のことができないと、あの人の後継者としては相応しくないもの。期待してるわよ?」
(急な話についていけなかったけど...。つまり、チョコレートを使ったお菓子を作って売るってこと?事業云々が何を意味してるのかはよく分からないから、後で父さんに確認しないといけないわね)
父を含めた、目の前に座る5人の取締役による競争。
1から新商品を考案するとなれば、前職の経験が生きる。
(ここで手柄を立てれば、ボーナス間違いなし。自分の店を持つ夢に大きく近づく)
菓子作りなら手慣れたものだ。
そして、好都合なことに父は後継者候補の1人で、その部下である自分は絶好の機会を得たことになる。
(これは一生に一度のチャンス!)
思わず拳を握る手に力が入る。
ハムズスイーツ社のチョコレートと言えば、店に並ぶ端から売れていく高級品の代名詞で、粗雑な他社製品とは一線を画す。
菓子としての完成形の1つであり、パティシエの世界では『足すところも、引くところも無い』と評される。
私も初めて食べた時には衝撃を受けた。
それに並ぶ商品を自分の手で生み出せるなら、これ以上の誉れはない。
それに、大量生産による菓子作りの現場を知れば、「多くの家庭に美味しい菓子を届ける」という目標に役立つに違いない。
(事業や会社の経営なんて知らないけど、そこはまあ、父さんたちがなんとかしてくれるでしょ)
自分の幸運にほくそ笑みながら、早速皮算用を始める。
この甘い期待が打ち砕かれることになるとは、露ほどにも考えていなかった。
そんな私を、創業者の写真が静かに見下ろしていた。
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チョコレート王ダグラス・ハミルトンがこの世を去った。
身寄りもなく無名だった彼は、誰一人として見向きもしない謎の樹の実から、甘く濃厚でとろけるような菓子を魔法の如く作り上げた。
樹の実から抽出した粉と新鮮な牛乳、たっぷりの砂糖から作られた菓子。
彼はそれを「チョコレート」と名付けた。
チョコレートの濃厚な甘さとコク、とろけるような食感は人々を魅了し、莫大な富を生み出した。
だが、彼の偉業は世界で初めてチョコレートという菓子を作り上げたことだけではない。
彼が非凡だったのは、実業家としても優秀だったところにある。
手作業から始まった製造を工業化し、生産量を増やして、品質を安定させた。
大量生産のため工場を各地に建て、広大な販売網を築き上げ、大陸で知らぬ者はいないトップブランドへと成長させた。
彼はまるで未来を見てきたかのように的確な施策を打ち出し続け、彼の真似を始めた競合相手を打ちのめし、影すら踏めぬほど寄せ付けなかった。
彼が会社を立ち上げてから30年。
ダグラスが設立した会社ハムズスイーツは「チョコレート帝国」と呼ばれ、本社付近は「黒い蜜の流れる地」と謳われるほどの栄華を誇った。
その彼が死んだ。
だが、彼の帝国は残されたままだ。
王が死んだ後に起こることは決まっている。
そう、後継者争いである。




